ある記憶

遥か遠くにいってしまった記憶たち

なんと呼ばれてた?なんと呼ばれてる?

2011-10-16 08:21:44 | 

自分のアイデンティティのひとつが名前です。
もうだいぶ長いこと付き合い続けてきた自分の名前。
生まれたときにはもう決まっていて従うしかなかった。
僕の場合は亡くなった祖父が命名したのだと聞きました。
祖父の名前の一部をもらいました。
そういえば小学校の頃か、授業で自分の名前の由来、
親がどういう願いをこめてその名前にしたのか。
そういうテーマで発表させられとても困った…。
好き嫌いを越え、もはや僕を識別するための必須アイテム、
そしてこれからも死ぬまで僕はこの名前と付き合うことになるんだろう。

思い出してみるといろんな呼び名で呼ばれていたね。

今の僕の身の回りでは苗字で呼ばれるのがほとんど。
都内に在住する大学の友人らは名前を呼び捨てにする。
気のおけない彼らであれば当然で心が通じあうような気がする。
苗字で○○さん、○○君は形式ばってよそよそしい。
苗字であっても呼び捨てくらいが心地よいのですが、
残念ながらそれはほとんどない。
そういう関係を作れていないともいえる。
○○を略して、△ちゃんなどと呼ぶ人もいるけれど、
それは実は嫌です。偽善ぽい。
無理に親近感を作ろうと無理している。
勝手に言わせておきますが、そういう人は
あまり信用しません。

いちばんうれしいのは子供の頃に呼ばれていた呼ばれ方です。
今の環境ではそういう呼称で呼んでくれる人などいません。

たとえば僕の名前が「加藤裕一郎」だったとします。
“ゆう”と、名前の半分で呼び捨てして言います。
“ゆうちゃん”でもいい。
やっぱり“ゆう”がいいな。
※カトちゃんはアウト!

小学校から高校あたりまでは普通にそう呼ばれていた。
苗字略のちゃんは嫌だが、名略のちゃんはいい。
呼んでほしいそれらで呼ばれなくなってしまった…。

「社会性」というのでしょうか、
なんとなく心が通じ合えるのに、単なる識別記号と化している。
大人になるに従って名前の役割が変節してしまう。
残念に思います。


誰か僕のことを□□と呼んでください。


隠居生活 早くしたい

2011-10-10 18:18:11 | 


よく地元の住宅街をぶらつきます。
いろんなお家がありいろんな家族がいろんな事情を抱えて
暮らしているんだろう。そんなことを思いながら歩きます。

生垣の花々を見たり庭の植え込みをのぞいたり、
他の人が見ると僕は盗人の下見でもしているように映るかもしれません。

こんな感じの家がいい。平屋でこじんまりとして。
草花に囲まれた小さなお家です。
今はそんな時期なので鬱蒼として少しうらぶれた感じがしますが、
季節によってはきれいな花々が周りを埋め尽くします。
通るたびにいいなと思っていました。



古い建付けで多少増築しているのではないでしょうか。
洋式の煙突が見えます。中に暖炉とかあるのでしょうね。
元々は和式の平屋建てだったようです。



小さな庭があります。
今日のように天気のいい日は日向ぼっこもいいでしょう。
背の高い植え込みが周りを取り囲んでいますから、
芝生にごろんと横になっても気になりません。



小さな蔵もあります。
蔵ってなんかミステリアスです。
僕なら私設図書館にします。
蔵があるくらいだから古くからこの地にお住まいなんでしょうね。


人のお家なのに勝手に物色してすみません。
年をとって隠居生活するならこんな感じのお家がいいなと思ったもので。

自分だけの小さな世界の中で、だれにも迷惑を掛けず、
ひっそりと生きていくにはうってつけかな。


  秋風によろめく竹の垣根より二間こなたのわが机かな

  叔母達と小豆を選りしかたはらにしら菊咲きし家のおもひで

                            与謝野晶子

林芙美子を見に

2011-10-09 21:00:11 | 


結局、気になり神奈川近代文学館へ。
その前に…

まったく冴えないスポーツウエアをまとい、
朝もはよから特急に乗って早朝の横浜港みらい21地区へと。



インターコンチネンタルホテル。
いつか泊まりたいと願うホテルのひとつ。

いかにもこのホテルの宿泊者が朝ジョギングしている風を装って。
そんな人々とすれ違いながら、朝の浜の空気はとてもうまい。





なんとも憎たらしい造形だ。
海岸線に垂直にそそり立つ白い怪物。
そう昔々その昔、大怪獣ガメラシリーズに出てた宇宙怪獣「ギロン」。
頭がどでかい包丁の刃となり何でも切り刻む恐ろしい武器に。
それを思い出す。



こんなダサイ格好で赤レンガ倉庫まで駆け抜けました。


そして大桟橋、山下公園、元町から港の見える丘公園へと向かったのでありました。
もうへとへとですね。






林芙美子展を見ました。

物書きに生涯をささげた人の生き様はどんな作家でも僕は尊敬する。
そんなに真剣に自分と向き合えないから。

苦悩、葛藤、矛盾、嫌悪、理想、愛、希望、、自分の中に渦巻く混沌と格闘しなくてはならない。


僕は結局、逃げ回っているに過ぎない。

それでいい。
せいぜい体を鍛え、健康に気をつけ、普通の人のように死ぬまで生きるまでだ。

二子玉川から三軒茶屋経由の「長旅」

2011-10-08 22:59:08 | 


朝6時に家を出て最寄の駅から田園都市線の二子玉川まで電車で行く。
途中の自由が丘で「林芙美子 没後60年記念展」のチラシをピックアップ。
大井町線への乗り換え時間に眺めていました。

10.1~11.13 神奈川近代文学館
会場では残された原稿・草稿、書簡、遺愛品など400点により、
彼女の作品や生涯を紹介するのだといいます。
「放浪記」が有名ですが他にも「清貧の書」「浮雲」など愛すべき作品が多数あります。

さて、二子玉川駅に到着しまずは目の前を流れる多摩川の川原へと向かいました。
早朝の多摩川の流水はとても清らかで荘厳な感じがしました。
いっそバシャバシャ顔を洗おうかと思いましたが、止めときました。
ちょうど鉄橋を見上げると東急の電車が通るところでした。

思い出深い街、二子玉川…
ここを始発に、多摩川美術大学→砧公園→馬事公苑→…(未定、成行き…)
というのが本日のメニューです。

初めての試みでした。やはり初めてとあってのっけから迷走となり、
第一目標の多摩美大にはどうしても到達できないまま、住宅街を放浪(走)することに…



街の中はやたら金木犀の匂いが漂っていました。この辺、とっても金木犀が多い。
こんなでかい木もありまして僕はこの香りが大好きなのでついうっとりしてしまいます。
10月は金木犀の月です。

「瀬田」という地域を行ったり来たりを繰り返しながら第二目標の砧公園に何とかたどり着きました。
何しろでっかい緑地公園です。昔行ったロンドンのハイドパークを思い出しました。



砧公園から馬事公苑へ。これもなかなか到達できませんでした。
事前に見た地図ではけっこう近くにあるはずなのに用賀のあたりをこれまたぐるぐる迷走…
自分の中にある“本能”だけが頼り。アンテナを張り巡らしてそれでも何とか到着しました。
その頃は大学対抗の競技大会の真っ最中で、休憩をかねてしばし観覧させてもらいました。



女性の競技大会のようです。白馬に乗った清楚なお嬢様学生が華麗に手綱をさばいています。
競技場内のアナウンスで大学名が呼ばれ次々と乗馬を披露。
僕にはどれもすばらしい演技に見えるのですが掲示ボードを見ると点数に開きがあります。
要するに見る目がないということです。

まさにJRAが運営する施設で馬好きにはたまらない場所といえましょう。
休憩所にはビデオでレースの案内と競走馬の紹介が常時流れていました。
目の前に東京農業大学があったので構内を一回りしてきました。
「食と農の博物館」もあり佐渡の特集をしていました。
アンケートに答えたら「佐渡の原生林 霧が育てた森」という、
購入したら4~5千円は下らないだろうという写真集を頂きました。
とっても有難かったのですがその後これがマラソンの枷と化してしまいました…



世田谷通りを成行きで走る。
いつの間にか世田谷線の松陰神社前のあたりに来てしまい、
せっかくだから吉田松陰先生の鎮座像とお墓参りに立ち寄りました。
10.22~23日にかけ「第20回 萩・世田谷幕末維新祭り」というのがあるらしいです。
幕末の志士・奇兵隊パレード、神輿、幕末歴史講演会、萩&会津観光物産展など町中が幕末維新と化すとのこと。

さてようやく三軒茶屋に到着です。





もうお馴染みの三茶です。
すずらん通りの雰囲気が大好きです。
ここの駄菓子バーの椅子でいつもタバコを一服します。
今日も一服。ガキの頃を思い出すこの佇まい。ほっとしますよね。



いよいよ佳境です。
実はこのあたりでは膝や足のくるぶしがジンジン痛んできていました。
もうそろそろ限界かなと思いながらも初志貫徹で頑張ります。

世田谷公園で恒例の植木市が執り行われていました。
「盆栽」眺めるのけっこう好きなんです。
もし一戸建てで庭があったらたぶんこんなんでいっぱいになるはずです。
今はマンションのベランダでこじんまりとですけどね。

もうこの頃には午後1時を過ぎていました。
実は途中で朝飯を済ませました。
またぞろ小腹が空いてきたので三宿通りのラーメン屋さんで、
特製中華そばを食べて今回のマラソンによる「長旅」の終了といたしました。

※ 帰宅し本を読んでたらいつの間にか2時間くらい昼寝してました。
 かなり疲労困憊だったようです…








黒のハットと赤いシューズで

2011-10-02 15:01:30 | 
渋谷の東宝劇場で「アンフェア」を見ました。
雪平夏見、相変わらず不死身でした。

いつもながらとても見応えがありました。
はらはらどきどき、いくつものどんでん返し、
誰が味方で誰が敵か、最後の最後まで気が抜けません。

TVと違いCMで邪魔されないところが映画のよさです。
それに大画面(席は前から3列目のC席…)。
一気に最後まで息もつかせぬ一騎通貫の緊張感が心地よい。

原作者:秦建日子
第一作「推理小説」
第二作「アンフェアな月」
第三作「殺してもいい命」

この日のために全三作を復習の意味で読みました。

今日の終わりからするとまだまだ続く「アンフェア」。
楽しみにしましょう。

さて、秋を意識して黒の厚手の帽子を被りました。
米国製、雉のきれいな羽が横についています。
お気に入りの逸品です。



109のこの場所。前にも記したことがありました。
数少ない僕の青春の思い出の場所です。
もうそんな幻を見ることはなくなりましたが、
この下の階段から息を弾ませ駆け上がってくる一人の少女の幻影。
鏡にその姿が映ります。僕の心が思いっきり高揚する。
その快い感じ、歓喜、性の衝動…

もう全てが溶けて空気のかけらさえありません…。




話しは変わります。
ここは代官山です。

代官山でいまだ1箇所気になっていた場所がありました。

「旧朝倉家住宅」という重要文化財のある場所です。
旧山手通り沿いの代官山交番のすぐ向かいにあります。
入場料100円です。



関東大震災や戦禍を免れ、東京中心部では数少ない大正期の和風住宅です。
近年まで経済企画庁(現内閣府)の渋谷会議所として使われていたとのこと。

大木に囲まれた庭にはどでかい石灯籠が点在しています。
回遊式庭園というのだそうです。



大正ロマン漂うノスタルジックな佇まい。
一時とはいえ心が休まりました。

朝倉さんは豪農でひと財産なした人だとのことです。




多摩川から田園調布、自由が丘、そして・・・

2011-10-01 09:22:13 | 
自分に対する「制約」としてのマラソン、今日はやや趣向を凝らして。
早朝、最寄の駅まで軽くジョギングし東横線に乗って多摩川まで行く。
そこが本日のスタート地点です。



駅の前に柿がなっていました。向こうに素敵な洋館が見えます。
さて、走るか。
大きく朝の新鮮な空気を吸い込み、いざ。



すぐに「多摩川台公園」の急勾配に直面…
ここは小高い丘陵になっており古墳が点在しています。
すぐ隣を多摩川がゆるく流れているので太古から住みやすい場所だったんでしょう。



こんな赤い橋が途中にあります。
散歩している人もちらほらおり毎朝こんなところを散策できたら
とても健康な日々を過ごせるんだろうなぁ…
とか思いながらマイペースで走る、走る、走る。

そうしてこの丘陵を過ぎ下っていくとそこは田園調布の街並み。
まずは「宝来公園」に行き着きます。
何度か来たことがあり、ここの大木に付着する苔を家に持ち帰り育てようとしましたが
結局2~3日で枯れてしまったという苦い体験を思い出しました。
無理に環境を変えてもそれぞれの事情を無視すれば生きられない。そうなんですね。





田園調布駅です。
ここを中心点に同心円上に広がっている。
そのような街づくりがなされている。西洋の都市を見習って作られた街です。
なのでうっかりすると今自分がどこにいるのか分からなくなってしまいます。
碁盤の目のような道に慣れているためこのような作りの街を走っていると
ちょっとした錯覚に見舞われます。いつの間にかまた駅に戻ってしまうとか。



さすがこの街は「匂い」が違います。どこに行ってもなにかフローラルの香りが漂う。
選ばれた人、成功した人、富裕層そんな人たちが静かに暮らしているところです。
比較的こじんまりした瀟洒な洋館があります。こんな家にすめたらなぁ…と思いました。

田園調布を抜け次は自由が丘へ向かいます。
自由が丘は毎日の通勤路でもあり長年親しんできた街ですので、
いわば自分の「庭」のような場所です。その庭に変化がないかどうか、
確かめるようにぐるぐる回りました(もちろん、小走りで)。

ひとつ発見!
マリークレア通りの大井町線ガード下の壁面に素敵な絵が描かれていました。
いつからなんでしょう、全然気がつきませんでした。



お母さんと娘たちの「女の園」といったところでしょうか。
そう自由が丘は女の人のためにあるような街なんです。
トップにある女の子の絵もとっても気持ちよさそうです。
自由が丘に住む女性はみなとっても幸せなのかな。
そんな願いがこめられた絵なんですね。



そして都立大学から学芸大学へ。
これは碑文谷公園の噴水です。
ボートにも乗れます。
昼くらいには家族連れでボートを漕ぐ姿でにぎわうはずです。

街並みの一角に彼岸花が真っ赤に色づいて咲いていました。



秋ですね。
彼岸花を見ると田園風景を想起します。
田んぼのあぜ道、お地蔵様の脇にそっと咲いていた彼岸花。
なんで田んぼに咲いているのか今でも不思議です。
刈って干してある稲の黄色と田んぼの茶、そこにある鮮やかな赤色は
とっても印象的でした。
お墓にもよくあったのでそれを思うと少しゾクゾクしたものです。

これから少しずつ寒くなりまた冬がやってくるのですね。
秋は淋しい季節です。
しっかりしないといけませんね。

洗濯も終わったようです。外はやや曇りぎみ。
早めに洗濯物を干し、これから渋谷に映画を見に行きましょう。
今日はそう決めています。