ある記憶

遥か遠くにいってしまった記憶たち

もみじ、とうがらし、ブルーベリー …

2011-09-25 18:09:21 | 

なんのことやらと思われるでしょうが、
久しぶりに「庭」の手入れをしたのです。

何を植えてもそのうち立ち枯れてしまい長続きしない僕の庭…
今回は趣向を変えて「もみじ」、「とうがらし」、「ブルーベリー」などを植えてみました。
枯らしたバラの鉢植え2つにもみじとブルーベリーの苗木を据え、
とうがらし2種は横長の植木鉢に。

作業後に腰が痛くなり揉み解しに銭湯へ行きました。




「なんくる」ゾウリに半そでシャツといういでたちでしたが、
1時間ほど粘りポッカポカで外に出ると、やたら肌寒くてまいりました。
もう夏ではありません、秋なんですね、実感しました。



夕方なのに「わっしょい!わっしょい!」の勇ましい声が遠くから聞こえます。
びっぴっ!ぴっぴっ!という笛の音にあわせてお神輿を担いでいるようです。
この辺の町内をぐるぐる回っている。毎年のことで今年もしっかりやっています。


小腹が減った…

さて、ちょっこらビールでも飲んでくるかな。

国語の教科書

2011-09-24 21:19:26 | 

国語の授業は比較的好きだった。
特に高校三年生のときの国語の先生の話しはとても面白くてためになった。
受験など意識する風もなく別の面で一生懸命でとにかく授業が楽しみだった。
先生の顔は今もふっと思い出す。そのくせ名前は思い出せない。
先生はなにか生きることの大変さを正直に真摯に語ってくれていた。
受験勉強などというものの空虚さをみな知っていた。
そんな乾ききった日常の一滴の清涼水のような感じがしていた。
あの先生はまだ元気でいるでいるだろうか・・・

国語といっても好きなのは現代国語である。
古文や漢文は好きというほどではなかったが丸暗記していればよい点が取れた。
けれど現代国語だけはなかなかよい点数が取れなかった。
論説文などロジカルな文章の読解はまだしも詩や小説といった文学作品の読解に難があった。
作家が何を考え何を表現し訴えたかったかということ。
その点、いつも僕の答えとテストの回答は違っていた。
「文部省指導要領」にあるような答えを僕は記述することがなかった。
文学のテーマなどそんなきれいごとではないと僕は思っていた。
たいていが死ぬことや男と女の関係、社会への反発、人間への信頼と不信、、、、
とてもお役所がよしとするような解釈などないと思っていた。
そういうことを正直に書くとあまりよい点数にはならなかった。

その先生は小説や詩を読む力は若いときにどれだけ作品に親しんだかで決まる。
だから何でもいいからがむしゃらに本を読みなさい。そうおっしゃっていた。
中学、高校、20才くらいまでに。
受験勉強という必要悪が強いられる中で僕が本を読む時間と空間はたいてい、
通学するローカル線の汽車の中だった。行きも帰りも1時間以上あり格好の図書室だった。

夏目漱石、森鴎外、芥川龍之介、太宰治、谷崎潤一郎、志賀直哉、有島武郎、武者小路実篤、
川端康成、山本有三、井伏鱒二、阿部公房、小林多喜二、宮沢賢治、中原中也、室生犀星・・・・

乱読もいいところだった。

けれどそうした人間の真実を知ることは生きることを辛くさせた。
ましてやこんな現代社会で都合よく生きようと思うと足かせにさえなった。
真実と虚構の使い分けをしないととてもじゃないが食べることすらままならない。

そんな狭間で僕は生き延びてきたような気がする。

けれども今は一定の覚悟を決めている。そうして生きようと思っている。

あの高校三年のときの国語の先生もきっとそうだったに違いない。きっと…




「恋愛小説」を読みたくなり

2011-09-23 16:52:19 | 

書店で物色し、吉田修一の「東京湾景」を喫茶店で一気に読んだ。


単調といえば、実に単調な仕事なのだが、
自分にはこのような単調な仕事が、
肌に合っているのではないかと亮介は思う。
どんな物でもいい、今ある場所から、
どこか別の場所に何かを動かすという作業は、
決して退屈な仕事ではない。
ただ、ときどき訳もなく虚しさを感じることもある。
本当に理由などまったくないのだが、
たとえば自分が運んでいるこれらの荷物の中身が、
実は全て空っぽなのではないだろうかと、
何の根拠もないのだが、ふと思ってしまうのだ。


…人ってさ、そういう誰かのこと、好きになれないだろ?
俺、あの人と別れてからそう思った。
誰かのことを好きになるって、俺に言わせりゃ、
自分の思い通りに夢を見るくらい大変で、
なんていうか、俺の気持ちのはずなのに、
誰かがスイッチ入れないとONにならないし、
誰かがスイッチ切らないとOFFになってくれない。
好きになろうと思って、好きになれるもんじゃないし、
嫌いになろうと思ったって、嫌いになれるもんじゃない…


まるで自分が、亮介ではなく、
亮介のからだに魅かれているような言い方。
あれは、もしもこの恋が終わっても、
亮介と別れるのではなく、
亮介のからだにと別れただけなのだと、
自分に言い聞かせるための準備だったのかもしれない。


本当に、自分たちは心と心で繋がってるんだって、
心と心だけでしか繋がってないんだって、
そう胸を張って言える人に、
いつか出会いたいって、


亮介のことを心から自分が愛しているのだと分かったその夜に、
美緒は亮介と一緒の布団の中で、たった一人で眠った。



亮介のからだではなく、彼の何かが、東京湾をまっすぐに、
今、自分のほうへ泳いできている。




というハッピーエンドの物語。
「恋愛小説を読みたい」という僕の中の欲求はいちおう満たされた。

言葉に記し残さないと恋愛という心の動きは自分でも分からない。
逆に、自分でもわからないまま、人は恋愛を通り過ぎるのかもしれない。
小説で語られるほど冷静ではいられない。
それが恋愛なのだろう。






やはり

2011-09-17 20:12:38 | 
どんなにはしゃいでみせようと、どうしても自分から逃げられない。
仕事から逃避したい自分、くだらない日常から逃避したい自分、
家族やしがらみから逃避したい自分、そして、
「自分」から逃避したい自分。
こんな自分を語る僕という自分は、いつもいったいどこに存在しているんだろうと思う。
人間は少なくとも3つ以上の人格を持っているという。
本来の自分、人格を僕はどうやって認知するんだろう。
普段の自分はケースバイケースで自分の「顔」を変えているはず。
もはや意識もしない習慣、処世術、行動や言葉としてずーっと以前から、
息を吸ったり、排泄したりといった体の機能と区別がない。

逆に僕の核となっている自分に戻る瞬間はどんな場合なんだろう。
よくよく考えたとき、思い当たることがひとつある。

逃げ場を失ったとき。

そう、それだ!
逃げ場があり逃げ続けられる内は決してコアの自分は出てこない。
追い詰められて始めてかま首をもたげる。

なぜ本来の自分でいられないの?
社会の諸関係、経済条件、すなわち直面する「現実」と思い切り衝突するから。
自分を取り巻く現実と対峙し、自分を貫くことの非現実性に、
若い一時期の体験からか、悟りにも近い領域で、ずいぶん昔に承知し切ってしまった。
「諦観」。
その途端、それでも生きて行くのだとすれば、
本来の自分を深く沈潜させるより他仕方なかったのだろう。
方便さ。生きるための方便。
それが僕の無意識のうちのいくつかの自分、いくつかの顔を形成させた。
誠実な市民づら、その苦痛ゆえに別の自分は自棄になる。ギャップがかなり酷い。

自分と自分が衝突し均衡が崩れ、
困り果ててはじめて、僕は本来の自分に帰る。
現実世界に自分が登場するのはこんなギリギリの瀬戸際。

いま、本来の自分に帰っている瞬間に僕はいる。
そう、「逃げ場」がなくなった。
いくつかの自分に対しコントロールを失ってしまったのだ。

ろくな生き方をしてこなかったが、僕はきっとろくな死に方をしないだろう。
せいぜい世間に迷惑だけはかけないようにしよう。
そういまの自分は思っている。

けど明日からまた違う自分に支配される自分という、
ひたすらループするパラドックス・・・。

ん!?
こんなことを別の地点から観察しているのは、
いったい誰?

すべての自分を俯瞰する神に近い何ものか・・・

恋緑

2011-09-09 17:17:17 | 
沖縄の色といえば海のブルー、ハイビスカスのレッド、
熱帯魚のパステルカラーなどが想起される。

僕は最近になり濃いグリーンだなと思う。
圧倒的な日差しのなかでそれを反射し目に痛いほどのグリーン。
生きとしいけるものの生命の力の色だ。
他のなにものをも寄せ付けない断固たる決意の発露。
緑がとめどなく永遠に湧いてはびこる。
原始の色、沖縄の底力のようだ。

緑に浮かぶ赤や黄色、青やピンクばかりに目を奪われてきたが、
沖縄はグリーンしかもディープグリーンが正体とわかった。

これは今回の旅の大きな発見だった。

濃い緑が「恋緑」となったがこれもありかなと放置。
緑が恋しい。名残惜しい。いまさらながら。




サザンビーチホテル&リゾートで

2011-09-08 18:29:27 | 
糸満市の漁港を東に、広大な東シナ海を西に。
西向きの部屋からはドラマチックなサンセットが望める。
「美々(びび)ビーチ」が眼下に広がり、まだまだ遊泳は旬。
たくさんのカップルや家族連れでにぎわう。
ホテルのプライベートプールも充実している。

なにしろ分不相応なほど贅沢なホテルだ。

もうすぐサンセット。
感動的な絵がそこに広がる。



ひとっ飛び 国際通りへ

2011-09-07 18:02:52 | 
写真は伊江島の滞在先のプールで。

話は急展開。
ひとっ飛び、那覇市の国際通り。
空きっ腹を市場のいつもの食堂で満たし、土産物の物色。
まず実家の父母用。
父の好きな黒砂糖系を5袋ほど籠へ。
春ウコンの瓶詰めにゴーヤ茶、ノニ茶などヘルシー健康ものをどっさり。
こっちは母へ。
アーサー海苔、もずく、海ブドウ、紅いも類。
1万円越えると送料無料らしいので、
やたら菓子などを詰め込み最後に特撰古酒10年でフィニッシュ。

会社にも1万円目指し泡盛4本にお菓子類を詰め込んだ。
知り合い用にも見繕いこっちは自宅へ。

これですっきり。
めんどうだけど土産物は大切だ。

自分用に香水も2本買う。
カルバン・クラインとバーバリー。爽やかさ重視で。

伊江島とおさらば

2011-09-07 10:20:42 | 
伊江島は雨が降らない。降るのは台風が来たときくらい。
島のあちこちに溜め池があり「地下ダム」なる施設を建築中だという。
また湧水(ワジー)というわき水もあり水にあまり困らない。
電照菊、葉タバコ、落花生などの産地で島の大半は畑である。

この島のシンボルである城山(グスクヤマ)には昨日の夕方に登った。
ももの筋肉が痛くなるほどの垂直歩行、てっぺんは絶景なり!
ちゅら海水族館からこのとんがりがよく見える。
いつか登ってやろうとの思いが今回達成され満足。

こんな伊江島とも早お別れである。
10時のフェリーで本部へ。
朝は日の出とともに伊江ビーチや青少年研修の森公園をラストランした。
www伊江リゾートは一度は泊まる価値のあるお奨めのコテージ。
オクマプライベートリゾートの次にいい。
ニライカナイの上くらい。
さて今日はどこいくかな。

滞在記・二日目

2011-09-06 18:09:33 | 
旅先で早朝走るということ。旅の定番となった。
日が昇か昇らないかの境に颯爽と町に繰り出す。
誰もいない町の空気を吸い景色を目に刻む。
健康のためもあるがそればかりではない。
日中人だかりの町にない自然の息吹きを感じられるのがいい。
僕と自然だけある世界だ。今朝は伊江島の早朝を堪能した。
朝食も美味い。

旅の今回のもう一つの友は「与謝野晶子」。
愛と情熱の歌人だ。

春みじかし何に不滅の命ぞとちからある乳を手にさぐらせぬ

こんなにも愛された鉄幹は幸せものだった。
それにしてもエロチック過ぎ。
コバルトブルーの海と真っ青な空をデッキチェアから遠く望みながら
こんな歌集を読んでる人などいない。
しかも朝っばらだ。

午前中いっぱいプールで泳ぎ、沖縄そばを食いに町場へ出かけた。
暑いが日陰は風がひんやりとして涼しい。これが沖縄の空気だ。
過ごしやすい。
漁師さんや地元の人で溢れるさり気ない食堂へ。
当然まずいはずがない。

午後は沖へ釣りに出かけた。
漁港から15分くらいで大海原。水深は30メートル。水は濃い青だ。
撒き餌の下に針が6本もある仕掛けで釣り糸を垂らすや否や、
もう「入れ食い」!!
グスクンというアジのような魚の他、あいなめを七色に染めたようなのや、
真っ赤な魚、黄色と青の魚。あっと言う間の2時間、30匹は釣れたろう。

帰って風呂に入りこうして夕涼みをしている。
波の音を聞きながら夕食までの束の間のひととき。
ほどよい疲れと少しばかりの空腹が何となく幸せだ。
今日はどをな古酒を堪能しようか。

沖縄旅行記・伊江島編

2011-09-05 20:06:14 | 
沖縄はこれで5回目だろう。
本部港からフェリーに乗り伊江島に行く。
ちゅら海水族館から目の前に見える島。
とんがった山があり登ってみたくなった。

フェリーが出港し瀬底島の大桟橋をくぐった。
東シナ海の大海原に出て30分の短い航海。

天気は最高!デッキに出よう。

伊江島では自転車でいろんな名所を回る。
海岸添いの断崖の勇壮な様、聖なる洞窟ニィアティヤ、
米軍基地後と団結集会所、等など。

畑と豚舎が広がるなかジリジリした日差しが肌に痛い。
午後はビーチで泳ごう。


伊江ビーチで泳ぎYYY!伊江リゾートのプールで泳ぎ、
その後、ジャグジー&サウナで疲れを癒した。
和食の夕飯、泡盛古酒10年もので酩酊した。

明日は伊江島タッチュ~(とんがりのことらしい)へ登ろう。