ある記憶

遥か遠くにいってしまった記憶たち

笑顔で「ありがとう」

2008-06-30 19:18:09 | 
人の笑顔って、やっぱりいいですよね。


怒ったり、沈んだり、苦しんでいる顔よりは、笑っている顔のほうがいい。


自分の顔もそうなんだろうな。

笑顔で、「ありがとう」って、なるべく言うようにしています。
そうされれば、僕だって気持ちがいい。



笑顔で、「ありがとう」、「ありがとうございます」と言われると、
多少のことは水に流してやりたくなります。
気持ちが明るく、また、楽になる感じがします。


かといって四六時中、へらへら笑っているわけにはいきませんが、
その時々で、心から「ありがとう」と笑顔で言える人になりたいですね。


そういう人が一杯いる会社は、本当にいい会社なんだと思います。


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弱っている人を全力で支える会社

2008-06-29 21:19:27 | 
一人の人の悩みや苦しみを疎かにする会社にはしたくない。



会社は、それぞれ様々な経験や人生を歩んできた人たちが集合してできています。


好き嫌いで言えば、鼻持ちならない人や嫌味な人はたくさんいる。
僕の最も嫌いな悪意に満ちた人さえ、多く入り混じっているかも知れません。

ただ、必ずしも僕は杓子定規に、嫌いだからといってそうした人たちを排除する論理を持ち合わせていません。
みなそれぞれに事情があり、家族を抱えていたり、背負うものもあるのでしょう。
気づいて欲しい、やがて改善して欲しいと願うばかり。
また、そんな人でも、会社には必要だから存在しているのだし。
(だから僕は、みなに「お人よし」「ゆるい」・・・などと批判されることもしばしば・・)


そんな中で、弱っている人、困っている人がいたならば、事情はどうあれ、
きちんと話を聞き、ことによったら全力でサポートしてあげるべきだと思います。
通常の会社生活に支障をきたすような状態は何とか改善してあげねばなりません。
それは従業員を雇用している会社の最低限の責任だと思います。


会社に合わない奴は辞めればいい、付いてこれない奴は脱落すればいい。
人はお金を出せばどこからでもつれてこれる。
昨今ありがちな、こんな欧米的な超合理主義的な考え方は、
僕は人に、そして当の会社に、不幸しかもたらさないと考えます。



けれど、現実の問題は想定よりも複雑で入り組んでいいる場合が多く、
難解なパズルのようです。
会社形態、組織の管理ラインや組織体制の変更、レイアウトの変更などが、
その人の問題の解決を、更に不透明にする場合もあります。
(もちろん、それが解決の糸口になる場合もあるのですけれど。)

そこでは会社の事業戦略や経営方針が係わって来ますので、
個々の人は、なおさら見えなくなります。
そうした大きなスキームは、全従業員が、素直に受け入れ頑張れるという
暗黙の了解のようなもにを前提にしています。



会社かその人かという単純な二者択一とも思いませんが、
それに近いものは事実あるのだろうと思います。
だからこそ、その人へのサポートやケアがますます大切になってくる。



そんなことを大切に、当たり前に思え行える会社文化にしたいものです。
(といって、そうなってないために、今、僕は頭を悩ませているわけでして・・・)

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Fさんから連絡あり・・・音信不通!?

2008-06-29 15:30:02 | 
Fさんから連絡がありました

昼夜連絡しても、電源が切られた状態で、携帯電話がもうつながらなくなってしまったとの事でした。

自分の携帯ではなく友人のを借りて連絡しても、つながらない・・・


結局、相手の住まいに行くことも無く、病床に伏すご両親のお見舞いに行くこともないまま、音信不通となってしまったわけです。
それでも彼女は、そんな訳ないけど・・と前置きしつつも「もしや、病で本当に倒れているんでは・・・」との可能性をまだ申しておりました。

やめとけ、と言っているのですが、彼女は「確証」が欲しい。相手の尻尾を見つけるまでは、断じて引き下がらない。そういうことでした。
悔しい思いは痛いほどわかるんですが、ほどほどにしとかないと・・・

それにしても、女性の執念は怖いほどの迫力があります・・・
(彼女に特有なもんだろか ???)


  ***************************************



遅い昼飯を食べて、雨の中、駅前通をぶらぶらして帰ってきました。
昨日購入したクラッシックのCDを聴いています。
何か、気の抜けた一日になってしまいました。

雨はそれだけで罪ですよね 


今週のスケジュール。月、火は会社。水から来週の月まで海外。
片道12時間、何して過ごそうか。
                    


さてさて、こんなクサクサする日はサウナに限る。
近くの温泉銭湯で、ひとっぷろ浴びてきましょうか。
(ここんとこ毎週行っています)

お家にお風呂は当然完備してますが、大衆銭湯で裸と裸のお付き合いも悪くはないです。
広い湯船でのんびりできるし、サウナでど~っと汗をかくのも快適です。
そんじゃ、ちょっくら行ってきまぁ~す。

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ただの「デクノボウ」だけはごめんだ

2008-06-29 09:02:07 | 
今日も雨です。これで2週連続日曜日の雨。
日曜日は外に出て、おもいっきり体を酷使し、ストレスを発散する日。
そう決めているのですが、雨ではどうにもなりません。
先週に続き、今週もマラソンができない予感がいたします。


そして来週は、海外へ出張となりまた土日が潰れます。
3週連続で走らないと、多分、次に走るのがとても大変な気がします。
体が、「もう走らなくていいんだ・・」と、勝手に思い込み始める。
そうじゃないよ、相変わらず数キロのハードランに耐え、
ゼイゼイしなければいけないんだよ。こう覚えこませるのに手間が要る。

前にもしばらく休んでいたら、なかなか距離が走れなくて苦労したことがありました。
筋肉や体力は、使わないとすぐに退化に向かいます。



それは、体だけではありませんね。脳みそのほうにも言えます。
こちらはすっかり手入れ不足でして、もうガラクタ同然の状態です。
そもそも性能がそれほどよくないのに、手入れもせず、ガレージに置きっぱ。
錆びつくは、バネがばかになるは、ネジが飛ぶはで、廃品工場行きスンデです。
それでも騙し騙し使っているというのが実情なんです。

もともと理科系で、随分と勉強はしたつもりなんですが、何一つ今に役立っていません。
寧ろ今は、あんなに詰め込んだことと正反対のことを生業としているのでなおさら。
数学も物理も化学も何も役に立ってはいない。ほぼ無に等しい状態。
10数年以上もガレージにぶち込んだままだったから当然でしょうね。
もう二度と日の目を見ることもないでしょう・・・
                              

    使わないとすべてが退化する。


              〔dragonの絶対法則〕


人への感情もそうでしょう。
思いやり、恋する気持ち、愛すること、優しさ、悲しみや共感の心、、、
それすら使わなくなったら、
僕はただの、


     でくのぼう



最後の砦だけは守りたいものですね。

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遠き山に日は落ちて・・・

2008-06-28 19:36:18 | 


   遠き山に日は落ちて
   星は空を 散りばめぬ
   今日のわざを なし終えて
   心軽(カロ)く 安らえば
   風は涼し この夕べ
   いざや楽しき まどいせん


   闇に燃えし かがり火は
   焔(ホノオ)今は 静まりて
   眠れ安く 憩えよと
   誘うごとく 消え行けば
   深き森に包まれて
   いざや楽しき 夢を見ん
                



買い物ついでに柄にもなく英国ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団による
「ベスト・クラッシック101」6枚組みCDを買ってきました。
ずーっと聞いています 


ドヴォルザークの新世界-家路。
これって聞くたびに、中学校の野外キャンプを思い出します。
それに詩をつけたのが、上の「遠き山に日は落ちて」です。
これを皆で歌いました(誰しもそんな思い出はありますよね、この歌って)。
ドヴォルザークが新世界(アメリカ)にて望郷の念に駆られて
作った作品だといわれますが、確かに、そんな気持ちにさせられます。


キャンプファイアーで、宴もたけなわ、そろそろ家路が恋しくなる。
そんな時にみんなで歌い、もっと遊びたいやら家に帰りたいやら、
とても複雑な心境になりましたよね 


あの頃は、毎日が長くて、1週間、1ヶ月経つのが本当に長くて、
早く大人になりたくて、しょうがありませんでした。
どんな未来が自分に待っているか皆目検討もつきませんでしたが、
何しろ、早く早く将来の到来を、気ぜわしく望んでいたように思います。

そう期待していた今はどうでしょう。1年の経つのさえあっという間で、
また、あの頃に期待していた未来や自分に僕はなれているのでしょうか・・・
                                  

もう止めときましょう。どんな現実でも今を肯定していこう。
あまり好きな言葉ではありませんが「実存主義」で。
最近では「ポジティブシンキング」・・・

 
  ********************************


今、実は「オーラの泉」を観ています。
江原さん、三輪さん。
不思議すぎる世界ですが、ありやなしや・・・
肯定するものでも否定するものでもありません。
「わからない」・・・というのが実感ですねぇ。
(本音では、「ありかな・・」とも)

そして、本日の僕のメインイベントは夜9時からNHKで始まる
「監査法人」第3回 !!
(やけに現実的になりますが・・)
「粉飾の連鎖~巨大銀行対会計士・存亡をかけた戦い」

実は、ここまで注目するのも、このノンフィクションならぬ「フィクション」で
モデルにされた監査法人は、実はうちの会社の監査法人「だった」のです。
(もう、今は解散して存在していないので「だった」なんです)
ですので、他人事のようにも思えない面があり、また、よくわかる部分もあります。
                            
塚本高史、松下奈緒、豊原功補、阿部サダヲ、
勝村政信、竜雷太、橋爪功


配役もいい。塚本君の熱血ぶり、橋爪功の狡猾さ、竜雷太のえぐさ。
いいです。松下奈緒の純潔さと鼻っ柱の強さ。実は彼女に一番注目してます。
がんばれ松下!

第3回の本日は、

2兆円の不良債権を抱える巨大銀行に会計士たちが挑む。

大いに期待してます
(ぐちゃぐちゃ記していたら何か元気が出てきました)


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感情移入の愚

2008-06-28 07:43:51 | 
子供の頃の親からの愛情の度合いが、人の心の愛の深さを決めるといいます。
まだ人としての意識のないゼロ歳児から、保育園、幼稚園に行くあたりまで、
両親や家族から、どんな慈しみをもらったか・・・


三つ子の魂百まで。


僕の場合はどうであったろうか。
いろいろ思うところはあります。



僕の、いいところでもあり駄目なところでもあるのが、
「感情移入」し過ぎること。
ややもすると「思い入れ」が強くなりすぎます。
自分の事はろくに愛せもしないくせに、
身近で困っている人を見ると放って置けなくなる。


それが多分「おせっかい」や時には「過剰」とも映ってしまうのではないでしょうか。

本当に救いを求められたとしたら、
単に行為を超えて、心の同一、一体感を、
いつのまにか僕は求め始めるように思います。
特に、心の問題に関しては、自分をそのまま置いている立場で、
何を物言いしても、相手の心に響かない。
だから、表面的な問題解決を超え、その奥底にまで僕は、足を踏み込まざるを得なくなる。
所詮、その人に自分はなれないくせに。また、その人は僕にはなってくれないことをわかりながら・・・


そんな愚を何度も繰り返す僕の「ルーツ」はどこにあるんだろう。
こう考えた時に、幼い頃の「愛」の問題にあったのではないか、と思い当たりました。


ゆがんだ愛情をもらった僕は、愛情の「片肺飛行」とでも言うべき大人になった。
自分を愛することができない人は、他人を真剣に愛せない。
その通りかも知れません。
僕の心の深層は、相当倒錯しているように思えてきました。
僕は、自分を愛せない。愛せないから他人にそんな自分を愛して欲しい。
そんな他人の愛情を感じて、はじめて自分が満たされる。というような。


そうすると、すべてが「愛情の押し付け」に見えてきます。
他の人のことを考えているようであって、実は愛情の押し売りをしている自分。
それもまた一種の偽善ですよね。


もういい加減、他人迷惑だからやめよう。
結局、世の中にいる多くの「世渡り上手」のごとく、
セルフィッシュに、周りのことなど気にせずに淡々と生きればよい。
余計な仏心は無用。貝のように心を閉ざして生きればよい。
弱肉強食、適者生存と、割り切ればよい。
答えは簡単で、そういうことなのだけれど、
どうしても「三つ子の魂百まで」が邪魔をし、どうにもならないのです。


結局、心の「空洞」が、今の僕を突き動かしているに過ぎない。
変われない、変わらないんでしょうね。


そうだ。こんなことで思い悩んでいる暇はない。今日はロンドンに向けた最終準備の日としていたのです。
持ち物の再点検と買出しに行かねばなりません。渋谷に。


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同じことの繰り返しを

2008-06-27 22:46:38 | 
皆が満足し、生甲斐を持ち、仕事をし、家族を大切にし、
恋人を思いやり、友達や同僚と仲良くし、
次の世代にも同じ幸せをバトンタッチし、
ずーっと平和で頑張れる、そんな世の中がくればよいと、
今よりずーっと若かりし時に、思いました。


こんな自分が、多少の犠牲になることで、そのような世の中が訪れるとするなら、
十分に僕は意味のあることをしたのだと、胸を張れるかもしれない。
そんな、観念のもとで、僕は僕のできる精一杯のことをしました。


そして、結局そんな世の中など、来はしないのだと、
厳然たる現実が、僕の前に立ちはだかるばかりでした。


それでも僕は、未練があるやなしや、諦めたはずの心のどこからか、
人間に対する期待のようなものが、またしても「鎌首」をもたげ、
そそのかされるかのように、何度も同じ過ちを繰り返すのでした。


もういいかげん良いのではないか。
自分のために生きることを、もっと追求したらいい。
今もその過ちを繰り返しているのなら、
僕は、僕の拙い人生から、何事をも学んでいないことになる。



   その人に僕はなれない。人は僕になれない。



その悲しいフレーズがまた、心に浮かんでは消えている。

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太古、女性は太陽であった

2008-06-26 22:00:37 | 
前にも書きましたが、僕の住んでいた寄宿舎は1年生から大学院生まで、
百人以上も住んでおり、年に3回の部屋替えがありました。
誰と一緒になるか、無作為抽選なので運を天に任せるしかありません。
大酒飲み、理屈好き、潔癖症、がり勉型、「活動家」、放浪系、女遊び系・・・
いろんな傾向の人がいました。
概して「大酒飲み&理屈好き」が多かったような気がします。


寄宿舎の同室の先輩とこんなことを巡って議論になった事があります。

一夫一婦制がいいのか、多夫多婦制がいいのか。
それとも第三の道があるのか。


僕は、この点では極めて「保守的」だったため、
「一夫一婦制」が当然のことだと思っていました。
ほかの事ではけっこう革新派だったのですが、どうしてもこれだけは
肌感覚が合わないというか、譲れないように思いました。


先輩の言い分は、日本の社会で女性が虐げられているのはこの制度があるからだ。
伝統的な「家父長制度」のなかに、一夫一婦制もまた組み込まれており、
男性が女性を縛るための大義名分でしかない。
現に、男性(家長)は、妻のほかに妾を多数囲ってきたではないか。
女性は解放されなければならぬ。みたいな論でした。

なるほど・・・


けれど、だからといって、多夫多婦制といわれてもぴんとこない。
寧ろ不潔で、嫌に思えました。
自分の妻が、他の男の妻であると考えただけで虫唾が走りました。


  「先輩はそれでもいいんですか?」

  「自分の妻が、今日は他の男と寝ていて我慢できるんですか?」


そんな論をはった手前、先輩は「そうだ」「その何が悪い」と、
開き直っていましたが、打って変わって歯切れが悪くなりました。


それでは「第三に道」はないのだろうか・・・。
議論が平行線となり、気まずくなったものですから僕の方から助け舟を出しました。

  「第三の道は、結婚などしないことだ」

  「そうだ。それがいい。そうすればそもそも男も女も制度に縛られない」


こんな話をして一晩中お酒を酌み交わしました。


   太古、女性は太陽だった・・・

女性を礼賛する立場は、僕も先輩も同じでした。
僕も先輩もまだ、20代前半の頃のお話。



今の僕はどうなんだろう。あの頃の素朴な思いはあるのだろうか。
そもそも最近の女性は、太古はどうあれ、太陽のように輝いている。
世の男性はすっかり落ちぶれてしまった感がある。
制度、以前のように思えます。
駄目だな、男は。もっとがんばらねば。


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六本木で

2008-06-25 23:41:42 | 
今日は、さる外資系証券会社の招待で六本木の和食のお店で食事をして帰ってきました。
俳優座の近くのちょっと「いちげんさん」は入りにくいお店でした

ビール1杯、焼酎ロック3杯でお酒はストップ!
やはり“ふぉあぐら”気にしてるんですよねぇ・・・

お魚中心に、お話も楽しく、極めて「健全」な3時間あまりを過ごしました

ここは、明石やさんまさんが常連のお店だといいます。
よく、仕事を終えたさんまさんが、芸人を連れて食事にくると仲居さんが言ってました。
さんまさんは、気前がよく連れてきた方々に何でも好きなものを
腹いっぱい食べさせるそうです。
ただ、自分が頼んだものはシェアすることなく、一人で平らげるのだそう。
さんまさんの師匠が厳しい人で、その教えに従っているのだとか・・・
へぇ~って聞きました。


いろいろありましたが、根気が続かず、今日はこれにて。



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価値があるのは両目を閉じてみるものだ

2008-06-24 22:24:29 | 
あまりにも有名なジョルジオ・デ・キリコの『街の神秘と不安』という絵です。


初めて見たのは中学校の美術の教科書。
本当に不安な感じを受け「嫌な絵だ」と思いました。
こんな絵を描く人の気が知れないとさえ。
まんまと作者の思惑に嵌ってしまった訳で、
それだけでも凄い画家だと、今では思っています。


この絵で彼は、「人間の獏とした不安」を描いたといいます。
楽しそうに輪を転がす少女が、この先何かに遭遇するのではないか・・・
そういう不安や予感を実態のわからない影を配置することによって描きました。


キリコはこんなことも言っています。



       耳で聞くものには価値がない、
       価値があるのは両目で開いてみるもの。
       更に価値があるのは両目を閉じてみるものだ。



とても含蓄のある警句だと思います。
形而上画家として、人間の奥底にある観念を見つめ続けた彼ならではです。



       耳で聞くから、甘い言葉に騙される。
       目でみるから、甘いマスクに惑わされる。
       本当の人の価値は、耳を塞ぎ目を閉じてみるものだ。

                        By dragon21



と、偉そうな事をいう僕は、
未だそのような「心眼」を手に入れているとはいえません。
修行が足りないです、修行が・・・・

さて、被害者と思われるFさんに、動きがあったようです。
また、別の機会に。

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やはり結果は予想通り

2008-06-23 21:30:05 | 
実は昨夜、前日に会ってアドバイスした女の子から連絡がありました。

( 詳細は、 「2ヶ月経って、なんとなく不安が・・・」 参照 )


  「あなたの原宿のマンションに行きたいから住所教えて下さい」


ずばり聞いたそうです 


  「あ・・・その事なら、言おうと思ってたんだけど、いろいろあってさ。
   今度別のところに引越しすることにしたんだ。申し訳ない」


てなことを、のたまったそうです 

相変わらず“体調がすぐれず”、住む場所を代えるのだそうだ。
それでも彼女は引き下がらず、


  「でも、今はまだ住んでるんでしょ。これから行ってもいい?」


ナイス突っ込み! 

するとそいつ。


  「・・・いや今日は、これから両親の看病にいくから・・・」


とことん逃げを打つ 

なんだかんだ言いながら住所を明らかにすることを徹底して拒む。

もう彼女、ここに至って、多少あった「期待」も完全に消滅し、
堪忍袋の緒が切れた。
心は完璧に「疑念」「後悔」そして「激怒」に変わったといいます。


  「もしかして家族とかいるんですか。騙してたんですか!?」


彼は返す言葉もなく、たじたじ・・・今日は勘弁してくれの一点張り 


彼女、今日のところはここまでにし、いったん電話を切った。
もう許さない。徹底的に住所や正体を追及する構えとあいなったようだ。
そして家族がいたりすれば「ただではおかぬ」らしい・・・


「わたし、こう見えてけっこう執念深いんです」
おとなしくて気の弱そうな子なんですが、こういう子を怒らせると恐い。


ただ、相手は大の大人の男だ。
下手に追い詰めると何をしでかすやもしれぬ。

腹が立ち、一矢報いたいのはわかるが、ほどほどにしとくようにと諭しましたが・・
いやはやどうなることやら・・・


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たんぽぽの思い出(押し花は思い出で成長する)

2008-06-22 21:03:05 | 
ごそごそと押入れをかたずけていたら、古いスケッチブックが出てきました。

ペラペラめくると懐かしいタンポポばかり描いた画集が。
色鉛筆で、書きなぐった、稚拙な絵です 

凡そ、公衆の面前にさらすべき類のものではないのですが、
このブログの主旨からして、本来的であると思ったので、
いくつか下手糞な作品を掲載することにしました。















どうも部屋の照明がほの暗かったせいか、照度が上手くかみあっていません 
暗い写真になってしまいました。本当はもっと明るい感じなんですよ。



このスケッチは、東京に出てくる前、C子と遠距離していた時期に、
たんぽぽに因んだ、思い出をまとめたものです。
実は、2人の関係が終焉を迎えようとしていた頃の、僕の心の風景でもありました。


よく葉書を書いていて、同じ絵を葉書に描き、僕の胸のうちや近況を伝えていました。
こんな絵ですがC子は、随分と気に入ってくれ、毎回描いてくれとせがみました。
それでも、僕らの関係は静かに終わりへと向かっていくのでした。
この絵を描くたびに、お互いの心は離れていくようでした。
そういった時期に描いたスケッチなんです。



一番上の女性の後姿は、彼女です。夏の草原に咲いていたタンポポ。
麦藁帽子にタンポポを飾りました。摘んで帰ったタンポポは押し花にしました。


もうその押し花はどこかに行ってしまいましたが、

 「押し花は思い出と共に成長するんだよ」

彼女がそんなことを言ったような記憶があります。
2人の部屋にも、かつては、よくタンポポの花を植えたりしていました。
僕もC子も、タンポポが本当に好きでした。
タンポポの綿帽子でいたずらもしたなぁ・・・。


  
    ======================== 



こんなことを思い出しながらスケッチブックを眺めていました。
外は雨が段々と激しくなり、しょうがなくて家で押入れの整理をしたため、
こんなこととなりました。

押し花は・・・か。押し花などする風情もなくなってしまったなぁ・・・

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ベニスの恋人たち

2008-06-22 08:18:33 | 
とてもめまぐるしい一週間を終え、今日から新しい週になります。
日曜日が週の始まりなんですよね。


気持ちをリセットする必要があります。
音楽を聴く、好きな絵画を観る、穏やかな風景を望む。


「自然百景」~舳倉島。自然と鳥たちの戯れる姿がいい。
次は、初夏の麦畑の遠景。空高くさえずるひばりたち。
麦畑に囲まれた学校で子供たちが合唱しています・・・
「小さな旅」NHKの朝の番組です。
日曜日の午前中は、ここから始まります。
この番組のはじめに流れる音楽が郷愁を誘います。
(なんかそうとう、「枯れて」いますね。)


写真はシャガールの「ベニスの恋人たち」という絵です。
こういう安らぎや心地よさを、僕は常に求めている。
けれども、僕の周りに展開される現実は、からからに乾ききっている。
何でなんだろう・・・。ここが東京だからであろうか。
東京とは、人間の潤いや優しさを、ブラックホールのごとく
とめどなく吸い取る仕組みのことを言うのではなかろうか。


何者にも拘束されず、自由にぶらっと、旅に出たくなった。
ほんの「小さな旅」でいいなあ。



外は雨模様。
今日はマラソンデーなんです。
走るのは無理かな。


それでも、ノルマのストレッチ→腕立て伏せ100回→腹筋100回。
これはこなさなきゃ。
走りたいなぁ。

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2ヶ月経って、なんとなく不安が・・・

2008-06-21 22:47:14 | 
銀座で食事をして帰ってきました。
会社の帰りに、2時間くらい話を聞いてやりました。

5年前かな。前の会社で顔見知りとなり、辞めていった女の子。

相変わらず「恋愛相談」でした。


彼女は昔から真面目で、世間知らずだったのですが案の定という感じでした。



なかなか出会いもなく、遊びのつもりでチャットをやっていたら、
妙に話が合う人がいて、実際に会うことになった。
会うとその人は、外資系投資銀行の社員で、とても羽振りがいいのだそうだ。
会う場所は豪華ホテルの最上階のVIPルームや高級店ばかり。
人柄も悪くなく、会ってそうそう結婚の話までほのめかす。
本人は、ついに「きた~っ!」と思ったらしい。
必ずいつか玉の輿に乗る。そんな出会いがあると、手相占いでは言われている。
その瞬間がきたと思ったのだという。

しか~し、2週間に一度しか会えず、土日は何だかんだと会ってくれない。
両親が病弱でとか、自分の体調が優れずとか・・・。
彼女の住んでるところには1度きたらしいが、彼が住んでる某都内の高級マンションには、行ったことがない。
行こうとしても、理由をつけはぐらかされるとのことでした。
もう2ヶ月も経ち、どうしたものかとの相談でした。



恋は盲目といいます。
自分の置かれている状況を冷静には見れません。
それを上手く突く輩も多い。


8:2の割合で、「弄ばれている」と思いっきり言ってあげました。
本人が言っていることをそのまま鵜呑みにしている。
本人を確認する物証は何も与えられていない。
例えば、そんな立派な外資系投資銀行に勤めているなら、
名詞の1枚ももらっておけよ。
立派な住まいの住所や電話番号くらい聞いておけよ。
脇が甘すぎです。
自分の事は丸裸にされ、相手のことは何一つ確証がない・・・。


ただ、少ない確率で本当だったりもするので、あまり断定ばかりもできないので、
今からでも遅くないので、まずはその辺の物証を集めるよう勧めました。


まずは頑張れと、美味しいご飯をご馳走し別れました。
もし、真っ赤なウソであっても落ち込むな。
いっぱい高級料理を奢ってもらっただけ得したと思えばいい。



びっくりしました。
話としては良くありそうな事なのですが、僕の身の回りの人に
そのような事が起きているとはショッキング・・・
くれぐれも面倒な事件とかに巻き込まれないことを祈るばかりです・・・。
ま、本当の可能性もあるので決め付けは良くないのですが。

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組織変更に伴い

2008-06-21 08:00:27 | 
会社は成長と共に形を変えていく。
会社に糧を求めて働く従業員は、その都度、人事異動の荒波にさらされる。
みなが満足し、納得できる配置などはなかなかない。
人はパズルのパーツではないし、意志や感情を持っている。


一方会社は、なるべく効率のよい運営を考えねばならない。
ということは、人をドンドン投入するより、少ない人員で各自にスキルアップを
要求せねばならない。


こういう端境の時には決まって、人事問題が発生する。



昨夜は、そういったことのために時間を費やしました。
要するに、昨夜もお酒を飲んだということです。


どんな会社にもおかしな奴はおり、そいつが回りに毒を撒き散らします。
悪意を持つ奴、深謀遠慮で自分のポジションの向上を目指す者、
裏表の激しいエゴイスト、会社を食い物にしようとする奴、、、、
どいつもこいつも会社が入れた人間だから、何をされても入れた会社が悪い。

自業自得


けれども、そんな連中と同じ空間で息をし過ごさねばならないその他の
善意の人々は、たまったものではないですよね。


それが、往々にしてまったく対極にいる者同士が、
同居する人事をされることがあり、今回はまさにそれ。
会社の「善意の人」のサポートに至ったわけです


僕には、どうにも出来ない部分ではありますが、
なんとか精神的な支柱になってあげねば、
会社のよい部分、よい文化がドンドン失われていくのではないか、
そういう危機感が募ります。


けれども、そんなサポートを受ける人も大変かなあ・・・
人生の選択権は本人にあるのに、その道に僕は深く介入してしまっている。
人生の選択枝は、果たして正解かどうかは誰にもわかりはしない。
すべては結果論。


であっても、近くにいて欲しい人材、近くにいて欲しい人は、
やはり、いて欲しいのであって、
これはまた、自分のエゴかも知れませんが・・・

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