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コタツ評論

あなたが観ない映画 あなたが読まない本 あなたが聴かない音楽 あなたの知らないダイアローグ

お願いだから議員辞めてくれ

2011-04-27 20:39:00 | 3・11大震災
このとおりの事実関係なら、北沢防衛相と枝野官房長官は腹切りもの。これまで、民主党政権の失策、無能、失敗については、真偽不明を含めて数多く見聞してきたが、俺にとってはこれが最低最悪の事件である。



東電社長・自衛隊機利用問題 枝野氏らが責任転嫁 「車を飛ばすのが当然だ」 実際には不可能
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110426/plc11042623410023-n1.htm

「北沢防衛相は(輸送機について)被災者救援の輸送を最優先すべきだと指示していた。

3月11日夜、東京電力福島第1原発の1号機と2号機の非常用の発電機が大津波によって失われ、政府は原子力災害対策特別措置法に基づき、「原子力緊急事態」を宣言した。このとき東電トップの清水正孝社長をその出張先から一分でも早く、東京本社に戻して適切な指揮をとらせることが、誰がどう判断しても被災者救援よりはるかに、最優先事項。いったん離陸した航空自衛隊輸送機をUターンさせてまで清水社長を下ろすなど、信じられない愚行。

管首相に、「無視するんですか!」と呼び止めたのは、被災者だからまだ同情や斟酌の余地があるが、自身の誤判断を被災者救援をダシに言い逃れしようとする北沢防衛相の卑劣には言葉を失う。また、枝野官房長官の「飛行機が使えないなら、車を飛ばせばいい」と子どものような言い返しにも呆れるばかり。

上位者の重要な役割は、部下の責任をとるところにあり、ましてや3.11のような緊急事態には、大小さまざまな「超法規的処置」が必要とされ、上位者はよりいっそうの責任を負うことが求められるもの。自らの責任を逃れるために、卑劣な言い逃れと愚劣な言い返しをして恥じない者が、それをできようはずがない。

管首相に同情すら覚えてしまうが、こんな卑劣漢を防衛大臣に、こんな愚劣なガキを官房長官に任命したのだから、いちどは管民主党政権を選んだ国民ともどもに、自業自得というほかはない。

しかし、地位や責任が人をつくるのもまた、一方の真実だ。ごく平凡な人でも、困難に遭遇し、重大な責任を負うたとき、目が覚めたように考え抜き、あるいは動く場合がある。3.11に際し、そうした平凡な人々の非凡な場面場面は数限りなくあった。私たちはそれを知っている。校長先生は卒業生に立派なはなむけを書き、高校球児は気迫溢れる選手宣誓をものし、中学生は声涙下る卒業生の答辞を読んだ。

残念ながら、そうした言葉と態度の変化を管民主党政権の面々に見ることはなかった。人間的な成長どころか、政治家としての前進すら見受けられなかった。もちろん、寡聞にして私が知らない、ということはあるだろう。人の内面やその働きを軽々に臆断すべきでないのは、大人の常識である。

それでもここまではっきりと、これ以下を思いつかない卑劣と愚劣を見せつけられれば、少なくとも北沢・枝野の二人は、3月11日に、自らの責任と義務を理解していなかったし、その47日後も相変わらず理解していない、といわざるを得ない。これほどの困難に直面してなお理解しないならば、470日後も、4700日後も理解していないだろう。

しかし、かねて自民政権を熱望する産経新聞、「枝野氏ら」と肩書きすら付けないのは、菅内閣総辞職の「新聞辞令」か。

(敬称は付けたくない)

ぶちょお、ごむりをなさらないで

2011-04-27 01:17:00 | 3・11大震災
フクシマ・トーデンで一躍有名になった武田邦彦さんのブログから。

外人は来ない保安院・東電の会見
http://takedanet.com/2011/04/post_3a50.html

外国の記者を相手にした保安院と東電の会見には、最近、記者1人、説明側10人ということが続いたが、4月25日、ついに誰も記者は来なかった。

無人の記者席に向かって、「誰もいないのに」説明をするという非人間的なことをする保安院の役人の姿が印象的だった。

海外では福島原発の事故についての関心は強い.関心が強いので、保安院や東電の記者会見に出ても、ウソを教えられるので、聞いても意味が無いのだ。

日本人として哀しい。

日本人の記者会見は相変わらず盛況だ. 事実と違うことを聞いても政府の言うことなら「黒も白」なのだろう。




3.11とフクシマ・トーデンについては、主要な海外メディアはトップ記事扱いの報道体制を敷いてきたわけだが、これは知らなかった。驚きました。海外メディアの取材ボイコットとしか思えないが、もちろん、日本のメディア批判につながるような「ニューズ」については、日本の記者クラブが「取材ボイコット」するので、日本の新聞やTVの記事になることはありません。



GW明けにも管退陣が取りざたされている。1961年1月、アイゼンハワー大統領がその離任演説のなかで、「軍産複合体の脅威」について訴えたように、政官産学マスコミがつくる「原子力複合体の脅威」について、菅首相が触れることは、ないわな。アイゼンハワー演説の「軍産複合体」と置換して、ほぼ同様なのだが。

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=129920

こうした大規模な軍事組織と巨大な軍需産業との結合という現象は、アメリカ史上かつてなかったものである。その全面的な影響力・・・経済的な政治的なさらには精神的な影響力までもが、あらゆる都市に、あらゆる州政府に、連邦政府のあらゆる官庁に認められる。我々としては、このような事態の進展をいかんとも避けられないものであることはよく解っている。だが、その恐るべき意味合いを理解しておくことを怠ってはならない。

・・・・政府部内の色々な会議で、この軍産複合体が、意識的にであれ無意識的にであれ、不当な勢力を獲得しないよう、我々としては警戒していなければならない。この勢力が誤って擡頭(=台頭)し、破滅的な力をふるう可能性は、現に存在しているし、将来も存続し続けるであろう。

 この軍産複合体の勢力をして、わが国民の自由や、民主的な過程を危殆ならしめることがあってはならない。・・・・警戒心を怠らぬ分別ある市民のみが、この国防上の巨大な産業と軍事の機構をして、わが国の平和的な手段と目的とに合致せしめ、安全と自由とを共に栄えしめることが出来るのである。


日本における原子力発電所は、日本の核兵器開発能力を担保する、ある意味で軍産複合体でもあるから、算盤は度外視され、危険視は想定内とされ、無理に無理を重ねても、やはり継続されていくのだろう。



最近、缶コーヒー「BOSS」の「宇宙人ジョーンズ」CMが放映されないが、代わって、「部長、ご無理をなさらないで」が流れている。こんなCMである。

高層ビルのガラス張りのオフィス、ビル群の夜景を前に佇むエリート。少し離れて、髪の長い清楚な美人秘書か部下が立ち、そしてつぶやく。
「部長、ご無理をなさらないで。といっても無理ですよね」
・・・・・缶コーヒーBOSS 


宇宙人ジョーンズが日本の下層労働者に扮して、その規律の高さを再発見するという「日本特殊論」を展開してきたのに対し、「部長、ご無理をなさらないで」では、日本の上部構造の臆面もないナルシズムを開陳している。

(はあ~、俺もあんな風に、髪の長い美人秘書から潤んだ瞳で、ご無理をなさらないで、とかいわれたかったなあ)と呆けた顔で見入っていたのだろう。気がつけば、猫が心底バカにしきった眼つきで俺を見ていた。

フクシマ・トーデンを引き起こした日本の「原子力複合体」のエリートたちも、「ぶちょお、ごむりをなさらないで」という部課のセクショナリズムに溺れ、国策を推進するというナルシズムに呆けていたのではないか。

(敬称略)

ただちに健康に影響はないが、確実に財布に影響はある

2011-04-23 00:58:00 | 3・11大震災
「ただちに健康に影響はない」「いや健康に重大な影響がある」、いずれも説得力のある議論を見かける。それぞれ、なるほどと思う。さらに、「ただちに財布に影響はない」「いや財布に重大な影響がある」という議論を読みたい。とくに、「ただちに財布に影響はない」がほとんど見かけないのはなぜか。原発が費用対効果に見合う電力事業であるという試算があったはずだし、原発を続けるならこれまでと違った修正版が必要となろう。誰かご存じなら教えて下さい。

健康は大事だが、財布も大事。財布が不如意になると、健康も大事(おおごと)になる。

自粛しませう

2011-04-23 00:44:00 | 3・11大震災
私は観てないんですが、聞いた話によると、東電社長「引き回しの刑」だったそうで、「気の毒だったわよ」という感想でした。首相も歓迎にはほど遠い迎えられ様だったそうです。抗議された人も抗議する人々も、それでも最後はお辞儀し合うところが、たぶん海外メディアにとっては妙ちきりんに見えたでしょうね。

「社長もここに住んでみろ」謝罪に避難者怒声
http://news.goo.ne.jp/article/yomiuri/nation/20110422-567-OYT1T00938.html

「もう帰るんですか」避難所訪問の首相に憤慨
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20110316-866921/news/20110421-OYT1T00896.htm

被災者の皆さんとしては無理もないところですが、こういう見出しの「憤慨記事」は有害無益な「風評被害」を生み出すばかりです。見出しを読めばおそそ見当がつくはずですから、読むのは自粛しましょう。

いうまでもなく、清水東電社長や菅首相に、重大な責任があることは間違いありませんが、責任のすべてがあるわけではない。責任の多くがあるのでもない。

資源エネルギー庁や経済産業省、原子力安全・保安院、原子力委員会、電事連、原子力に提灯を持ってきた学者や文化人、マスメディア、そして利権を貪ってきた国や県や市町村議員、首長たち、その他、それらすべての人や組織がそれぞれ責任を分担すべきです。責任は計量できませんが。

しかし、いちいち挙げるわけにもいかないので、「清水バカ社長や菅アホ首相のせいだ」とはしょって言うわけです。少なくとも3.11以前は、誰も彼らを「アホバカ」呼ばわりをしていなかったのに(菅首相を除けばですが)。

先の敗戦前後の世論やマスコミも、たぶんこれとよく似ていたのだろうな、と思います。予想もしない新しい未来を眼前にするだけでなく、経験もしなかった過去が蘇って現れるのですから、「長生きは三文の徳」とはよくいったものです。

この不景気の上に、電気料金値上げだの、増税だの、先行き暗い庶民感情としては、「清水バカ社長や菅アホ首相のせいだ」といいたいのは無理もないところですが、私見では、こういう責任論は、完全に間違っています。

清水東電社長や菅首相、資源エネルギー庁や経済産業省、原子力安全・保安院、原子力委員会、電事連、原子力に提灯を持ってきた学者や文化人、マスメディア、そして利権を貪ってきた国や県や市町村議員や首長たち、その他以上に、重大な責任を負うべき者が他にいます。

「清水バカ社長や菅アホ首相のせいだ」が「風評被害」となるのは、その最大の責任者を隠蔽して免責するからです。

現在、おじさんやおばさんと呼ばれる、ある世代の人々はたいてい、その少年少女時代に、とくに父親に、「なぜ、戦争を止められなかったの?」という愚問を一度は口にしたはずです。しなくとも、心中で問いかけたはずです。

私たちも、子や孫から、「なぜ、原子力を止められなかったの?」と問われる日が来るかもしれません。やはり、「しかたがなかったんだ。1億2千万人を食わしていくためには、エネルギーが必要だったんだ」と口を濁すのでしょうか。

やはり、「日本だけが原子力をやっていたんじゃない。欧米諸国はどこもやっていたんだ。日本だけが後れをとれば、米露や中国に負けるのは明らかだったんだ」というのでしょうか。

「どうして、誰も反対しなかったの?」と訊かれて、「そりゃ、一部反原発の学者や市民団体はあったらしいが、俺たちはほとんど知らなかったからな」というのでしょうか。あるいは、騙されていたというのでしょうか。

今度は、「天皇制」や「一部の軍国主義者」のせいにするわけにもいきません。「悪いのは一部原子力推進者たちであり、日本人民は被害者」とは誰も言ってくれません。

でも、「子どものくせに、生意気言うな! 誰に食わしてもらっていると思っているんだ!」と話を打ち切るわけにもいきません。見上げる子どもの細い首には、ネックレスのように甲状腺を手術した跡が連なっているからです。