コタツ評論

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悩ましい目線

2008-09-10 00:51:20 | ノンジャンル
「市場の行き過ぎを是正する政府の介入を求めるのがリベラル(進歩派)とすれば、(略)悩ましいのは、政府の介入が市場よりうまく行く保証はどこにもない点だ」(9/7 日経新聞朝刊 『経済学とは何か』(根井雅弘)の書評 滝田洋一編集委員)

福田前首相も、「よく国民の目線で」といって、「目線」に市民権を与えるのにかなり貢献したと思うが、「悩ましい」もすでに定着してしまった。どちらも耳に入ったとたん、軽薄なTVディレクターに派手な色のパンティをはけと指図されたように、羞恥心と屈辱感に身悶えてしまう言葉である。

なぜ、「視線」や「悩み多い」と本来の言い方をしないかといえば、くだけた物言いで下りてきてみせたという迎合、責任ある立場からの発言なのに人間味を出して責任回避しようとする卑怯、によるとしか思えない。ありったけの善意で解釈しても、言葉を使うことを職業としながら、「流行しているらしい」と安易に乗ってしまったか、「目線」や「悩ましい」のほうが、視聴者や読者によりわかりやすいだろうという親切心か。いずれにしても、人を舐めきっているとしか思えない。

「悩ましい」のもっとも適切な用例は、もちろん、以下に紹介するCharが歌った「気絶するほど悩ましい」である。阿久悠がこの歌詞をCharに提供したのが1977年。

「気絶するほど悩ましい」

鏡の中で口紅を塗りながら
どんな嘘をついてやろうかと考える
あなたは気絶するほど悩ましい

振り向きながら唇をちょっと嘗め
「今日の私はとてもさびしい」と目を伏せる
あなたは気絶するほど悩ましい

ああ また騙されると思いながら
僕はどんどん堕ちてゆく
上手くゆく恋なんて恋じゃない

上手くゆく恋なんて恋じゃない

まつげに涙 いっぱいにためながら
「あなただけは判るはずなの」と訴える
あなたは気絶するほど悩ましい

ああ 嘘つき女と怒りながら
僕は人生傾ける
上手くゆく恋なんて恋じゃない

上手くゆく恋なんて恋じゃない

阿久悠は、1937年(昭和12年)淡路島生まれ。当たり前に、「悩ましい」を女性形容詞として使ってきた世代である。「気絶するほど悩ましい」とは、当然「悩殺」からの連想であり、派生のはずだ。ただし、「悩ましい」も「悩殺」も、文章語としては使われてはきたものの、1977当時としても死語に近い言葉であった。それをとっぽいロック少年だったcharの、ミック・ジャガーと同様に悩ましい唇から発語させたところに、阿久悠の企みがあった。

charは1955年生まれ。いまでは53歳。かつて、レトロとして復活させた「悩ましい」は、「判断に苦しむ」と意味変換をされて、今日生き残っている。女性の身体性に対する男性の懊悩の呟きから離れて、国家や社会や制度について真摯に悩む私の軽い苦衷に成り上がり、その実、これ以上は考えたくないという逃避に駆られた判断停止のための常套句に成り下がった。言葉の劣化が、ただちに社会や人間の劣化を示す好例といいたくなるではないか。

同様に、視点や視角、視覚、視野、既視などを背景とした視線が目線となったことで、どのような意味変換がなされたのか。この場合は、視るという一連なりの言葉から、視線が殺されたといえよう。あるいは、視線もろとも、視点や視角、視野、既視などが殺されたといってもよい。「カメラ目線」という芸能界の業界用語から拡がったように、目線とはその場限りの顔と眼球の動きに過ぎないからだ。

いわばポーズを指し示す言葉が、首相談話や新聞や雑誌の記事において、「国民の目線に立ち」といった風に頻出する意味とは、そう語る人や組織に何の視点や視野がないどころか、当然、社会事象に既視感を抱くような歴史認識などもなく、そもそも視覚すら持たず、その場限りでも国民の顔と目をこちらに向けさせたいという欲望を表わしているということになろう。それを劇場型云々というのは、明らかに持ち上げすぎだろう。

もちろん、時代や社会の移り代わりによって言葉が変わるのは仕方がないことで、いちがいに否定はできないが、たいてい言葉の変化の担い手は若者であるはずなのに、「悩ましい」「目線」は分別盛りの中高年が使う例が多いというところも、やはり奥行きと汎用性を失った言葉の劣化に止まらないと思えるのだ。
(敬称略)
コメント (4)
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クローバー・フィールド

2008-09-09 23:53:44 | レンタルDVD映画
http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/tymv/id329614/

『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』 からビデオ撮影の手法を得て、『ゴジラ』からビルや街の破壊というアクショントを得て、「911」から"完全なる敵"の攻撃から逃げまどう群衆というモチーフを得た作品。アメリカの対テロ戦争、アラブ戦争推進のための戦意昂揚映画。反動だろうが、煽動だろうが、儲かればいい、観客より映画会社とスポンサーから金を出させるのが目的という商売映画。断じて、商業映画ではない。
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オチャイコ貰われる

2008-09-08 01:06:34 | ノンジャンル
3匹の仔猫のうち、もっとも美しい模様にして長い優雅な尻尾を持つムチャラフではなく、もっとも好奇心が強く遊びが大好きなレーニンではなく、もっとも愚鈍で尻尾も握り拳のオチャイコが選ばれた。オチャイコが終始すりすりして離れなかったので気に入られたのだろう。里親は可愛い女子高生である。俺が貰われたかった。
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週刊現代 9/13号を読む

2008-09-08 01:01:11 | ブックオフ本
やはり、古本屋で100円で求む。
週刊誌もずいぶん変わったなと驚いた。
少し忙しいので、折を見て。
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最近買った本

2008-09-08 00:58:40 | ブックオフ本
最近はブックオフではなく、田端と町屋の古本屋で購入することが多い。学生が読みそうな本は少ないが、売れないだけに値段は安いので助かる。いずれも100円から300円くらいまでだから、たいして興味のないテーマだろうと買って読んでみようという気になる。名作や傑作を漁るのはどこか卑しく見える。決まった作者のものしか読まないといったこだわりも、こわばりに通じるように思える。本もひとつの出会いなら、とりあえず、ニコニコとご挨拶したいものだ。

『まろやかな日本』(吉田 健一 新潮社)

英文で書いたエッセイをまとめてイギリスで出版したところ、好評を博したそうだ。これを翻訳したもの。平易に書いたものだが、読みにくい。英語で書いたからか、翻訳の問題か。

『国家の品格』(藤原 正彦 新潮新書)

正直、ベストセラーへの軽侮という予断があったが、かなり修正できた。が、やはり、憂国エッセイより、専門の数学について、数学にも真理はなかったなどが読みがいがあった。

『淳之介流-柔らかい約束』(村松 友視 河出書房新社)

吉行淳之介が「八丁堀の旦那」、編集者としてつかえた村松友視がその手下の「岡っ引き」として、吉行の足跡を犬のように嬉しげに嗅ぎ回っている。様子がよくて粋な旦那は、実は野太い声の強靱な人だった。

『家族の標本』(柳 美里 角川文庫)

第一エッセイ集だそうだが、あの柳美里がこんな簡素な短文を書くのかと驚いた。
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