ある記憶

遥か遠くにいってしまった記憶たち

千のナイフ 千の目

2012-02-25 17:09:49 | 
蜷川幸雄さんといえばいわずと知れた演出家、映画監督そして俳優までこなすマルチな文化人です。

この人の随筆に「千のナイフ 千の目」というのがあります。
その著書の中で次のような印象的な言葉がありました。

 千人の観客がいれば千の動機があり千の人生がある

 だから自分は千のナイフを用意する

 千の心の各様につきささる舞台をつくるために

どこの会社も顧客のない会社はない。
僕らの会社も千人どころか万を超える顧客を相手にしている。

多種多様な商品サービスを提供している。
その商品やサービスを購入する顧客の動機や目的は千差万別。
同じように僕らはそのリテールにまでこだわった千のナイフ、万のナイフを用意しているであろうか…

ひとつの商品だってさまざまな特徴やパーツで成り立っています。
同じ使い方をするにしても人それぞれ感じ方や使い勝手に差があると思う。
だから僕らは多様なお客さんの顔を思い浮かべながら商品の細部にこだわらなければいけません。

各様につきささる千のナイフを用意する。
それが仕事に真剣に取り組むということなのでしょう。

そういう仕事をしていない。
反省を促してくれる熱い言葉が蜷川幸雄さんの著書にいっぱいちりばめられていました。




こんな辺鄙な街角でも

2011-12-25 12:09:01 | 

僕のふるさとは東北の都市部からずっと離れた何にもない片田舎です。
東北大震災では沿岸部ではなかったために被害はそれほどでもありませんでした。
隣の南三陸町、高校時代3年間通った石巻市、友達のいる女川町、そして気仙沼市や塩釜、松島…
その辺の被害からすればせいぜい瓦が落ちたり壁にひびが入った程度で人命に影響はありませんでした。
それでも仕事で、配達に、たまたまそこにいて僕の実家の町でも何人か命を落としました。
僕の中学の同級生の女の子もその一人でした。
それでもみんな一生懸命に再生・復興に向けがんばっているのだと聞きます。

僕の町の駅前通は、今年もライトアップしています。
町民の寄付で年末年始にブルーやホワイト、レッドのLEDライトを灯し、
クリスマスやハッピーニューイヤーを皆で祝うために通の木々にデコレーションするのです。
規模はとってもしょぼいのですが、気持ちだけは伝わります。
今年も年末年始の短い間ですが見てこようと思っています。



1月1日の午前零時をまわる頃合に、そう紅白歌合戦が終了してすぐに、
家族で身支度をして近くのお稲荷さんに「元朝参り(がんちょうまいり)」に行くのが恒例です。
最近では高齢化が進んでいることもあり、僕が小さい子供の頃のように賑わうこともなくなりました。
うまくすると先頭で一番目に鈴を鳴らしお賽銭をしお参りできさえします。数年前に経験しました。

雪は昔ほど降らなくなっていますが12月31日から新年を迎える深夜にはしんしんと降ることが多いような気がします。

今年も駅前のライトアップを眺めながらお稲荷さんにお参りに行くことでしょう。
寒いのだけれど今年も雪が降ってほしい。雪の舞い散る中をお参りに行きたい。




黒のハットと赤いシューズで

2011-10-02 15:01:30 | 
渋谷の東宝劇場で「アンフェア」を見ました。
雪平夏見、相変わらず不死身でした。

いつもながらとても見応えがありました。
はらはらどきどき、いくつものどんでん返し、
誰が味方で誰が敵か、最後の最後まで気が抜けません。

TVと違いCMで邪魔されないところが映画のよさです。
それに大画面(席は前から3列目のC席…)。
一気に最後まで息もつかせぬ一騎通貫の緊張感が心地よい。

原作者:秦建日子
第一作「推理小説」
第二作「アンフェアな月」
第三作「殺してもいい命」

この日のために全三作を復習の意味で読みました。

今日の終わりからするとまだまだ続く「アンフェア」。
楽しみにしましょう。

さて、秋を意識して黒の厚手の帽子を被りました。
米国製、雉のきれいな羽が横についています。
お気に入りの逸品です。



109のこの場所。前にも記したことがありました。
数少ない僕の青春の思い出の場所です。
もうそんな幻を見ることはなくなりましたが、
この下の階段から息を弾ませ駆け上がってくる一人の少女の幻影。
鏡にその姿が映ります。僕の心が思いっきり高揚する。
その快い感じ、歓喜、性の衝動…

もう全てが溶けて空気のかけらさえありません…。




話しは変わります。
ここは代官山です。

代官山でいまだ1箇所気になっていた場所がありました。

「旧朝倉家住宅」という重要文化財のある場所です。
旧山手通り沿いの代官山交番のすぐ向かいにあります。
入場料100円です。



関東大震災や戦禍を免れ、東京中心部では数少ない大正期の和風住宅です。
近年まで経済企画庁(現内閣府)の渋谷会議所として使われていたとのこと。

大木に囲まれた庭にはどでかい石灯籠が点在しています。
回遊式庭園というのだそうです。



大正ロマン漂うノスタルジックな佇まい。
一時とはいえ心が休まりました。

朝倉さんは豪農でひと財産なした人だとのことです。




国語の教科書

2011-09-24 21:19:26 | 

国語の授業は比較的好きだった。
特に高校三年生のときの国語の先生の話しはとても面白くてためになった。
受験など意識する風もなく別の面で一生懸命でとにかく授業が楽しみだった。
先生の顔は今もふっと思い出す。そのくせ名前は思い出せない。
先生はなにか生きることの大変さを正直に真摯に語ってくれていた。
受験勉強などというものの空虚さをみな知っていた。
そんな乾ききった日常の一滴の清涼水のような感じがしていた。
あの先生はまだ元気でいるでいるだろうか・・・

国語といっても好きなのは現代国語である。
古文や漢文は好きというほどではなかったが丸暗記していればよい点が取れた。
けれど現代国語だけはなかなかよい点数が取れなかった。
論説文などロジカルな文章の読解はまだしも詩や小説といった文学作品の読解に難があった。
作家が何を考え何を表現し訴えたかったかということ。
その点、いつも僕の答えとテストの回答は違っていた。
「文部省指導要領」にあるような答えを僕は記述することがなかった。
文学のテーマなどそんなきれいごとではないと僕は思っていた。
たいていが死ぬことや男と女の関係、社会への反発、人間への信頼と不信、、、、
とてもお役所がよしとするような解釈などないと思っていた。
そういうことを正直に書くとあまりよい点数にはならなかった。

その先生は小説や詩を読む力は若いときにどれだけ作品に親しんだかで決まる。
だから何でもいいからがむしゃらに本を読みなさい。そうおっしゃっていた。
中学、高校、20才くらいまでに。
受験勉強という必要悪が強いられる中で僕が本を読む時間と空間はたいてい、
通学するローカル線の汽車の中だった。行きも帰りも1時間以上あり格好の図書室だった。

夏目漱石、森鴎外、芥川龍之介、太宰治、谷崎潤一郎、志賀直哉、有島武郎、武者小路実篤、
川端康成、山本有三、井伏鱒二、阿部公房、小林多喜二、宮沢賢治、中原中也、室生犀星・・・・

乱読もいいところだった。

けれどそうした人間の真実を知ることは生きることを辛くさせた。
ましてやこんな現代社会で都合よく生きようと思うと足かせにさえなった。
真実と虚構の使い分けをしないととてもじゃないが食べることすらままならない。

そんな狭間で僕は生き延びてきたような気がする。

けれども今は一定の覚悟を決めている。そうして生きようと思っている。

あの高校三年のときの国語の先生もきっとそうだったに違いない。きっと…




恋緑

2011-09-09 17:17:17 | 
沖縄の色といえば海のブルー、ハイビスカスのレッド、
熱帯魚のパステルカラーなどが想起される。

僕は最近になり濃いグリーンだなと思う。
圧倒的な日差しのなかでそれを反射し目に痛いほどのグリーン。
生きとしいけるものの生命の力の色だ。
他のなにものをも寄せ付けない断固たる決意の発露。
緑がとめどなく永遠に湧いてはびこる。
原始の色、沖縄の底力のようだ。

緑に浮かぶ赤や黄色、青やピンクばかりに目を奪われてきたが、
沖縄はグリーンしかもディープグリーンが正体とわかった。

これは今回の旅の大きな発見だった。

濃い緑が「恋緑」となったがこれもありかなと放置。
緑が恋しい。名残惜しい。いまさらながら。




伊江島とおさらば

2011-09-07 10:20:42 | 
伊江島は雨が降らない。降るのは台風が来たときくらい。
島のあちこちに溜め池があり「地下ダム」なる施設を建築中だという。
また湧水(ワジー)というわき水もあり水にあまり困らない。
電照菊、葉タバコ、落花生などの産地で島の大半は畑である。

この島のシンボルである城山(グスクヤマ)には昨日の夕方に登った。
ももの筋肉が痛くなるほどの垂直歩行、てっぺんは絶景なり!
ちゅら海水族館からこのとんがりがよく見える。
いつか登ってやろうとの思いが今回達成され満足。

こんな伊江島とも早お別れである。
10時のフェリーで本部へ。
朝は日の出とともに伊江ビーチや青少年研修の森公園をラストランした。
www伊江リゾートは一度は泊まる価値のあるお奨めのコテージ。
オクマプライベートリゾートの次にいい。
ニライカナイの上くらい。
さて今日はどこいくかな。

ややこできちゃった

2011-01-22 07:37:08 | 

ややこできちゃった

そんな彼女の言葉が頭をよぎった。

あまりにも唐突で、初めてで、僕の前の現実だとはとても思えなくて。

どういう気持ちで彼女はそれを僕に述べたのだろう。
切なくて優しくて当惑してどうしても言わなきゃいけなくて。

結局僕は受け止め切れなかった…


温かい人の情けも

胸を打つ熱い涙も

知らないで育った僕はみなし子さ

強ければそれでいいんだ

力さえあればいいんだ

ひねくれて星をにらんだ僕なのさ…







夏休み、暑い夏、肝試し

2010-07-10 08:07:54 | 


朝5時に目が覚めました。もう夏なんだね。こんな時間にすっかり日が昇っています。
昨日までのじめじめした天気が嘘のように太陽はさんさんと照りわたっています。
やや湿気がありますが久々に気持ちの良い朝です。

というわけで暑さが本格化する前にひとっ走りしてきました。
近くの公園を横切ると20人くらいの人が円を描いてラジオ体操をしていました。
えっ?もう子供たちは夏休みなの???と近づいていくとご年配の方々でした。
お爺ちゃん、お婆ちゃんが元気よく体を動かしています。中にはお孫さんを連れてきている方も。

子供の頃の夏休みの「ラジヲ体操」を思い出しました。毎日欠かさず通いました。
妹と弟を連れて、近所の学校の仲間達と競うように。
帰りにハンコをもらい皆勤賞を目指しました。
今日は何をしようか。その場は悪ガキ達の「作戦会議」の場でもあった。
今思えば大したこともしていないのになぜか毎日が楽しくてしょうがなかった。


山へかぶと虫、くわがた虫を取りに行きました。
近くの湖沼にフナや小魚を釣りに行きました。
まだプールがなかったこともあり川で水浴びに行きました。
地域の「子供会」では花火大会や肝試し、海水浴等の催し物が目白押しでした。
写生大会や勉強会なんかもあり夏休みの宿題をみなでやったりしました。
そう、午後に毎日やってくるアイス屋さんが楽しみだった。
1本数十円の氷菓子、汗をぶったらして遊ぶ合間にこれは重要な水分補給でした。
隣町の畑のスイカを失敬しその場でかち割りスイカを手ですくって食べた…
メロン(瓜??)とかブドウなんかもあった。
そんなこともいっぱいしました。悪ガキだったんですね。

この辺は多分小学校2~3年くらいの記憶でしょうか。





中でも肝試しは恐かった。
地域の河原や田んぼの中を一周するだけでしかもまだ夜の8時前後だし
普通ならそんな恐いことはありません。
実はその前に1本怪談映画を皆で見るのです。
ある町工場の空き地にて白い布をスクリーン代わりに垂らし映写機でカタカタ写しだされます。
白黒映画で画像や音声はそれこそ最悪でした。けれどそれが妙にリアル感を醸し出します。
なんだったろう。怪談かさねが淵だったろうか。めちゃめちゃ恐かった。
それを見た後に2人1組で懐中電灯を手に一回りしてくるという催し。
もう駄目ですね。
5分ほど間隔をあけてスタートしますが少し行くと何かに追われるように皆走り出します。
相手も置いていかれまいと必死に走ります。
小さい子らは置いてけぼりでワンワン泣き出しました。
めちゃくちゃな肝試し大会だったなぁ…
もちろん大人も管理者として参加してましたのでアフターフォローはしっかりしてましたから、
特に事故や変なことは起こりませんでしたが、やはり刺激が強すぎるとかで、
そうした映画付きの肝試しは何年後かには無くなったようです。
少し残念でした。


子供大人一緒になって地域というものが実体を持っていた頃の懐かしいお話です。

そんなこんなで洟垂れ小僧は逞しく成長していったのでした。


僕の、僕が、僕を、僕に、  僕

2010-05-28 22:17:31 | 
僕がしたいこと。

僕が生きている意味。

僕が今ここにいること。

僕が考えていること。

僕が息をしていること。

僕がぼんやり思う人。

僕のこれから。

僕の今まで。

僕にとっての時間と空間。

僕に残された何か。

僕に心を寄せる人。

僕の頭の中の思考能力や記憶力。

僕の目が少しずつ衰えている事実。

僕の心の重さ。

僕から離れて行った数々の人。

僕が捨てたいっぱい。

僕を生じさせた母や父。

僕の好きな花。空。自然。

僕の限りある…


僕の、僕が、僕を、僕に、  僕

不思議な時間と空間の違和感

2010-05-23 21:22:39 | 


六国峠の天園茶屋から遠く七里ガ浜の海岸線が見える。

翌日の、すなわち今日の早朝、そこに僕はいた。
6時前だというのに散歩している人がいた。

砂浜に沿って走っていた。

そしてずっと昔の暑い夏にも確かに僕はここにいたはずだ。
この砂浜はこんなだったっけ。
オフシーズンしかも早朝で曇天。
あまりにもシチュエーションが違いすぎる。

時の流れ、空間の違い。
心象風景はその時その場所だけのもの。
もうここには何もない。





 不意に鎌倉・湘南・江ノ島

母をおもふ 2

2010-05-09 09:26:28 | 
母をおもふ …

経験した事実の中の母。すでにセピア色に消えかけている。
「母」と言われ僕の中でイメージされる母。願望としての母??

過去と現在とイメージが入り混じりながら、
僕が「母」を思う時、決まって心に浮かび口ずさむ歌の数々。
やはり童謡は強い。



かあさんが 夜なべをして
手袋あんでくれた
木枯らし吹いちゃ 冷たかろうて
せっせとあんだだよ
ふるさとの便りはとどく
いろりのにおいがした


かあさんは 麻糸つむぐ
一日つむぐ
おとうは土間で わら打ち仕事
お前もがんばれよ
ふるさとの冬はさみしい
せめてラジオ聞かせたい


かあさんの あかぎれ痛い
生みそをすりこむ
根雪もとけりゃ もうすぐ春だで
畑が待ってるよ
小川のせせらぎが聞こえる
なつかしさがしみとおる
なつかしさがしみとおる


「母さんの歌」
窪田 聡 作詞/作曲





おかあさん
なあに
おかあさんて いいにおい
せんたくしていた においでしょ
しゃぼんだまの においでしょ

おかあさん
なあに
おかあさんて いいにおい
おりょうりしていた においでしょ
たまごやきの においでしょ


「おかあさん」
作詞 田中 ナナ 作曲 中田 喜直

金色夜叉と実篤と

2010-05-05 09:54:26 | 
熱海は尾崎紅葉の「金色夜叉」の舞台となった場所です。
〝カンイチオミヤ〟など今では死語に近いでしょう。
読んだことはないのですがストーリーは今でもぼんやり覚えています。

お金と女…出世…
いつの時代も人間ドラマの中心です。

さてその対極にある人道主義、博愛主義。
ユートピアのような理想を掲げ実践しようとして挫折した人々もいます。
「美しい村」というのを知っているでしょうか。
武者小路実篤や志賀直哉らの試みでした。





85歳になった武者小路実篤は漁民一揆の先頭に起ち流刑となった若者をたたえた石像に、
このような言葉を残しました。

   無私愛人

死ぬまで理想を失わなかったのですね…
精神の巨人です。


こちらは現代。
これはこれでいいですよね。

恋人の聖地、、ということです。








2010-04-15 19:53:37 | 
至誠にして動かざる者は、
未だこれ有らざるなり


最高の誠実さをもって事にあたれば、
世の中で解決出来ない事はない。
孟子の言葉です。
そして吉田松陰が好んで使い弟子たちにその思想を伝えました。

伊藤博文、高杉晋作、山縣有朋、木戸孝允など、
幕末維新を駆け抜けた多くの人々に、
彼は多大なる影響を与えました。


「誠」や「誠実」という意味を改めて考えます。
本当はとても重い言葉なのに何と軽々しく安易に使われているんだろう。

また僕のなかに「誠」はどれだけあるんだろうか。
胸に手を当て考えるたびに恥ずかしくなります。

もしかすると僕らは「誠」など必要のない時代に生まれ
生き長らえているのかも知れません。
朴訥に真実を語るより詭弁や三百代言を弄する者に、
世間は軍配を上げます。
何を言っても三倍がえしで言い包める能力を
みな有り難がっているかのよう。
それが“リーダー”?!

じっと耳を傾け沈思黙考する人は不要。
むしろ煙たがられます。
権謀術数に長け人の裏側ばかり気にして、
事実をねじ曲げ白を黒と言って恥じず、
大風呂敷を広げる割にちっちゃなことにびくびくする。

そんな人間に僕はなりたくない。
曲学阿世の徒。
断固拒否だ。

松陰にはなれなくても、多少は「誠」の分かる人になりたい。

そういう訳で未だに僕は“青い”んです・・・よね。



今日の風ぇえに吹かれましょう~♪

2010-04-05 20:59:37 | 

〝青春〟ってやつですかね。
春が近づくと恋しくなります。

新しい旅立ち。出発。はじめる。




こんな時代も~ あ~あ~♪ たねと~♪

いつか 笑って~♪ はな~せるわ

だから~ 今日はくよくよしないで~♪

今日の 風ぇえに~ 吹かれましょう~~



桜の頃を過ぎると出会いの季節です。


NHKで〝お天気おねえさん〟体験

2010-04-04 20:39:59 | 
NHKスタジオパークでアナウンサーがどのように放送しているか、その気分を味わうことができます。
そこで〝お天気おねえさん〟体験ができました。
NHK見学に渋谷に連れて行った時のことです。

いっぱい子供たちがいる中でジャンケンで家の子(姪の子ですが)が勝ちぬいて体験できました。




CHROMAKEY(クロマキー)という技術で、
画像に人物が写りこむ技術なのだそうです。



スタッフが用意した文章を順番に読んで、
東京と大阪を棒で差して説明をするという段取りでしたが、
なかなかよくできました。

記念写真を1枚もらったのでとってもよい思い出になるでしょう



さてさて本日ですが目黒の〝試林の森公園〟に行ってきました。
もちろんマラソンの途中でなんですが、ここも隠れた穴場ですね。

桜もこの土日がピークでしょうね。
土曜日は夜中の11時くらいまで目黒川の夜桜を見物してました。
友人らと近くのイタリアンレストランで食事をとった帰りです。
ここはいつもながら最高だね