ある記憶

遥か遠くにいってしまった記憶たち

専門的ということ

2008-01-17 22:56:40 | 
部下が、ある雑誌に掲載されたやけに太った男の写真を見て、「いったい何キロあるんだろう。みんなこうならないように気をつけなきゃね」と、それを差し出した。(一番やばいのは・・・、と思いながらも武士の情けで多くは語らなかったが・・)
なんと、元祖オタク評論家の「岡田斗司夫」ではないか!?しかもそのページの隣に現在の写真が大きく載っていた。同一人物であることに部下は気がついていない。
体重117キロ→67キロ、体脂肪率42%→17%という凄まじいばかりの成果を達成した岡田斗司夫は、まるで別人。すっかり上品なジェントルマンになっていたのである!?今も大学の客員教授(「オタク論」?)をしているようだが、確かに教授然とした風貌になりきっていた。
昔の脂ぎって見るからに息苦しそうな体躯の面影は、もはやどこにも無かった。

「これとこれは同じ人だよ」

「えぇぇぇ~・・・・(ひぇぇぇ~)」

部下の悲鳴にも似た驚きの声に心臓が止まるかと思った(ウソ)。
岡田は、調子に乗ってそのページにダイエットの「秘法」をまとめた本の紹介までしていた。ここまでに至るには並大抵のことではなかったろう。一読の価値はありそうだ。

で、デブのダイエット法を語りたかったわけではなく、その「オタク」にこだわり続け、学問にまで昇華させた岡田斗司夫の凄さというか、専門性についてである。
誰も見向きもしない分野や事象、現象にとことんこだわり続け、何がしかの本でも出せば、一夜にしてその道のオーソリティーになれるということ。オタクでもオムツでも何でもいいのである。

僕の大学の同期のノ●ベ●賞のTのことは前に書いたので省略する。ふたつ下の寄宿舎の後輩Iについて。
90年代の半ば、神戸の震災の前後でインドネシアやらパプアニューギニアやらフィリピン沖やらで大地震がやたら続いた。そのたびに「津波」の被害や日本への影響が語られた。その時に、必ずTVに登場するわが「母校」の先生がいた。歯切れの悪いしゃべり口といい、細面の色白の容姿といい、まさにIではないか。Iは若くして教授となった。しかも専門は、「津波」学・・・!?
Iは、その頃誰も見向きもしなかった「津波」の研究に、憑かれたように没頭したらしいことを風の噂で聞いた。津波に没頭したくなったIの気持ちもわからぬではない。
何でも良かったんだろう。寧ろ、皆が大宇宙だ天体だ、アインシュタインだと騒がしかった時に、ひっそり日の当たらないところにいたかったに違いない。
それが、意外なところで脚光を浴び、TVにまでひっぱりだされたから本人もたまらなかったろう。何しろ、津波をそれとして語れる専門家がいなかった。ご愁傷様である。
それにしても、「うろ覚えのI」と言われていたあの男がこんなに立派になっているとは。感動ものであった。
他にも、ペレストロイカの最中、ゴルバチョフに直撃インタビューしていたとある新聞社に就職した後輩のTの勇姿にも感動した。
他にも、、、。きりがないのでやめよう。

それにしても、きょうび、人のする裏の専門性を磨き上げることが成功の秘訣といえるかも知れない。みんながすることをしたのでは大成はしない。なぜなら競争が厳し過ぎるから。競争の無い分野をいかに見つけるか。「先生」と呼ばれる近道が、そこにある。
「オタク」「電車男」「津波」、・・・・。
僕の場合は、・・・何だろうか。日陰者の逆襲。
部下はことによると「メタボ」評論家。メタボはもうメジャー過ぎるかな。

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