戦後の目標は、国民一致して総力戦に勝ち抜くことで、そのためには国民の精神運動が必要となり、それが学校教育にも次第に浸透していき、やがてその制度にまで及びました。
昭和16年、その暮れには太平洋戦争に突入する導火線となる仏印進駐が始まった年、国民義務教育の根本であった「小学校令」にかわって「国民学校令」が公布され、4月から実施されることになりました。国民学校は義務教育6年を8年とし、卒業後一ヶ年の特修科を置くこととし、教科書を新たにし、教育内容を刷新し「合一的人格陶冶、国民錬成の道場」としようとするものでした。
ただし、8年制は、19年度より着手されることになっていましたが、急変した戦局の悪化により終戦まで実現をみることができませんでした。しかし、これによって、北海道に多かった特別教育制度はなくなって、全国一列になりました。
昭和14年、青年学校も義務制になりました。
青年学校は、入営前を終えて働く者のための実業補習学校と統合してできたものです。継いで、昭和18年、「中学校令」・「高等女学校令」・「実業学校令」が廃止されて、「中学校令」が公布され、昼間働く者のために夜学を設けることとしました。そして、教科は精神教育と体育に重点をおきました。
これらと同時に「師範教育令」も改正され、師範学校を官立にし、専門学校程度に昇格することになりました。国民教育が重視されると共に、師範学校の向上拡大が図られ、昭和13年には青年学校教員養成のために教員養成所をおき、中等学校の卒業者を入学せしめました。
18年には、また「大学令」・「専門学校令」・「高等学校令」も改正され、翌年に高等商・工業学校の校名が専門学校になり、小樽高商も経済専門学校となりました。北大水産専門部は昭和10年函館に移って函館高等水産学校になり、14年室蘭高等工業学校および北大臨時付属医学部専門部ができ、20年には北大農学実科・林学実科を廃して新たに農林専門部が設置され、また北海道庁立女子医学専門学校が北星女学校校舎を仮校舎とし、北海道社会事業協会病院を付属病院として開校しました。
軍用物資生産のために、政府は特に専門技術者の養成を重視しました。
農・医・工・理の技術方面の学部から成り立っていた北大には、低温科学研究所・超短波研究所がおかれ、冶銀・通信工学・石油地質学等の講座が増設されました。
また、17年には北大内に、拡大された理工科教育のための教員を養成する目的で、庁立臨時教員養成所が置かれました。
学生生徒は、学問技術をもつものとして重視される一方で、また予備兵力、組織をもつ労働者としての重視され、次第に後者に重点が移っていきました。
情勢が緊迫した20年4月からは授業停止となり、教育・研究は全く停滞してしまいました。中等学校以上の学生生徒は、もっぱら勤労奉仕隊として農村・工場に送られ、軍事施設の建設、土地改良等に従事せしめられました。
(参考)
当ブログ2009年 3月31日(火)「文教のまち森のまち江別」
当ブログ2009年 3月30日(月)「全国唯一酪農学科開設ー酪農学園大学」
当ブログ2009年 3月23日(月)「文教地区の形成」
当ブログ2009年 3月16日(月)「文京台の誕生!」
当ブログ2009年 3月11日(火)「北海道開道50年記念式典と北海道帝国大学の設置」
当ブログ2009年 1月 9日(金)「最初の労働組合江別友愛会結成」
当ブログ2008年12月18日(木)「江別尋常小学校の設置」
当ブログ2008年12月 9日(火)「江別市成年訓練所」
当ブログ2008年12月 5日(金)「江別市の学校と国民学校制度」
当ブログ2008年 9月12日(金)「日本初和英語辞典」
当ブログ2008年 9月 9日(火)「北海道三県時代の教育」
当ブログ2008年 9月 7日(日)「北海道の英学教育事始」
当ブログ2008年 8月27日(水)「商船学校の設立」
当ブログ2008年 8月24日(日)「札幌農学校の創立」
当ブログ2008年 8月23日(土)「開拓使仮学校開設」
当ブログ2008年 8月16日(土)「教員養成と師範学校の設立」
当ブログ2008年 8月10日(日)「村落・変則小学教則の制定」
当ブログ2008年 8月 9日(土)「学制公布と北海道特例」
当ブログ2008年 6月30日(月)「江別最初の学校ー対雁学校」
当ブログ2008年 6月28日(土)「対雁学校の教育」
註:北海道「新北海道史」276-279頁.
写真:大正7(1916)年札幌市「通信簿」
北海道開拓記念館にて撮影許可を得て撮影掲載いたしております。
昭和16年、その暮れには太平洋戦争に突入する導火線となる仏印進駐が始まった年、国民義務教育の根本であった「小学校令」にかわって「国民学校令」が公布され、4月から実施されることになりました。国民学校は義務教育6年を8年とし、卒業後一ヶ年の特修科を置くこととし、教科書を新たにし、教育内容を刷新し「合一的人格陶冶、国民錬成の道場」としようとするものでした。
ただし、8年制は、19年度より着手されることになっていましたが、急変した戦局の悪化により終戦まで実現をみることができませんでした。しかし、これによって、北海道に多かった特別教育制度はなくなって、全国一列になりました。
昭和14年、青年学校も義務制になりました。
青年学校は、入営前を終えて働く者のための実業補習学校と統合してできたものです。継いで、昭和18年、「中学校令」・「高等女学校令」・「実業学校令」が廃止されて、「中学校令」が公布され、昼間働く者のために夜学を設けることとしました。そして、教科は精神教育と体育に重点をおきました。
これらと同時に「師範教育令」も改正され、師範学校を官立にし、専門学校程度に昇格することになりました。国民教育が重視されると共に、師範学校の向上拡大が図られ、昭和13年には青年学校教員養成のために教員養成所をおき、中等学校の卒業者を入学せしめました。
18年には、また「大学令」・「専門学校令」・「高等学校令」も改正され、翌年に高等商・工業学校の校名が専門学校になり、小樽高商も経済専門学校となりました。北大水産専門部は昭和10年函館に移って函館高等水産学校になり、14年室蘭高等工業学校および北大臨時付属医学部専門部ができ、20年には北大農学実科・林学実科を廃して新たに農林専門部が設置され、また北海道庁立女子医学専門学校が北星女学校校舎を仮校舎とし、北海道社会事業協会病院を付属病院として開校しました。
軍用物資生産のために、政府は特に専門技術者の養成を重視しました。
農・医・工・理の技術方面の学部から成り立っていた北大には、低温科学研究所・超短波研究所がおかれ、冶銀・通信工学・石油地質学等の講座が増設されました。
また、17年には北大内に、拡大された理工科教育のための教員を養成する目的で、庁立臨時教員養成所が置かれました。
学生生徒は、学問技術をもつものとして重視される一方で、また予備兵力、組織をもつ労働者としての重視され、次第に後者に重点が移っていきました。
情勢が緊迫した20年4月からは授業停止となり、教育・研究は全く停滞してしまいました。中等学校以上の学生生徒は、もっぱら勤労奉仕隊として農村・工場に送られ、軍事施設の建設、土地改良等に従事せしめられました。
(参考)
当ブログ2009年 3月31日(火)「文教のまち森のまち江別」
当ブログ2009年 3月30日(月)「全国唯一酪農学科開設ー酪農学園大学」
当ブログ2009年 3月23日(月)「文教地区の形成」
当ブログ2009年 3月16日(月)「文京台の誕生!」
当ブログ2009年 3月11日(火)「北海道開道50年記念式典と北海道帝国大学の設置」
当ブログ2009年 1月 9日(金)「最初の労働組合江別友愛会結成」
当ブログ2008年12月18日(木)「江別尋常小学校の設置」
当ブログ2008年12月 9日(火)「江別市成年訓練所」
当ブログ2008年12月 5日(金)「江別市の学校と国民学校制度」
当ブログ2008年 9月12日(金)「日本初和英語辞典」
当ブログ2008年 9月 9日(火)「北海道三県時代の教育」
当ブログ2008年 9月 7日(日)「北海道の英学教育事始」
当ブログ2008年 8月27日(水)「商船学校の設立」
当ブログ2008年 8月24日(日)「札幌農学校の創立」
当ブログ2008年 8月23日(土)「開拓使仮学校開設」
当ブログ2008年 8月16日(土)「教員養成と師範学校の設立」
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当ブログ2008年 6月30日(月)「江別最初の学校ー対雁学校」
当ブログ2008年 6月28日(土)「対雁学校の教育」
註:北海道「新北海道史」276-279頁.
写真:大正7(1916)年札幌市「通信簿」
北海道開拓記念館にて撮影許可を得て撮影掲載いたしております。