ある記憶

遥か遠くにいってしまった記憶たち

自由が丘途中下車

2008-01-30 22:11:22 | 
何とはなしに、自由が丘で下車し、東口の「マリークレア通り」を彷徨った。会社の行き帰りにいつも通る駅なのに、不思議と今は立ち寄ることもなくなった。

そういえば、東口の駅前にあった「青山ブックセンター」がなくなっている。
再び、東京に出てきて1年も経たない頃、ビルの地下一階にあるこの書店で、C子を見た。いや、見たような気がする。声をかけれなかった。それどころか、僕の方で、別の書棚へと姿を隠した。だから、その子がC子だったかどうか、定かでない。けれど、確かにC子だったとずっと今も思っている。

C子は、東急線と交わる、大井町線の旗の台近辺の会社の研究所に一時的に勤務してることを、僕は知っていた。東京に出てくる前の1年間は、何度か東京に住むC子に会いに訪れた。大学院を卒業したC子は、さる大手電気通信会社に就職した。
田園都市線の美しが丘にあったC子の住む会社の女子寮に何度か行ったこともある。仕事のことや東京での生活のことをいっぱい聞いていた。

1年間の遠距離恋愛の末、僕はC子に「三行半」を突きつけられた。
4年間のC子との同棲生活と1年間の遠距離恋愛にピリオドが打たれた。

当然である。C子の気持ちなどそっちのけで、僕は、憑かれたように、くだらない営業の仕事に没頭していた。C子と真摯に向き合い、今後の僕らの進むべき進路や関係について、真面目に考えることを放棄していた。何もかもに自信がなく、よって仕事に逃避することで、そんな自分の立場やC子のことから目をそらし、結果としてC子の思いまで踏みにじってしまった。最低な男に成り下がっていた。

このブログのモチーフでもある「1枚の写真」は、この時に僕の手元に再び戻った。

はたと気がつき目を覚ました時には、すべて取り返しのつかない事が多い。会社を辞職し、僕は東京に出てきた。もう、どうにもならなくなっていた。それでも、2度ほど会ったりしたが、もうC子の気持ちは僕のところにはなかった。C子は、僕よりずっとしっかりした、その会社の誰かに心を決めていたようだった。

東京で仕事も決まり、もうC子には会うまいと思った。電話帳からC子の名前を消した。仕事はきっちりしたが、その後は六本木あたりを飲み歩く日々が続いた。
そんな惨めな姿など、当然、C子に見られたくもなかった。だから、青山ブックセンターで、C子を見かけたとき、僕はとっさに姿を隠したのかも知れない。
無様で、情けなく、これ以上ないくらいみっともない当時の僕であった。

その後、僕のことを心配してか、C子から1度だけ電話がかかってきたことがあった。書店で見かけた話をした。
「声をかけてくれたらよかったのに・・・」
そんなことを言われた。それっきり、あれからもう15年も経ってしまった。
そんなこともあった自由が丘である。そういえば、マリークレア通りの美容室に、C子はよくカットに来ていたという。もう、この近辺にはいない気がする。

女は男よりずっときっぱりしている。
男は見掛け倒しで女よりずっと女々しい。


帰りに、自由が丘「無邪気」にて「特豪快麺(全部入り)」(900円)を食べた。
冷え切った心と体にとんこつ味がじわりとしみた。
そして酒屋で、「I.Wハーパー」と氷とブラックペッパーチーズを買った。

今日はロックでしんみりといこうか。


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またしても、おちびちゃん。

2008-01-29 22:05:40 | 
僕の住んでいる最寄の駅前の、さもない中華屋のミソラーメンが、無性に食べたくなる。
今日も、680円のそれを食べて帰った。ミソラーメンというと、コーンやキャベツやニンジンなどの野菜がたっぷり入っているのが常。だが、ここのラーメンの具は、もやしとひき肉だけである。出汁は、ニボシと鶏ガラのあっさり系。これが美味い。
中学の頃、部活の帰りに買い食いしたミソラーメンの風味にそっくりだからか。
僕の舌はこれを美味いと認識してしまう。部活でお腹がぺこぺこになり汁まで残さず飲んだ。昔懐かしいミソラーメンが、この店のミソラーメン。

お風呂のスイッチを入れて、コーヒーの出来上がるのを待ちながら、こうしている時が、一番気が休まる。東京FMからDJの選曲した洋楽が流れている。
会社も毎月この期間は、多少、仕事に余裕ができる。コーヒーが沸いたようだ。
そういえば、休みの時に炊いたご飯がまだ残っている。洗濯物もたたまなきゃ。

僕は、コーヒーを一日何回飲んでいるだろう。会社で5~6杯は飲む。帰ってきても2~3杯は飲むし、朝もあわただしいなか必ず飲んでから出る。タバコは1箱。例の「軽い浮気者」のマルボロ・ライトだ。去年は、多忙の余り結局、人間ドックに行けなかったが、今年は行かなきゃなあ。やはり、まだ僕は生に未練があるようだ。

週に一回しかやらないマラソンが功を奏してか、僕は健康だけは多少、恵まれているようだ。大病をしたことがない。風邪や扁桃腺はたまにやるが、その程度だ。
お酒も飲む時は比較的大量に飲む。浴びるほど大酒飲んだ後、人間ドック行って再検査を通告されたことはあったが、ドックでもたいしたことは言われない。
こういう性質(たち)は「ぽっくり」系とも言われている。それならそれで本望だ。

最近の風邪ひきマスクには笑える。まるで「ゲゲゲの鬼太郎」に出てくる「カラス天狗」のよう。あれで白くなくて黄色だったら完璧だな。
韓国の学生たちが官憲と衝突する風景の中で、そうしたマスクをしているのを何かの写真で見た。最近の大きくて頑丈なあの風邪ひきマスクは、実は韓国からの輸入物ではないかと僕はいぶかっている。
僕たちの頃は、ヘルメットの紐に手ぬぐい(タオル)を引っ掛けてマスク代わりに使ったものだ。機動隊の催涙弾のガスを吸わないように、鼻と口を守った。
利用目的がまったく違うわけだが、もちろん、風邪のウィルスからも守ってくれたのかもね。

米国のレーガン大統領がまだ健在であった頃、日本にトマホークを持ち込むとかいうので、それに反対するために東京に来たことがあった。代々木公園は、大変な賑わいだった。僕たちは、代々木公園から日比谷公園までの長い道のりを、ヘルメットにタオルとサングラスという「異様」な出で立ちで、デモンストレーションを敢行した。両端を、完全武装した機動隊のおじさんたちにサンドイッチに規制された。それを跳ね返し、交差点ではジグザグのやんちゃをすると、機動隊の警棒が雨あられのように、僕らのヘルメットに浴びせられた。

そうだ、あの時も、僕の隣かその近辺に、あのおちびちゃんH子もいたはずだ。
一緒に、地方から夜行の急行列車で、わざわざ東京までやってきて、こんな目にあうのを覚悟でやってきて、僕らの理想に近づこうとした。
手段や方法は極めて稚拙であったが、理念に忠実であろうとしたそんな若かりし時が、人生に一度くらいはあったことを、僕は今でも誇りに思っている。

H子はどこでどうしているんだろうか。今更ながら懐かしく思う。

だらだらと綴っていたら、ミソラーメンから始まって、思いもかけない展開になってしまった。

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空の話

2008-01-28 23:16:43 | 
風邪が蔓延している。僕の会社でも何人か休み始めた。今年の冬は、いつもにもまして寒さが厳しく感じる。
僕はもともと北国育ちだから、寒さには慣れっこなのだが、それにしても寒い。

明日は再び雪が降るとか・・・。降るなら思いっきりドカンと降って欲しい。
雪だるまやカマクラさえできてしまうくらいにドカンと。

東京は、窓から外を見ると、冬の空は青々として晴天で、僕らを油断させる。
うっかり温かそうなみせかけを信用すると酷いことになる。
刺すような冷気と容赦のない北風の洗礼が僕らを待ち受けている。

寒いのなら寒そうな顔をしろよ。温かい見せ掛けで僕らを騙すな。
突風と共に雪を舞い散らせ、僕らに予め警戒をさせろ。
そうすれば雑菌に汚染される前に、いくばくかの心の備えができるというものだ。

東京とはそういう街だ。


智恵子は東京に空が無いといふ。
ほんとの空が見たいといふ。
私は驚いて空を見る。
桜若葉の間に在るのは、
切っても切れない
むかしなじみのきれいな空だ。
どんよりけむる地平のぼかしは
うすもも色の朝のしめりだ。
智恵子は遠くを見ながら言ふ。
阿多多羅山の山の上に
毎日出ている青い空が
智恵子のほんとうの空だといふ。
あどけない空の話である。

高村光太郎「千恵子抄」より



なにか今日はヤケクソ気味・・・
僕の「ほんとうの空」はいずこ。

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不意に鎌倉・湘南・江ノ島

2008-01-27 22:19:06 | 
江ノ島か・・・。テレビで江ノ電、七里ヶ浜、茅ヶ崎あたりの特集。
20年前のこの辺の景色となんら変わらぬまま、今も若者の人気スポットになっている。

20年前、鎌倉にC子と旅行したことがあった。夏の真っ盛り。鶴岡八幡宮に向かう通りの木々のセミの鳴き声が、今も耳に残る。
江ノ島でお参りをして、鎌倉の大仏を見て、2人して江ノ電の窓越しに海をずーっと眺めていた。
数ヶ月に一度しか会えない中で、平穏で何にもとらわれない「非日常」のひと時だった。いつかこんな平穏な生活が僕らに訪れないものか。当時の僕の置かれていた環境からすると、おおよそありえない夢のまた夢のような時間だった。

何の準備もせずに来たものだから、海水パンツもない。僕は、こんな夏の海を前にして泳がない手はないと思った。C子と茅ヶ崎の砂浜に下りて、シャツとズボンを彼女にあずけ、トランクスのまま海に飛び込んだ。脱げそうになりながら思いっきり泳いだ。
それを、浜辺にしゃがみC子は微笑みながら見ている。であれば僕は、なおさら強がって一生懸命泳いだ。そして程よく疲れ、浜辺へ戻る。

「パンツ丸見えだぞ」

その時のC子の服装は、胸元からひざにかけてボタンで留めるつくりの、薄絹でできた涼しそうなワンピースで、海のほうを向いてしゃがんで座っていたため、本当に丸見えだった。
あまり人気もない場所だったし、油断していたようだ。
C子はプーッと真っ赤な顔をしてほっぺを膨らませた。

「なによ。エッチだね・・・」

ハンカチを借りて顔をぬぐい体を拭いた。乾くまで僕らは一緒に砂浜に座って、しばらく遠くの海を見つめた。二人とも妙に黙りこくってただひたすらに海を見つめた。

鶴岡八幡宮への行きすがら、ジージー泣くセミを捕まえては道行く子供にあげた。
セミを取るのは昔とった杵柄で大得意、C子はしきりと感心していた。
通り沿いのお店は、どこも興味深いみやげ物があって、観光客で賑っている。
何か買ってあげたかったが、何しろお金もギリギリしかなく、断念せざるを得なかった。だから、僕が出来ることといったら、せいぜい彼女の前でおどけたり強がって見せたりすることで精一杯だった。

さて、今日は、どこに泊まろうか。何の計画もなく来た旅である。電話帳で調べて素泊まりの旅館を探した。今では、そこがどこだったかすっかり記憶のかなた。
突然の来客にも関わらず、そこの仲居さんは優しく僕らを迎えてくれた。

「ご夫婦でご旅行ですか」「お風呂はお二人で入れるようにしてありますからいつでもおっしゃってください」

とてもこそばゆかった。二人で顔を見合わせ、ばつの悪い思いをした。
二十代の二人は、本当に若夫婦に見えたであろうか。相当、貧乏な夫婦の旅行に見えたんだろうか。それでも仲居さんは、そんな僕らにとてもよくしてくれた。

東京の上野あたりの安旅館で一泊。丁度、東京の下町の盆踊りを見た。横浜の山下公園の前のホテルに一泊。横浜はそれ以来一杯思い出が詰まっている。そして鎌倉で一泊。3泊4日の短くも儚い旅であった。

江ノ島の風景を見て、こんなことを思い出してしまった。

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ナイスファイトそして小さな発見

2008-01-27 15:57:01 | 
典型的な冬の晴れ渡った一日。雲ひとつない空、そして肌を刺すような寒気。そんな中、恒例のマラソンに繰り出した。
始めは、多少寒さでつらいが、10分も走るとだんだんポカポカしてくる。肌はずっとひりひりしているが、そのうち発汗の皮膜で、これも止む。

今日のメニューは、北。恵比寿から中目黒、三宿方面。道は例によって「適当」。これが僕のマラソンのコツだ。なるべく通ったことのない道を選ぶ。
すると、いろんな気づきがあり、新鮮さによって、意識せず距離を稼げる。

まず、金木犀。これって確か、秋のお彼岸の前後に咲くんだよね。それが、ある民家の庭に芽吹いていた。見間違いかと思い確かめたが、やっぱり金木犀・・・。
地球温暖化が影響しているんだろうか。
金木犀の甘く懐かしい芳香。僕は、これほど好きな匂いはないから、年中咲いていてくれても、一向に構わないのだが、困ったものだ。

区役所から中目黒の商店街に向かう細い道の途中に、映画ポスターの大きな看板がある。
ハンフリー・ボガードの「カサブランカ」とオードリー・ヘップバーンの「ローマの休日」の、それぞれ畳2枚分くらいの大きな看板だ。
遠い昔、テレビが今ほど普及してなかった頃、地方にもあった映画館。専門の絵描きさんが、パンフレットの写真に似せて、大きな看板に模写し描いた。そんなノスタルジックな看板が、そこにあるのである。一階は小料理屋さんでその2階にドカーンと立て付けてある。
ここってかつては、小さな映画館だったのか。駅前に近いからあり得るが、それにしてもこじんまりし過ぎだ。この3階建てのビルのオーナーさんが、映画フアンなだけかも知れない。

中目黒駅の東側にある商店街は、昔ながらの佇まいに、最近の新しさも加わり活気があって好きだ。西側の目黒川沿いは、今風のおしゃれなお店がいっぱいあって、今も少しずつ増殖している若い街。中目黒は、あの駅と駅前の陰湿な感じさえ払拭できれば、いいところなのに。何しろ駅が桎梏。東急さん、何とかしてくれ。

中目黒から、祐天寺を通り三軒茶屋の方まで住宅地の中を通る緑道がある。凄く気持ちの良い道で、ここをジョギングしたり、犬を連れて散歩する人も多い。
道の両側には、手入れの行き届いた花々や木々が整然と植えられている。
桜の季節には、桜も十分見ごたえがある。ここは、僕のお気に入りのコースの一つだ。

祐天寺の西口から5百メートルくらい三宿の方へ行ったところにイタリアンのお店と、そこを曲がったすぐのところにフレンチのお店がある。
イタリアンは「アレグラ」、フレンチは「ラ・クレモンテーヌ」という名前。
アレグラは、何度か食べに行った。パスタがお奨め、何でも美味しい。
フレンチのある場所は、以前、「工藤静香」の直営店があり、工藤静香の書いた絵画やデザインした小物、また、テレビやコンサートで着用した洋服類が店頭に並んでいた。
買ったためしはないが、冷やかしで何度か顔を出した。キムタクとたまに店に顔を出すというので、会えればネタにもなるしと思ったが店員以外に見たことはない。
このフレンチ、もしや工藤&キムタクがオーナーなのかも知れない。
評判は良さそうなので、一度行って見たい気がする。値段もお手ごろ。

■「ラ・クレモンテーヌ」参考情報
電話: 03-3711-8757
住所: 目黒区五本木1-29-13
定休: 水曜
平日: 11:30 - 16:00 / 18:00 - 23:30
土曜: 11:30 - 16:00 / 18:00 - 23:30
日祝: 11:30 - 16:00 / 18:00 - 23:30

本屋に寄って立ち読み。論語と韓非子。性善説と性悪説を上手く使い分けようという考え方に多少共感。
タバコのMarlboroとkoolを愛用している人の違い。
Marlboro=Man allways remenber love becours of romance only
即ち、「いつまでも本当の恋を追い続ける男」の略だという。
kool=Kiss of only lady
即ち、「キスは君だけに」だそうで、
要するにマルボロ吸う奴は浮気者でクールを吸うのは一途だという説。
僕は、マルボロ(ライト)だ。軽い浮気者か。眉唾な話だ。

帰りに、切れていたコーヒー豆と夕飯のおかずを買って本日のファイトは終了!!
いろいろ小さな発見に満ちたファイトでした。また来週。

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あるおちびちゃんの思い出パート2

2008-01-27 00:54:10 | 
このブログをしたためて3ヶ月になろうとしている。こんな日記でも、読者はだいぶ増え、貴重なご意見やアドバイスも戴いております。
皆さん。どうも有難うございます。
お気づきのことなどあればご自由にお書きくださって結構です。

「あるおちびちゃんの思い出」のH子のことを、もう少し書こうかと想います。

H子が泣いたのを一度だけ見たことがある。子供のようにわんわん泣いた。

冬休みで大学は休みであったが、寄宿舎は、半分くらいが帰省もせず越年するのが常態であった。
例に漏れず、H子も帰ることなく、寄宿舎にたむろすることが多かった。

そんなある日のことである。僕は、駐車場の管理人のバイトが終わり寄宿舎へと帰った。もう夜の11時を過ていたと思う。
二人部屋の構造だが僕はその頃、一人でその部屋を使っていた。
だから、僕がいなければ電気も消えて誰もいるはずのない部屋だ。

部屋に入ると電気がついている。バイクのメットを棚に置きよくよく見ると、僕の万年床のその布団が盛り上がっている。
「ん・・!?」誰か寝ている・・。同級の誰かが酔っ払って寝てるのか??
そう思ったが、靴を見ると明らかに女ものだ。
そっと布団をあけてのぞいて見ると、そこには、幼げな顔をして眠りに付くH子がいた。
あれ?今日はミィーティングの予定あったっけ・・。僕は、あわてて手帳を確認したが、そんな予定など無い。
どうしたものかとしばし困惑していると、H子が静かに目を覚ました。

「●●先輩、お帰りなさい」「眠っちゃったみたい・・・」

眠っちゃったもなにも、しっかり布団に入っているわけで、確信犯と思えた。

「どうした。何かあったのか?」ぶっきらぼうに聞くしかない。

「何にもないの・・・」とH子。

「とにかく、上着を着な。コーヒーでも入れよう」

「先輩、お酒買ってきたから」

ベットの横を見ると確かに、買い物袋があり、中に「角瓶」とツマミが入っていた。
いろいろとあるのはわかっていたが、どうすることも出来ない。
僕は、キャップでもあり、彼女を指導する立場でもあったので、分をわきまえつつ、H子の酒に付き合うことにした。
今日から明日にかけて、特別何か予定が入っているわけでもなかったし。

H子の淋しい気持ちはわかっていた。僕に対する切ない気持ちもなんとなく感じていた。
H子の事を、僕は嫌いであろうはずがない。鼻っ柱は強いが、根は優しくいい女だと思っていた。今で言えば「加藤あい」に似ていたし、おちびさんのくせに妙にグラマーであったし。
けれども、僕はどうしてもH子を選べないのである。そんな理由がいくつかあった。

「じゃあ氷と水もってくるから少し待ってな」

僕は、グラスを2つ取り出し氷をいれH子がもってきたウイスキーを注いだ。

「あたしはロックでいいですから」
上着を羽織ったH子は、何か潤んだ目で僕を見つめながらそう言う。

とにかく僕はウイスキーを飲み、当たり障りのない話をした。活動のこと、サークルやクラスの学生たちのこと、来年のことなど、次々と。
だいぶ飲み進んだ頃、H子は話し始めた。

「先輩はこれからどうするつもりなんですか」
「いまのままでいいんですか」

そして、

「先輩はあたしのことどう思ってるんですか・・・」

「  ・・・・  」

沈黙が続いた。強く抱きしめてあげたかった。
H子の冷え切った心と体を温めてあげたかった。
H子は、そういう覚悟で来ていたのだと思った。

しかし、組織の「戒律」を、僕は優先してしまった。

H子は、泣いた。堰を切ったようにわんわん泣きじゃくった。

H子が泣き止み、再び眠りにつくまで、僕は一晩中つきあってやった。
H子が寝付いた頃、僕は、別の空き部屋に行って眠ることにした。もう朝方で、雪がチラチラ降り始めている。
どうしたものか・・・そう考える一方、あの場でH子を抱いていたらどうなっていただろうなどと考えた。
そうしている内、強い睡魔に襲われいつの間にか僕も眠りについた。

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風呂雑感

2008-01-26 21:34:14 | 
僕は、お風呂が大好きだ。熱いお湯に、長い時間入るのがいい。ぬるいのは僕にとってはお風呂らしくなくて駄目である。
子供の頃の実家の風呂といえば、いわゆる「五右衛門風呂」といって、大きな鍋釜のような風呂釜を、枯れ草や流れ木でじかに焚く。風呂の中に、木の板を浮かべそれを沈めてのっかりヤケドしないよう工夫する。
そして、あたかも石川五右衛門が釜で煮られたように、煮られる。
母さんが、「そろそろいいか??」と、外の焚き場から声をかける。
「もういいよ」という。
風呂は決まって熱い。というか、かなり熱湯に近くなり、水道で冷ましながら入る。風呂から上がると体はまっかっか、ぽっかぽっかである。
寒い地方に生まれ育ったから、風呂で温まって寝ないと体が冷えてしょうがない。
だから、お風呂はそれなりに熱くないと風呂でないと、勝手に思い込んでいる。

学生の寄宿舎の共同風呂は良かった。大きな湯壷が二つあり、比較的熱め。洗い場も広かった。街中の銭湯に匹敵する。
みんなで入る風呂はいい。一日の出来事を語り合いながら、裸のつき合いだ。
かなりの長期間にわたってお世話になった。

アパートに住むようになっても、地元の銭湯にはかなりの頻度で通った。もちろんアパートには風呂が付いている。それでも行きたくなる。何度か引越しをし今に至っているが、どこに住んでいた時も、行きつけの銭湯があった。
自宅に風呂のあるのが当たり前になっても、銭湯は衰退せずにどこにでも残っている。みんなで入るお風呂は、いつの時代もいいものだ。

今日は「ぽかぽかランド鷹番の湯」に行ってきた。ここは、東急東横線の学芸大学駅に近い温泉銭湯で、普通の銭湯とは違って現代的なヘルスセンター風の造りだが、料金は銭湯並の、いわゆるスーパー銭湯だ。
下町の住宅街にあって、車で行くには道が細かく狭いが、ちゃんと駐車場もある。
浴室は1階と2階にあって、偶数日は1階が男湯(2階が女湯)、奇数日は逆となる。
ここは本当に温泉で、泉質は都内の温泉としては珍しい色のないメタケイ酸・メタホウ酸の冷泉である。月に何度か休みの日だけ行く。

■営業時間 15:00- 深夜1:00
(日・祭日は14:00から)
■休館日 金曜日
■料金 385円 サウナ 715円 貸しタオル 50円

サウナも何度か入り、サウナも含めここに行く時には2時間粘ることと決めている。
心身ともにすっきりする。というか、「げっそり」する。
そういう意味では、メタボぎみの方にはうってつけの減量法かも。

心身ともにリフレッシュできるのがお風呂。僕のストレス解消本の一つである。
皆さんもお風呂の時間を大切にしよう。有効に活用しよう。
因みに、自宅のお風呂の時は、決まって文庫本を持ち込み湯船につかりながら読む。これは僕の趣味であり必ずしもお勧めはしません。
本を湯船に落としたり、ページがフニャフニャになったりするので、本はいずれ捨てる覚悟で。よって、読んだ本の内容は徹底的に頭に叩き込むつもりで。

温泉宿に逗留したくなった。東京に来てからは、主に箱根、湯河原、伊豆方面を中心に相当数の温泉に行った。最近は、山梨、長野方面の「征服」を目指している。
ひなびた感じの宿がいい。料理は量よりも質、特徴があって酒も美味いところがいい。
本当に温泉宿に行きたくなった・・・。

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三島由紀夫と全共闘

2008-01-26 09:47:22 | 
1960年代後半から70年に向かう過程で、全国の大学という大学に吹き荒れた全共闘(全学共闘会議)運動。いままさに、定年を迎えつつある団塊世代と言われるおじさん、おばさんたちが、社会変革を夢見て活動し、そして挫折した変革運動の総称だ。
当時学生だった者たちの、多分、二人に一人は何らかの係わり合いを持ったのではないか。そして、その宴の終わりと共に、高度経済成長がピークを迎え、バブル経済と失われた10年、更にミレニアムと続く中に、社会変革を夢見た彼ら彼女らは、静かに息づいていたはず。
このような日本になったことの、一抹の責任はそうした団塊世代に無いとはいえない。良い意味でも悪い意味でもそう思う。

しかし、今の日本や今後の日本に、もはやあのように真摯で熱狂的で、しかも行動的な運動は、二度と起こらないだろうね。いま学園に集う若者は、すっかり飼いならされ、拝金主義や出世主義にまみれ、正義や義憤というものを忘れ、刹那的なSEXや個人主義にはけ口を求める。
実は、そんな状況を作ったのも、当の団塊世代のおじさん、おばさんであることを忘れてはならない。

さて、そんな愚痴っぽい話はさておいてと。

そんな全共闘運動の嵐が吹き荒れピークに達した1969年の5月13日、超満員となった東大教養学部で、三島由紀夫と全共闘の討論会が開催される。
三島と全共闘。一見相容れないように見える二つの「巨人」が、東大教養部の全共闘の本丸にて、あいまみえる。
自我と肉体、暴力の是非、時間の連続と非連続、政治と文学、観念と美。
互いの存在理由を巡って、激烈に、真摯に議論が闘わされた。まさに伝説の討論会だった。
何回かの引越しの中で、いまはどこにいったか見つからないが、その生の討論のテープを、僕は持っていた。もちろん、購入した品である。三島や全共闘の学生らのやり取りを固唾を呑んで聞いた覚えがある。
この貴重なドキュメントが、三十年以上経ったいま、復刊されていた。

美と共同体と東大闘争 (角川文庫)
三島 由紀夫,東大全共闘
角川書店

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1970年11月25日、三島由紀夫は、自ら組織した“楯の会”の会員4人とともに、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で東部方面総監を監禁、自衛隊員に決起を促す檄を飛ばした後、割腹自殺を図った。
三島は自死し、そして全共闘運動の宴も終焉を迎える・・・。

全共闘と機動隊との間で東大安田講堂の攻防戦が繰り広げられ、その記憶はいまもなお鮮烈だ。
彼ら彼女らは、なぜ戦ったのだろうか。
必至の敗北とその後の人生における不利益を覚悟して、なぜ彼らは最後まで安田講堂に留まったのか。

今更ながら、そんなことを微塵も知らないし生まれてさえいない、さる友人とこんな話をした。この友人は、もしその時代に生まれていたなら、真っ先にヘルメットをかぶりゲバ棒を持ち、先頭に立ちそうである。
そんな人らは、いまもいないわけではないけれど、本当に少なくなっている。

三島と学生の討論を読み、久しぶりにそんな熱い時代の空気を反芻するのも悪くない。
会社の帰りに本屋さんに寄ってみるとするか。

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仲間

2008-01-26 00:33:46 | 
仲間はいつの時もいいものだ。
同じ目標に向かって、共に進んでいける。
みなんなそれぞれ、思い悩む別の顔を持ちながら、共に進んでいけばいい。
そんなことを前提として共に進んでいける仲間。
いいんだよ。時には立ち止まって、羽を休める時間も必要さ。
低空飛行で、あっちにぶつかり、こっちにぶつかりしたっていいじゃないか。
仲間はそれを支えあう。何でも話し合えて分かり合える。
それでいいじゃないか。

組織目標の絶対主義。それは続きはしないことをつくづく経験した。
そう、約20年前。人の弱さを追及したとて、いったい何になろう。
ひとそれぞれで、百人いれば百通りの人生があり百通りの苦悩がある。
それを前提にしないと、仲間などありえない。
その時間と空間において支えあい、そして、目標に進むのが仲間。

また、仲間(共同体)は、永遠ではないことを知るべきだ。
いつか「別れ」の時がやってくることを。
それは、しょうがないことなのだろう。
別れを恐れて、仲間は成立しない。別れを恐れるな。

それでも、仲間はいいもんだ。
家族という仲間、会社という仲間、会社の部署の仲間、大学の同じ釜の飯を食った仲間、男と女という仲間、・・・。
もう、覚悟は出来ているのだから、その上で人間を信じても、何も怖いものは無いんじゃないか。
裏切りや偽りを懐疑してもきりがない。
まずは、子供のように無邪気な心で、仲間を大事にしたらどうだろう。
全てを許せば済む事だろう。そして、自分だけは、少なくとも裏切らないことを誓えばよい。

何でも話せる仲間。

そんな仲間が少なくなっていることが、今の社会の衰退の根源のようにも思える。
効率だけを追求したって、それが何になるというのだ。
効率の極限的な追求は、仲間の心を壊し、仲間自体を崩壊させる。
お金はほどほどあればよい。

こんなことを、今日、仲間と酒を飲みながら思った。
こんなことを語れる僕は、まだ幸せなのかも知れないな。

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チープでいい

2008-01-24 23:58:30 | 
帰りに駅前の立ち食いそばが突然食いたくなった。
電車から飛び降りて、脱兎のごとく蕎麦屋に入り、
ここに来ればいつも注文する「玉子と春菊」入りのそばを頼んだ。
まっかっかになるくらい七味を降りかける。半端ではない。具が見えない・・・。
汗が噴出してくるが、その刺激がたまらない。
汁まで飲み干し、ごっつあんです。

とてもチープである。けれど、これはこれでいい。
一人でどんな美味いもんを食ったって美味くない。
逆に、こうしたチープなもので済ましておれば、
誰かと一緒に食べた時の(多少)豪華な料理は、美味さひとしおなのである。
美味いもんばっかだと、美味くはないのだ。
物事は緩急とかメリハリが大切。僕は、それでいい。

いま、ピーナッツをつまんで沖縄の泡盛を飲んでいる。テレビの福田の顔がうざい。株は多少高く始まったな。タバコに火をつけ紫煙をくゆらせる。
こうした、自分の時間が大切だ。といっても、一日の半分以上は会社にいて、こんな時間は1時間もとれない。
そろそろ明日のことを考えると夜更かしも出来ない。寝るか。

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覚悟

2008-01-24 00:01:51 | 
人は自分のことをわかってくれる人が、何人いれば生きられるだろうか。

人は類として生きる生き物で、一人では生きられないと教わったことがある。
類として生きる。
即ち、人は単独者として生まれ、死ぬときもまた単独者として死ぬが、
人が生きるということは、決して単独ではなく、他の人々とともに、
つまり、類として生きる存在であるとの仮説である。
人は、国家、社会、会社、学校、家庭、、、そうした、制度・集団・組織との関係性を持つことなしに生きられない。その中でしか自分を確認できないということであろう。
そうした集団組織は、自分を映す鏡でもある。
自分を認知してくれる装置や人間がいないと、本当に人は生きられないものなのだろうか。

問うても、問うても、答えは依然として、「わからない」。

けれども、自分のことをわかってくれる人が、少なくとも2~3人はいてくれないと辛い。10人も20人もいらない。2~3人でいい。本当に僕のことを理解してくれる人。

ただ、いつも一人で生きていける覚悟だけは持って置きたい。誰にも理解も認知もされなくて、それでも生きていける強い覚悟を。
だって、「人は単独者として生まれ、死ぬときもまた単独者」。これだけは真実だもの。

そう思えば、何も腹立たしいことも無く、悲しみさえない。

思えば、一人で孤独の時間が長かった。今も、そんな環境にいる。
淋しい話だが、そんな経験の長さゆえに、こんなひねくれ者になってしまったんだろうか。
あぁあ~。みんなで笑ってすごせたらね。なんて幸せだろう。
むじゃきな子供の心をずっともてたらね。苦悩もなかろうに。

覚悟など、すぐに崩れてしまう。もろいものだな。(苦笑)

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愕然・・・ダウ4百ドル安・・

2008-01-23 00:13:51 | 
22日の東京株式市場は、世界的な株安の流れを受けて全面安となり、2日連続で大幅下落した。日経平均株価(225種)の終値は前日比752円89銭安の1万2573円5銭と2005年9月以来、約2年4か月ぶりに1万3000円の大台を割り込んだ。アジアの主要市場でも株価は大幅に下落し、ロンドン市場も続落で取引が始まった。米国の景気減速の懸念が強まる中、世界的な株安の連鎖に歯止めがかからない。東京外国為替市場で円相場が一時1ドル=105円台まで急騰し、アジア各国の株式市場が軒並み急落した影響で、輸出関連を中心に東証1部の97%の銘柄が値下がりした。

米連邦準備制度理事会(FRB)は22日、緊急の連邦公開市場委員会(FOMC)を開き、米国経済の先行きへの懸念から世界同時株安となっていることを受けて、金融機関同士で資金を融通する短期金融市場の金利であるフェデラル・ファンド(FF)金利の誘導目標を0.75%引き下げて3.5%とすることを賛成多数で決め、即日実施した。低所得者向け高金利住宅ローン(サブプライムローン)の焦げ付き問題の拡大で市場の混乱が続く中、金融市場の動揺を抑えるため、異例の緊急大幅利下げに踏み切った。

FRBは緊急声明を発表し、「経済見通しが一段と悪化し、景気下振れリスクが急速に強まっている」と強い懸念を表明。世界の金融市場の混乱が景気を失速させかねないとの認識に基づき、金利を引き下げたと説明した。
FRBは同時に、金融機関に融資する際の金利である公定歩合も0.75%引き下げ、年4.0%にすると発表した。

市場では、先週末にブッシュ大統領が発表した緊急経済対策への失望感が広がったことに加えて、中国の金融機関でもサブプライムローン問題に関連する損失を抱えていると伝わったことで、これまで世界経済をけん引してきた新興国の経済にも米景気減速の影響が及ぶとの懸念から世界同時株安の様相となっていた。

だが、今日の米ダウはこうした緊急の発表にも関わらず400ドル以上の下げで始まっている。まさに、全世界的な経済の「メルト・ダウン」だ。

しかし、日銀・福井も福田首相も呑気なもんだ。

何もしないんだってさ。

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愛という名の・・・「平成」

2008-01-21 22:35:42 | 
時代が昭和から平成に変わる頃、僕らは、先の見えないまま、期待と不安をどこかに抱えながら、それでも希望はどこかにあるだろうと信じ、生きていた。
テレビなど、ずーっと見ることも無かった僕らは、なぜか当時のいくつかのドラマにはまった。いや、正確には「はまってみたかった」のかも知れない。
何しろ、「東京ラブストーリー」の世界など、僕らの現実からはずーっと遠くにあるようだったし、「愛という名の・・・」のような劇的で格好の良い青春もまた、身に覚えが無かった。
当時は、仕事柄、土日は出勤、休みは月曜日一日だけだった。それゆえに「げつく」だけはゆっくり見れた。他の番組は、ビデヲを録画し、休日に見るのが常だった。
これらを見ながら次の展開を予想し語り合った。脚本の才能が無いのか、僕の意見はほとんど当たらなかったが、彼女の予想は結構な確率で要諦をついていた。
女の勘は空恐ろしいと思ったものだ。
6畳一間の狭い部屋に4年くらい一緒に暮らした。
「カンチ」や「チョロ」が懐かしい。
時代は「バブル」だったらしいが、僕らにその実感はなかった。

ふぞろいの林檎たちII 2

TBS

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愛という名のもとに DVD-BOX

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それにしても鈴木保奈美が、とんねるずのタカなぞとなぜ一緒になったのか。
世の中は不条理だらけである。鈴木保奈美は、湘南にある鎌倉高校の出身で、僕の寄宿舎の一つ下の後輩であるT先生(学校の先生)の女房と同級生であって、一緒に写っている写真を見せてもらったことがあった。Tの横浜の住まいに遊びに行ったときであった。それにしても、返す返す、世の中は不条理である。

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マラソンしてモス食って

2008-01-20 20:00:22 | 
今晩は夜半にかけ東京でも雪が降るらしい。一日中天気は良かったが確かに寒かった。
寒さに負けずマラソンを敢行した。駒沢方面からぐるり都立大方面へ、気まぐれにコースをコーディネートし、住宅地で多少道に迷いながらも、とてもよいファイトであった。
休日だけは、ランニングを自分に課している。準備体操は汗をかくまで十分に。
腹筋と腕立伏をそれぞれ百回。そして出発だ。東西南北、その時の気分次第。

都立大の駅から西、目黒通りを超えたところにモスバーガーがある。こちらへ走りに来た時はここに良く寄る。ハンバーガーはあまり食べないが、モスだけは別。学生の頃、彼女に教えてもらい、余りの美味さに絶句した。それ以来かれこれ20年以上のお付き合いだ。
また、モスがオリジナルで定期的に作るチラシも工夫されていて楽しい。いつも食べながら読む。
今日は、「全国方言カルタ」ということで「すごくおいしい」をどういうのかを特集していた。東北と九州が面白い。

●わっつり うめぇ (青森県)
●まぁんず うめ  (秋田県)
●いぎなり んめ  (宮城県)
●ぎゃぁん おいしいかぁ(福岡県)
●がばい うまかぁ (佐賀県)
●どげち おいしい (大分県)
●いっきょな うまかばい (長崎県)

他にも、やにこーうまい(和歌山県)、こじゃんとうまいぜよ(高知県)、どーいうんめいもんだっちゃー(新潟県)、でーりやーうみゃー(愛知県)など。
「いっぺーまーさいびーんどー」これ沖縄県だが、こればかりはさっぱりわからん。
都立大学とか学芸大学とかもう大学は無いのに駅名だけは残り誤解を招くよね。
都立大の跡地は、今は図書館とかスポーツ施設、市民広場となっている。

最後に、体だけはしっかり鍛えておいたほうがいい。無理はする必要ない。自然体で出来る範囲で。僕のマラソンはもう10年目を超えている。最初は町内一回り。徐々に郊外へと足を運ぶ。距離は、自然に伸びていった。
他にも、下の「シェイクアップローラー」を持っている。
これは、暇つぶしに随時。結構きつい・・・。当然、無理はしない。他にも、水を注入する方式のバーベルもあったが、これはどっかへ行ってしまった。
シェイプアップローラー

リージェント

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因みに、僕の会社の部下は下記の「エクササイズボール」を所有しているらしいが、こちらももうだいぶ埃をかぶっているとのこと。

ALINCO エクササイズボール EX-017 65cm

ALINCO

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実は、密かに「ロデオボーイ」を購入しようと画策しています。デパートで試してみて、「これはなかなか・・・」と感じ入った。
普段使わない腰回りの筋肉を鍛えるのに優れものである。

スライヴ ロデオボーイII

スライヴ

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あの子らは

2008-01-20 09:49:59 | 
毎年夏が来ると、海辺の過疎の町に行き、地域の子供たちと交流をする行事が、サークル「あすなろ」の恒例となっていた。
僕も、3回ほどその海辺の漁村に、サークルのみんなと足を運んだ。
僕らがサークルに入った後、寄宿舎で日陰者扱いされていた「あすなろ」は、とてもメジャーな存在になり、その後は毎年後輩が続々とサークルに入部し、多い時では寄宿生だけで、15人くらいにまでになった。
それまで、硬派一点張りだった寄宿舎の気風を、僕たちは一新してしまった。
だから恒例のこの約1週間の合宿には、専門学校の女子を入れると、それこそ30人
にも上った。
宿泊場所は、毎度その地域の小さな小学校の分校を借り切る。教室は2つしかない。当時から、この辺は相当な過疎に見舞われていた。
こうした過疎の町の子供たちに、遊びを通じて、健全な成長を促すことがこの合宿の大きな目的だった。地域の人たちにはお風呂をもらったり、お魚や食材を差し入れてもらったりと大変お世話になった。
2年目には僕も「あすなろ」のキャップをおおせつかり、準備や運営に結構手を焼いた。けれども、そんな苦労の一つ一つがとても楽しくて、また、地域のちびっ子らと再会できることに、喜びを感じていた。
泣き虫のみのるは少しはたくましくなってるか。きかん坊の正男は母親に叱られてばかりいるんだろう。男勝りの実花は多少おしとやかに・・・なるはずもないか。あの洟垂れ小僧、このお茶目娘、いろんな顔が浮かんでくる。下は3歳くらいから上は10才やそこらの地元の子供たち。それでも20人もいない。中学、高校は遠く離れた別の大きな町や市へ。そして就職するとみなこの地からいなくなる。もう漁業ではとても生計は立たない時代になっていた。
それでも、子供らは、とても強く、のびのびと生活していた。毎年、僕らの訪問をとても楽しみにしてくれていた。
その頃になると、僕らも、「恥ずかしさ」をとっくに通り越して、保母さんの卵である彼女らに混じって、「お遊戯」やら「紙芝居」やら「人形劇」やら、NHKの「お母さんといっしょ」ばりに、●●お兄さんになりきっていた。
いまなら「団子三兄弟」や「たらこ・たらこ・たらこ」でもやっていたんだろう。
(ところで「あすなろ」は、今も続いているんだろうか・・・。)
また、この合宿は、サークル内の親睦も兼ねていた。海辺のこの町の海はとてもきれいで、水着に着替え浜辺で大いに泳いだ。夏の日差しは強く、女の子の水着はまぶしかった。男同士、女同士それぞれ“牽制”しながらもいくつかのカップルが誕生した。その後、結婚のゴールにたどり着くカップルもあった。
ずっと後のことだが、そのカップルの一組が結婚式を挙げた時に、僕も参加したことがあった。そこに、もう二十歳を超えて、大学のあった都市でOLをしているという実花が来ていたのには驚かされた。すっかり素敵な大人の女性になっていた。男勝りで減らず口を叩いていたやんちゃなあいつが・・・。
合宿の最終日は、大コンパ、打ち上げである。前後不覚になるまで酒を飲んだ。大学に帰るのがとても惜しく思え、その思いを断ち切るかのように。
女の子は明日帰ると思うと悲しくて泣き出す者も続出した。みんな良い子ばかりだった。
その中の何人かとは、とても懇意になったが、僕としては一線を越えることはなかった。気に入った子はいた。保母さんをかみさんに持つのも悪くなかったかも。彼女らは、あまりに純朴すぎて、また、世間を知らず、当時、僕が歩もうとしていた別の方角から見ると、現実的とは思えなかったこともあった。N子やT子。もうたくさん子供を授かり、立派な母親となっていることだろう。

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