ある記憶

遥か遠くにいってしまった記憶たち

足乳根の母を思う

2011-08-27 12:40:07 | 
斉藤茂吉という歌人を知っていますか?
山形県の上山市に生まれ近代短歌に大きな影響を与えた人です。
かの芥川龍之介に『僕の詩歌に対する眼は誰のお世話になったものでもない。
斉藤茂吉にあけてもらったのである。』とまで言わしめたほど。

かつて山形県上山市を訪れた時に月岡公園の茂吉の歌碑を見た記憶があります。
上の写真は月岡公園から蔵王山を見晴らした風景。茂吉もこの景色をよく眺めたそうです。

たぶん僕が見た歌碑はこれではないかと思います。



 足乳根の母に連れられ川越えし田越えしこともありにけむもの


『赤光』という茂吉の歌集があります。折に触れてぱらぱらと開いたペエジを目で追う。
詩歌を正確に読み解く力は僕にはありませんが、よい歌はよい歌と読めないなりに感じることはできます。

特に胸にしみるのは母を題材に読んだ歌の数々。
その何首かは高校でも習ったような気がしますが今のように感じたかどうかは定かではありません。
母の歌は、特に「死にたもう母」として有名です。


 みちのくの母の命を一目見ん一目見んとぞただにいそげる

 死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞こゆる

 我が母よ死にたまひゆく我が母よ我を生まし乳足(ちた)らひし母よ

 のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)いて足乳根(たらちね)の母は死にたもふなり

 ひとり来て蚕(かふこ)のへやに立ちたれば我が寂しさは極まりにけり




斉藤茂吉が25歳のときの歌です。
母に対する抑え切れない思慕の念が絶唱として迸ります。

みちのく… 僕は、僕に生じるその時を思い、その時の自分の姿が二重写しに想起され、
いつも胸を締め付けられる思いに駆られます。とても苦しくなります。
それくらいこの歌はリアリティがあります。つらい歌です。


人はみな母親から生まれてきます。当たり前ですが父親ではないんだなと思う。
どんな時でも自らの分身として子を思うのは母に違いない。そうしてそのことをいつの時点でか子は気がつく。
いや、心の奥底では誰しも知らぬうちに気がついているのかもしれません。
気がついているくせに知らんふりをしている。僕もそうなのだと思います。
そういうことを赤裸々に否応に表に引っ張りだす強烈な力を持った茂吉の歌です。


今日も母から電話がありました。そう、毎週のように土曜日には電話が入ります。
何の用事もないのに電話を掛けてきます。用もない電話に今日は少し長めに付き合ってやりました。
結局、今年の盆も実家には帰れませんでした。
「今度はいつ来るの」「忙しくて帰れないよ」「んだな。仕事忙しいんだろ」「・・・・」「無理しないでな」
こんな会話でいつも終わります。
とても心が痛む。

 みちのくの母の命を一目見ん一目見んとぞただにいそげる

この時が来ないことを祈りながら…