コタツ評論

あなたが観ない映画 あなたが読まない本 あなたが聴かない音楽 あなたの知らないダイアローグ

今夜は玉ちゃんと

2014-04-16 02:15:00 | 音楽
安全地帯です。グループ名だけがまずいです。玉ちゃん、93年にソロ活動に転ずるが、その目的はアメリカに渡って一勝負するためだったらしい。結局、渡米しなかったのだが、なるほど、当時活躍していたビリー・ジョエル、デュランデュラン、ロッド・スチュワートらに比べたら、玉ちゃんがずっとうまい。

安全地帯 - 半端そうにYes (2013)


安全地帯 - 恋の予感 (2012 version)


安全地帯 好きさ Unplugged Live


玉置浩二 MR.LONELY


玉ちゃん、人柄はかなりファンキーそうですが、歌唱はけっして自己陶酔型ではなく、抑制を効かすこともできる、とても知的な歌手ですね。ま、よけいな話ですが。

(敬称略)

ケビン・コスナーを待ちながら

2014-04-15 12:37:00 | ノンジャンル
小保方批難と擁護、どちらも説得力がありま~。

まず、批難派から。小保方会見後に、実験内容の詳細に立ち入った批判と疑惑の指摘です。門外漢にはちんぷんかんぷんですが、筆者の確信と怒りの激しさはビンビン伝わってきます。

小保方晴子、犯人はお前だ!

弁護士を雇って巧みな印象操作で、マスコミや一般大衆は騙せても、僕たちは騙せない。
科学研究の歴史を愚弄し、まじめに日夜研究に励んでいる研究者たち、そして研究を続けたくてもポジションが得られずにあきらめていった元研究者たちの科学への思いや努力を踏みにじった罪は必ず償ってもらう。絶対に。


謎はすべて解けた!! それでも、STAP細胞は捏造です
http://blog.livedoor.jp/kazu_fujisawa/archives/52007102.html

次は、フクイチ問題で有名人となった武田邦彦氏の擁護動画です。こちらは、小保方会見の前、理研が会見した4月1日収録のものです。

その1~その4までありますが、写真使い回し問題、実験ノート2冊問題、論文盗用問題、すべて無問題と明快です。今回の騒動を「悪い人間がよい人間を非難している」とし、理研が論文に先行して国際特許を出している以上、STAP細胞の捏造はあり得ないとのことです。話者の苦笑の多さが印象的です。

「小保方さんは悪くない!」武田邦彦がSTAP細胞問題を徹底解説!その1(4月1日収録)


捏造しているといっている人は、学問的正義を錯覚している人か、(あるいは)、蹴落とそうとする邪悪な心を持っている人でしょうね(その4 15:00~)

このままなら、アメリカに(STAP細胞は)とられてしまいますよ。(小保方)バッシングの元はアメリカかもしれません。もしそうなら、(小保方)バッシングをしている人は「反日」日本人ということになりますね(その4 18:20~)


比べてみて、みなさんは、どのようにお考えになったでしょうか?

 しかし、小保方騒動は、意外に国民の関心は低いのかもしれません。4月15日の段階で、その1 67,673、その2 22,088、その3 18,254、その4 20,184 という再生数に過ぎません。

さて、小保方さんの上司の笹井さんが明日16日、記者会見を開くそうです。「STAP細胞は捏造ではない」という科学的な反論が期待されています。

その笹井さんは、「理研のケビン・コスナー」と自称していたそうです。最初、それくらいハンサムだと自慢していると思い、後に笹井さんの写真が出て、その勘違いぶりに苦笑しました。

ところが、それは私の早合点で、その後の週刊誌報道などを読むと、映画のプロデュースから監督、主演までこなすケビン・コスナーのような万能人間なんだよ、僕は、という自慢のようでした。笹井さんに、曲解をお詫びして、ここに訂正させていただきます。

ただし、製作・監督・主演したどれもが、たいした映画ではなかったケビン・コスナーを持ち出すセンスがいただけないのと同様に、理研の小保方研究室の壁をピンクに塗り変え、ムーミンを貼り、割烹着を着せて、「リケジョ」小保方さんを売り出そうとしたプロデュースはナンセンスでした。

いや、それ以上に、「小保方さんには、とても罪深いことを致しました」という真摯な謝罪の言葉を、明日の記者会見では聞きたいものです。

その他、小保方関連ニュース。

(耕論)STAP、逆風の科学界 ロバート・ゲラーさん、大隅典子さん
http://www.asahi.com/articles/DA3S11084536.html

STAP細胞:部分的な再現成功の研究者 理研が認める
http://mainichi.jp/select/news/20140414k0000e040138000c.html

小保方晴子弁護団:4月9日の記者会見に関する補充説明
http://mainichi.jp/graph/obokata/0414/001.html

(敬称略-ムーミンとケビコスだけ呼び捨てなので)






ぶっ込むぞ!

2014-04-13 23:29:00 | レンタルDVD映画

映画「凶悪」予告編 https://www.youtube.com/watch?v=BIiPio_xnes

シャイロックは悪徳高利貸しだから裁判に負けたのではない。シャイロックの手元に滞留していた金が、アントニオに貸し出されたことで貨幣本来の流通機能を取り戻し、判決によって返済を免れたことで資本として完全に解放された、という話である(ヴェニスの商人の資本論 注1)。

利用もせず担保にもしなくて放置された土地を地主を殺して転売する。経営が傾いた電設会社の社長にかけられた多額の保険金という「貯蓄」を殺して手に入れる。いずれも金を回すことで資本に変えていく経済社会からみれば、殺しを除いて、きわめて合理的な運動といえる。

凶悪」の実行犯・須藤(ピエール瀧)や「先生」と呼ばれる首謀者の木村(リリー・フランキー)はなぜ殺すのか? 保険金目当ての殺しはともかく、地面師に殺しは必要ない。地主を意のままに操ることができるなら、法的な書類を完璧に用意しておけば、民事不介入の警察に出番はない。

借金の支払いや生活費の必要に迫られて、コンビニやタクシー強盗に及ぶのがアマチュアの犯罪者だとすれば、計画して時間をかけて大金を詐取する彼ら「凶悪」はプロの犯罪者といえるだろう。しかし、不必要な殺しをする点でプロからは逸脱している。犯罪を完璧に隠蔽する目的がただの口実に過ぎないかのように、彼らは躊躇なく殺す。

彼ら「凶悪」に、捕食者の正当性を与えているかのような場面がある。

建築会社の焼却炉で死体を焼いて始末しようとするが、炉が小さくてそのままでは入らない。須藤が鉈で死体をバラバラに刻み分け、投げ入れた後の火を眺めながら「先生」木村との会話。ひと仕事を終えた和やかな連帯感が二人を包んでいる。

木村 「肉の焼けるいい臭いがする」
須藤 「なんだか、肉食いたくなっちまうなあ」


場面変わって、「先生」木村宅で賑やかなクリスマスパーティ。サンタクロースに扮した木村。ローストチキンを手にはしゃぐ須藤やトナカイの着ぐるみを着た舎弟。その妻や子どもたち。

ただし、ほんとうの祝祭は、殺しの現場だった。須藤の殺しを意味する、「ぶっ込むぞ!」という脅しは、祭りの始まりを告げる太鼓の音であり、始まればグロテスクな祝い歌の合いの手、掛け声のように耳奥に残っている。被害者の悲鳴や苦痛の呻きをお囃子に、「凶悪」たちの哄笑と喝采が爆発する。

彼らは貪欲に、滞留した金と弱い人間を探して食らう。

人は目先の金に追われて金を追いかける回し車を懸命に走っているネズミだ。借金を背負っていなくとも、不要不急の消費そのものが、未来の収入を当てにした借金ともいえる。回し車を懸命に走るうちに、気がつけば犯罪に踏み出していたとしても、いまさら止まるわけにはいかない。

金が持つ凶暴な意思や行動力に魅入られたときの全能感は、善や悪といった道徳倫理を越え、処罰されるかもしれないリスクさえ恐れなくする。その一方で、金さえ得られれば、という犯罪者なりの秩序や合理に従った行動でもある。騒がれたから首を絞めた、向かってきたから刺した、悪いのは俺じゃない、と必ずのように言い訳をする。

金欲しさの犯罪の機序をそう考えるなら、彼ら「凶悪」はまるで違う。彼らの回し車は全体が見えないほど巨大で、その踏み板となっているのは横たわった人間である。踏み潰すときに上がる悲鳴は、回し車がゆっくりまわる心地よい前進の軋み音なのである。

彼らは老人という弱者を踏み潰すことで大金を得る犯罪のビジネスモデルを確立している。木村は須藤に、「老人はいくらでもいる。俺たちは油田を掘り当てたようなものだよ」と「起業家」宣言をする。実際、須藤が収監された後、木村は介護サービスに従事する手下を連れて、獲物探しに老人施設を回っている。

彼ら「凶悪」が捕食者だとすれば、密林の弱肉強食へ先祖返りではなく、この経済社会が生み出した捕食者といえる。彼らの犯罪は、私たちが目先の金に追われてやりかねない犯罪とは、地続きではない。振り込め詐欺の事務所を捜索すると、壁に「今月のノルマ」や「成績の棒グラフ」が貼られていると同様に、老人の金を市場に取り戻す経済活動のひとつに従事する、暗黒のビジネスマンといえる。

だとすれば、彼ら「凶悪」がなぜ老人を殺すのか、その答えも自ずと明らかになる。つまり、経済社会のコスト削減のためである。経済社会からのリストラとは、死以外にない。生命保険金目当ての家族から頼まれて「凶悪」が殺す、電設会社の老社長は、「そこらの男に5000万円もの借金ができるかって」と自らがつくった巨額の借金をむしろ自慢にしていた。

経済社会の生態系を維持する捕食者であれば、須藤や木村に贖罪はあり得ないわけだ。

という感想を抱くような「左翼映画」を監督は構想したに違いない。ところが、須藤・ピエール瀧の凄まじい「凶悪」の独壇場に、「先生」木村・リリー・フランキーの「冷酷」が後景に引いてしまった。凶暴が先んじて、暴力映画になってしまった。これは誤算だったろう。映画は監督のもののようで、監督のものではなく、現場のものらしい。

おかげで、「凶悪」に対峙する雑誌記者の藤井・山田孝之とその妻、認知症の母(吉村実子好演!)の市民生活のリアリティが味気なく映ってしまった。「凶悪」場面のクソリアリズムから生まれるブラックユーモアに拮抗する、ほのぼの可笑しく笑える家庭生活を対置していれば、大傑作になったと思う。

凶暴なヤクザ須藤が身内には優しい笑顔も見せる、面倒見のよい人物であるように、敏腕記者も明るく笑ってよく喋る、気さくな人物である場合が多い。眉根を寄せた暗い顔ほど、記者に似合わないものはない。ジャーナリストに市民社会の苦渋に満ちた正義を負わせる予定調和から脱して、吉村実子と掛け合い漫才する山田孝之が、思わずプッと吹き出す場面などを観たかった。

もしみなさまが東京で何かを失くしたならば、ほぼ確実にそれは戻ってきます。たとえ現金でも。実際に昨年、現金3000万ドル以上が、落し物として、東京の警察署に届けられました。
-滝川クリステル 2013/9/8 於ブエノスアイレスIOC総会にて、「お・も・て・な・し」スピーチより

そう、たしかに先進国中、日本の治安は例外的なほどよい。殺人件数も減少している。しかしそれは、統計上のフィクションかもしれない。「凶悪」は事実に基づいた犯罪実録映画であり、原作は『凶悪 -ある死刑囚の告発-』(新潮45編集部編 新潮文庫)である。死刑囚・須藤が3件の殺人の余罪を新潮45記者に告白するまで、警察は事件をまったく把握していなかったのである。

その3件の殺人事件のうち、立件されたのは、保険金目当ての電設会社社長殺しのみ。須藤の告白を聴いて、記事にしたいという記者に、編集長は当初にべもなくいった。「不動産ブローカーが老人殺して土地を転売するなんて当たり前すぎて誰も驚かない」。須藤や木村のモデルとなった「凶悪」が、実際には判明している以上の殺人に関わっている可能性は大きい。編集長と同じく、「ありふれた話」と耳目を塞いでいる世間に、私たちは暮らしている。

注1:引用ではなく、コタツの一部要約です。

(敬称略)

誰かいっしょに住まないか?

2014-04-12 01:31:00 | ノンジャンル
以前、「東京のどこに住むのが幸せか」という本を紹介したとき、こんなことを書いた。

これから不動産を買う気も買う金もないのだが、新聞折り込みの不動産チラシを読むのが好きだ。電車で読む本がないときなど、駅に設置されているラックからリクルートの無料住宅情報誌を取ったりもする。

マンションや戸建ての広告を眺め、その家に住んでいる自分を想像してみると、この世界とは異なるパラレルワールドに暮らす別の自分に出会ったような、ちょっと懐かしい気さえする。


そんな私と「趣味」を同じくする人がいたら、ぜひ週刊新潮の購読をお勧めする。巻末近くのグラビア記事「水村山郭不動産」を開くべし。敷地1000㎡以上、2000万円以下の全国「草庵」物件を紹介しているのだ。今週(4/17号)の物件がすごい。土地面積1万1696㎡(3544坪)、建坪は未記載だが、優に200㎡以上はあるだろう。

8畳の和室が離れを入れて4部屋、6畳が1、4,5畳が2、3畳が1、DK6畳のほか、10畳ほどの土間に土蔵が2つもある。大瓦を乗せた白漆喰壁の堂々たる平屋建ての庄屋屋敷である。写真でご覧いただけないのが残念だが、こんな立派な家を私は見たことがない。価格は1600万円である。

1万1696㎡の土地には、畑と山林が含まれると書いてあるが、写真では平坦な土地なので、地目に山林指定された敷地もあるということだろう。近隣の水辺には、「ホタルがたくさん生息し、季節になると、満天の星のように舞う」と紹介文。また、コシヒカリの産地としても知られているそうだ。畑も田んぼも釣りもできるわけで、ジジババ犬猫ぜ~んぶひっくるめ、ついでに鶏も飼って、悠々住めるのである。

ただし、所在は、兵庫県丹波市青垣町。昔から、「丹波の山奥」という揶揄があるほどなので、よほどの山間僻地と思いきや小さいながらも町に近い立地。写真に写り込む電信柱の線を数えると、どうも電線と電話線くらいしか見当たらず、NTTの光ファイバーは未設置とみえる。当然、専門病院も遠いだろうし、デメリットは多少ではないだろう。

でもね、住んでみたら、あれもしてこれもしてと、胸弾むではないか。

晩秋から1月にかけて、丹波霧と呼ばれる低く濃い霧が発生する。空と陸がつながって周りが何も見えない。山の稜線も見えない。その瞬間、逆に世界がとても広く感じられると地元民が言う。

と紹介記事。まるで東山魁夷の絵のように、水清らか空気の澄む水村山郭(すいそんさんかく)の地なのだ。丹波といえば栗や黒豆が名産。正月の栗きんとんや黒豆煮が思い浮かぶ。当然、松茸も採れるはずだから、コシヒカリで松茸ご飯に栗ご飯。いかん、キーボードに涎が垂れた。

(了)


今夜はエヴァ・キャシディ

2014-04-10 00:07:00 | ノンジャンル
有名な曲ばかりなので、解説は不要かと思いますが、不一。

君よ憤怒の河を渉れ 
Bridge Over Troubled Water


イソジンと替え歌にすると、いっそう興趣ところを変えます。
Imagine


「水中でのウェイド」とスキンダイバーを歌ったのではなく、「溺死させられたウェイド」という野蛮なアメリカらしい歌です。

Wade in the Water


そのまま、「バカが鎖のように繋がって」という見たくない光景の歌ですね。

Chain Of Fools


牧師の息子のくせしてなかなかやり手で、あたしにナンパかけてきたのよ、という歌です。
Son of a Preacher Man


ママドントトールドミーと育児放棄の母親を非難した歌です。
Blues in the night


秋葉、つまり秋葉原の歌ですね。
Autumn Leaves


「今夜は~」シリーズは LIVE 動画優先なのですが、残念ながら、Eva Cassidy さんはすでに亡くなっているので、あまりライブ動画がありません。

(敬称略)