ある記憶

遥か遠くにいってしまった記憶たち

こんな生活が

2008-01-03 22:50:53 | 
こんな生活できたらいいなといつの頃からか思い始めている。

朝6時起床。さっと顔を洗いみっちり柔軟体操と簡単な筋トレを行う。
体が程よく温まった頃、ランニングに出かける。5キロ位走る。

午前9時帰宅。シャワーを浴び汗を流す。まずはホットコーヒーでひと息。
朝刊に目を通しながらやや遅い朝食をとる。朝は野菜ジュースとトーストで軽く。

午前10時~午後1時。書斎に入り読書三昧。午前中は主に哲学書を熟読する。
多分、ヘーゲル、キルケゴール、マルクスなどの再読。経済学でもよし。

午後1時~3時。昼食。そばとかスパゲッティなど麺類で。ちょいと昼寝。

午後3時~6時。古今東西の文学書を耽読。円地文子訳源氏物語。トルストイの「アンナカレーニナ」やランボーの詩集もいい。時間があれば白樺派の作品も一度は読んでみたいと思う。

午後6時~8時。ゆっくりお風呂タイム。サウナで寝転んで推理小説をつらつらと。漫画本でもOK。

8時~10時。好きな音楽を聴きながら煮魚とか煮込みをツマに熱燗をちびりちびり。洋楽だったり邦楽だったりその時の気分で。例えば今なら竹内まりあが聞きたい気分。

10時~11時。ネットを巡回。日記などを記す。

11時~  好きな女に寝物語を語って聞かせ、抱きながら安らかに就寝・・・


「仕事」がどこにも出てこない。そう、仕事などしない生活。
体を鍛えること。知識欲を満たすこと。そしてお酒と女を少々。それだけの生活。
お金も、贅沢な食事も何もいらない。

暖かい南国の海の近くがいい。安いお魚が手に入るところ。住居は静かな書斎とサウナ付きの広いお風呂があれば他は文句は言わない。テレビはことによったら要らない。新聞、ネット、ラジヲがあればよい。小さな畑で野菜を作るくらいはやろうか。

あと10年も経てばそんな時が来るであろうか・・・

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ふるさと

2008-01-03 09:04:46 | 
僕のふるさとは典型的な日本の田舎だ。僕が通っていた大学のある地方都市から、車で1時間半、汽車を3回乗り継いで約2時間かかる片田舎である。
高校でさえローカル線を乗り継いで1時間ほどかかった。海沿いの県内2番目の別の地方都市であった。
今回の帰省も汽車を3回乗り継いで、相当な時間がかかった。
お米以外、これといった特産物も無い。僕の実家も米農家を営んでいるが、老夫婦2人しかおらず、農作業は地元の農協に委託しているという。
高度経済成長期以来、街から若い働き手は都市に吸収され、年年歳歳、減少していった。農家は例に漏れず「超」高齢化している。
まさしく僕もその張本人で、本来ならば家業を継ぐべき立場にいる。けれども今更どうしろというのだ。もう、どうにもならず、ただ成り行きに任せているというのが本音だ。
高校にも大学にも行かず世間から目を閉ざしたならもしかすると僕も素直に家業を継ぎ、いち農民として生涯を全うしたのかも知れない。それが両親の望むところだったのだろうか。けれども、僕はそれと真っ向から反対の道を選択して今に至っている。親不幸者である。
僕には弟がおりいまだ独身で塾の仕事をしながら気楽に過ごしているようだ。
僕は、田畑も財産も何も要らない。お前にやると弟に諭すことがある。これも勝手な話だが、どうも弟にもその気は無いようだ。僕に遠慮しているのか、それともやはり農家は肌に合わないのだろうか・・・。一度、都市の生活を知ってしまうとちょっとやそっとで田舎暮らしに戻れない。ましてや日本の農家は経済的にも割に合わなくなっている。逆に、経済的に満たされている都会人が、自然回帰の指向から田舎暮らしを始めることが流行しているらしい。そういう当を捜そうか・・・。ご先祖様に申し訳が立たないね、そんなことをしたら。
ふるさとは実は心底ほっとする場所でもある。けれど今獲得している仕事や住空間の環境からは遠い「桃源郷」のような存在でしかない。そこに酔ってしまうと何もかもを捨てることになる。両者を満たす並存の道は多分、ない・・・。
ともあれ、この「都市・農村問題」が目下の潜在的な僕の悩みである。

そろそろ会社へ向かおうか。形式上は本日までお休みなのだが、仕事柄元旦を除いて会社では出勤してがんばっている社員がいる。僕は、そうした現場ではないのだけれど、今日あたりから助走を付けていかないと、年初の課題に追いつけそうも無い。気持ちだけでも「会社モード」にシンクロしないと一歩も二歩も出遅れてしまいそうだ。当部署の部下の仕事の段取りなども考えねばならない。休日明けは多分、僕以上に気が重いのだろうから、スムーズに移行できるように・・・。

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