ある記憶

遥か遠くにいってしまった記憶たち

三島由紀夫と全共闘

2008-01-26 09:47:22 | 
1960年代後半から70年に向かう過程で、全国の大学という大学に吹き荒れた全共闘(全学共闘会議)運動。いままさに、定年を迎えつつある団塊世代と言われるおじさん、おばさんたちが、社会変革を夢見て活動し、そして挫折した変革運動の総称だ。
当時学生だった者たちの、多分、二人に一人は何らかの係わり合いを持ったのではないか。そして、その宴の終わりと共に、高度経済成長がピークを迎え、バブル経済と失われた10年、更にミレニアムと続く中に、社会変革を夢見た彼ら彼女らは、静かに息づいていたはず。
このような日本になったことの、一抹の責任はそうした団塊世代に無いとはいえない。良い意味でも悪い意味でもそう思う。

しかし、今の日本や今後の日本に、もはやあのように真摯で熱狂的で、しかも行動的な運動は、二度と起こらないだろうね。いま学園に集う若者は、すっかり飼いならされ、拝金主義や出世主義にまみれ、正義や義憤というものを忘れ、刹那的なSEXや個人主義にはけ口を求める。
実は、そんな状況を作ったのも、当の団塊世代のおじさん、おばさんであることを忘れてはならない。

さて、そんな愚痴っぽい話はさておいてと。

そんな全共闘運動の嵐が吹き荒れピークに達した1969年の5月13日、超満員となった東大教養学部で、三島由紀夫と全共闘の討論会が開催される。
三島と全共闘。一見相容れないように見える二つの「巨人」が、東大教養部の全共闘の本丸にて、あいまみえる。
自我と肉体、暴力の是非、時間の連続と非連続、政治と文学、観念と美。
互いの存在理由を巡って、激烈に、真摯に議論が闘わされた。まさに伝説の討論会だった。
何回かの引越しの中で、いまはどこにいったか見つからないが、その生の討論のテープを、僕は持っていた。もちろん、購入した品である。三島や全共闘の学生らのやり取りを固唾を呑んで聞いた覚えがある。
この貴重なドキュメントが、三十年以上経ったいま、復刊されていた。

美と共同体と東大闘争 (角川文庫)
三島 由紀夫,東大全共闘
角川書店

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1970年11月25日、三島由紀夫は、自ら組織した“楯の会”の会員4人とともに、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で東部方面総監を監禁、自衛隊員に決起を促す檄を飛ばした後、割腹自殺を図った。
三島は自死し、そして全共闘運動の宴も終焉を迎える・・・。

全共闘と機動隊との間で東大安田講堂の攻防戦が繰り広げられ、その記憶はいまもなお鮮烈だ。
彼ら彼女らは、なぜ戦ったのだろうか。
必至の敗北とその後の人生における不利益を覚悟して、なぜ彼らは最後まで安田講堂に留まったのか。

今更ながら、そんなことを微塵も知らないし生まれてさえいない、さる友人とこんな話をした。この友人は、もしその時代に生まれていたなら、真っ先にヘルメットをかぶりゲバ棒を持ち、先頭に立ちそうである。
そんな人らは、いまもいないわけではないけれど、本当に少なくなっている。

三島と学生の討論を読み、久しぶりにそんな熱い時代の空気を反芻するのも悪くない。
会社の帰りに本屋さんに寄ってみるとするか。

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