ある記憶

遥か遠くにいってしまった記憶たち

チープでいい

2008-01-24 23:58:30 | 
帰りに駅前の立ち食いそばが突然食いたくなった。
電車から飛び降りて、脱兎のごとく蕎麦屋に入り、
ここに来ればいつも注文する「玉子と春菊」入りのそばを頼んだ。
まっかっかになるくらい七味を降りかける。半端ではない。具が見えない・・・。
汗が噴出してくるが、その刺激がたまらない。
汁まで飲み干し、ごっつあんです。

とてもチープである。けれど、これはこれでいい。
一人でどんな美味いもんを食ったって美味くない。
逆に、こうしたチープなもので済ましておれば、
誰かと一緒に食べた時の(多少)豪華な料理は、美味さひとしおなのである。
美味いもんばっかだと、美味くはないのだ。
物事は緩急とかメリハリが大切。僕は、それでいい。

いま、ピーナッツをつまんで沖縄の泡盛を飲んでいる。テレビの福田の顔がうざい。株は多少高く始まったな。タバコに火をつけ紫煙をくゆらせる。
こうした、自分の時間が大切だ。といっても、一日の半分以上は会社にいて、こんな時間は1時間もとれない。
そろそろ明日のことを考えると夜更かしも出来ない。寝るか。

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覚悟

2008-01-24 00:01:51 | 
人は自分のことをわかってくれる人が、何人いれば生きられるだろうか。

人は類として生きる生き物で、一人では生きられないと教わったことがある。
類として生きる。
即ち、人は単独者として生まれ、死ぬときもまた単独者として死ぬが、
人が生きるということは、決して単独ではなく、他の人々とともに、
つまり、類として生きる存在であるとの仮説である。
人は、国家、社会、会社、学校、家庭、、、そうした、制度・集団・組織との関係性を持つことなしに生きられない。その中でしか自分を確認できないということであろう。
そうした集団組織は、自分を映す鏡でもある。
自分を認知してくれる装置や人間がいないと、本当に人は生きられないものなのだろうか。

問うても、問うても、答えは依然として、「わからない」。

けれども、自分のことをわかってくれる人が、少なくとも2~3人はいてくれないと辛い。10人も20人もいらない。2~3人でいい。本当に僕のことを理解してくれる人。

ただ、いつも一人で生きていける覚悟だけは持って置きたい。誰にも理解も認知もされなくて、それでも生きていける強い覚悟を。
だって、「人は単独者として生まれ、死ぬときもまた単独者」。これだけは真実だもの。

そう思えば、何も腹立たしいことも無く、悲しみさえない。

思えば、一人で孤独の時間が長かった。今も、そんな環境にいる。
淋しい話だが、そんな経験の長さゆえに、こんなひねくれ者になってしまったんだろうか。
あぁあ~。みんなで笑ってすごせたらね。なんて幸せだろう。
むじゃきな子供の心をずっともてたらね。苦悩もなかろうに。

覚悟など、すぐに崩れてしまう。もろいものだな。(苦笑)

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