コタツ評論

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龍馬伝

2010-01-04 22:51:00 | ノンジャンル


NHK日曜夜の大河ドラマ「龍馬伝」の第一回を観た。福山雅治の坂本龍馬、香川照之の岩崎弥太郎、いずれもなかなかよかった。岩崎弥太郎の回想の形式をとるということは、この物語が、幕末から明治を直線的に描くことを意味する。幕末の風になぶられている艶やかな頬を福山龍馬に、その追い風さえとらえられず最底辺から眼をぎらつかせる香川弥太郎を対照して、青春の横顔と壮年の正視を予感させる出だしである。

つまり、『竜馬がゆく』に描かれた幕末の青春と、『坂の上の雲』が描いた明治という近代国家建設を架橋する物語になりそうだ。しかし、司馬遼太郎の読者なら、この2作品が断絶していることはよく知っているはず。『竜馬がゆく』では、「明治の政治」について、司馬遼太郎はきわめて否定的な見解を頻出させている。また、『坂の上の雲』では、「昭和の軍人」について痛罵しているわけで、時代が下るにつれ、日本と日本人はダメになったというのが、司馬遼太郎の見方である。

「龍馬伝」の初回を観る限りでは、そうしたいわゆる「司馬史観」とは距離を置くつもりのようだ。NHKドラマを観る面白さのひとつは、「なぜいま?」にある。「なぜいま、坂本龍馬なのか?」「なぜいま、秋山真之なのか?」。時代や社会の背景や心理を読み解く鍵を見出そうとする興味の持ち方である。世が歌に連れることはないが、たいていの歌は世に連れるものだからだ。民主党への政権交代によって、日本の政治が大きな変革期に入り、国家再生の機運が生まれている、そんな大衆の期待の表れなのか。

明治に三菱財閥の創始者となった岩崎弥太郎が、幕末の坂本龍馬を回想するという批評的な形式を採用しているのは、政治より経済を中心に龍馬像を描き直す意図だろう。貿易立国をめざした坂本龍馬の「商人国家論」なら、なるほど「司馬史観」の束縛からは逃れられる。主な舞台も、出島の長崎になるようだ。それなら郷士株を買った裕福な商人である坂本家の事業や人々をもっと掘り下げる必要があったように思えるのだが。

NHK大河ドラマとしては、回想形式という複雑な構成をしたせいか、初回の視聴率は予想を下回ったようだ。原作を持たないオリジナル作品だから、これからの変更は自由だ。『竜馬がゆく』や『坂の上の雲』から、どんどん離れて、あり得たかもしれぬ商人国家明治ニッポンを描いてほしい期待もある。もちろん、「なぜいま?」ではなく、ただの焼き直し、「ないまぜ」になってしまう怖れはあるが、それもまた面白い。

とりあえず、香川照之の熱演を観るだけでも損はない。龍馬が入門する江戸は千葉道場の千葉佐那を、ご贔屓の貫地谷しほりが演ずるのも楽しみ。

(敬称略)
コメント
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