ある記憶

遥か遠くにいってしまった記憶たち

千のナイフ 千の目

2012-02-25 17:09:49 | 
蜷川幸雄さんといえばいわずと知れた演出家、映画監督そして俳優までこなすマルチな文化人です。

この人の随筆に「千のナイフ 千の目」というのがあります。
その著書の中で次のような印象的な言葉がありました。

 千人の観客がいれば千の動機があり千の人生がある

 だから自分は千のナイフを用意する

 千の心の各様につきささる舞台をつくるために

どこの会社も顧客のない会社はない。
僕らの会社も千人どころか万を超える顧客を相手にしている。

多種多様な商品サービスを提供している。
その商品やサービスを購入する顧客の動機や目的は千差万別。
同じように僕らはそのリテールにまでこだわった千のナイフ、万のナイフを用意しているであろうか…

ひとつの商品だってさまざまな特徴やパーツで成り立っています。
同じ使い方をするにしても人それぞれ感じ方や使い勝手に差があると思う。
だから僕らは多様なお客さんの顔を思い浮かべながら商品の細部にこだわらなければいけません。

各様につきささる千のナイフを用意する。
それが仕事に真剣に取り組むということなのでしょう。

そういう仕事をしていない。
反省を促してくれる熱い言葉が蜷川幸雄さんの著書にいっぱいちりばめられていました。




こんな辺鄙な街角でも

2011-12-25 12:09:01 | 

僕のふるさとは東北の都市部からずっと離れた何にもない片田舎です。
東北大震災では沿岸部ではなかったために被害はそれほどでもありませんでした。
隣の南三陸町、高校時代3年間通った石巻市、友達のいる女川町、そして気仙沼市や塩釜、松島…
その辺の被害からすればせいぜい瓦が落ちたり壁にひびが入った程度で人命に影響はありませんでした。
それでも仕事で、配達に、たまたまそこにいて僕の実家の町でも何人か命を落としました。
僕の中学の同級生の女の子もその一人でした。
それでもみんな一生懸命に再生・復興に向けがんばっているのだと聞きます。

僕の町の駅前通は、今年もライトアップしています。
町民の寄付で年末年始にブルーやホワイト、レッドのLEDライトを灯し、
クリスマスやハッピーニューイヤーを皆で祝うために通の木々にデコレーションするのです。
規模はとってもしょぼいのですが、気持ちだけは伝わります。
今年も年末年始の短い間ですが見てこようと思っています。



1月1日の午前零時をまわる頃合に、そう紅白歌合戦が終了してすぐに、
家族で身支度をして近くのお稲荷さんに「元朝参り(がんちょうまいり)」に行くのが恒例です。
最近では高齢化が進んでいることもあり、僕が小さい子供の頃のように賑わうこともなくなりました。
うまくすると先頭で一番目に鈴を鳴らしお賽銭をしお参りできさえします。数年前に経験しました。

雪は昔ほど降らなくなっていますが12月31日から新年を迎える深夜にはしんしんと降ることが多いような気がします。

今年も駅前のライトアップを眺めながらお稲荷さんにお参りに行くことでしょう。
寒いのだけれど今年も雪が降ってほしい。雪の舞い散る中をお参りに行きたい。




ついてない床屋

2011-12-11 19:49:49 | 
月に一度、駅前の床屋に行きます。
そこは全員女子が散髪をしてくれます。
1階、2階に分かれ全部で十数席はあるでしょうか。
ということは最低でも十数人の女子が控えているわけで、
行った瞬間にあいている順に席に案内されます。
こちらで席や担当者を選ぶことはできません。
それゆえ料金はサービスの割には安いと思います。

席に着くとまず「お時間は十分にございますか?」と聞かれます。
普通は「大丈夫です」と答えます。
「今日はどうなされますか?」
「後ろは借り上げて、横は耳をすっきり出して、前は1cmくらい切ってください」
いつも僕はそう注文します。

店内はミストの匂いに包まれ目をつむると森の中にいるような気分。
散発の前に軽く洗髪をされ、丁寧に時間を掛けて散髪が始まります。
約30分くらい後、三面鏡を後ろにかざされて、
「いかがでしょうか?」と感想を聞かれます。
ま、普通「大丈夫です。ありがとうございました」と答えます。

ここからが楽しみです。
椅子が倒されて今後は念入りの洗髪が始まります。
とっても気持ちがいい。
髪を洗うだけではなく頭皮のマッサージも兼ねているのです。
トリートメントまで約10分。
椅子を戻した後は頭、肩、首、背中、腰のマッサージタイム!
頭皮にはこの店オリジナルのフローラルの香りのするオイルをスプレーされます。
最初は指で念入りに、途中から独特の機械を使い更にもう一回り。
毎回もう天にも上る心地よさで、この店にはこのために来ているようなもの。

そしてもう一度椅子が倒され顔の毛などの髭剃りが始まります。
特に耳の周りの産毛剃りは細かいところまでカリカリとされ気持ちがいい。

そして最後に髪の毛を整えジ・エンド!

幸福な気持ちでいっぱいになります。


ただ、今日も含めて連続2回も同じ人に当たってしまった。
過去も含めると4度目くらい。しかもここ最近!?
「女子」といいましたが、なんと1人だけ決して「女子」とはいえない方がいます。
大体が20代前半くらいの女子なわけですが、この方は40は過ぎている。
もしかすると50超えているかもしれない。
とても若作りで、なぜこの店にこの方がいるのか理解できないのです。
すごい確率で当たっている。しかもここ最近のこと…

やはりこういうお店はできれば若くて可愛い子に散髪してもらいたい。
男性のそういう小さな「下心」をくすぐるお店作りなはずなのに。
決してその方が「嫌」なわけではないのですが、何かとっても損した気分になる。
何かを期待しているかのような自分も情けない。当然、何があるわけでもありません。
単なる散髪と割り切れば何ということもないのですけれど、やっぱり損してるよね…

ここんとこついてないなぁ…





早起きの効用

2011-11-23 14:52:07 | 
年をとるに連れて、若いときの「夜型」からめっきりと「朝方」の人間になってしまった。 夜は10時を過ぎるともう眠気が襲い、まぶたを開けているのがつらくなる。 油断していると知らず知らず意識がすーっと底に落ちていく。 そのまま座布団を布団代わりに眠りこけてしまうこともしばしばである。 そして何時に寝ようと朝は5時前には目が覚める。 目覚まし時計の設定時間のすぐ前になぜか不思議と目が覚める。 睡眠時間はそれほど短いわけではないが、若い頃のようにどっぷり深い眠りにつくことはまれである。 夢を見ていても夢を見ている自分を「これは夢だな」と冷静に見ている自分がいたりする。 何しろ眠りが浅い。眠りのバイオリズムの伸びたところでなんとなく目が覚めたような気になりながら寝ている。 朝早く起きていいこともある。 一日がとても長く感じること。そして一日の最初の時間に余裕があることはその日にとってよい。 その日のなすべきことのひとつひとつが整理できるしどのように実行するかを深く考えることができる。 「やらされている感」があると何事も楽しい場合は少なく、むしろ苦痛と感じることが多い。 仕事は特にそうだ。けれども予定されているそれらをよーく考える時間があるとだんだん違って見えてくる。 決まり切った、何か乾いたビジネス上の事柄が、生き生きと時にわくわくするように見えてくるから不思議だ。 ああしようこうしよう、こういう話をしたらどうだろう、こんな資料を準備したらどうだろう、 あの人は喜んでくれる、気づいてくれる、仕事がはかどるだろう、やってみよう… わくわくどきどきしてくる。 一日が生き物のように躍動する。そんな一日、そんな仕事を続けられたらいい。 そのために早起きの習慣はこれからも続けよう。 というかもう体がそんな体質になっているので苦労はいらない。 守るべきはそんな朝の時間にくよくよ後ろを振り返ったりせず、常に今日を前向きに生きることを考える習慣だ。 この習慣は人生に損をもたらさない。

なんと呼ばれてた?なんと呼ばれてる?

2011-10-16 08:21:44 | 

自分のアイデンティティのひとつが名前です。
もうだいぶ長いこと付き合い続けてきた自分の名前。
生まれたときにはもう決まっていて従うしかなかった。
僕の場合は亡くなった祖父が命名したのだと聞きました。
祖父の名前の一部をもらいました。
そういえば小学校の頃か、授業で自分の名前の由来、
親がどういう願いをこめてその名前にしたのか。
そういうテーマで発表させられとても困った…。
好き嫌いを越え、もはや僕を識別するための必須アイテム、
そしてこれからも死ぬまで僕はこの名前と付き合うことになるんだろう。

思い出してみるといろんな呼び名で呼ばれていたね。

今の僕の身の回りでは苗字で呼ばれるのがほとんど。
都内に在住する大学の友人らは名前を呼び捨てにする。
気のおけない彼らであれば当然で心が通じあうような気がする。
苗字で○○さん、○○君は形式ばってよそよそしい。
苗字であっても呼び捨てくらいが心地よいのですが、
残念ながらそれはほとんどない。
そういう関係を作れていないともいえる。
○○を略して、△ちゃんなどと呼ぶ人もいるけれど、
それは実は嫌です。偽善ぽい。
無理に親近感を作ろうと無理している。
勝手に言わせておきますが、そういう人は
あまり信用しません。

いちばんうれしいのは子供の頃に呼ばれていた呼ばれ方です。
今の環境ではそういう呼称で呼んでくれる人などいません。

たとえば僕の名前が「加藤裕一郎」だったとします。
“ゆう”と、名前の半分で呼び捨てして言います。
“ゆうちゃん”でもいい。
やっぱり“ゆう”がいいな。
※カトちゃんはアウト!

小学校から高校あたりまでは普通にそう呼ばれていた。
苗字略のちゃんは嫌だが、名略のちゃんはいい。
呼んでほしいそれらで呼ばれなくなってしまった…。

「社会性」というのでしょうか、
なんとなく心が通じ合えるのに、単なる識別記号と化している。
大人になるに従って名前の役割が変節してしまう。
残念に思います。


誰か僕のことを□□と呼んでください。


隠居生活 早くしたい

2011-10-10 18:18:11 | 


よく地元の住宅街をぶらつきます。
いろんなお家がありいろんな家族がいろんな事情を抱えて
暮らしているんだろう。そんなことを思いながら歩きます。

生垣の花々を見たり庭の植え込みをのぞいたり、
他の人が見ると僕は盗人の下見でもしているように映るかもしれません。

こんな感じの家がいい。平屋でこじんまりとして。
草花に囲まれた小さなお家です。
今はそんな時期なので鬱蒼として少しうらぶれた感じがしますが、
季節によってはきれいな花々が周りを埋め尽くします。
通るたびにいいなと思っていました。



古い建付けで多少増築しているのではないでしょうか。
洋式の煙突が見えます。中に暖炉とかあるのでしょうね。
元々は和式の平屋建てだったようです。



小さな庭があります。
今日のように天気のいい日は日向ぼっこもいいでしょう。
背の高い植え込みが周りを取り囲んでいますから、
芝生にごろんと横になっても気になりません。



小さな蔵もあります。
蔵ってなんかミステリアスです。
僕なら私設図書館にします。
蔵があるくらいだから古くからこの地にお住まいなんでしょうね。


人のお家なのに勝手に物色してすみません。
年をとって隠居生活するならこんな感じのお家がいいなと思ったもので。

自分だけの小さな世界の中で、だれにも迷惑を掛けず、
ひっそりと生きていくにはうってつけかな。


  秋風によろめく竹の垣根より二間こなたのわが机かな

  叔母達と小豆を選りしかたはらにしら菊咲きし家のおもひで

                            与謝野晶子

林芙美子を見に

2011-10-09 21:00:11 | 


結局、気になり神奈川近代文学館へ。
その前に…

まったく冴えないスポーツウエアをまとい、
朝もはよから特急に乗って早朝の横浜港みらい21地区へと。



インターコンチネンタルホテル。
いつか泊まりたいと願うホテルのひとつ。

いかにもこのホテルの宿泊者が朝ジョギングしている風を装って。
そんな人々とすれ違いながら、朝の浜の空気はとてもうまい。





なんとも憎たらしい造形だ。
海岸線に垂直にそそり立つ白い怪物。
そう昔々その昔、大怪獣ガメラシリーズに出てた宇宙怪獣「ギロン」。
頭がどでかい包丁の刃となり何でも切り刻む恐ろしい武器に。
それを思い出す。



こんなダサイ格好で赤レンガ倉庫まで駆け抜けました。


そして大桟橋、山下公園、元町から港の見える丘公園へと向かったのでありました。
もうへとへとですね。






林芙美子展を見ました。

物書きに生涯をささげた人の生き様はどんな作家でも僕は尊敬する。
そんなに真剣に自分と向き合えないから。

苦悩、葛藤、矛盾、嫌悪、理想、愛、希望、、自分の中に渦巻く混沌と格闘しなくてはならない。


僕は結局、逃げ回っているに過ぎない。

それでいい。
せいぜい体を鍛え、健康に気をつけ、普通の人のように死ぬまで生きるまでだ。

二子玉川から三軒茶屋経由の「長旅」

2011-10-08 22:59:08 | 


朝6時に家を出て最寄の駅から田園都市線の二子玉川まで電車で行く。
途中の自由が丘で「林芙美子 没後60年記念展」のチラシをピックアップ。
大井町線への乗り換え時間に眺めていました。

10.1~11.13 神奈川近代文学館
会場では残された原稿・草稿、書簡、遺愛品など400点により、
彼女の作品や生涯を紹介するのだといいます。
「放浪記」が有名ですが他にも「清貧の書」「浮雲」など愛すべき作品が多数あります。

さて、二子玉川駅に到着しまずは目の前を流れる多摩川の川原へと向かいました。
早朝の多摩川の流水はとても清らかで荘厳な感じがしました。
いっそバシャバシャ顔を洗おうかと思いましたが、止めときました。
ちょうど鉄橋を見上げると東急の電車が通るところでした。

思い出深い街、二子玉川…
ここを始発に、多摩川美術大学→砧公園→馬事公苑→…(未定、成行き…)
というのが本日のメニューです。

初めての試みでした。やはり初めてとあってのっけから迷走となり、
第一目標の多摩美大にはどうしても到達できないまま、住宅街を放浪(走)することに…



街の中はやたら金木犀の匂いが漂っていました。この辺、とっても金木犀が多い。
こんなでかい木もありまして僕はこの香りが大好きなのでついうっとりしてしまいます。
10月は金木犀の月です。

「瀬田」という地域を行ったり来たりを繰り返しながら第二目標の砧公園に何とかたどり着きました。
何しろでっかい緑地公園です。昔行ったロンドンのハイドパークを思い出しました。



砧公園から馬事公苑へ。これもなかなか到達できませんでした。
事前に見た地図ではけっこう近くにあるはずなのに用賀のあたりをこれまたぐるぐる迷走…
自分の中にある“本能”だけが頼り。アンテナを張り巡らしてそれでも何とか到着しました。
その頃は大学対抗の競技大会の真っ最中で、休憩をかねてしばし観覧させてもらいました。



女性の競技大会のようです。白馬に乗った清楚なお嬢様学生が華麗に手綱をさばいています。
競技場内のアナウンスで大学名が呼ばれ次々と乗馬を披露。
僕にはどれもすばらしい演技に見えるのですが掲示ボードを見ると点数に開きがあります。
要するに見る目がないということです。

まさにJRAが運営する施設で馬好きにはたまらない場所といえましょう。
休憩所にはビデオでレースの案内と競走馬の紹介が常時流れていました。
目の前に東京農業大学があったので構内を一回りしてきました。
「食と農の博物館」もあり佐渡の特集をしていました。
アンケートに答えたら「佐渡の原生林 霧が育てた森」という、
購入したら4~5千円は下らないだろうという写真集を頂きました。
とっても有難かったのですがその後これがマラソンの枷と化してしまいました…



世田谷通りを成行きで走る。
いつの間にか世田谷線の松陰神社前のあたりに来てしまい、
せっかくだから吉田松陰先生の鎮座像とお墓参りに立ち寄りました。
10.22~23日にかけ「第20回 萩・世田谷幕末維新祭り」というのがあるらしいです。
幕末の志士・奇兵隊パレード、神輿、幕末歴史講演会、萩&会津観光物産展など町中が幕末維新と化すとのこと。

さてようやく三軒茶屋に到着です。





もうお馴染みの三茶です。
すずらん通りの雰囲気が大好きです。
ここの駄菓子バーの椅子でいつもタバコを一服します。
今日も一服。ガキの頃を思い出すこの佇まい。ほっとしますよね。



いよいよ佳境です。
実はこのあたりでは膝や足のくるぶしがジンジン痛んできていました。
もうそろそろ限界かなと思いながらも初志貫徹で頑張ります。

世田谷公園で恒例の植木市が執り行われていました。
「盆栽」眺めるのけっこう好きなんです。
もし一戸建てで庭があったらたぶんこんなんでいっぱいになるはずです。
今はマンションのベランダでこじんまりとですけどね。

もうこの頃には午後1時を過ぎていました。
実は途中で朝飯を済ませました。
またぞろ小腹が空いてきたので三宿通りのラーメン屋さんで、
特製中華そばを食べて今回のマラソンによる「長旅」の終了といたしました。

※ 帰宅し本を読んでたらいつの間にか2時間くらい昼寝してました。
 かなり疲労困憊だったようです…








黒のハットと赤いシューズで

2011-10-02 15:01:30 | 
渋谷の東宝劇場で「アンフェア」を見ました。
雪平夏見、相変わらず不死身でした。

いつもながらとても見応えがありました。
はらはらどきどき、いくつものどんでん返し、
誰が味方で誰が敵か、最後の最後まで気が抜けません。

TVと違いCMで邪魔されないところが映画のよさです。
それに大画面(席は前から3列目のC席…)。
一気に最後まで息もつかせぬ一騎通貫の緊張感が心地よい。

原作者:秦建日子
第一作「推理小説」
第二作「アンフェアな月」
第三作「殺してもいい命」

この日のために全三作を復習の意味で読みました。

今日の終わりからするとまだまだ続く「アンフェア」。
楽しみにしましょう。

さて、秋を意識して黒の厚手の帽子を被りました。
米国製、雉のきれいな羽が横についています。
お気に入りの逸品です。



109のこの場所。前にも記したことがありました。
数少ない僕の青春の思い出の場所です。
もうそんな幻を見ることはなくなりましたが、
この下の階段から息を弾ませ駆け上がってくる一人の少女の幻影。
鏡にその姿が映ります。僕の心が思いっきり高揚する。
その快い感じ、歓喜、性の衝動…

もう全てが溶けて空気のかけらさえありません…。




話しは変わります。
ここは代官山です。

代官山でいまだ1箇所気になっていた場所がありました。

「旧朝倉家住宅」という重要文化財のある場所です。
旧山手通り沿いの代官山交番のすぐ向かいにあります。
入場料100円です。



関東大震災や戦禍を免れ、東京中心部では数少ない大正期の和風住宅です。
近年まで経済企画庁(現内閣府)の渋谷会議所として使われていたとのこと。

大木に囲まれた庭にはどでかい石灯籠が点在しています。
回遊式庭園というのだそうです。



大正ロマン漂うノスタルジックな佇まい。
一時とはいえ心が休まりました。

朝倉さんは豪農でひと財産なした人だとのことです。




多摩川から田園調布、自由が丘、そして・・・

2011-10-01 09:22:13 | 
自分に対する「制約」としてのマラソン、今日はやや趣向を凝らして。
早朝、最寄の駅まで軽くジョギングし東横線に乗って多摩川まで行く。
そこが本日のスタート地点です。



駅の前に柿がなっていました。向こうに素敵な洋館が見えます。
さて、走るか。
大きく朝の新鮮な空気を吸い込み、いざ。



すぐに「多摩川台公園」の急勾配に直面…
ここは小高い丘陵になっており古墳が点在しています。
すぐ隣を多摩川がゆるく流れているので太古から住みやすい場所だったんでしょう。



こんな赤い橋が途中にあります。
散歩している人もちらほらおり毎朝こんなところを散策できたら
とても健康な日々を過ごせるんだろうなぁ…
とか思いながらマイペースで走る、走る、走る。

そうしてこの丘陵を過ぎ下っていくとそこは田園調布の街並み。
まずは「宝来公園」に行き着きます。
何度か来たことがあり、ここの大木に付着する苔を家に持ち帰り育てようとしましたが
結局2~3日で枯れてしまったという苦い体験を思い出しました。
無理に環境を変えてもそれぞれの事情を無視すれば生きられない。そうなんですね。





田園調布駅です。
ここを中心点に同心円上に広がっている。
そのような街づくりがなされている。西洋の都市を見習って作られた街です。
なのでうっかりすると今自分がどこにいるのか分からなくなってしまいます。
碁盤の目のような道に慣れているためこのような作りの街を走っていると
ちょっとした錯覚に見舞われます。いつの間にかまた駅に戻ってしまうとか。



さすがこの街は「匂い」が違います。どこに行ってもなにかフローラルの香りが漂う。
選ばれた人、成功した人、富裕層そんな人たちが静かに暮らしているところです。
比較的こじんまりした瀟洒な洋館があります。こんな家にすめたらなぁ…と思いました。

田園調布を抜け次は自由が丘へ向かいます。
自由が丘は毎日の通勤路でもあり長年親しんできた街ですので、
いわば自分の「庭」のような場所です。その庭に変化がないかどうか、
確かめるようにぐるぐる回りました(もちろん、小走りで)。

ひとつ発見!
マリークレア通りの大井町線ガード下の壁面に素敵な絵が描かれていました。
いつからなんでしょう、全然気がつきませんでした。



お母さんと娘たちの「女の園」といったところでしょうか。
そう自由が丘は女の人のためにあるような街なんです。
トップにある女の子の絵もとっても気持ちよさそうです。
自由が丘に住む女性はみなとっても幸せなのかな。
そんな願いがこめられた絵なんですね。



そして都立大学から学芸大学へ。
これは碑文谷公園の噴水です。
ボートにも乗れます。
昼くらいには家族連れでボートを漕ぐ姿でにぎわうはずです。

街並みの一角に彼岸花が真っ赤に色づいて咲いていました。



秋ですね。
彼岸花を見ると田園風景を想起します。
田んぼのあぜ道、お地蔵様の脇にそっと咲いていた彼岸花。
なんで田んぼに咲いているのか今でも不思議です。
刈って干してある稲の黄色と田んぼの茶、そこにある鮮やかな赤色は
とっても印象的でした。
お墓にもよくあったのでそれを思うと少しゾクゾクしたものです。

これから少しずつ寒くなりまた冬がやってくるのですね。
秋は淋しい季節です。
しっかりしないといけませんね。

洗濯も終わったようです。外はやや曇りぎみ。
早めに洗濯物を干し、これから渋谷に映画を見に行きましょう。
今日はそう決めています。



もみじ、とうがらし、ブルーベリー …

2011-09-25 18:09:21 | 

なんのことやらと思われるでしょうが、
久しぶりに「庭」の手入れをしたのです。

何を植えてもそのうち立ち枯れてしまい長続きしない僕の庭…
今回は趣向を変えて「もみじ」、「とうがらし」、「ブルーベリー」などを植えてみました。
枯らしたバラの鉢植え2つにもみじとブルーベリーの苗木を据え、
とうがらし2種は横長の植木鉢に。

作業後に腰が痛くなり揉み解しに銭湯へ行きました。




「なんくる」ゾウリに半そでシャツといういでたちでしたが、
1時間ほど粘りポッカポカで外に出ると、やたら肌寒くてまいりました。
もう夏ではありません、秋なんですね、実感しました。



夕方なのに「わっしょい!わっしょい!」の勇ましい声が遠くから聞こえます。
びっぴっ!ぴっぴっ!という笛の音にあわせてお神輿を担いでいるようです。
この辺の町内をぐるぐる回っている。毎年のことで今年もしっかりやっています。


小腹が減った…

さて、ちょっこらビールでも飲んでくるかな。

国語の教科書

2011-09-24 21:19:26 | 

国語の授業は比較的好きだった。
特に高校三年生のときの国語の先生の話しはとても面白くてためになった。
受験など意識する風もなく別の面で一生懸命でとにかく授業が楽しみだった。
先生の顔は今もふっと思い出す。そのくせ名前は思い出せない。
先生はなにか生きることの大変さを正直に真摯に語ってくれていた。
受験勉強などというものの空虚さをみな知っていた。
そんな乾ききった日常の一滴の清涼水のような感じがしていた。
あの先生はまだ元気でいるでいるだろうか・・・

国語といっても好きなのは現代国語である。
古文や漢文は好きというほどではなかったが丸暗記していればよい点が取れた。
けれど現代国語だけはなかなかよい点数が取れなかった。
論説文などロジカルな文章の読解はまだしも詩や小説といった文学作品の読解に難があった。
作家が何を考え何を表現し訴えたかったかということ。
その点、いつも僕の答えとテストの回答は違っていた。
「文部省指導要領」にあるような答えを僕は記述することがなかった。
文学のテーマなどそんなきれいごとではないと僕は思っていた。
たいていが死ぬことや男と女の関係、社会への反発、人間への信頼と不信、、、、
とてもお役所がよしとするような解釈などないと思っていた。
そういうことを正直に書くとあまりよい点数にはならなかった。

その先生は小説や詩を読む力は若いときにどれだけ作品に親しんだかで決まる。
だから何でもいいからがむしゃらに本を読みなさい。そうおっしゃっていた。
中学、高校、20才くらいまでに。
受験勉強という必要悪が強いられる中で僕が本を読む時間と空間はたいてい、
通学するローカル線の汽車の中だった。行きも帰りも1時間以上あり格好の図書室だった。

夏目漱石、森鴎外、芥川龍之介、太宰治、谷崎潤一郎、志賀直哉、有島武郎、武者小路実篤、
川端康成、山本有三、井伏鱒二、阿部公房、小林多喜二、宮沢賢治、中原中也、室生犀星・・・・

乱読もいいところだった。

けれどそうした人間の真実を知ることは生きることを辛くさせた。
ましてやこんな現代社会で都合よく生きようと思うと足かせにさえなった。
真実と虚構の使い分けをしないととてもじゃないが食べることすらままならない。

そんな狭間で僕は生き延びてきたような気がする。

けれども今は一定の覚悟を決めている。そうして生きようと思っている。

あの高校三年のときの国語の先生もきっとそうだったに違いない。きっと…




「恋愛小説」を読みたくなり

2011-09-23 16:52:19 | 

書店で物色し、吉田修一の「東京湾景」を喫茶店で一気に読んだ。


単調といえば、実に単調な仕事なのだが、
自分にはこのような単調な仕事が、
肌に合っているのではないかと亮介は思う。
どんな物でもいい、今ある場所から、
どこか別の場所に何かを動かすという作業は、
決して退屈な仕事ではない。
ただ、ときどき訳もなく虚しさを感じることもある。
本当に理由などまったくないのだが、
たとえば自分が運んでいるこれらの荷物の中身が、
実は全て空っぽなのではないだろうかと、
何の根拠もないのだが、ふと思ってしまうのだ。


…人ってさ、そういう誰かのこと、好きになれないだろ?
俺、あの人と別れてからそう思った。
誰かのことを好きになるって、俺に言わせりゃ、
自分の思い通りに夢を見るくらい大変で、
なんていうか、俺の気持ちのはずなのに、
誰かがスイッチ入れないとONにならないし、
誰かがスイッチ切らないとOFFになってくれない。
好きになろうと思って、好きになれるもんじゃないし、
嫌いになろうと思ったって、嫌いになれるもんじゃない…


まるで自分が、亮介ではなく、
亮介のからだに魅かれているような言い方。
あれは、もしもこの恋が終わっても、
亮介と別れるのではなく、
亮介のからだにと別れただけなのだと、
自分に言い聞かせるための準備だったのかもしれない。


本当に、自分たちは心と心で繋がってるんだって、
心と心だけでしか繋がってないんだって、
そう胸を張って言える人に、
いつか出会いたいって、


亮介のことを心から自分が愛しているのだと分かったその夜に、
美緒は亮介と一緒の布団の中で、たった一人で眠った。



亮介のからだではなく、彼の何かが、東京湾をまっすぐに、
今、自分のほうへ泳いできている。




というハッピーエンドの物語。
「恋愛小説を読みたい」という僕の中の欲求はいちおう満たされた。

言葉に記し残さないと恋愛という心の動きは自分でも分からない。
逆に、自分でもわからないまま、人は恋愛を通り過ぎるのかもしれない。
小説で語られるほど冷静ではいられない。
それが恋愛なのだろう。






やはり

2011-09-17 20:12:38 | 
どんなにはしゃいでみせようと、どうしても自分から逃げられない。
仕事から逃避したい自分、くだらない日常から逃避したい自分、
家族やしがらみから逃避したい自分、そして、
「自分」から逃避したい自分。
こんな自分を語る僕という自分は、いつもいったいどこに存在しているんだろうと思う。
人間は少なくとも3つ以上の人格を持っているという。
本来の自分、人格を僕はどうやって認知するんだろう。
普段の自分はケースバイケースで自分の「顔」を変えているはず。
もはや意識もしない習慣、処世術、行動や言葉としてずーっと以前から、
息を吸ったり、排泄したりといった体の機能と区別がない。

逆に僕の核となっている自分に戻る瞬間はどんな場合なんだろう。
よくよく考えたとき、思い当たることがひとつある。

逃げ場を失ったとき。

そう、それだ!
逃げ場があり逃げ続けられる内は決してコアの自分は出てこない。
追い詰められて始めてかま首をもたげる。

なぜ本来の自分でいられないの?
社会の諸関係、経済条件、すなわち直面する「現実」と思い切り衝突するから。
自分を取り巻く現実と対峙し、自分を貫くことの非現実性に、
若い一時期の体験からか、悟りにも近い領域で、ずいぶん昔に承知し切ってしまった。
「諦観」。
その途端、それでも生きて行くのだとすれば、
本来の自分を深く沈潜させるより他仕方なかったのだろう。
方便さ。生きるための方便。
それが僕の無意識のうちのいくつかの自分、いくつかの顔を形成させた。
誠実な市民づら、その苦痛ゆえに別の自分は自棄になる。ギャップがかなり酷い。

自分と自分が衝突し均衡が崩れ、
困り果ててはじめて、僕は本来の自分に帰る。
現実世界に自分が登場するのはこんなギリギリの瀬戸際。

いま、本来の自分に帰っている瞬間に僕はいる。
そう、「逃げ場」がなくなった。
いくつかの自分に対しコントロールを失ってしまったのだ。

ろくな生き方をしてこなかったが、僕はきっとろくな死に方をしないだろう。
せいぜい世間に迷惑だけはかけないようにしよう。
そういまの自分は思っている。

けど明日からまた違う自分に支配される自分という、
ひたすらループするパラドックス・・・。

ん!?
こんなことを別の地点から観察しているのは、
いったい誰?

すべての自分を俯瞰する神に近い何ものか・・・

恋緑

2011-09-09 17:17:17 | 
沖縄の色といえば海のブルー、ハイビスカスのレッド、
熱帯魚のパステルカラーなどが想起される。

僕は最近になり濃いグリーンだなと思う。
圧倒的な日差しのなかでそれを反射し目に痛いほどのグリーン。
生きとしいけるものの生命の力の色だ。
他のなにものをも寄せ付けない断固たる決意の発露。
緑がとめどなく永遠に湧いてはびこる。
原始の色、沖縄の底力のようだ。

緑に浮かぶ赤や黄色、青やピンクばかりに目を奪われてきたが、
沖縄はグリーンしかもディープグリーンが正体とわかった。

これは今回の旅の大きな発見だった。

濃い緑が「恋緑」となったがこれもありかなと放置。
緑が恋しい。名残惜しい。いまさらながら。