ある記憶

遥か遠くにいってしまった記憶たち

僕はそれでも生きている

2010-11-13 08:21:53 | 
なかなかこれに向き合うことができない。

衝撃的な出来事とか、大きな環境の変化とか、
はたまた劇的な心境の変化とかが、、、

あったわけではないのです。

ぼんやりとした不安…

そんなひとことで人生を総括した作家もいました。
これに近いのかもしれない。

けれどそこまで厭世的になっているわけでもない。



心配はいらない。

きっと書きたいことがいっぱい湧き出てくる時がくる。
その日を信じて。


長いあまりにも長い…

2010-09-25 21:08:57 | 
このブログと向き合うのもだいぶ久しぶりとなりました。


僕はと言えば、そこはかとない深海の、黄泉の国かと思えるような息苦しい無限の海底を、
意志のない透明な深海生物のように、ゆらゆらさ迷っているかのようでした。
上や下という光や重力、右や左の見境いさえもどうでもよくなり、
僕はただ堕ちていく感覚だけで、それに抗うこともなくただひたすらに、
運命に従順な信徒のように、自然でした。
自然に絶望していく感覚。


読みもしない古本を今日もいっぱい買ってきました。
毎日お酒をたくさん飲んでいます。


僕がブログを記すのは、僕という存在を肯定したかったからに他なりません。
生きる希望を何かどこかに見つけたかったのです。
もともと自分を肯定できない懐疑的な思想を持つ僕は、
それでも僕という存在について、何らかの意味があるのであろうと、
実際を綴ることで、確認をしたかった。

現実にある自分はあいも変わらずくだらない自分ではありましたが、
それも人間だろうと、僕もその人間だろうと、小さな事まで記すことで、
それが生きることであり、僕の存在なんだろうと、
結構努力をしながら認めてきたのですね。


そういうことが、もともと苦手なはずだった。


深海の透明な海老が、ほとんど動きのない深海の世界で、
動いているのやら何か思っているのやら全く分からないように、
僕は現実社会でただゆらゆらしています。


ビジネスも生活も何もかも一般世間並みにこなしています。


ただそれだけ。
それ以外に僕に何があるというのでしょう。

あるとすればあとどれだけか知らない、時間という不可思議なもの。
他に何もない。ほんと何もない。


僕は僕という運命を呪っている…

なんてレトリックに酔うなよ。


都会の真ん中の武蔵野

2010-06-05 21:32:29 | 
明治神宮に行ってきました。

何年ぶりでしょう。

原宿や表参道にもめったに来なくなった。
表参道から明治通りのひとつ裏の道を通り渋谷に向かう。
その通りの枝分かれする細道にあるショップを見て歩くのが好きだった…

明治神宮の敷地内の広い道を歩くと都会の喧騒を完全に忘れさせる。
遠い太古の昔からある原生林、武蔵野を彷彿させるような落ち着いた木々の佇まいだ。





本堂へ行くのにくぐる鳥居。これで3つ目。
お賽銭をし柏手を打つ人々。
心なしか若い女性が多いように感じる。

僕も同じように二礼二拍一礼、そして目をつむった。
何も祈ることはなかった。
ただ静かに頭の中を無にしただけ…




新宿方向の出口からドコモビルが見えた。
不思議な風景に思わずパチリ。

現代と太古の混在、喧騒と静寂、、、
僕らはこれからどこへ行くのだろう。


静かに煮詰まりつつあり…

2010-03-10 22:34:13 | 
静かに、煮詰まりつつあるような…

気のせいであればよいのですが。


僕には周期があった。
約5年。

確かに。

5年ごとに変化が起きました。
けれどもう10年たっています。


いや、5年かもしれません。
変化をどう考えるかですがよく考えるとやはり5年が正確なカウント。

不思議なのは「劇的」という感じがしません。
今回は〝静かに煮詰まる〟という感覚。

何が変化なのかもよくわからないまま、
静かに、静かにどこかへ向かおうとしているような、
そう、
ぽつねんと乗った小舟が、
深い霧の湖面を
ゆっくり流されていく。
そのような寂寥感…


変化でもなんでもないのかもしれません。
過去の周期だって当てにならない思い込みだったかもしれません。


きのうある業者のお偉いさんとお酒を飲みました。

その方がおっしゃっていた「絆」という言葉が妙に心に残っています。


きっとみな絆を求めている。
そうに違いないと思いました。


僕は意外と元気です。


母が入院する

2010-03-03 18:50:58 | 
田舎にいる母親が地元の町立病院に入院します。

ずっと放置していた胆石が胆嚢を切除するまで悪影響を及ぼしているのだと言います。
今日から検査入院し手術は来週初とのことですが、
随分と検査に時間がかかるのが気になります。
他にも何か精密に調べることがあるのでしょうか。

この際だから徹底的に調べてもらうことに越したことはありません。
それにしても心配です。


実家は年老いた夫婦二人きりなので、
母が入院している間、父親はどうしているのだろう。そちらの方がもっと気になります。

やりなれない家事やなにやらで事故でも起こさなければいいけれど・・・
週末から妹が帰省するようです。
弟も帰ると言っていました。

僕はと言えば、
「死ぬや生きるやの瀬戸際でもあるまいし、大げさだ」
なんて強がってはみたものの、
本当はね、顔を見せるくらいはしたいんだけれど、
素直じゃないなぁ。


母ちゃんがんばれよ。
父ちゃんもこんな時こそしっかりしろよ。

馬鹿息子に言われたくないよね・・・(苦笑)



もう1月も半ばを過ぎ

2010-01-18 19:08:02 | 

早いもんです。

お正月もあっと言う間に過ぎて、
いつもと何ら変わらない日常に戻りました。

毎日、一日として同じ日はなく、
時は未来にむけ刻まれていくはずなのに、
それを感じ取れないのは感性の鈍化なんでしょう。

わくわくする。
どきどきする。
はらはらする。
うずうずする。
ずきずきする。

そんな何何するという心の営みが足りない。
昔はそれを読書に求めました。
友達と遊ぶことで満たしました。
何より恋愛こそその源泉でした。
とめどなく湧きいずるがごとく。

同じ毎日にしてはいけませんね。

今日はこんな美味しいものを食べた。でもいい。
昨日知らなかった今日の新らしい体験。
「代償」を何かに求める。

いまの仕事中心の環境下では、
ほんのささやかなものしか現実性はないでしょう。

「食い道楽」。
お酒はもういらない。
「食」か。

ん、、、いまいち気乗りしません。

なんて言ってたらお腹すいてきた。
で、結局コンビニやその辺で済ましてしまうんです。

続きそうにありません。


何か無いかな・・・



こんなんじゃダメだよね

2010-01-12 19:59:45 | 
新年早々、こんな情けないことばかり吐露したら駄目だよね。

みんなを不快にさせるばかり。
自分の弱さを曝け出しても何もプラスはない。
そんなことは誰しも当たり前でその上でみな頑張って生きている。
むしろそんな頑張っている姿にこそ共感する。

艱難辛苦を乗り越えること。
未来永劫、駄目な自分かも知れないが、それでも向上心を忘れないこと。
期待や希望を持ち続けること。

僕は自分から一生離れては存立しえない。
だから自分を諦めてはいけない。

自己嫌悪は何度でも繰り返そう。
じゃないと謙虚さを忘れるから。
それでも「しょうがない奴だな」と、優しい慈悲の眼でみてやり、
何度でも立ち直ろう。


そう、「虚無」は何物も生み出さない。

もう一度こころの仕切り直しをしましょう。

駄目な自分に乾杯(^^)/▽☆▽\(^^)



飲み会だけど

2009-10-01 13:38:53 | 
ほんとうはもっとウキウキしてよいのだろうけど、
なんとなくブルーちっく。
ビジネス上のお付き合いということもありますが、
「今日も美味い酒が飲めるぞ~」
みたいなノリに欠けます。
もちろん女っ気は抜きでこれはいつものことだから
いいとしても、なんだろなぁ~このけだるさ。

どうせ行くならテンション上げないと。
相手にも失礼ですよね。
何となく歯車が噛み合わない毎日です。

今食べているランチは青椒肉絲定食。
「日替わり」といことで特に内容も気にせず注文しました。
好んで食べるメニューじゃなかった・・・。
1200円もとられるのになぁ。

スペイン料理に高級ワインだぞ~~~

もっと自分を奮い立たせねば!
(食欲をかよ


現実逃避したくなる時

2009-09-23 07:53:05 | 



誰しも今の現実から逃避したいと思うことがあるでしょう。
僕もしょっちゅう思います。
けれども結局逃げられないとわかっているので、

ぶっちぎり逃避行!!! という訳にはいきません。


そんな時、一時だけでも心だけ逃避するいくつかの術を知っています。

音楽を聴く、映画をみる、本を読むそして絵画をみる。
そうすると人類の英知である芸術とは人の心を癒すためにあるのだと、
当たり前のことに気が付きます。

もちろんそうはいっても商業的な面も併せ持つのですが、
本質は他の産業と違って〝お金儲け〟にあるのではないでしょう。


バルビゾン派の巨匠ミレーの「羊飼いの少女」という作品です。
この少女は何を思いながら手を合わせているのでしょう。
大地や自然に感謝しているのでしょうか。
それとも辛い仕事や貧しい生活からの救済を神に祈るのでしょうか。
いつの時代も人間が生きるということの根本に違いはありません。



お酒を飲む、ギャンブルをする、●●をする、…
ちょっとした現実逃避は他にもいろいろありますが、
こちらの方は相当性質の悪い「逃避」であり我に帰った瞬間、
逃避すべき現実がさらに重たくのしかかってきます。
こっち方面はなるべく陥らないようにしていますが、
実際はどうでしょう…


現実逃避したくなる時…

何かの重圧に負けそうになる時。
我慢が限界に達した時。
自分に自信がなくなった時。
大切なものを失った時。
虚無感。


今日の僕はどれでしょうか。


そろそろ会社へ行こうか。← これか、、、、



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何か歯車がかみ合わない

2009-09-19 22:45:12 | 



故郷の母から夜電話がありました。


「連休帰ってこないのか…」


今日何食べたんだとか、健康に気をつけ仕事はほどほどにとか、
毎度毎度の決まり文句です。

そして言葉の節々に東京を引き揚げ実家に帰ってきてほしい気持があふれていました。

〝やかましぃ〟と思ったのと突然心が苦しくなったのとで、
思わず電話を切ってしまいました…

何やってんだろう

馬鹿息子だなぁ…


気を取り直し今度はこちらから電話をしてやりました。

妹が出ました。きっと連休で里帰りしていたのでしょう。
ひとことふたこと言葉を交わし母に代ってもらいました。


「お風呂沸かしてたからさ…」


嘘のいい訳をしました
母は電話の向こうで笑っていました。
そしてまたおんなじ話を繰り返しましたが今度はしっかり聞いてあげました。

父親が電話に代わりいびきの治療をしている話を聞かされました。
今年2月に泊まりに来た時に猛獣のようないびきに悩まされ、
母もよくもまあ毎日こんな父のいびきにつきあって寝ているなぁと感心したものです。
僕なら不眠で寿命が縮まる想いです。
なのできつく治療を薦めました。
買ったら40万円もする器具を今は病院からレンタルで月1千円で利用しているとのことです。
だいぶ改善しているといっていました。


そして最後にまた母が出て、
風呂に入りお酒でも飲んで早めに寝るよう口酸っぱくいわれました。

適当に相槌ちをうって電話を置きました。



どうしようもない現実です。
父も母も高齢に差し掛かっています。
墓を守ってもらいたいのでしょう。
何より一緒に暮らしたいのでしょう。

僕だって東京を離れるわけにはいきません。
ずっと曖昧にしてきたことが曖昧にできなくなりつつあります。


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生きるという詩

2009-09-18 23:08:31 | 


浮かれている自分がいる
冷静な自分がいる
一生懸命な自分がいる
どっかり疲れている自分がいる

どれも偽りのない自分に違いない

諦めている自分がいる
ときに楽しい自分がいる
恋を願う自分がいる
懐疑的な自分がいる

淋しい自分がいる
強い決意の自分がいる
良い人でいたい自分がいる
やけになる自分がいる

欲望に負ける自分がいる
情けない自分がいる
曖昧な自分がいる
夢を見る自分がいる


自分はいったい何者なんだ


永遠の問い
永遠の謎


そう息の根が止まるまで生きる
僕はその時まで生きねばならない

偽りのない自分のまま生きる
人はそれでいいんだろう

神にも聖者にもなれはしない
自分のままに生きる


自分のままに生きる



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今年も大学祭に行こうかなと思いました

2009-09-17 00:18:22 | 


だいぶ酔っぱらって帰ってきました…

今日は取引先との懇親会。
といっても3人で。

ヘビーに呑みました

それでも明日のことを思えばシャワーくらいは浴びた方がと思い、
髪を洗い体を石鹸で軽く洗い流しました。

こんな時でも〝ケラスターゼNU〟という〝洗い流さないヘアトリートメント〟を
毛先にしっかりシップしたりして… (さっさと寝なさい…


脈絡不明なのですがなぜか今年も 駒場祭 へ行こうと決心していました。
なぜだかわかりません。タクシーの中でそう思いました。


昨年も行きました。
昨年の様子はこんな→ 08駒場祭


まだ1か月も先の話なのに。どうしたんだろうか… 

もう寝ます。おやすみなさい…


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四国88か所巡り

2009-09-11 23:50:47 | 




こんな時間に帰ってきたということは「お酒」ですね。

今日は社内の「香川県の会」というのに御呼ばれしました。

なんで宮城県の僕が香川県に…


7月の花火大会からのいろいろな経緯がありまして、
なんとなく招待されることに。(ま、理由はなんでもありなのですけど

麻布十番に「讃岐会館」という香川県人の〝憩いの場所〟があり、
そこで5人で食事&飲み会を行いました。


そこは〝マイナスイオン〟が満ちあふれる都会の癒しの場という感じでした。
港区三田にあるのですが、とっても落ち着いた雰囲気の中で讃岐うどんや郷土の美味しいお酒を戴けました。


しかし何故に「香川県人」がわが社に多いのでしょうか。
特に恣意的な人事は何もないので偶然なのでしょう。
それに比べ宮城県の人、さらに東北人は3人しかいないという現状…


秋田1人、福島1人そして宮城の僕 


とっても淋しい感じがします。

東北の人は概して真面目で出しゃばらずお人好しが多いのです。
そんな体質の人材は求められていないということなのでしょうかね。


「強欲」とか「弱肉強食」が反省され、再出発をせまられる昨今、
東北人のこんな愚直さは見直されるべき貴重な価値だと思います 

さて、香川県と言えば甘酸っぱい思い出があります。
(以前、詳細はこのブログで記しました)

そう「愛ちゃんの思い出」ですね。

そのお寺の近くの地区に住んでいる子が今日の飲み会にいて、
とっても土地勘があってすべて知っていました…
まずい… というか過去の話なんでいまやどうでもいいことなんですけど。

けれども何かとっても懐かしくそんな四方山話ができました。
とても楽しい香川県の時間を共に過ごさせていただき誠に感謝です


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お盆

2009-08-17 21:28:49 | 



お盆に実家へ帰らなくなってどれだけ経つでしょう。


世話になった祖父母や先祖を迎えることもせず信心や畏怖心とは無縁なところに今の僕はいます。
子供の頃はそれは神を畏れ人知を超えた存在に慄いていました。
とっても臆病者でその裏返しに「信心深く」「いい子」さえ装っていました。

いつからでしょう、そう大学に入り酒ばっかり飲んでくだをまき始めた頃から…
まだまだ尻の青い分際で世の中のすべてを知った気になっていました。

「そんなもんあってたまるか!」

田舎や無恥無学、古風な呪縛そんなものに囲まれずっぽり漬かりきった自分と
自分の内なる弱さに対し無性に腹が立ちすべてを否定したかった。

以来、僕は何かを畏れる精神を喪失してしまったように思います。
逆らい背き抗うことが美しく尊いこと。
とっても幼稚な錯覚から長い間抜け出せないでいました。


僕は潜在意識の中で今だその「後遺症」に苦しんでいるのかも知れません。
時折訪れる喪失感そこはかとない虚無の感覚はその証左とも思えます。

後遺症だなんてちょっと大げさかな。
空白を埋める新たな手立てを僕は欲しています。それだけは確かです。


お盆には実家に帰り線香の一本もあげられるようになれるといい。
今年は過ぎてしまいましたが来年こそは。


                                


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ああ恋のよろこびに

2009-08-13 22:24:57 | 



ためいきの出るような
あなたのくちづけに
甘い恋を夢みる
乙女ごころよ
金色にかがやく
熱い砂のうえで
裸で恋をしよう
人魚のように



陽にやけたほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス



陽にやけたほほよせて
ささやいた約束は
二人だけの秘めごと
ためいきが出ちゃう
ああ恋のよろこびに
バラ色の月日よ
はじめてあなたを見た
恋のバカンス






ふとこんな歌詞を耳にした。
ああなつかしい。ああ恋のよろこびに。
ずっぽり浸り何にもこわいものもなく。
失うものもなぁ~んにもなかった。


   恋のバカンス。


もうないのかな…   




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