江別創造舎

活動コンセプト
「個が生き、個が活かされる地域(マチ)づくり」
「地域が生き、地域が活かされる人(ヒト)づくり」

三愛女子高校

2012年10月15日 | 歴史・文化

 昭和33年4月、唯一女子高校である三愛女子高等学校は、酪農学園用地内の仮校舎において、酪農学園女子高等学校としてスタートしました。

 江別は、30年代に入り、札幌市の衛生として急速な発展の兆しをみせ、人口の増加につれて、女子を含む高校進学希望者は年々増加傾向にありました。
しかし、当時の江別には道立の江別と野幌の両高校、それに機農高校の3校がありましたが、江別高校以外は農業高校であり、しかも機農高校は男子校であったことなどから、女子の地元高校進学は極めて狭き門であったのです。
 加えて、頼りの江別高校は、『本校現在の実情は未だ男女共学総合制高校としての施設設備の点に関し、その狭隘不備生徒教育上真に憂うべきもの』(昭和30年12月市議会、請願「江別高校学級増加について」請願者江別高校長ほか)があり、『本年3月、本校入学志願者の数及び他市町村公立私立高等学校への志願者数を勘案すると同時に新篠津の開拓を思う時志願者の急増』(同前)が予想されるにもかかわらず、道の台所事情などから教室増も意のごとくならぬ状況であった。こうした時代の趨勢と地域的背景の中において、酪農学園が女子高校の開設に踏み切ったのでした。

 昭和35年4月、校名を三愛女子高校と改称し、40年には募集定員800人を越え、経営も馴染みも地域へ定着していきました。
 その後、北海道縦貫自動車道の建設に伴い、54年11月、校舎等を西側に移転、63年4月には機農高校を吸収するかたちで男女共学のとわの森三愛高校として新たな出発をすることになりました。

註:江別市総務部「えべつ昭和史」304-305頁.
写真:昭和41年当時の三愛女子高等学校の校舎前景
 同上書304頁掲載写真を複写し、当ブログ掲載いたしております。


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