ある記憶

遥か遠くにいってしまった記憶たち

情けの自転車操業

2010-05-31 21:52:27 | 
熱い風呂からあがり狭いベランダで汗ばむ肌を乾かす。
この時期にしては少し肌寒い大気がひんやりして気持ちがいい。

遠くに今さっきまでそこにいたビルが見える。
積み木のように小さいビルは浩々と光を放っている。不夜城だ。
数年前に大きなマンションが建ったためにすぐそばに見えていた東京タワーが、
今はこの場所からは見えなくなった。これはとっても残念。

タバコに火をつけながら明滅する夜景を眺めている。
光の数だけ人生がありドラマが繰り広げられるのだろう。
描かれたシナリオの主人公はみなそこにいる一人ひとり。脇役なんていない。


  情けの自転車操業。


こんなおかしな言葉が心に浮かんだ。
自分のこと。

情けをもらい続けないと前に進めない。
まさに〝自転車操業〟と言うわけか。

それで僕は誰かの自転車操業に手を貸しているのか。

借りっぱなしで手を貸すどころではない。
返すことすらままならないのに…。


そうだ。
情けは借りっぱなしでいいのだろう。
その代わり、その人に返さなくても、違う誰かに今度はいっぱい貸してやろう。
もう借りる年齢ではない。くれてやるつもりでいっぱい貸してやれ。
返してもらおうなどと思うな。


お金の話ではなく情けの話です。




堂々巡り

2010-05-29 21:16:36 | 

今年の夏は冷夏になるといわれています。でも僕らの夏は猛暑にしなくてはいけない。
ここにいる一人ひとりが根底から燃え上がることによって僕らの目標を絶対に達成しよう。


こんなことを皆の前でアジテーションし気勢を上げた。
拡大会議の場でのことです。

これもまた僕なのです。


このブログを読んだ方は僕についてどのようなイメージを持つでしょう。
多分これらを書き記している僕と現実社会での僕とは見え方に大きな開きがあると思う。
ブログの中の僕。ドアを一歩外に出た後の僕。どっちが本当の僕なのか。

答えはどちらも僕でありどちらも僕でない。

どちらも僕でない??
こちらが答えだとするととても厄介な気がする。

ブログの中の僕。
ドアを一歩外に出た後の僕。
どちらでもない僕…


実は外にいる時の自分はそんなに嫌いではない。
自己犠牲的でありとても誠実だ。皆のことを思いやる。
リーダーシップもあり責任感もある。仕事はできるほうだろう。
しかし頑張り過ぎる。自分のために生きていない。
自分を見失いそうになる。それがとても心配になり救いが欲しかった。
そうしてブログの中に自分を求めた。これが本当の僕かもしれないと。

ブログの中の僕は陰気だ。厭世的だ。
甘えてばかりいる。真面目なようで真面目でない。
妙な理想主義者。現実逃避の願望が沸々と見える…


どちらでもない。としたら。


どこに僕はいるのだろう。。。。
こういっている僕は何者??


最近むさぼるように今さら本を読み耽っているのも答えが欲しいからだろうか。
誰かがどこかに書いてある何かに本当の僕が潜んでいるような気がして。
自分で捜しあてることを放棄しているようだ。


とても息苦しいことを書いていますね。


すっとぼけてどうせ外面のいい僕にすぐに戻る癖に…

外にいる時の僕はなんて元気がよく逞しいのだろう。笑えます。


僕の、僕が、僕を、僕に、  僕

2010-05-28 22:17:31 | 
僕がしたいこと。

僕が生きている意味。

僕が今ここにいること。

僕が考えていること。

僕が息をしていること。

僕がぼんやり思う人。

僕のこれから。

僕の今まで。

僕にとっての時間と空間。

僕に残された何か。

僕に心を寄せる人。

僕の頭の中の思考能力や記憶力。

僕の目が少しずつ衰えている事実。

僕の心の重さ。

僕から離れて行った数々の人。

僕が捨てたいっぱい。

僕を生じさせた母や父。

僕の好きな花。空。自然。

僕の限りある…


僕の、僕が、僕を、僕に、  僕

梶井基次郎を読み始め

2010-05-26 21:31:26 | 
少し気になっていた作家です。

31歳という短い生涯。
20作の短編を残しました。

濃度がとても高過ぎてなかなか前に進めない。


ようやく『冬の蠅』を読み終わりました。

何が彼をこんなに〝疲労〟させてしまったんだろう。
このような種類の〝疲労〟、今は少なくなっているような気がする。

生きるということに真剣だった。

不思議な時間と空間の違和感

2010-05-23 21:22:39 | 


六国峠の天園茶屋から遠く七里ガ浜の海岸線が見える。

翌日の、すなわち今日の早朝、そこに僕はいた。
6時前だというのに散歩している人がいた。

砂浜に沿って走っていた。

そしてずっと昔の暑い夏にも確かに僕はここにいたはずだ。
この砂浜はこんなだったっけ。
オフシーズンしかも早朝で曇天。
あまりにもシチュエーションが違いすぎる。

時の流れ、空間の違い。
心象風景はその時その場所だけのもの。
もうここには何もない。





 不意に鎌倉・湘南・江ノ島

〝鎌倉アルプス〟制覇計画…

2010-05-23 16:53:35 | 
そもそも今回の計画は書店で立ち読みした旅の雑誌が発端でした。
その雑誌のタイトルも忘れいざ購入しようと書店に行った時にはすでに遅く、
その雑誌があったにしろ〝前月号〟になっていたようで、見付けることができませんでした…

紹介されていた内容はこうです。
横浜と大船を結ぶJR根岸線の「洋光台」か「港南台」から山を二つばかり越えて鎌倉の鶴岡八幡宮の裏手に出るコースが詳細に記してありました。
これはチャレンジしがいがあるなと思いましたがその時は実行に移そうなどとは思いませんでした。

そして今週、突然思い立ち実行に移そうとしたのです!
が、時すでに遅し…。
仕方なく「交通新聞社」から出ていた「散歩の達人~日帰り山散歩」というのを買いそちらに従ったというわけです。




START:北鎌倉駅→建長寺→半僧坊→(登山道)→大平山山頂→(登山道)→瑞泉寺
→鎌倉宮→杉本寺→GOAL:鶴岡八幡宮

約3時間半のコースです。


もっともきついのは序盤の建長寺から半僧坊に行く急な石段。
約250段あるといわれています。
ここの境内のまわりには大天狗やカラス天狗の石像が無数にありました。



大平山の山頂付近です。
天園峠または六国峠と呼ばれる付近には茶屋が2件あり、
こちらは「天園峠の茶屋」(まんまw)です。
昼ごろでもあり老若男女のハイカーでにぎわっていました。



ここからはほぼ下りです。
上りもきついが下りは足元が大変。
段差がきついので足首や関節を痛めそう…

しかし鎌倉時代にはこんなけもの道を武将達が行きかっていたのですね。
源頼朝はだからこそここに幕府を開きまもりを固めた。
天然自然の要塞ができたのです。
いいところを見つけましたね。

などと考えながらなんとか下界に到着し「鎌倉宮」でひと休みしました。
トップの写真はこの神社にある〝身代り人形〟…
人形に願いを書き込みお供えすると叶うのだそうです。
何を願ったかは秘密です…



杉本寺の苔むした石段。
これは相当有名です。
このお寺は相当由緒があるらしく境内には皇后さま、皇太子殿下がまだだいぶ若い頃
いらっしゃった時の写真がいっぱい飾ってありました。
皇太子殿下は学生時代にもいらっしゃった(その時の写真もありました)。

鎌倉は何しろお寺や神社が多い。
皆それぞれ存在理由があり歴史があります。
それをひとつひとつ紐ときながら見て歩くのも楽しいかもしれませんね。
ただどれも『拝観料』をとられるのでこれ、何とかしてほしいものです。
ちなみに建長寺は300円、杉本寺は200円、…でした。
相場は2~3百円という感じですね。


最後に、鶴岡八幡宮の倒れたイチョウの切り株です。
1千年を誇った大木が昨年、時ならぬ強風により倒壊いたしました。
その切り株が八幡宮のふもとに祭ってありました。




鎌倉はいつ来てもいいところだ。
本日は雨でさっさと帰ってきましたが土曜は真夏のような好天に恵まれました。
もっともっといろんなことをしたんですがこの辺で終わります。

今朝は早起きして雨の降る前にこの辺を走ってきました。
七里ガ浜の海岸を江ノ電の極楽寺まで行き大仏様、近代文学館の辺りを通りました。
場所を変えて走るのもとってもいいもんだと最近思っています。
旅先の匂いや生活感が肌で感じ取られ良い思い出になります。
それになんといっても朝飯がうまい!!

鎌倉よ、また来るからな。





 つくえのうえ 

2010-05-17 22:21:28 | 

今の僕の机の上。

山田と上田がにらんでいる…

そうTORICKをみてきたんです。

霊能者バトルロイヤル。


山田家秘伝の大奇術 虎の巻まで買ってしまい…
6種類の〝秘伝〟が詰まっていました。

うち3つぐらい試してみました。鍛錬すれば山田直子並にはいけるかも。。。


5月 碑文谷公園のバラが真っ盛り!

2010-05-16 21:22:18 | 
毎度の碑文谷公園です。
初夏の陽気に多数の家族連れや恋人たちが碑文谷池でボートを漕いでいました。
幸せでほほえましい光景がいっぱい見られました。
池では亀が甲羅干し。鯉も元気に泳いでいました。

そして今回はなんといってもバラです。
ここのバラは今が真っ盛りです。







黄色、赤、ピンク、白、クリーム、、
こんなにいろんな種類のバラがあるのですね。
ひとつひとつにみな名前が付いているのですが覚えきれません。
「プリンセスミチコ」ていうのもありました。
皇后さまのご成婚の時にフランスから贈られたとか…









どれもよく見ると本当に贅沢な花ですね。
バラは花の王様かもしれません。

早朝にはマラソンをしましたが目黒の住宅地では庭先や塀越しにバラをよく見かけます。
バラに限らずお花を奇麗に育てているお家が多いのですが、
特にバラはよく手入れをして奇麗に咲かせています。

蕾も多かったようですからまだまだこれからが見ごろなようです。




白バラを見るとナチスドイツに抵抗した学生たちを描いた「白バラは死なず」をふと思い出します。
反戦と平和の象徴です。白バラ。

今ではずっとずっと昔のお話です。


母をおもふ 2

2010-05-09 09:26:28 | 
母をおもふ …

経験した事実の中の母。すでにセピア色に消えかけている。
「母」と言われ僕の中でイメージされる母。願望としての母??

過去と現在とイメージが入り混じりながら、
僕が「母」を思う時、決まって心に浮かび口ずさむ歌の数々。
やはり童謡は強い。



かあさんが 夜なべをして
手袋あんでくれた
木枯らし吹いちゃ 冷たかろうて
せっせとあんだだよ
ふるさとの便りはとどく
いろりのにおいがした


かあさんは 麻糸つむぐ
一日つむぐ
おとうは土間で わら打ち仕事
お前もがんばれよ
ふるさとの冬はさみしい
せめてラジオ聞かせたい


かあさんの あかぎれ痛い
生みそをすりこむ
根雪もとけりゃ もうすぐ春だで
畑が待ってるよ
小川のせせらぎが聞こえる
なつかしさがしみとおる
なつかしさがしみとおる


「母さんの歌」
窪田 聡 作詞/作曲





おかあさん
なあに
おかあさんて いいにおい
せんたくしていた においでしょ
しゃぼんだまの においでしょ

おかあさん
なあに
おかあさんて いいにおい
おりょうりしていた においでしょ
たまごやきの においでしょ


「おかあさん」
作詞 田中 ナナ 作曲 中田 喜直

母をおもふ

2010-05-08 10:58:36 | 
今日は母の日です。
「なんでも好きなものを買ってくれ」と、
少しばかりのお金を送りました。
簡易書留に少しばかりのお金を詰めました。


重吉よ、重吉よ… なんでもいいのです。
老母はそこに息子を感じたいだけなんです。
いるだけできっと嬉しいのです。安心するんです。





けしきが

あかるくなつてきた

母をつれて

てくてくあるきたくなつた

母はきつと

重吉よ重吉よといくどでもはなしかけてくるだろう




『貧しき信徒』より
八木重吉
明治31年~昭和2年

金色夜叉と実篤と

2010-05-05 09:54:26 | 
熱海は尾崎紅葉の「金色夜叉」の舞台となった場所です。
〝カンイチオミヤ〟など今では死語に近いでしょう。
読んだことはないのですがストーリーは今でもぼんやり覚えています。

お金と女…出世…
いつの時代も人間ドラマの中心です。

さてその対極にある人道主義、博愛主義。
ユートピアのような理想を掲げ実践しようとして挫折した人々もいます。
「美しい村」というのを知っているでしょうか。
武者小路実篤や志賀直哉らの試みでした。





85歳になった武者小路実篤は漁民一揆の先頭に起ち流刑となった若者をたたえた石像に、
このような言葉を残しました。

   無私愛人

死ぬまで理想を失わなかったのですね…
精神の巨人です。


こちらは現代。
これはこれでいいですよね。

恋人の聖地、、ということです。








5月の吊るし雛

2010-05-05 09:05:18 | 
伊豆地方には〝吊るし雛〟というのがあります。
5月になると飾り付けられます。

ため息が出るほどに見事です。




色とりどりの何百体というお雛様が千羽鶴のように飾られます。
よく見るとひとつひとつとてもかわいらしい。

多くの人の思いや願いがこもっているのでしょうね。





地方にしかこんな文化は残っておらずどんどんすたれていく一方です。
代々受け継いでいってもらいたいものですが何せ地方は受け継ぐ若者が減るばかり…

みな経済的に豊かになる権利はあります。
だからそれを求めて地方を捨てます(僕だって例外でなく!)。

中国は万博で盛り上がっています。
あの13億の民が経済的豊かさを求めて動き出しています。
多分、そうなれば地球環境はさらに悪化するでしょう。
経済発展=CO2増大の法則…
かといって彼らに「豊かになるな」とは誰も言えないはずです。
抜け出せない人類のジレンマ…。


せっかくいいものを見ていながらこんなつまらないことを考えるなんてどうかしてますね。



じんなら魚 犀星

2010-05-05 08:37:29 | 

犀星の碑を見つけました。

犀星も伊豆を愛した文人の一人でした。
ここの魚や蜜柑をこよなく好んだようです。

〝じんなら魚〟とは温泉街を流れる川に棲む魚です。


じんなら魚

伊豆伊東の温泉(いでゆ)に
じんならと云へる魚棲みけり

けむり立つ湯のなかに
己れ冷たき身を泳がし
あさ日さす水面に出でて遊びけり

人ありて問わばじんならは悲しと告げむ
己れ冷たく温泉(ゆ)はあつく
されど泳がねばならず
けぶり立つ温泉(いでゆ)のなかに棲みけり





犀星と言えば〝ふるさとは遠くにありて思うもの…〟が有名ですね。
この詩だけは早くから暗誦し親しんできました。
いまも最後まですらすら言える数少ない詩のひとつです。


この碑の目の前に川が流れています。
海が近いためこの辺は中流になるのでしょうか、小川というにはやや広めです。
また流れが速いのは海からそり立つような山々から急なこう配で水が下るからでしょう。

じんならがいるかと目を凝らしましたがとても確認できませんでした。
ただ、岸辺の浅瀬に白地に赤い斑点のある鯉が1匹日向ぼっこをしていました。
どこかの旅館で飼われていたのが何かの拍子に川に流れ出たのかもしれません。
ひとりで淋しそうでもありました。

天気が良くて清々しい朝に見つけたこの碑は心にうれしかった。





木下杢太郎にふれた

2010-05-05 07:39:00 | 
木下杢太郎。
名前だけは知っていましたが、その人の息遣いに触れたのは初めてでした。

旅行のついでに寄った伊東。海の近くにひっそりたたずむ記念館へ。
彼の生家がそのまま残っておりました。




彼の詩を一編。


むかしの仲間も遠く去れば、 また日ごろ顔あはせねば知らぬ昔と変りなきはかなさよ。
春になれば草の雨、三月桜、四月すかんぽの花のくれなゐ、
また五月には杜若(かきつばた)、花とりどり、人ちりぢりのながめ。
窓の外のいり日雲。


彼は明治、大正、昭和を生きた文学者であり画家であり医者でもありました。

与謝野鉄幹、晶子らの「明星」に参加し、北原白秋や石川啄木ら詩人との交流を深めた。
やがて「スバル」を創刊、高村光太郎らと「パンの会」を結成もした。
彼の師は森鴎外だったらしい。


訪れた時には「杢太郎の顕微鏡画」の特別展が開催されていました。
顕微鏡で見た細菌の様子を繊細な筆致で絵模様にしていました。
彼は医学者でもあり東北大学や東京大学で教授として研究に勤しんだようです。


店内には彼の手による「百花譜」も数々展示されていました。
画才豊かな彼の別の側面です。
ほとんどが横ケイの医学用便箋に描かれています。
戦時中で紙不足のためだったのでしょう。
それにしても細やかで上手でした。
これは彼のライフワークで872枚にものぼります。


彼の描いた肖像画に魅せられました。
(画像をはれなのが残念です)


こんな海辺の町からも才能というのは生まれるものかなと、
妙に感心をしてしまいました。