ある記憶

遥か遠くにいってしまった記憶たち

風呂雑感

2008-01-26 21:34:14 | 
僕は、お風呂が大好きだ。熱いお湯に、長い時間入るのがいい。ぬるいのは僕にとってはお風呂らしくなくて駄目である。
子供の頃の実家の風呂といえば、いわゆる「五右衛門風呂」といって、大きな鍋釜のような風呂釜を、枯れ草や流れ木でじかに焚く。風呂の中に、木の板を浮かべそれを沈めてのっかりヤケドしないよう工夫する。
そして、あたかも石川五右衛門が釜で煮られたように、煮られる。
母さんが、「そろそろいいか??」と、外の焚き場から声をかける。
「もういいよ」という。
風呂は決まって熱い。というか、かなり熱湯に近くなり、水道で冷ましながら入る。風呂から上がると体はまっかっか、ぽっかぽっかである。
寒い地方に生まれ育ったから、風呂で温まって寝ないと体が冷えてしょうがない。
だから、お風呂はそれなりに熱くないと風呂でないと、勝手に思い込んでいる。

学生の寄宿舎の共同風呂は良かった。大きな湯壷が二つあり、比較的熱め。洗い場も広かった。街中の銭湯に匹敵する。
みんなで入る風呂はいい。一日の出来事を語り合いながら、裸のつき合いだ。
かなりの長期間にわたってお世話になった。

アパートに住むようになっても、地元の銭湯にはかなりの頻度で通った。もちろんアパートには風呂が付いている。それでも行きたくなる。何度か引越しをし今に至っているが、どこに住んでいた時も、行きつけの銭湯があった。
自宅に風呂のあるのが当たり前になっても、銭湯は衰退せずにどこにでも残っている。みんなで入るお風呂は、いつの時代もいいものだ。

今日は「ぽかぽかランド鷹番の湯」に行ってきた。ここは、東急東横線の学芸大学駅に近い温泉銭湯で、普通の銭湯とは違って現代的なヘルスセンター風の造りだが、料金は銭湯並の、いわゆるスーパー銭湯だ。
下町の住宅街にあって、車で行くには道が細かく狭いが、ちゃんと駐車場もある。
浴室は1階と2階にあって、偶数日は1階が男湯(2階が女湯)、奇数日は逆となる。
ここは本当に温泉で、泉質は都内の温泉としては珍しい色のないメタケイ酸・メタホウ酸の冷泉である。月に何度か休みの日だけ行く。

■営業時間 15:00- 深夜1:00
(日・祭日は14:00から)
■休館日 金曜日
■料金 385円 サウナ 715円 貸しタオル 50円

サウナも何度か入り、サウナも含めここに行く時には2時間粘ることと決めている。
心身ともにすっきりする。というか、「げっそり」する。
そういう意味では、メタボぎみの方にはうってつけの減量法かも。

心身ともにリフレッシュできるのがお風呂。僕のストレス解消本の一つである。
皆さんもお風呂の時間を大切にしよう。有効に活用しよう。
因みに、自宅のお風呂の時は、決まって文庫本を持ち込み湯船につかりながら読む。これは僕の趣味であり必ずしもお勧めはしません。
本を湯船に落としたり、ページがフニャフニャになったりするので、本はいずれ捨てる覚悟で。よって、読んだ本の内容は徹底的に頭に叩き込むつもりで。

温泉宿に逗留したくなった。東京に来てからは、主に箱根、湯河原、伊豆方面を中心に相当数の温泉に行った。最近は、山梨、長野方面の「征服」を目指している。
ひなびた感じの宿がいい。料理は量よりも質、特徴があって酒も美味いところがいい。
本当に温泉宿に行きたくなった・・・。

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三島由紀夫と全共闘

2008-01-26 09:47:22 | 
1960年代後半から70年に向かう過程で、全国の大学という大学に吹き荒れた全共闘(全学共闘会議)運動。いままさに、定年を迎えつつある団塊世代と言われるおじさん、おばさんたちが、社会変革を夢見て活動し、そして挫折した変革運動の総称だ。
当時学生だった者たちの、多分、二人に一人は何らかの係わり合いを持ったのではないか。そして、その宴の終わりと共に、高度経済成長がピークを迎え、バブル経済と失われた10年、更にミレニアムと続く中に、社会変革を夢見た彼ら彼女らは、静かに息づいていたはず。
このような日本になったことの、一抹の責任はそうした団塊世代に無いとはいえない。良い意味でも悪い意味でもそう思う。

しかし、今の日本や今後の日本に、もはやあのように真摯で熱狂的で、しかも行動的な運動は、二度と起こらないだろうね。いま学園に集う若者は、すっかり飼いならされ、拝金主義や出世主義にまみれ、正義や義憤というものを忘れ、刹那的なSEXや個人主義にはけ口を求める。
実は、そんな状況を作ったのも、当の団塊世代のおじさん、おばさんであることを忘れてはならない。

さて、そんな愚痴っぽい話はさておいてと。

そんな全共闘運動の嵐が吹き荒れピークに達した1969年の5月13日、超満員となった東大教養学部で、三島由紀夫と全共闘の討論会が開催される。
三島と全共闘。一見相容れないように見える二つの「巨人」が、東大教養部の全共闘の本丸にて、あいまみえる。
自我と肉体、暴力の是非、時間の連続と非連続、政治と文学、観念と美。
互いの存在理由を巡って、激烈に、真摯に議論が闘わされた。まさに伝説の討論会だった。
何回かの引越しの中で、いまはどこにいったか見つからないが、その生の討論のテープを、僕は持っていた。もちろん、購入した品である。三島や全共闘の学生らのやり取りを固唾を呑んで聞いた覚えがある。
この貴重なドキュメントが、三十年以上経ったいま、復刊されていた。

美と共同体と東大闘争 (角川文庫)
三島 由紀夫,東大全共闘
角川書店

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1970年11月25日、三島由紀夫は、自ら組織した“楯の会”の会員4人とともに、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で東部方面総監を監禁、自衛隊員に決起を促す檄を飛ばした後、割腹自殺を図った。
三島は自死し、そして全共闘運動の宴も終焉を迎える・・・。

全共闘と機動隊との間で東大安田講堂の攻防戦が繰り広げられ、その記憶はいまもなお鮮烈だ。
彼ら彼女らは、なぜ戦ったのだろうか。
必至の敗北とその後の人生における不利益を覚悟して、なぜ彼らは最後まで安田講堂に留まったのか。

今更ながら、そんなことを微塵も知らないし生まれてさえいない、さる友人とこんな話をした。この友人は、もしその時代に生まれていたなら、真っ先にヘルメットをかぶりゲバ棒を持ち、先頭に立ちそうである。
そんな人らは、いまもいないわけではないけれど、本当に少なくなっている。

三島と学生の討論を読み、久しぶりにそんな熱い時代の空気を反芻するのも悪くない。
会社の帰りに本屋さんに寄ってみるとするか。

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仲間

2008-01-26 00:33:46 | 
仲間はいつの時もいいものだ。
同じ目標に向かって、共に進んでいける。
みなんなそれぞれ、思い悩む別の顔を持ちながら、共に進んでいけばいい。
そんなことを前提として共に進んでいける仲間。
いいんだよ。時には立ち止まって、羽を休める時間も必要さ。
低空飛行で、あっちにぶつかり、こっちにぶつかりしたっていいじゃないか。
仲間はそれを支えあう。何でも話し合えて分かり合える。
それでいいじゃないか。

組織目標の絶対主義。それは続きはしないことをつくづく経験した。
そう、約20年前。人の弱さを追及したとて、いったい何になろう。
ひとそれぞれで、百人いれば百通りの人生があり百通りの苦悩がある。
それを前提にしないと、仲間などありえない。
その時間と空間において支えあい、そして、目標に進むのが仲間。

また、仲間(共同体)は、永遠ではないことを知るべきだ。
いつか「別れ」の時がやってくることを。
それは、しょうがないことなのだろう。
別れを恐れて、仲間は成立しない。別れを恐れるな。

それでも、仲間はいいもんだ。
家族という仲間、会社という仲間、会社の部署の仲間、大学の同じ釜の飯を食った仲間、男と女という仲間、・・・。
もう、覚悟は出来ているのだから、その上で人間を信じても、何も怖いものは無いんじゃないか。
裏切りや偽りを懐疑してもきりがない。
まずは、子供のように無邪気な心で、仲間を大事にしたらどうだろう。
全てを許せば済む事だろう。そして、自分だけは、少なくとも裏切らないことを誓えばよい。

何でも話せる仲間。

そんな仲間が少なくなっていることが、今の社会の衰退の根源のようにも思える。
効率だけを追求したって、それが何になるというのだ。
効率の極限的な追求は、仲間の心を壊し、仲間自体を崩壊させる。
お金はほどほどあればよい。

こんなことを、今日、仲間と酒を飲みながら思った。
こんなことを語れる僕は、まだ幸せなのかも知れないな。

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