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コタツ評論

あなたが観ない映画 あなたが読まない本 あなたが聴かない音楽 あなたの知らないダイアローグ

韓国映画から学べよ日本映画界

2016-10-02 01:55:00 | レンタルDVD映画


韓国映画は男優の宝庫です。当ブログでは、「オールドボーイ」や「ルーシー」「悪魔を見た」のチェ・ミンシュクを一押しにしてきましたが、「ベテラン」を観て、ファン・ジョンミンを二押しにすることに決めました。

新しき世界」で頭を掻くところを股間を痒くような下品な愛嬌にあふれるマフィアボスを好演したファン・ジョンミンです。

「ベテラン」の監督は、韓国北朝鮮の最前線のスパイ戦を疾走するようなカメラアイで追った「ベルリンファイル」のリュ・スンワン。この映画も「御代は観てのお帰りに」とお勧めできる作品でしたが、「ベテラン」は一転して痛快にしてコミカルな警察映画でした。

さて、日本の大学進学率52%(2016)に対し、韓国の大学進学率はなんと81%(2014)。韓国の受験戦争の過熱ぶりは日本でも話題になるほどで、たとえば、大学受験日には受験生の会場入りを妨げないよう、官公庁や大企業は午前10時出勤になっていたり、それでも遅れそうな受験生を白バイが先導するパトカーで会場に送ったりしています。

日本でも、「一流大学に入って一流企業に就職を」は大学進学の一般的なモチベーションですが、韓国の場合、「ソウル大学に入って、サムスンや現代グループなど財閥系企業に就職」しなければエリート失格なのですから、日本とは比較にならない狭き門といえます。

待遇も格段に違います。財閥系企業のサラリーマンの平均給与はそれ以外の企業のサラリーマンの7倍といわれ、現代自動車の社員の平均年収は日本円で1000万円近くにもなり、世界一の自動車会社トヨタの社員をはるかに上回っています。

それもそのはず、一時は韓国の10大財閥の売り上げ高が韓国のGDPの76.5%(2011)を占めたのですから、財閥系企業の圧倒的な存在感と絶大な影響力は、ちょっと日本では想像することが難しいかもしれません。

「ベテラン」のドチョル刑事(ファン・ジョンミン)の正面敵はこの財閥です。財閥3世の乱暴狼藉とその隠蔽に暗躍する財閥の横暴を描いた、「財閥映画」ともいえます。それも「実録・財閥企業」ではないかと思えるほど、「事実は小説より奇なり」のエピソードが満載です。

たとえば、財閥当主が出席する幹部会。韓国と世界から集まった数百人の幹部たちに、会場入り口で紙おむつが配られます。当主の出席中にトイレ中座する失礼がないよう、あらかじめ身につけるためです。

「大韓航空ナッツリターン事件 」で知られたように、財閥社員がエリートなら、幹部は超エリート、財閥当主とその血脈は雲上人にもなります。

信じられないことですが、「ベテラン」の財閥3世の乱暴狼藉にも実話が背景にあります。財閥SKグループの幹部が、賃上げ要求したトラック運転手を金属バットでボコボコにした事件です。

経済先進国韓国のタブー、暗部、恥部をこれでもかと暴露して、深刻な社会派ドラマではなく痛快娯楽活劇映画にしてしまう韓国映画界の底力に唸りました。

(敬称略)

百円の恋 あらすじ

2016-09-14 16:43:00 | レンタルDVD映画
きれいではなく可愛気もなく若くもない女が、憑かれたようにプロボクサーをめざす映画です。クリント・イーストウッドの名作「ミリオンダラーベイビー」を観た人なら、よく似た設定と思うはずですが、マギーが100万ドルボクサーとすれば、一子は百円ボクサーくらいの隔たりがあります。



「ミリオン~」はマギーの栄光のボクシング人生が暗転する残酷な運命に、彼女のジムのオーナーでもある老トレーナーが寄り添う映画でした。「百円の恋」の一子(いちこ)もマギーのように頑張りますが、周囲の予想外にプロテストに合格して、4回戦の初試合を経験するに過ぎません。

ジムの会長にも、「ボクシングは甘かないんだよ、お嬢ちゃん」と相手にされていません。「人生、一度くらい燃えてみたかったとかいうなよな、腹が立つから」と嫌味までつぶやかれます。マギーと似ているのは、左のブローがよいことくらい。

貧困家庭に育ち13歳からウエイトレスをして働いてきた30歳のマギーより、32歳まで持ち帰り弁当屋を営む親に依存してひきこもっていた一子は、よほど恵まれています。子連れで出戻ってきた妹と取っ組み合いのケンカをしたのをきっかけに、家を出た一子は同じ町の100円均一のコンビニ店で深夜勤務の店員として働くようになります。

そこは数少ない一子のなじみの店でした。ちょくちょくお釣りの一部を寄付金箱に投じていて、「ご協力、ありがとうございましたあ!」と声掛けされるのが嬉しかったのです。

店への行き帰り、ふとそれまで気づかなかったボクシングジムを一子は見つけます。熱心に練習していた男が一息入れに出てきて、ジム前のベンチに腰掛け、タバコに火をつけます。彼が一子の恋の相手となる「バナナマン」です。

そんな風にはじまるボクシング映画なのですが、コンビニ映画でもあり、そのコンビニが100円均一店であることから、デフレ日本を背景とした作品であることがわかります。とにかく、この100円均一店で一子が出会う人々ときたら、「ミリオン~」の登場人物たちとは違って凡人ばかり、いや、何の取柄もなさそうな平凡以下ばかりです。

「ミリオン~」では、イーストウッド扮するジムのオーナー・フランキーは世界チャンプを育て損ないこそすれ、試合中の出血を魔法のように止める技術を持つ名トレーナーとして知られています。ジムの掃除夫として働く片目の「老いぼれエディ」(モーガン・フリーマン)も、かつては世界タイトルに挑戦したほどのボクサーであり、いまでも隙さえあれば若い牡牛のようなハードパンチャーをワンパンチでKOしたりします。

マギー(ヒラリー・スワンク)にしても、引退を決意したフランキーをかき口説いて翻意させるほど、自信と熱意がある娘です。貧困家庭の崩壊家族に生まれなければ、たぶんひとかどの人生を送れただろう資質を備えています。

彼らは光り輝く「100万ドル」の世界を見てきたか、夢見ているのですが、一子はずっといじましい「百円」の世間に暮らしています。夢や希望など、最初から眼中になさそうで、そんなものを持つ資格もなさそうに思えます。マギーのように自分を信じることができず、自己評価がきわめて低いのです。前者がインフレ人間のサクセスストーリーとすれば、後者はデフレ人間の日常を描いたものと言い換えることもできます。

32歳までひきこもりをして就業経験がない一子は、小声でしか、「いらっしゃいませ」や「ありがとうございました」などが言えず、レジの操作すらたどたどしいものです。まじめな店長は鬱病にかかってすぐに辞め、代わりに一日中らちもないことを語りかけてくる、はた迷惑なバツイチの中年男・野間といっしょに働く羽目になります。この野間にラブホテルでレイプされて一子は処女を失うのですが、そういう卑劣な男が同僚です。

このコンビニへバナナだけを買いにくる「バナナマン」と店員たちに呼ばれているボクサー狩野もまた、一子のアパートに転がり込んできてヒモ生活に甘んじるような男です。ほかに、クビになった元店員で、廃棄処分にする弁当を当たり前のように貰いに来る、ホームレスのおばさん池内など、一子も含めてじつに安い人々です。

にもかかわらず、というか、だからこそ、「百円の恋」は私にとって、「ミリオン~」が古色蒼然と思えるほど新鮮な傑作に思えました。マギーやフランキーやエディのような、「タフでなければ生きていけない。優しくなければ生きている資格がない」男や女であったれば、ありたいとは思うが、じっさいの私たちは「タフでもなければ優しくもない」一子や狩野や野間でしかありません。

「ミリオン~」が人生の希望や人間の尊厳を扱った重厚な作品とすれば、「百円~」は「コミュ障」の男女をめぐる小さな物語にすぎません。しかし、はたして人の前に、コミュニケーション以上の困難があるのでしょうか。

食い入るように狩野の試合を見ていた一子は、「あの人と友だちなんですか?」と試合後の狩野に尋ねます。「なんで?」と狩野。「殴り合ったり、肩を叩いたり、なんかいいなと思って」と照れ笑いする一子。惨敗した狩野ですが、終了ゴングが鳴れば、対戦相手と肩を叩きあってたがいの健闘を称え合うのが儀礼です。低学歴で勉強が苦手なうえに、まったく世間知らずな一子です。

(なんだ、こいつ?)と呆れた視線を一子に向ける狩野も似たようなものです。武骨で寡黙な男に見えて、じつはまともに他人と話せない、接することができないだけ。はじめてのデートに一子を動物園に連れていきますが、さっさと自分勝手に動物を見て回るのです。

「どうして、私なんか誘ったんですか?」と一子。「断られないかと思って」と狩野。悪趣味でケバイ「勝負下着」にずん胴を押し込んできた一子のカワイイ思いは空を切ります。一緒に試合を観に来ただけの野間を、「できてるんだろ、あいつと」と詰る狩野。

一子の実家が弁当屋であることを知ると、「お前、あそこの娘か。俺、高校の頃、よく食ったよ。旨かったなあ、斉藤弁当」と息せき切って喋る。35歳なのにほとんど中学生レベル。

それでも一緒に暮らしはじめて身体を重ねる二人です。のしかかりながら、「乳首を弄ってくれ」と経験の乏しい一子にねだる狩野。風俗の女としか経験がない「素人童貞」をうがわせる性技です。

そんな狩野ですが、誰かが部屋にいる、自分を待っていてくれる、いっしょにご飯を食べられる、一子にとっては、はじめての時間でした。それまでの一子がまったくの孤独だったわけじゃありません。ひきこもりとはいえ、家族と暮らしていたのですから。でもそこに一子の居場所があったとはいえません。

一子が風邪をひいて寝込んでいると、狩野がやってきてステーキを焼いてくれました。「金は財布から借りたからな」。寝床でステーキを頬張り、「硬くて噛みきれない」と泣き笑いの一子。真剣になるとふてくされ顔にしか見みえない一子が、はじめて見せた愛らしい笑顔です。

しかし、幸せな時間はあっという間に終わります。一子を抱いて自信を持ったのか、狩野は豆腐の行商をする若い女に従いていきます。若者が幟を立てて豆腐車を引いて住宅街を歩いているあれです。「女なら豆腐~、男ならなお豆腐~」という歌い文句のでたらめには笑えますが、一子には笑い事ではありません。

やがて、女と一緒に豆腐車を引く狩野を見つけますが、「なんで?」という問いかけに狩野は答えません。一子が狩野と同じジムでボクシングをはじめるのはそこからです。そうそう、狩野は一子に見せた試合を最後にジムをやめています。35歳にもなって芽が出そうもないからです。

一子はなぜボクシングをはじめたのでしょうか? なぜ、懸命にボクシングの練習に励むようになったのでしょうか。狩野を見返したかったのでしょうか。「ミリオン~」のマギーのように、自分の価値を見出したかったのでしょうか。あるいは、拳で自らの「コミュ障」を乗り越えたかったのでしょうか。一子は、誰に、何に、恋したのでしょうか?

練習に励んだおかげで、だらしなくずん胴だった一子の身体は引き締まり、試合前の入場シーンでは先日のリオオリンピックの女子アスリートのように緊張したいい顔になっています。この一子の練習と試合場面は、「ミリオン~」に負けず劣らぬ迫真的なものです。

しかし、一子はマギーではありません。はじめての試合ではボコボコに殴られてばかり、狩野の最後の試合と同じく、ヨタヨタと抱きつきクリンチに逃げるのがせいいっぱい。幾度もダウンを奪われ、血と汗と涙で顔をぐしゃぐしゃにしながらも、その度に一子はフラフラと立ち上がり、叫びながら腕を振り回します。一子は、「ロッキー」でした。

一子が家を出るとき、涙ぐみながら封筒の金を渡してくれたお母さん。その金で一子は部屋を借りることができたのでした。「お父さんのように、この年になっても何事にも自信がないようじゃな」と部屋を訪ねてきて、わけのわからない励ましをくれたお父さん。「ごくつぶしが!」と罵しられてつかみ合いのケンカになった妹。

(あの一子が!)という驚愕と心配に眼を見開くばかりの家族です。一方的な展開に観客からも、「一発くらい当てろよ」という同情と苛立ちの声が上がります。そして、腫れたまぶたと血でほとんど視界もぼやけた一子の渾身の左が、ついに相手の顎を打ち抜きます。

「あーあ、こんな顔にされちゃって、だから言っただろ、ボクシングは甘かないって」とジムの会長。「でも、嫌いな試合じゃなかったけどな」とニヤニヤする。呆然としたまま会場を出た一子。そこには狩野が待っていました。豆腐屋の女に捨てられて一人となった狩野は、遠くから一子を見守っていたのでした。

「飯でも食いにいくか」と狩野。泣きじゃくりだす一子。「勝ちたかった、勝ちたかったよお」と叫ぶ。ここでカメラは泣き顔のアップに寄りません。そういえば、試合シーンを除けば、たいていカメラは引いて映していました。節度のある演出です。

「そうだよな、勝利の味は最高だからなあ」と明るく笑う狩野。一度くらいは勝った経験があるのでしょう。歩き出す狩野、とまどいながら従いていく一子の後ろ姿。やがて、二人は肩を並べて歩くようになるはずです。

長ったらしいものを読んでいただきありがとうございました。最後に敬意をこめて、主なスタッフと演技陣を紹介させていただき、lenovo T410を閉じます。

監督:武正晴
脚本:足立紳
撮影:西村博光

斎藤一子:安藤サクラ、ヒラリー・スワンクを越えました
狩野祐二:新井浩文、この人がどうして売れっ子なのか、わかった気がします
斎藤孝夫:伊藤洋三郎…一子の情けない父親は印象的でした
斎藤二三子:早織…一子の妹、目力がありました
斎藤佳子:稲川実代子…一子の母親、唯一の理解者の優しい視線でした
野間明:坂田聡…44歳のバツイチ店員、喋りまくる「コミュ障」の名演でした
佐田和弘:沖田裕樹…本部の社員、悪役ですが悪人ではない人物を好演しました
小林:松浦慎一郎…一子の若いトレーナー、本物のボクサーかしら
ジムの会長:重松収…一子のジムの会長、イーストウッド以上に味のある演技でした
池内敏子:根岸季衣…元店員で弁当貰い、ずっと誰だかわかりませんでした。怪演です

(敬称略)



ストックホルムでジャズを

2016-08-16 23:59:00 | レンタルDVD映画
先日、久しぶりに友人マルスと日暮里で待ち合わせ、谷中銀座から千駄木方向へぶらぶら歩き、見かけた小体な居酒屋に入った。岩牡蠣や鱧、鰹のたたき、冬瓜と蜆の煮物などを箸先に、酒は「船中八策」ほかを冷でやりながら、話題は例によって映画と本と音楽という高校生みたいなオッサン二人。

たまたま手持ちがあったので私が払ったが、後日、ありがとうメールがきた。彼にはよくゴチになったものだが、たいてい、「おっ、わりいな」で済ませてきたので、「そっかあ、親しき仲にも礼儀ありだったな」とちょっと赤面した。

>ごちそうになり、ありがとうございました。

赤面したぜ。

>早速ツタヤに探しに行きモニカの映画を見ました。

ストックホルムでワルツを」という映画について私が話したのでした。すぐに観てくれたとは嬉しいね。なかなかわるくない映画だったろ。



>ニューヨークのクラブで楽屋を与えられていない伴奏者はテディ・ウィルソンではなくトミー・フラナガン、ダグ・ワトキンス、デンジル・ベストという豪華メンバーでした。これはともかく、やけに小者のエラ・フィッツジェラルドといい、ホンマかいなというエピソードありでしたが、ま、芸能ネタ映画だからね。

スウェーデンのジャス歌手だったモニカ・ゼターランドは著名なジャズ評論家のレナード・フェザーから、NYのジャズクラブで歌ってみないかと声をかけられ、有頂天で渡米します。

ところが、楽屋に入ってびっくり。伴奏してくれる有名なピアノトリオがボイラー室のようなところで音合わせしていたのです。「俺たちには楽屋はないんだ」と明るく笑うメンバー。スウェーデンの無名ジャズ歌手である自分には楽屋が与えられたのに。彼らが黒人であり、彼女が白人だからでした。

このバックバンドのピアニストをテディ・ウィルソンと私が間違えていました。友人によれば、ほかのメンバーのダグ・ワトキンスやデンジル・ベストも名だたる人らしいが、私ははじめて聞く名前です。

>レナード・フェザーはすでに業界で力はあり、このニューヨーク滞在中にレコーディングもしたりでこんなにミジメな扱いはされていないはず。だって白人のジャズ歌手なんてアニタ・オデイやらクリス・コナーやら何ぼでもいるからね。それが理由というのはヘン。

あのとき、喉まできながら思い出せなかった名前は、音楽ドキュメンタリ映画「
モニカ・ゼターランドはスウェーデン語でジャズを歌ってヒットさせ、母国でスター歌手になります。スウェーデン語でといっても、訳詞ではありません。「スウェーデンなのにシカゴやNYを歌うのはおかしい」とスウェーデン詩人の詩にのせてジャズを歌ったのでした。

美空ひばりにジャズを歌わせたのは「私である」と<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E4%B8%AD%E5%8A%B4"><span style="font-weight:bold"><span style="color:blue">竹中労</span></span></a>は書いているが、後になって、「私は何にもわかっちゃいなかった」とも書いています。彼がたびたび口にした「俗流大衆路線」がじつは「俗流大衆政治路線」であったことへの懺悔的な言葉にも思えますが、もちろんそれとはべつに、ひばりのジャズは素晴らしいものです。

<span style="font-weight:bold"><span style="color:green">>「私は好奇心の強い女」って懐かしいよなあ。その監督とできていたというのはスウェーデンぽいか?</span></span>

「<a href="http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=26148"><span style="font-weight:bold"><span style="color:blue">私は好奇心の強い女</span></span></a> href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%83%9E%E3%83%B3"><span style="font-weight:bold"><span style="color:blue">ベルイマン</span></span></a>にはペコペコするくせに」となじられるところが笑えました。

<span style="font-weight:bold"><span style="color:green">>モニカは持病による車椅子生活の晩年、恐らく自分のタバコの火のせいで、独居であったアパートが火事となり焼死したということです。合掌。
ミュージカル的なコメディエンヌもこなす、スウェーデンの江利チエミみたいな存在だったんでしょうか。当方所有はビル・エバンスとのレコーディングのみですが、聴きなおしてみます。
</span></span>
なるほど、スウェーデンの江利チエミか。江利チエミも黒人ジャズメンと同棲してまで、ジャズのフィーリングを学ぼうとしていましたね。

<span style="font-weight:bold"><span style="color:green">>次回は私が払います。

次回は君がおすすめの北千住か、私がちょっと行ってみたい京成立石あたりはどうですか。割り勘で。

(敬称略)



トランプが支持を集めるわけ

2016-07-18 22:42:00 | レンタルDVD映画


マネーショート
サブプライムローンの破綻からリーマンブラザース倒産に至るアメリカの金融危機をいち早く予見して、「売り」を仕掛けたヘッジ・ファンドや銀行マンを追った実録映画。クリスチャン・ベイル、スティーブン・カレル、ライアン・ゴズリング、ブラッド・ピットなど名優たちがアメリカの経済犯罪を徹底的に暴いている。ヘッジ・ファンドはPCに向かって刻々と変わる経済情報を眺めているだけかと思っていたら、住宅バブルを調べるために現地に飛び(アメリカは広いから、本当に航空機で飛ぶ)、足を使って一軒一軒ノックして歩き、不動産業者をインタビューして回る、ほとんどジャーナリストの仕事もするとわかった。一方、WSJの記者は、「裏付けの取れない話は書けない。女房子どもがいるんだ」と業界紙記者に成り下がって、逃げ口上を述べるところは日本と同じ。「ウォール街占拠」デモがなぜ起きたのか? 反ウォール街を標榜するトランプがなぜ人気を集めるのか? かなりわかった気がする。高度なデリバティブ商品はサブプライムローンの焼き直しだというナレーションが恐ろしい。



カットバンク
ウォール街を舞台にした「マネーショート」とは対照的なアメリカで「一番寒い」田舎町が舞台(ただし季節は夏)。ブルース・ダーン、ビリー・ボブ・ソーントン、ジョン・マルコビッチというこちらは名優と怪優の嬉しい顔合わせ。老郵便配達夫が射殺されるという町ではじめての殺人事件が起きて・・・。偏屈な人々の奇怪な人間模様が徐々に明らかになって、と思いきや、思わぬ方向に転がりだした連続殺人から、かえって田舎の人々の善良さや健全さが身に染みてくる。こういう田舎の人たちはヒラリー・クリントンには投票せず、やはりトランプに入れるのだろう。

挿入歌の Ain't No Mountain High Enough 。マービン・ゲイやダイアナ・ロスのヒット曲ですが、これはジェニファー・ローレンス(17歳)やクロエ・グレース・モレッツ(10歳)が映画「早熟のアイオワ」のなかで歌っています。
 


(敬称略)

愛の嵐 2 望みは何かと訊かれたら

2016-05-22 10:52:00 | レンタルDVD映画
前回は、強制収容所の生き残りであるユダヤ人少女ルチア(シャーロット・ランプリング)が、親衛隊の将校クラブで歌い踊る回想シーンのところまで。

Il Portiere di notte - The Night Porter (1974 ) wenn ich mir was wünschen dürfte (HD)


ルチアの元歌は、マレーネ・デートリッヒ(Marlene Dietrich)が十八番とする「望みは何かと訊かれたら」( Wenn Ich Mir Was Wunschen Durfte)です。

Marlene Dietrich - Wenn Ich Mir Was Wunschen Durfte


「聴いていると自殺したくなる歌」として有名なダミアの「暗い日曜日」に勝るとも劣らない暗い旋律と歌いかた、そして絶望的な歌詞です。

望みは何かと訊かれたら

私たちにまだ顔がなかったとき、
誰もそう尋ねてはいませんでした
私たちはむしろ
生きているのかどうか
自身に尋ねていました

いま、私は大都市の郊外を彷徨い歩いています
彼女が私を愛していたかどうか、私は知りません
私は家々のドアや窓からリビングルームに
彼女の姿を探しています
そして私は待っています
何かを待っています

望みは何かと訊かれたら
やっかいに感じて
わからないと答えるだけ
良いときもあれば
悪いときもあるから

望みは何かと訊かれたら
小さな幸せとでも言っておくわ
だってもし幸せ過ぎたら
悲しい昔が恋しくなってしまうから

(くりかえし)


デートリッヒの歌声は、凄絶というよりぞっとします。有名な「リリー・マルレーン」をはじめとして、ピート・シーガーの「花はどこにいった」やボブ・ディランの「風に吹かれて」などの「反戦歌」を歌ったことで知られるデートリッヒですが、この歌の方がはるかに厭戦気分を誘います。ところで、芸人根性をみせたつもりか、皮肉のつもりか、その両方か、意外な深々90度お辞儀。食えないばあさんでです(※Google翻訳のドイツ語訳と英語訳を合わせて「超訳」していますので、間違いがあると思います、為念)。

「愛の嵐」や「望みは何かと訊かれたら」をGoogle検索してみると、いろいろ出てきました。やはり、1970年代に女性たちにかなりの衝撃と影響を与えた映画であり、歌だったようです。

まずは、岩谷時子作詞、菅原洋一歌唱の「愛の嵐」。

どうぞ捨てて下さいと お前は瞳に涙うかべて
おとな二人泣きながら 酒をあびる嵐の夜よ
二度と甘い夢なんて 僕達は見ないはずなのに
こんな哀しい恋をして お前を泣かせた
忘れてほしいと 云ったお前が
胸にすがりついて 紅い爪あと
許しておくれこの罪を 別れの朝は訪れても
明日からはもう来ない やさしい目ざめよ
やせた背中紫の じゃのめの傘をひとりさして
今朝ははかない足どりで お前はどこへ行くのだろう
なにもきかない約束を させた心のいじらしさに
みんな捨てて呼びとめて お前を抱きたい
忘れはしないさ きっと死ぬまで
ぼくが愛したのは お前がひとり
許しておくれこの罪を 別れの影におびえながら
いつかすぎた年月よ やさしい目ざめよ
いつかすぎた年月よ やさしい目ざめよ


「愛の嵐」というタイトルはもちろん、「紅い爪あと」「傘」「今朝ははかない足どりで」「許しておくれこの罪を」などなど、この映画から借りたはずのモチーフが散見できます。ただし、映画「愛の嵐」の日本公開は1975年、菅原洋一「愛の嵐」シングルの発売は1974年と一年前で勘定が合いません。岩谷時子は翻訳詞でも有名なので、いち早く海外で観ていたのかもしれない。そうでなければ、偶然の一致にもほどがあります。

この映画からインスパイアされたと思われる小説『望みは何と訊かれたら』(小池 真理子)もあった。未読だが、革命運動の果ての粛清リンチから逃走した二十歳の沙織を匿ってくれた男との再会から恋へいうあらすじを読むと映画をなぞったみたい。

もしかしたら、映画「愛の嵐」より、小池真理子の小説から引用したのかもしれないが、中島みゆきにも、こんな歌詞があります。ふつう、「訊(き)かれたら」とは使わないでしょう。

望みは何かと訊(き)かれたら 君がこの星に居てくれることだ荒野より

ついでに、現代女性にも定着している例を。

お客様センターに連絡すると、お客様のお望みは何かと聞かれ、自分でも訳が分からなくなってしまい、悔しくて半泣きになり、思うように伝えられなくなってしまいました。

さて、強制収容所のユダヤ人少女ルチアは生き残って、いまでは高名なオペラ指揮者の妻に納まっているのだが、この指揮者が指揮するモーツァルトの「魔笛」の演奏シーンが繰り返し登場します。「魔笛」にもこんなセリフがあります。

沈黙の業に落第したパパゲーノが神殿に近寄れずうろついていると、神官がやってきて、お前の望みは何かと尋ねる。パパゲーノは恋人か女房がいればいいのに、というと先程の老女がやってきて、私と一緒になると誓わないと地獄に落ちると脅かす。パパゲーノがとりあえず一緒になると約束すると、老女は若い娘に変身する。「パパゲーノ!」と呼びかけ、パパゲーノは彼女に抱擁をしようとするが、神官がパパゲーノにはまだ早いと彼女を連れ去る。

この項まだまだ続きます。終わらないか、途中で投げ出しそうです。

(敬称略)