江別創造舎

活動コンセプト
「個が生き、個が活かされる地域(マチ)づくり」
「地域が生き、地域が活かされる人(ヒト)づくり」

開かれた大学

2009年04月12日 | 歴史・文化
 江別市の文教地区にとって、大学や学生もまた構成要素の一つでした。

 大学の進出に伴って、国道12号線沿いに学生目当てのアパートだけでなく、喫茶店や食堂、ドライブ・インなどの建物が目立つようになりました。
 大学もまた、地域との親和に積極的に取り組みました。
 札幌学院大学では、「地学共同」を合い言葉に、昭和44(1969)年度から市民公開講座を開催しました。大学の知的蓄積を広く市民に開放するのが狙いでした。また、昭和53(1978)年度から開学10周年を記念して大麻公民館を会場に市民講座を開催しました。同時に、大学図書館の市民への開放を実現させるなど、「開かれた大学」の活動を早くから展開していました。
 北海道女子短期大学(現北翔大学)や酪農学園大学でもキャンパスや大学施設を支障のない限り、子どもまつり等の行事に提供しました。
 こうした大学の存在は、次第に市民生活の中に定着していきました。その有形・無形の効果ははかり知れないものでした。

 文教の街を構成するものとして、各種研究所や農協学校等専門教育機関の存在も見逃せませんでした。北海道女子短期大学(現北翔大学)と道立図書館が呼び水となって道立教育研究所や北海道測量学校(現札幌理工学院)などの設置が続き、文教のまちは鉄道の南側一帯に拡大しました。

 これらとは地理的に離れていますが、昭和40(1965)年12月、市内中央町に北海道消防学校が移転新築しました。同校は、昭和18(1943)年北海道消防警察練習所として札幌市に開設されたもので、戦後昭和23(1948)年10月、自治体消防発足とともに北海道消防学校となりました。昭和28(1953)年には、消防教育の需要増加に伴い、校舎および宿舎を新設しましたが、教育施設充実のため江別へ移転新築したのです。また、札幌盲学校を含めて、教育研究施設が集まったのは、札幌での拡張が困難となったばかりでなく、既存施設の良好な運営が評価されたことによるものでした。
 こうして、文教地区は確固としたものとして定着していきました。

(参考)
当ブログ2009年 4月11日(土)「江別市文京地区建設条例の制定」
当ブログ2009年 4月 1日(水)「戦後の教育制度の大改正」
当ブログ2009年 3月31日(火)「文教のまち森のまち江別」
当ブログ2009年 3月30日(月)「全国唯一酪農学科開設ー酪農学園大学」
当ブログ2009年 3月23日(月)「文教地区の形成」
当ブログ2009年 3月16日(月)「文京台の誕生!」

註:江別市総務部「新江別市史」580-581頁.
写真:「人が集えば文殊の知恵袋講座第4回」(北翔大学エクステンションセンター教養講座)開催模様
★2009年度「人が集えば文殊の知恵袋講座」については、下記をご覧ください!
http://blog.goo.ne.jp/ebetsusouzousha/d/20090405

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