コタツ評論

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お盆だというのに、墓参りにも行かず、何やってんだアメリカ人は

2017-08-13 23:12:00 | 政治
米バージニア州シャーロッツビルで白人至上主義者のデモと反対派が衝突し、1人が死亡、負傷者多数という内戦状態に。バージニア州知事が非常事態宣言を出した。
http://www.huffingtonpost.jp/2017/08/12/charlottesville_n_17741748.html

マコーリフ州知事の発言がキマっている。「~したいと思います」式の空疎な言い回しにがんじがらめの日本語と比べ、なんと簡潔にして平易な言葉であることか。

なんだかんだいっても、アメリカに「自由」を感じるのはこういうところだ。制度や権利などではなく精神の自由をこそ、言葉の端々から響いてくる。



"Go home... Shame on you. You pretend you are patriots, but you are anything but a patriot"

pretend =ふりをする

日本で県知事が、デモの一方に対して、「クソして寝ろよ、バ~カ」(@谷岡ヤスジ)と公的に発言したり、それが肯定的に扱われることなどあり得ない。

アメリカ合州国の州政府知事と日本の都道府県知事はまるで違う立場にしろ、その場所、その時間に国民や市民が生成される民主政治のリアリズムが、政治家の言葉に臨場感を与えている。

ネットを中心に跋扈して、言葉の暴力を振るう「日本人至上主義者」に対して、マコーリフ州知事のような発言をする政治家が日本では皆無だ。

国民や市民に主権者や納税者としての意識が希薄なせいで、政治家を自らの主権を代表代行する者という認識にも欠け、選挙で選ばれた公務員の一種くらいにしか思っていない。

したがって、公共サービスの提供者に、「クソして寝ろよ、バ~カ」と言われることなど想像したこともなく、もしそう言われたとしたら、「バカとはなんだ!」とコンビニの店員に激高するクレーマー客に似た有様となる。

主権者というより公共サービスの消費者としての意識が強ければ、政治家の方も役人と変わらぬ公共サービスの提供者にとどまざるを得ず、なかには立場を利用して消費者の側に回ろうとする不心得者も出てくる。

いかなる時いかなる場所でも国民や市民が生成されることはなく、いつでもどこでも公共サービスの提供者とその消費者としての関係性に固着している。

そうした政治の停滞による閉塞感は政治家の劣化を招き、他方で、政治主導や政治改革といったガス抜きを必要とし、それによって政策が吟味される機会は失われ、さらに混迷の度合いを深めていくという悪循環に陥っているわけだ。

いったい何の話かって? だから、いまもって安倍が支持されるのだ、という話なのだよ、明智君。

(止め)