
昭和57年4月、江別市農業後継者対策協議会が発足しました。
市内農業関係13団体で構成されたものですが、その活動の重点を農村花嫁対策におきました。
嫁のきてがない現実は、農村青年の農村離れを加速さえる大きな要因でした。
57年1月現在、農業後継者233人(26-35歳)中96人が未婚、その比率41%という深刻な事態への対応です。
同年11月、農村生活の良さをPRするパンフレットグリーンタウンえべつが3千部印刷され、札幌圏の女性の多い職場に配布されました。
また、協議会から委嘱された結婚相談員が配偶者掘り起こし活動に奔放しました。
こうした後継者難が、負債整理と共に離農の主因となっていました。
また、配偶者が求められない後継者は、現在の経営形態のままでは離農予備軍とならざるをえないのでした。
そして、離農後残された農地は、荒廃させ、放置したままにはしておけません。
適正に流動化させ、規模の拡大、近代的経営に吸収させなければならないのです。
その試みは、既に始まっていました。
すなわち、50年からの農用地利用増進事業であり、55年の農用地利用増進法の制定です。
33年に美原拡張開拓地に入植した越智邦雄によると、『当初の41戸が今は21戸に減り、離農した仲間や既存農家の離農跡地を買ったりして、おそらくこの辺りの平均は、当初の4町5反から倍以上の10町を越える』といいます(中略)。
56年9月開催の議会において、こうした農家危機の打開を求める農業再建、食糧自給率の向上のための要望意見書が全会一致で採択されました。
同意見書は訴えました。
すなわち、『重化学工業を中心とした経済政策により農業人口が吸収されて、農業は極端に後退し、その結果87%という高い自給率を保っていた我が国の穀物生産も、今日では僅かに34%という状態にまで低落し、先進諸国においてさえ全く例を見ない低い自給率となっております。』
『これまでの相次ぐ水田減反の強化、牛乳の生産調整、畑作農業の伸び悩みなど農業経営、農家経済は深刻な状況に直面し、地域経済、特に辺境の北海道においては重大な局面を迎えております。』
註:江別市総務部「えべつ昭和史」490-491頁.
写真:昭和57年農業委員会作成したパンフグリーンタウンえべつ
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