ある記憶

遥か遠くにいってしまった記憶たち

今の僕の目線

2010-03-20 09:25:46 | 
今日から3日間すべての物事から解放され、
僕だけの時間があると思うと嬉しい。

朝洗濯を終え春の陽気に誘われて近くの公園でこうしています。
小鳥が囀る、日差しが暖かい。空気が澄んでいる。
噴水の水の音。桜や花々の蕾。風が涼やか。
何もかもが優しい。

いい日だね。
これが永遠であればいいのに。

僕はいわば「戦士」だ。
もちろん血をながしたりはしないが、多分戦士。
何と戦っているのだろう。
仕事?人間は?時間?自分?生活?人生?・・・

漠とした何ものかと常に戦っている。

だから、こんな日はとても安らいだ幸せな気分になれるのかも知れません。


歩いていると自分の目でみている景色、花や木々や水の流れやそんなもの全部が、
時間を失ったような不思議な感覚に襲われる瞬間があります。
まるで魂が抜けたように目を通じて網膜に映し出された画像だけを眺めている。脱け殻の感触。

それにしてもいい日だ。
何かよいことがあるに違いありません。

有楽町ガード下の安らぎ

2010-03-16 22:16:13 | 
東京駅の真ん前にある「新丸ビル」から日暮れの丸の内界隈を有楽町方面へと歩きました。

古いビルと新しいビルが整然と混在するこの一帯は日本のビジネスの中心街です。
よく〝三菱村〟と言われる一帯もありますが他にも由緒ある伝統的な大企業のビルがたくさん屹立してあります。

日も暮れたビルの谷間を歩くと道の両側にはバーバリーやアルマーニなどのブランドショップが軒を連ねます。
会社帰りのOLさんでしょうか不況もそっちのけで度のお店も賑わっています。

こんな街で仕事できる人たちが何となく羨ましくなります。

有楽町のJR駅前につきました。
このまま銀座方面へ行き日比谷線に乗りこもうかと思っていましたが、
何となく有楽町の〝ガード下〟に後ろ髪をひかれる思いがして、
知らず知らず今来た道を戻っていました。

いやぁ、久しぶりだなぁ…

ガード下に続く道とそこから分かれる横丁。
見物することひとしきり、とある焼鳥屋さんの暖簾をくぐっていました。

焼き鳥セットと生ビールを注文しました。
すでにサラリーマンの皆さんでカウンターもテーブル席も半分以上埋まっていました。

次に熱燗2合とホッケ焼を頼みました。

新橋でも渋谷でも新宿でもない独特の雰囲気が有楽町にはあります。
その空気を吸いながらほろ酔い気分で帰宅しました。

JRの窓に映る景色がなぜか郷愁を誘います。
初めてこの景色をみたのはいつの頃だったろう…

目黒駅からいつものように路線バスで少しばかり揺られて僕の住む街に至ります。

さっきまで有楽町にいたなんてまるで嘘のようです。

無念無想 … 財布も

2010-03-15 21:08:26 | 
最近、やたらと「経営問題」が多いんです。

それで土日の過ごし方に話が及びました。
ストレスの多い日々、土日はリラックスして過ごしたいもの。

けれどどうしても頭の中から問題が離れません。


みなスポーツしたり趣味に没頭したりして工夫をしているようです。
旅行や近場にハイキングなんかもいいです。
何しろ土日くらいは会社のことを忘れたいというのが人情ですよね。


    無念無想


これってなかなか達することのできない領域です。

無念無想とは。
いっさいの妄念を離れた無心のさま。
あらゆる雑念がなくなり心が透明になるさま。
仏教で無我の境地に入りすべての想念から離れること。

英語では「be free from all distracting thoughts 」だそうです。


パチンコをしている時にこの無念無想になれるという同僚がいます。
あのじゃらじゃらうるさい喧騒の中でひたすら銀玉を打つことで無我の境地に至る。
凄い集中力だなと感心します。
よく「雑踏の中の孤独」等と言いますが実はそんな逆説ってあるのかもしれませんね。


それはそれで人それぞれだからいいのですが、彼曰く、無念無想はいいけれど…

  「財布の中身もいつの間にか〝無念無想〟…」


だそうで、これじゃやたまりませんね。
無念無想のコスト高過ぎます。


最近のパチンコはとってもハイリスクハイリターンらしく1回当たりの無念無想に、
最低2~3万円の〝無念無想〟を覚悟しなくてはならないとか。。。。


昔は2~3千円もあれば1時間くらいは遊べたのにずいぶんと様変わりしたんですね。



大宇宙の法則の前で僕らは

2010-03-14 09:46:47 | 

こんな朝のマラソンはとっても気持ちがよい。
少し肌寒かった先週から今日は春のまろやかな空気に変わっている。
早咲きの桜が咲いているのを見ました。


走りながら今日考えたこと。

大宇宙の法則、地球の法則、国ごとの法則、そして僕ら個人の法則。
大きいものから小さいものへ、小さいものから大きいものへ。
何らかの力で結びついているのだろう。
僕には計り知れない。

宇宙を理解することはできない。
多分僕らの時間からすると無限といってもよいし、
どんな構造でどんな動きをしているのか。その法則など知る由もない。
けれども地球も、世界も、日本も僕らもその一部に過ぎないのだろう。

地球という1個の星に限ってみても僕らには無限に感じる。
過去何億年、これからも数億年という単位で続くのでしょう。

それではこの星に無数に点在する世界は、日本はとなると少しは実感がわく。
無限から有限という感覚。それでも僕らの時間からは遠く隔絶されている。

僕らの一生という時間はせいぜい80年くらいでしょうか。
僕らを貫く法則は「生まれた途端に死に向かっている」こと。
そして「生のバトンタッチ」をするために新たな生を生殖により作り出すことを宿命とされていること。

生と死の連鎖。

そんなことを僕らの日常はほとんど意識させません。
それぞれが喜怒哀楽しながら好きに生きているのでしょう。
それでいいのだと思います。

自分たちは日々死に向かって生きていることを自覚して生きることは多くの人にとって辛い。
それを乗り越えて達観、開眼した人はより良い生を生きられるのかもしれませんが、
そんなことは一部の人が可能なことであって一般化はできません。

多くの人はうすうす気が付きながらどうにもならない死の現実を目先の享楽や瑣事の連続の中で意識下に置くことによりかろうじて生きている。
僕もそのひとりです。

出家する、洗礼を受ける。
宗教に入信することで苦悩から解放されるというのも一つの道でしょう。
僕はそんなきもちはさらさらない。

こんなことで僕らが生の修羅場でもがいていても、
日本や世界は、何にも変わらないし、何も影響を受けないのだろう。
ましてや地球、大宇宙は微動だにしない。

しかしながらそんな大宇宙でも芥子粒にも満たない僕らのような存在の無限の寄せ集めなんだろうと想像していました。

何ともむなしい循環的な思考。
こんなことを考えていました。

こんな春麗な空気の中で変な奴だよねまったく…


カニ鍋、焼牡蠣、アユの塩焼き 美味かった!

2010-03-13 21:20:18 | 
渋谷神南のNHKに行ってきました。
春を感じさせる陽気、空は真っ青でとっても気持ちのよい日。

NHKの並木通りで全国農業食の祭典が行われていました。

 ふるさとの食 にっぽんの食





全国津々浦々から自慢の食材を持ち寄り来客を喜ばせていました。
東北各県からも来ていましたが僕はそれ以外のお店を中心に物色して歩きました。

北海道のカニ鍋。これは温まりました。
お椀にてんこ盛りの毛ガニを味噌でぐつぐつ煮込みます。
出汁がしっかりしみ込みこれは美味しかった!




広島の焼牡蠣も絶品!
殻付きの牡蠣をその場で炭で焼いてくれます。
5個ワンセットで3百円だったかな。
アツアツの牡蠣をふーふー吹いて食する。美味い!




これはどこだったかな… アユの塩焼きです。
これも新鮮なアユをその場で焼きます。

当然、「ま~いうぅ~♪」


そしてデザートはこれ。



佐賀県のいちご、その名も〝ほのか〟。
甘くて美味しいぃ~~~

栃乙女とはまた違ったさっぱりとした甘さがいいです。

里香ちゃんとタイアップ!


お国自慢の食材にひとしきり舌鼓を打った後、
渋谷を久しぶりにぶらぶらしました。

あ、もひとつの目的だったホワイトデー対策もぬかりなく。
いつも行く西武の地下1階のスイーツ関係の売り場が縮小されていました。
ここはとっても良い穴場だったんですが、、、

リュックサックに入りきれないほど買っちゃいました。
余ったら自分で始末します。
今回は結構きばりましたよ。


「田酒」のこと

2010-03-12 23:04:36 | 

青森の地酒「田酒」。〝幻の酒〟と言われるだけあり置いているお店は少ない。
まろやかでふくらみがあり滋味豊富でそのくせすっきりさっぱりしている。
不思議な日本酒です。

滋味口福
美酒延命

こんなキャッチコピーも嘘ではありません。
醸造アルコールを一切使っていません。もちろん手造り。
山廃仕込み。


青森の代表選手に決めました。

僕は日本酒が大好きです。
何をおいても地元の浦霞、一の蔵です。
お隣山形の樽平、住吉。秋田は高清水。岩手は南部美人。
残念ながら福島は知りません。

ようやく青森に出会えました。


今期最後の月も早半ばに差し掛かり残りの時間を全力疾走しよう!
そして美味しいお酒を飲みましょう。
田酒、飲みたい人は一声かけてください。



実はこんな趣旨のつまらない話を会社のミィーティングでいたしました。
みんなキョトンとしてました。


今日はもしかしてプレホワイトデーだったんでしょうか。
14日がそうなのですが会社的には今日がその日だったのでは…
僕は休みに仕込んで15日に配ろうかなどと考えていたわけです。
失敗しちゃったなぁ…

暗唱して言える詩

2010-03-11 22:35:09 | 

ふるさとはとおくにありておもうもの
そしてかなしくうたうもの
よしやいどのかたいとなるとても
かえるところにあるまじや

ひとりみやこのゆうぐれに
ふるさとおもいなみだする

そのこころもて
とおきみやこにかえらばや
とおきみやこにかえらばや



室生犀星の小景異情のなかにある節です。

子供の頃に見た近所の景色や空気、洟垂れ小僧や近所の恐い爺さんといった登場人物。
ふるさとに行ったとしてももう二度と出逢うことはないのです。

ふるさとは僕らの心の中にしかありません。


それが本当の「ふるさと」なんでしょう。
ですから誰にでもふるさとはあります。



犀星のこの詩をお風呂場で声に出して読み上げました。
遠いあの頃が思い出されました。


父や母の音信、本家の伯父さんの病状、地元の同級生の訃報、、、
雪が降ったとか降らないとか、、、
どれもが僕のふるさとの「残像」のように感じてしまう。


どこへ行っても引っ込み思案だった。
自分の家に帰りたくって仕方なかった。
祖母の袖を引っ張った。帰ろう…って。

弱い体質で日にあたると皮膚に蕁麻疹のようなものができた。

僕の心にあるふるさとは決まってそんなことを想起させます。

静かに煮詰まりつつあり…

2010-03-10 22:34:13 | 
静かに、煮詰まりつつあるような…

気のせいであればよいのですが。


僕には周期があった。
約5年。

確かに。

5年ごとに変化が起きました。
けれどもう10年たっています。


いや、5年かもしれません。
変化をどう考えるかですがよく考えるとやはり5年が正確なカウント。

不思議なのは「劇的」という感じがしません。
今回は〝静かに煮詰まる〟という感覚。

何が変化なのかもよくわからないまま、
静かに、静かにどこかへ向かおうとしているような、
そう、
ぽつねんと乗った小舟が、
深い霧の湖面を
ゆっくり流されていく。
そのような寂寥感…


変化でもなんでもないのかもしれません。
過去の周期だって当てにならない思い込みだったかもしれません。


きのうある業者のお偉いさんとお酒を飲みました。

その方がおっしゃっていた「絆」という言葉が妙に心に残っています。


きっとみな絆を求めている。
そうに違いないと思いました。


僕は意外と元気です。


再読 乱読

2010-03-06 23:38:59 | 
ここのところ時間があれば本を読んでいます。
じっくり味わうというのではなく、ただ〝むさぼる〟というような読み方。

昔読んだと思われる本、書店に積まれていた本。
BOOK OFFで買った本もあります。また5冊100円で買った本もあります。


「片眼の猿」(道尾秀介)
「パレード」(吉田修一)
「パーク・ライフ」(吉田修一)
「どちらが彼女を殺したか」(東野圭吾)
「禅、シンプル生活のすすめ」(桝野俊明)
「仮面の告白」(三島由紀夫)
「津軽」(太宰治)
「或阿呆の一生・歯車」(芥川龍之介)


珍しく「オール読物」〝直木賞作家大特集〟まで買いました。


なにか本を読んでいないと落ち着かない。


結局、実家には戻りません。
電話は何度もしています。
母は元気そうです。今日は外泊から再び病院に戻ったそうです。


子は親離れを、親は子離れを。
親は子を頼るな、子は親を頼るな。
肉親であっても兄弟であってもみな一個の人格を持った独立した存在。
であるなら誰も誰かに依存せず自立して生きるべきだ。
自分の人生なのだから自分の人生らしく生きろ。

20才過ぎたあたりから僕はこうした観念に囚われ長らくそうした生き方を貫いてきました。

今はそうでもないのですが未だ根底にこんな観念が底流している気がしてなりません。
抵抗があるのです。
あまりに青臭くて、現実を無視し、結局〝独りよがり〟のこんな無責任な姿勢を捨てきれないでいます。


どんどんみじめな人間に落ちていくな…


白石一文という作家の「僕の中の壊れていない部分」という小説を今読んでいます。
面白い長編小説です。もうなんでもいい乱読です。



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覚えねばならない

2010-03-05 21:25:49 | 
法律や規則ができるたびにそれを理解し覚えねばならない。
そして仕事の実践に適用せねばならない。
そのために議論し計画をたて仕組みをつくり人を教育し訓練をし、
とめどない労力と時間とお金をかける。

これも仕事。

あぁ、政治家よ官僚よ。
無駄なものをもう作ってくれるな。

企業は君らのために疲弊し活力をなくし、
もうくたくたなんだ。


規律と罰は厳密、厳格でいいけれど、
のびのびと自由に活動できる環境の提供こそが大切で、
本末転倒はいけない。


今日も遅くなりそうだな。
さっき実家に電話したら弟が帰ってました。
検査が一通り終わり母も日曜まで外泊を許されて、
みなと一緒におり少しばかり話をしました。
元気そうでしたが、
「手術はおっかねぇなぁ」
と言ってました。

今日はのんびりできるようです。

母が入院する

2010-03-03 18:50:58 | 
田舎にいる母親が地元の町立病院に入院します。

ずっと放置していた胆石が胆嚢を切除するまで悪影響を及ぼしているのだと言います。
今日から検査入院し手術は来週初とのことですが、
随分と検査に時間がかかるのが気になります。
他にも何か精密に調べることがあるのでしょうか。

この際だから徹底的に調べてもらうことに越したことはありません。
それにしても心配です。


実家は年老いた夫婦二人きりなので、
母が入院している間、父親はどうしているのだろう。そちらの方がもっと気になります。

やりなれない家事やなにやらで事故でも起こさなければいいけれど・・・
週末から妹が帰省するようです。
弟も帰ると言っていました。

僕はと言えば、
「死ぬや生きるやの瀬戸際でもあるまいし、大げさだ」
なんて強がってはみたものの、
本当はね、顔を見せるくらいはしたいんだけれど、
素直じゃないなぁ。


母ちゃんがんばれよ。
父ちゃんもこんな時こそしっかりしろよ。

馬鹿息子に言われたくないよね・・・(苦笑)



右手と左手

2010-03-01 21:45:29 | 
ごしごしごしごし。


右手が左手を洗っています。
右手がきき腕なのでタオルを石鹸で泡立てた後、
ごく自然に右手が左手を洗っています。

右手はお兄さんだなぁ。
腕っ節が太く逞しい仕草で左手を洗います。
いかにもか細く見える左手は頼りない弟のように思えてきました。

やがて弟のような左手は右手からタオルを受け取り、
左手の持ち場とも言える体の右半分を洗い始めました。

ちゃんと洗えているのかどうも心配です。
右手に比べると明らかに力強さに欠けます。
それでも左手は一生懸命にごしごし洗い続けます。

見かねた兄たる右手は左手からタオルを再び取り上げて、
今度は左半分ばかりか体の右側も洗い始めました。

「あんちゃん、ありがとうね」

弟はそう呟きました。

「いいんだ。もう少し大人になったらあんちゃんみたいにしっかりすればいい」

兄は優しいまなざしで弟を見つめています。
凛として仕事をするさまは左手にはとっても誇らしく見えました。


なんてことを想像しながらお風呂で体を洗っていました。
こんな物語を思うなんてとても不思議な気分です。


右手の指とと左手指を握り合わせた時に親指が上に来るほうがきき腕だといいます。
また、腕を組んだ時に上に来るのもきき腕だそうです。



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