ある記憶

遥か遠くにいってしまった記憶たち

あけおめ雑感

2008-01-02 22:53:25 | 
ついに2008年が始まりました。あけましておめでとうございます。

除夜の鐘の音とともに元旦は実家の稲荷神社に参拝に行きました。年末にかけてかなり積雪があり、元旦も粉雪が舞い散っておりました。
僕の街にも汽車のローカル線が通っており、参拝に向かう途中、必ず駅前を通ります。地元のボランティアや商工会議所などがお金を出し合い、クリスマスから新年まで「光のページェント」という光のイルミネーションを提供しておりました。駅前の通りにある数十本の木々に飾られた電光は、青と黄色の点滅を朝まで繰り返しとても幻想的なきれいさで通る人々の心を和ませてくれているようです。
地元に残る僕らの世代の人たちも「村おこし」に汗かいてるんだなと多少後ろめたい様なあり難い様な微妙な気持ちになりました。僕のできることといったら「ふるさと納税」くらいか。まじめに考えよう。

ここ最近は欠かさず地元にあるこの小さな神社にお参りに行きます。10年ほどご無沙汰していた時期を除いて、子供の頃から毎年ここに参拝に行くのが習慣となっています。神前にて鈴を鳴らしお賽銭やお米をお供えし今年一年の無病息災や招客招福などを祈願しました。神への信仰というよりも、自分への戒めと思い手を合わせています。それはそれで良いのでしょう。

精進の甲斐があってか今年はおみくじで「大吉」を引きました。僕にはもったいないので、家で留守番をしていた母の代わりに引いてきたんだと言い、母のくじにしました。信心深い母は喜んで財布にしまいこみ大変感謝していました。これくらいなら神様も見逃してくれるでしょうか。ねずみ年に因んだ御札も買って神棚に飾ってきました。

初夢見ました。何者かに、何事かに「追われる」、そんな相変わらずの夢でした。考えれば今年も多難な年であると思っています。やらねばならぬことばかりが眼前にうず高く積み重なっています。僕は昔から逆境であればあるほど強さを発揮するタイプなので、心のファインティングポーズがしおれない限り、どんな難事に直面しても必ず突破して行く。多分、今年もそうでしょう。しかしこんな夢を見るなんて、合いも変わらず「いっぱいいっぱい」の人生を、僕は生きてるんだろうな。

母も父ももう70代の後半に差し掛かっている。いつの間にか随分と年老いたもんだ。まだ両方ともかくしゃくとして元気であるのが何よりの幸いである。しかし時は峻厳で誰に対しても平等であろう。限られた時間をどう使うか誰も自由である。
母が古いアルバムを持ち出してきた。今は無き祖母のアルバムらしい。祖母の若くて可憐な乙女だった頃の写真を初めてみた。僕の知っている祖母は、もう初老の祖母だった。祖父と結納した頃に二人でとった写真もみた。セピア色の色あせた写真だったが、とても輝いて見えた。母や父の青年期の写真や僕の赤子の頃から小学や中学に入った頃の写真も出てきた。みんなみんなセピア色だ。あれから長い時間が過ぎてるんだ。当たり前のことだが、何かしんみりとしてしまう。

人との絆を大切にしたい。

「自分を愛せない人は他人も愛せない」
確かに僕は自分を大切にしてこなかったし、いつからか家族ともそして人と常に一定の距離感を保って生きてきた。
学生の頃はいっぱしに「自己否定」などを信条とし、理念に走っていた。
自分を心から愛せる時は来るのかどうかわからないけれど、少しは自分を肯定してあげられるようになりたいと思う。
投げやりにならないこと、何事かに代償を求め自分自身から目を背けることを止めること。
であれば、人との本当の絆を築けるような気がする。


新年早々暗そうな話ばかりですが、これでも実は「やる気満々」なんですよ。

ブログランキング・にほんブログ村へ