コタツ評論

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サイレント・ウォー

2014-11-22 23:34:00 | レンタルDVD映画
これはベストの映画です。いや、ベターとベストではなく、ニットのベストです。この映画の時代設定なら、日本では毛糸のチョッキと呼ばれていたでしょう。1947年の香港から幕が開き、1949年の北京天安門、中華人民共和国の建国を毛沢東が宣言するまで、国共内戦の2年間が時代背景です。

盲目のピアノ調律師・何兵(トニー・レオン-梁朝偉)は、中共701部隊の張学寧 (ジョウ・シュン-周迅)からスカウトされます。701部隊は中国国民党の100以上もの通信を傍受する諜報組織です。

ところが、ある日、すべてのヘッドフォンから、天気予報やニュース番組などを聴かされる羽目になりました。周波数が変えられたのです。そこで、新しい周波数を見つけるため、ラジオ電波にまぎれた微細なモールス信号を聴き分けられる、聴覚に優れた者を701部隊は血眼で探していたのです。



社交界の華にも偽装する暗号名「200号」の張学寧の上司である局長、暗号名「老鬼」の郭興中(王学兵 ワン・シュエピン)と、驚異的な聴覚で失われた周波数を次々に見つけ出し、701部隊の救世主となる何兵が、いつもニットのベストを着込んでいました。何兵はカジュアルな、局長はスーツの内に合わせて、という違いはあれど、それぞれ色柄の違ったベスト姿を見せてくれます。

錦織圭選手のような爽やかなテニス青年が着用に及ぶ場合をのぞいて、ニットのベストといえば、学校の先生か市役所の職員か、野暮ったい印象が先立つものです。この二人が着ると、ニットのベストもどうしてなかなか小粋に映え、渋い男らしさを醸し出すのです。

たぶん、香港が英国の植民地という背景があるのでしょう。イギリス人はニットのベストやカーデイガンが好きですからね。第67代と69代の英国首相をつとめたハロルド・ウイルソンに、回顧録を書かせようと若い新聞記者が邸宅を訪ねました。門扉で待っているとほどなく、ひじの抜けたウグイスのウンコ色のカーデイガンに、くたびれたズボンのよぼついた老人が漏斗(じょうご)を携えて出てきました。庭師か使用人だろうと手短かに案内を頼むと、通された書斎に現れたのはさきほどの老人。なんとウイルソン元首相当人だったという話が伊丹十三のエッセイにありました。

ピアノ調律師の何兵は、自営業らしい大きめな柄と明るい配色のくだけた感じのベストです。よくトランプのダイヤのような菱形の連鎖柄はよくみかけますね。郭興中は、スパイ組織の冷徹非情な局長らしく、田舎教師のような地味な暗色ばかりでした。たぶん、ブルジョアのバリッとしたスリーピーススーツのベストに対して、ニットのベストは非ブルショア、無産階級を表現したのかもしれません。



宗主国の英国でも、窮屈さを逃れたり遊び心を生かせる男の衣服はニットのベストくらいかもしれません。植民地人の中国人男性にとっては、英国紳士を真似るちょっとしたおしゃれアイテムだったのかもしれません。ただし、この映画のベストはファッションにとどまらぬ、逆転した関係性が暗喩される、重要な意味が込められています。

100もの通信傍受を復活させて701部隊の救世主になった何兵に、感謝の印として張学寧が派手な柄のベストを贈るのです。ちょっと高価そうな洒落たニットのベストが女から男へ手渡されます。何兵は張学寧が好きですし、おしゃれにも関心があるので、このプレゼントを手放しで喜びます。そう、男と女が入れ替わっているのです。

この映画はスパイ映画である前に、まず恋愛映画なのです。男女の恋愛がロマンチックにからむのではありません。007が典型ですが、そういう映画ではたいてい女は添え物です。ジェームズ・ボンドの場合、恋愛というより、つまみ喰いですね。その他のスパイ映画でも、女に惚れたがゆえに危地に陥るとか、女を救うために敵地に乗り込むとか、男の活躍を際立たせるために足手まといな女が登場するケースが多いものです。

張学寧は例外でした。後に暗号名「老鬼」を継ぐほど任務第一のプロフェッショナルです。ジェームズ・ボンドの身体能力とジョージ・スマイリーの頭脳を合わせたようなスーパースパイです。したがって、結婚して家庭に入ることなど眼中にありません。また、明るく洒脱な何兵を憎からず思っていますが、自分以上に冷徹な局長・郭興中への敬愛が勝っています。

国家のために非情な世界で闘う強い女と盲人という障害を持ちながら温かい心とユーモアで人生を楽しもうとする男。癒やし癒やされる男女関係が逆転しています。張学寧は何兵だけでなく、じつは局長の郭興中からも愛され、男二人の切ないまなざしを受けています。そのまなざしには、まず敬愛が込められているのです。だから、恋人に、妻になってくれと男はいえません。



清楚にして妖艶な張学寧ですが、本身は冷徹なスパイなのです。男二人はそのことに恩恵を受けてもいます。局長・郭興中にとっては、もちろん有能な部下として、何兵にとっては、面倒見のよい姉のような存在かもしれません。

そうですね。男女入れ替わりにこだわらなければ、男にとって理想的な姉や妹といってもよいかもしれません。張学寧の周迅(ジョウ・シュン)の凜々しさ、美しさ、可憐さ、そして厳しさはそれほどのものです。

もちろん、トニー・レオンが主役です。でも、主演は周迅(ジョウ・シュン)です。危険な任務に赴いた張学寧の身を案じながら、何兵と郭興中は701部隊で無事の帰りを待ちわびるしかないのです。面影の微笑を信じて。

男二人が悩殺される張学寧(周迅-ジョウ・シュン)のファッションも無敵に素敵です。鶴田浩二の「赤と黒のブルース」の<赤と黒とのドレスの渦に~♪>の一節を思わせる真っ赤なロングドレス、一転してツイードのジャケットにパンタロンの清楚な秘書のようないでたち。もちろんチャイナドレスの柳腰も。おまけにメタルフレームのメガネかけてと百変化。

いずれの場合も、いわゆる「舐めるように」は撮りません。さらっと流します。ついでに、局長がほんのちらりと見せるハンフリー・ボガードばりのトレンチコート姿もありました。そうそう、張学寧のヘアスタイルは、時代がかったパーマをかけてウエイブをつけたサザエさん頭です。



いやいや、トニー・レオンにも見せ場がつくられています。盲人ですから、はじめサングラスをしています。中国人がよくかけるアンバランスに大きい、似合っていないサングラスです。途中から目隠しや包帯になりますが、つねに顔の半分が隠れているわけです。

その上、通信傍受が仕事ですから、アクションシーンはなく、ほとんど動かずただ机の前に座ってラジオを聴いているだけです。つまり、見せ場がないのが見せ場なのです。

むしろ、前半では少年のようにつぶらな瞳の男トニー・レオンの目を隠したのみならず、サングラスをとる場面では醜く白濁した目を晒しさえしています。スケールの大きいアクションを見せてくれる場面もありません。

トニー・レオンは剛毅と愛嬌が瞬時に入れ替わるところが魅力なのですが、この映画ではほとんど愛らしいだけの男になっています。もちろん、後半にはトニー・レオンのほんらいの瞳と結末では剛直を見ることができます。

張学寧が最新の角膜移植という治療を何兵に勧めたおかげで、何兵の視力が回復するのです。ここでも女が男に与え、男がそれを受け入れています。それをいえば、そもそも張学寧が何兵の特異な能力を見い出し、その可能性を開く道に導いているので、何兵は張学寧に与えられるまま、ずっと受け身に従っているということになります。さて、男女逆転した関係が、クライマックスではさらに逆転するのか? それは観てのお楽しみです。

フランス語でエスピオナージ(諜報)映画と呼びたいくらい、きわめて完成度の高いスパイ映画です。植民地香港の高い天井の洋館でスパイたちが麻雀に興じる場面など、ヨーロッパやハリウッドのスパイ映画に出てくるチェスやポーカーゲームのような虚実の駆け引きを見せて、とても雰囲気があります。

欧米の作品と比べても勝るとも劣らない魅力の第一は、トニー・レオンとジョウ・シュンという現代最高の俳優が主演をしていることです。監督は、名作「インファナル・アフェア」シリーズのアラン・マック&フェリックス・チョンです。

ちょっと蛇足。中国共産党と中国国民党のサイレント・ウォー(暗闘)を描いて、まるで中共701部隊がアメリカのCIAや英国のMI6のようで、中国政府の「国家礼賛」戦略と鼻白む向きもあるかもしれません。私はむしろ、プロパガンダ以上に、現在の中国の変質と成熟、そして自信をこの映画にみました。

周知のように、中国は台湾を国家として認めていません。当然、中国国民党もまったく認めてきませんでした。ところが、この映画では中国共産党701部隊が闘う主敵は中国国民党の諜報グループの「重慶」なのです。すなわちライバルとして、「重慶」グループも非情ながら国家のために勇猛果敢に闘っているのです。

最近、中共はこれまで敵として扱ってきた元中国国民党兵士にも、ともに抗日を闘ったとして軍人年金を支給することにしました。共産主義の優越性ではなく、chinaの正統性に比重を置きはじめたといえます。トニー・レオンは香港、周迅(ジョウ・シュン)は中国、王学兵(ワン・シュエピン)は台湾の俳優という国共合作映画です。

クライマックスにこの歌が流れます。映画のなかの歌声が誰なのかわからなかったので、とりあえずこれを。

Vincenzo Bellini : Casta Diva from "Norma" - 歌劇《ノルマ》から 第一幕 アリア「清らかな女神よ」


(敬称略)
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