ある記憶

遥か遠くにいってしまった記憶たち

「恋愛小説」を読みたくなり

2011-09-23 16:52:19 | 

書店で物色し、吉田修一の「東京湾景」を喫茶店で一気に読んだ。


単調といえば、実に単調な仕事なのだが、
自分にはこのような単調な仕事が、
肌に合っているのではないかと亮介は思う。
どんな物でもいい、今ある場所から、
どこか別の場所に何かを動かすという作業は、
決して退屈な仕事ではない。
ただ、ときどき訳もなく虚しさを感じることもある。
本当に理由などまったくないのだが、
たとえば自分が運んでいるこれらの荷物の中身が、
実は全て空っぽなのではないだろうかと、
何の根拠もないのだが、ふと思ってしまうのだ。


…人ってさ、そういう誰かのこと、好きになれないだろ?
俺、あの人と別れてからそう思った。
誰かのことを好きになるって、俺に言わせりゃ、
自分の思い通りに夢を見るくらい大変で、
なんていうか、俺の気持ちのはずなのに、
誰かがスイッチ入れないとONにならないし、
誰かがスイッチ切らないとOFFになってくれない。
好きになろうと思って、好きになれるもんじゃないし、
嫌いになろうと思ったって、嫌いになれるもんじゃない…


まるで自分が、亮介ではなく、
亮介のからだに魅かれているような言い方。
あれは、もしもこの恋が終わっても、
亮介と別れるのではなく、
亮介のからだにと別れただけなのだと、
自分に言い聞かせるための準備だったのかもしれない。


本当に、自分たちは心と心で繋がってるんだって、
心と心だけでしか繋がってないんだって、
そう胸を張って言える人に、
いつか出会いたいって、


亮介のことを心から自分が愛しているのだと分かったその夜に、
美緒は亮介と一緒の布団の中で、たった一人で眠った。



亮介のからだではなく、彼の何かが、東京湾をまっすぐに、
今、自分のほうへ泳いできている。




というハッピーエンドの物語。
「恋愛小説を読みたい」という僕の中の欲求はいちおう満たされた。

言葉に記し残さないと恋愛という心の動きは自分でも分からない。
逆に、自分でもわからないまま、人は恋愛を通り過ぎるのかもしれない。
小説で語られるほど冷静ではいられない。
それが恋愛なのだろう。






足乳根の母を思う

2011-08-27 12:40:07 | 
斉藤茂吉という歌人を知っていますか?
山形県の上山市に生まれ近代短歌に大きな影響を与えた人です。
かの芥川龍之介に『僕の詩歌に対する眼は誰のお世話になったものでもない。
斉藤茂吉にあけてもらったのである。』とまで言わしめたほど。

かつて山形県上山市を訪れた時に月岡公園の茂吉の歌碑を見た記憶があります。
上の写真は月岡公園から蔵王山を見晴らした風景。茂吉もこの景色をよく眺めたそうです。

たぶん僕が見た歌碑はこれではないかと思います。



 足乳根の母に連れられ川越えし田越えしこともありにけむもの


『赤光』という茂吉の歌集があります。折に触れてぱらぱらと開いたペエジを目で追う。
詩歌を正確に読み解く力は僕にはありませんが、よい歌はよい歌と読めないなりに感じることはできます。

特に胸にしみるのは母を題材に読んだ歌の数々。
その何首かは高校でも習ったような気がしますが今のように感じたかどうかは定かではありません。
母の歌は、特に「死にたもう母」として有名です。


 みちのくの母の命を一目見ん一目見んとぞただにいそげる

 死に近き母に添寝のしんしんと遠田のかはづ天に聞こゆる

 我が母よ死にたまひゆく我が母よ我を生まし乳足(ちた)らひし母よ

 のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)いて足乳根(たらちね)の母は死にたもふなり

 ひとり来て蚕(かふこ)のへやに立ちたれば我が寂しさは極まりにけり




斉藤茂吉が25歳のときの歌です。
母に対する抑え切れない思慕の念が絶唱として迸ります。

みちのく… 僕は、僕に生じるその時を思い、その時の自分の姿が二重写しに想起され、
いつも胸を締め付けられる思いに駆られます。とても苦しくなります。
それくらいこの歌はリアリティがあります。つらい歌です。


人はみな母親から生まれてきます。当たり前ですが父親ではないんだなと思う。
どんな時でも自らの分身として子を思うのは母に違いない。そうしてそのことをいつの時点でか子は気がつく。
いや、心の奥底では誰しも知らぬうちに気がついているのかもしれません。
気がついているくせに知らんふりをしている。僕もそうなのだと思います。
そういうことを赤裸々に否応に表に引っ張りだす強烈な力を持った茂吉の歌です。


今日も母から電話がありました。そう、毎週のように土曜日には電話が入ります。
何の用事もないのに電話を掛けてきます。用もない電話に今日は少し長めに付き合ってやりました。
結局、今年の盆も実家には帰れませんでした。
「今度はいつ来るの」「忙しくて帰れないよ」「んだな。仕事忙しいんだろ」「・・・・」「無理しないでな」
こんな会話でいつも終わります。
とても心が痛む。

 みちのくの母の命を一目見ん一目見んとぞただにいそげる

この時が来ないことを祈りながら…








親友と三角関係

2010-06-26 08:58:02 | 
親友がいて恋人がいて、もし親友が恋人とできちゃったら、僕はその親友を許せるだろうか。
普通は無理です。どんな理屈があったとしても瞬間、「絶交」でしょう。
そして僕は僕の彼女を一生許さないと思うかもしれません。
少なくとも少なからず時間が流れ去るまではこんな気持ちは変わらないでしょう。




とても有名な話なんですがザ・ビートルズの一員で今は亡きジョージ・ハリスンは、
最愛の妻パティがジョージの親友エリック・クラプトンと恋中になったことを知り、
苦しんだ末、パティをリリースしクラプトンと彼女との結婚さえ祝福しました。

そしてその後も親友としてギターセッションしたり変わらぬ交友を続けました。

昔はとても理解に苦しみました。
もともとモデル出身で可愛らしいパティ・ボイドを淫乱な小悪魔だと思いました。
ジョージを情けない男だと思いました。
そこまでするかクラプトン、お前もな~…

けれど、今はそうは思わなくなった。





昔むかしその昔、僕がC子と同棲していた頃、当時東京の神学校に通っていたその前の大学での友人が
僕のところに(いや彼女のアパートでした…)遊びに来たことがあります。
懐かしい話や積もる話をいっぱいし、楽しくお酒を飲みました。
お互い貧乏だったため泊めてやることにしました。
狭い6畳一間の部屋で僕とC子は普通に布団で一緒に、その友人は隅でひとりごろ寝でした。
何かとっても居心地の悪い「ざこね」でした。

友人はこの地のカトリック教会へ行ってみないかと前日からしきりに誘い、
僕は悪いがそれは勘弁してくれと断りました。
C子はなんでも興味を持つところがあり、「へぇ~」などと話しに聞き入っていました。
僕も実はどっちでもよかったのですが、C子がそんな風だから逆に態度を硬化させたのだと思います。
小さな嫉妬だったはずです。
翌朝、友人は再度僕らに教会で牧師の話を聞くことを勧めました。
僕は相変わらず「めんどうだからいいよ」などと乗り気でない姿勢をみせましたが、
C子は行ってみたいと言い出したため、僕は少しかっとなり、
「なら二人で行けばいいさ」と、
とても大人げない言葉を吐いてしまった…

そして二人は教会へ行き僕はひとりぼっち。そんな状況に我慢できず部屋のいろんなものに僕は当たり散らした。
その時、小さなテレビをひとつ壊してしまいました。

そんなことは絶対ないのに僕はジェラシーの虜になってしまったんです。


とても僕はジョージのようにはなれない人間ですね。
(多分、今も本質的には変わっていないと思います)


ジョージ・ハリスンの「マイ・スウィート・ロード」をどうぞ♪





真っ赤なバラを

2010-06-06 08:55:25 | 
〝イングリッドウエイブル〟という赤いバラがベランダにある。
買ってから2週間ぐらいになろうか。きれいにに咲いた。
蕾が次々とできこれからいっぱい開花するだろう。
楽しみが増えた。



僕はいつもここに坐り遠くをみている。
そのそばに花があると気がなごむ。
しかし赤いバラは少し刺激が強い。
赤い蕾が艶めかしい。
うっかりさわろうとすると棘がある。

バラってプライドが高いんだろう。
きれいな花弁でまわりを魅了しそのくせ簡単に触れることすら許さない。
よく見ると茎や葉は(もちろん棘も)力強い素朴さがある。

真の強い母、しかしいつまでも奇麗でいたい鼻っ柱の強い女性…

そんなことを考えながら。




テーブルはエアコンの送風機の上。
灰皿とタバコと文庫本を置いて。

「教科書でおぼえた名詩」
これお勧めの逸品。
なにしろ懐かしい…



雨にも負けず、風にも負けず、雪にも夏の暑さにも負けぬ、
丈夫な体を持ち、欲はなく、決して怒らず、いつも静かに笑っている。。。。。

一字一句間違えることなく暗唱しようと声を出して読んでいる。
好きな詩を本に頼るのではなく、自分の脳味噌に正確に刻みこみ、
いつでも声に出して再現できるようにしよう。

詩は声に出して言えるようになって初めて自分の中に入ってくる。
自分の声で歌えば作者の気持ちが尚更に心にしみこむ。


われわれはあまりに黙読になれすぎた。文章を音読することは、愛なくてはかなわぬことだ。
これは島崎藤村の至言。
本当にそう思う。つくづくそう思う。




久しぶりに 〝泣く子は育つ〟

2010-04-03 07:21:20 | 
本当に久しぶりの更新になります。

何をしていたのかと言えば姪が小学校2年と1歳の子供を連れて、
約1週間ここに(僕のマンションに)滞在し東京見物をしていました。
その面倒を見ねばならずとても更新どころではありませんでした。
また、先週は金・土と恒例の花見大会もあり結構ハードでした。
週中に少し体調を壊し風邪かと思いきやまたぞろ扁桃腺が腫れ熱が出ました。

2人ともとてもかわいい女の子です。
小学生のほうはだいぶ落ち着いてきましたが下のほうが大変。
夜中に突然泣き出すのには少しまいりました…

泣く子は育つ。
泣いた後はからっとして元気になりはしゃぎまわります。
安心してまた眠りにつきます。
お母さんこそ大変ですがもう慣れたと見えてあしらいが上手です。
どこの子供も一緒なんだろうね。
いっぱい泣いて泣いて泣いて大きくなってきたんだろうね。
まわりを心配させおろおろさせそれを源にすくすく育っていきます。
子供を持ったことが無いのでわかりませんがそんな気がしました。

さて、彼女らは十分満足して帰って行きました。(と思います…)
ディズニーランド、上野動物園、赤坂サカス・六本木界隈、品川水族館、自由が丘、
そして目黒川の満開の桜、、、
天気もそこそこよかったのは何よりです。
どこに行っても桜があったし時期も良かったようです。


僕もそれなりに楽しかった。
お財布はだいぶ痛み寝不足ぎみではありましたが、
ちびっこ達からいっぱい元気をもらいました。

子供には無限の未来がある。
さてこの子らにはどんな人生が待っているのでしょう。
まだまだ始まったばかりです。

暗唱して言える詩

2010-03-11 22:35:09 | 

ふるさとはとおくにありておもうもの
そしてかなしくうたうもの
よしやいどのかたいとなるとても
かえるところにあるまじや

ひとりみやこのゆうぐれに
ふるさとおもいなみだする

そのこころもて
とおきみやこにかえらばや
とおきみやこにかえらばや



室生犀星の小景異情のなかにある節です。

子供の頃に見た近所の景色や空気、洟垂れ小僧や近所の恐い爺さんといった登場人物。
ふるさとに行ったとしてももう二度と出逢うことはないのです。

ふるさとは僕らの心の中にしかありません。


それが本当の「ふるさと」なんでしょう。
ですから誰にでもふるさとはあります。



犀星のこの詩をお風呂場で声に出して読み上げました。
遠いあの頃が思い出されました。


父や母の音信、本家の伯父さんの病状、地元の同級生の訃報、、、
雪が降ったとか降らないとか、、、
どれもが僕のふるさとの「残像」のように感じてしまう。


どこへ行っても引っ込み思案だった。
自分の家に帰りたくって仕方なかった。
祖母の袖を引っ張った。帰ろう…って。

弱い体質で日にあたると皮膚に蕁麻疹のようなものができた。

僕の心にあるふるさとは決まってそんなことを想起させます。

聖サレジオ教会 祈り

2010-02-21 09:20:45 | 
7時前に家を出て肌寒い中ではありますが恒例のマラソンに出発!
今日はひたすら東南へ。
左手にあさぼらけの太陽を浴びながら。

お寺と言い教会と言い朝は早いようです。
すでに碑文谷にある「聖サレジオ教会」も〝開門〟しておりましたので、
ちょこっと顔を出してきました。
こっそり中の様子を撮影してきました。



こんなにいっぱい座れます。
今日はまだ誰もいませんでした。
聖子ちゃんの結婚式以来、ここは結婚式場の定番にもなっています。

天井もこんな感じで雰囲気満点です。




そしてキリスト様がまします祭壇はこちら。
十字架につるされている彼の姿はいつみても痛々しい…
僕らの罪を一身に背負ってくださっていると言われます。



しばしキリスト様に見入っていました。
祈るともなくお祈りまでして。
何を…

そうクリスタルジャパンの勝利を!チーム青森ガンバ!!
こんなお願い聞いてくれるかどうか知りませんが当面、これくらいしか浮かびませんでした。



相当カーリングに嵌っているようです。
だってこれ、手に汗握ります。
体力も使いますがとっても戦略的で知的ゲームの要素もあり、
不思議な魅力のある競技なんですもん。
こんなに奥深いスポーツだとはこれまで思ってもいませんでした。
これもマリリンちゃんのおかげかもしれません。




そうこうしているうちにひょっこり袖口から神父さんらしき人が顔を出したので、
別に何しているわけでもなかったのですが、僕はややばつ悪そうにそそくさその場を立ち去りました。
信心のないやましさからでしょうか…

そしてサレジオを後にしてまた走りだしました。

ついでに本日の「雀のお宿」です。




帰りに焼き魚定食。これ定番です。
今日は鯵でした。

最近、「嵐ベスト」聞いてます。元気出ます。

 空に思い出がぽろり~♪ 涙がきらり~♪ 
 空に向かって歌うよ~♪ 力こめて~♪

なんで嵐なんだろう… ま、いっか。

洗濯して、ワンピー見て、将棋見て… 僕の日曜日は過ぎていきます。
天気がいいのは何よりです。


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牛は自分の孤独をちゃんと知ってゐる  

2010-01-09 11:44:25 | 
そう。新年は高村光太郎の詩を刻みこむことにしよう。
いくつかの詩人と同じように僕の心の心底にある小さな泉の一つです。
高村光太郎。「道程」は僕の道徳。
その中から。



牛は急ぐことをしない
牛は力いっぱい地面を頼って行く
自分を載せている自然の力を信じきって行く
ひと足 ひと足 牛は自分の力を味わって行く
ふみ出す足は必然だ

雲にものらない
雨をも呼ばない
水の上をも泳がない
堅い大地に蹄をつけて
牛は平凡な大地を行く
やくざな架空の地面にだまされない
ひとをうらやましいとも思わない
牛は自分の孤独をちゃんと知ってゐる  ……


『牛』(抜粋) “道程”より




そして『道程』全文。


僕の前に
道はない
僕の後ろに
道は出来る


ああ
自然よ
父よ


僕を
一人立ちさせた
広大な父よ

僕から目を離さないで
守る事をせよ

常に
父の気魄を僕に充たせよ

この遠い 道程のため

この遠い 道程のため




少し寝ました。徹夜明けです。
少し浮ついた気持ちを引き締めねばと思いました。
やはりもう新しい年が始まったのだもの。


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明けましておめでとうございます。

2010-01-01 20:38:32 | 


いつもこんな拙いブログにおいで下さる皆様へ。

明けましておめでとうございまし。
新春のお慶びを申しあげます。

皆様よい新年を迎えていることと思います。


僕は31日に実家に帰りこちらで新年を迎えました。
31日そして1日と大雪に見舞われています。

31日に紅白歌合戦の終わるか終わらないかの時刻、
町の稲荷神社に家族で一番詣りに行きました。
雪がしんしんと降り続くなかを20分ほど歩きました。
そして神社の本堂前に一番乗りで並び、
午前零時今年最初の鈴の音を鳴らしました。

皆でいろんな神様にたくさんの願い事をしました。
恒例のおみくじ。
今年は「吉」でした。
父母は両方「大吉」、姉弟等は中吉、末吉、、、

雪が相当積もり降り続き風があって中に舞いとっても寒かったのですが楽しかった。

帰って年越しそばをみなで食べました。
冷えた体が温まりました。
1日の朝はお雑煮をたらふく食べました。
あとは寝正月です。

天気は荒れ模様で今も引き続き雪が降っています。
けれどいつになく幸せなお正月を送っています。



明日は晴れるとのことです。




夢でもし逢えたら

2009-12-26 01:26:29 | 

夢でもし逢えたら 素敵でしょうね

あなに逢えるまで 眠り続けたい


小学校あたりに聞き覚えのある歌。
今また聞いても、その頃と同じ感慨がわき起こる。
とっても不思議な感覚。

その当時と心の底では何も変わっていないのだろうか。

夢で逢える時もあります。
その時は目が覚めてもまた続きが惜しくて眠り続けようとします。

今でも、その人が出てくるとは限らないまでも、
いつまでも寝ていられたらと思うのですが、現実が許してくれません。
結局いつものように布団から出ていつものような毎日が始まるのです。


あなたに逢えるまで…

夢で逢った後がさらに辛いのです。
夢が永遠に覚めなければと思いますがそれは不可能です。
だから残酷です。
残酷でも夢で逢いたい。

これを不条理というのでしょうね。


誰であってもいい。


今の僕はまるで乳飲み子のように母なる女性の乳を吸いたい。

僕の潜在意識なのだと思います。


まるで動物ですよね。


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竹内まりや@LOVE

2009-12-06 09:07:42 | 



好きなタイプは?と聞かれても言葉に詰まることが多かった。

けれど最近思い当りました。

そう、竹内まりや@LOVE

僕の「理想の女性像」はたぶん彼女かも…。



この無邪気で優しくてしっかりした考えを持ち自分を素直に表現できるお利口なおばさん。
おばさんなんて言ったら失礼ですよね。
「熟女」に訂正いたします

ずっと彼女の歌や詞に魅せられてきましたが、彼女自身がどうこうと思ったことはありませんでした。
けれど今朝、久しぶりに彼女のCDを聴いているうちに〝はっ!〟と気がついた…

大好きな曲、 「カムフラージュ」

こんな歌を作れるんだもんなぁ

素敵なレディです



いくつになっても若いのはなぜ???
年齢を重ねるごとに素敵になっているようです。

みた目だってこの通りスタイリッシュで可愛いですよね。マジで惚れちゃいます

大学生くらいの娘さんもいらっしゃる。旦那さんは山下達郎。
アーティスト同士でも珍しい〝おしどり夫婦〟

山下達郎がとっても羨ましく思います。

ま、とてもとても手の届かないところにいる人ですから、
1フアンとして遠くから憧れてみているだけです…






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「ひとつ屋根の下」を思う

2009-11-04 21:48:02 | 



93年というともう16年も経ちますが、フジの「ゲツク」の走りだった番組に、
「ひとつ屋根の下」というのがありました。

両親が事故で亡くなり、兄弟6人はばらばらの道を歩むことになりました。
あるものは親戚へあるものは福祉施設へと。

十数年経った後に長男役の江口洋介が、もう一度6人そろって暮らそうと奮闘する。
そんな涙あり笑いありのベタベタなドラマでした。


次男役の福山雅治は「ちぃにぃちゃん」と親しまれこの辺から人気爆発
またのりぴぃは純粋で愛情豊かな長女役でまだまだ汚れを知らない頃でした…

そんなドラマが驚異的な視聴率を稼ぎだしていました。
おりしも史上最大のバブルが崩壊し、実のないから騒ぎが終焉を迎え、
誰もが人間の心の本当のあったかさを希求していたのかもしれません。


   「 そこに 愛はあるのかい 」


江口洋介演じる長男の殺し文句です。これはやりましたね。
決してキザでいっているのではありません。
早とちりで熱血漢で半ばお笑いの江口兄貴が、時に発するこの決め台詞。

ほろりときました


このころの僕はと言えばまだ東京に来る前で、人生の大きな岐路を迎えていました。
まだC子と一緒にいた時期だったように思います。
テレビを見ながら泣き笑いしていました…。

いやいやそんな昔話をしようと思ったのではなく、
近々行われるさる会合にて何か気の利いた話をしなければならず、
ネタを探していたというわけです。

  「 そこに 愛はあるのかい 」

この確認って大切だなと思った次第で。
何も男女の愛の確認という意味ではなく、会社や団体、組織において、
それをうまく回していく根底にこうしたベースが必要だという主旨です。

仲良く和気あいあいも大事ですが、時に厳しい相互批判も必要です
そうした時にそのベースがなければ単なる怨恨や誤解、亀裂を生んだまま修復さえままならぬ場合があります。

だから、

  そこに 愛はあるのかい


お互いに自分の胸に手を当てて考えてみましょう
真の相互批判、相互理解はここから始まります。


なんて、恰好いい話できるかなぁ… 


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女友達

2009-10-10 19:04:26 | 



多分僕には「女友達」っていないんだろうなぁと思います。
リアル世界でのお話です。


振り返ると僕の生涯になぜか女友達というカテゴリーがないんです。
あるのは恋人かそれ以上の関係のみ。

そもそも男子と女子で友達関係が成り立つかどうか。
僕のなかで消化できずにいます。
面と向かった実生活の中でもし「友達」になったとすると、
僕はそこに止まれずきっと次のステップに進もうとするでしょう。

また「友達で」ということ自体、相手の女性に失礼な感じがします。


だから僕の中で「女友達」というのが、
原理的に存在する理由がなく実際にもありませんでした。




会社内、取引先でのビジネスライクなお付き合いは、
友達という概念とは異なりますから何ということもありません。
相手にしろビジネスと割り切っているでしょうし。
それはたんなる「知り合い」ということになるのでしょうか。
(もちろんそこで彼女ができたこともありましたが)


友達は男友達でしかありません。
酒飲んでなんでも話せる。
相談にのったりのられたり。
気のおけない遊び仲間。
何年会わなくても会えば昨日会ったばかりのようなそんな仲。

周りには見るからに器用な男連中が結構いますが、
僕は彼らのように巧くは立ち回れません。
どうしても軽薄に思えてしまいます。

女子からの引き合いもないわけではありません。
けれどもう、うっかりのることもなくなりました。
きっと彼女らにとり現実生活の僕はとてもクールに映っているでしょう。


けれどそれが僕の性分でありポリシーなのだから仕方ありません。
これからも多分よほどのことがない限りスタンスは変わらないと思います。
(何らかの“コペルニクス的転換”があれば別かも知れませんが・・)


なんでこうなってしまったんだろう。よく考えます。
古風な家、保守的な風土で育ったのが良くなかった。
男子校、大学は理系。女性と接点の少ない環境。
どうも大事な時期に大切なことを学び忘れまったようです。
またうっかり深入りした恋への後悔。
心の奥で疼く傷跡が僕にそうさせているとも思えます。


けどいいんです。

最近はブログ世界で友達ができつつあるのが新鮮です。
不思議な感覚です。言葉や気持ちだけに限定されたコミュニケーション。
できるだけ大切にしたいと思っています。


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おくる

2009-09-22 10:10:08 | 
人をおくる瞬間。

本当に立ち合ったのは過去2回だけでした。
「おくる」と言う行為がこれほど静謐で清々しいことだとは思いもしませんでした。

最期のお別れをきれいに整え故人の一番輝いていた姿にして見送る。
家族や友人の脳裏に故人の笑顔や思い出が甦る。
黄泉への「門出」を晴れ晴れと演出してくれた「おくりびと」に、
喪主が心から感謝します。感極まって膝から崩れ落ちて号泣をする人もいます。
そんな人間の無垢な気持ちの在り様がとっても尊く思えました。

おくりびと=納棺師。
「葬儀屋」とひとくくりにしていましたが、
このような専門家がいたことを知り驚きました。

昨今の葬儀屋さんは単なるビジネスとして葬儀をこなしているだけですよね。
こんな人の思いを大切にするプロの「おくりびと」がいたなんて・・・感動ものでした。



本木雅弘はいい役者さんだと思います。
広末涼子の演技は賛否両論ありますが僕は好きです。
広末涼子の潤んだ目に僕は男を抱擁する菩薩を見たような・・・。
大袈裟かもしれませんがそう感じました。
実生活で母となった彼女の“素”の表現だったのでしょうか。


山形の透き通る自然を背景にそれぞれの思いがゆっくり重なり、
心象風景として僕らの中にひとつひとつ刻まれていきます。
最後に「石文」により親子の絆が時を越えて繋がりました。
よかった。ほっとしました。

山崎努いいですね。
「困ったもんだ」には笑えましたよ。

以上、「おくりびと」の感想でした。


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癒される絵、癒されたいとき

2009-08-06 22:21:29 | 










癒されたいとき癒されたい絵があるっていい。

「種播く人」そして「星降る夜、アルル」。

朝から晩までいっぱい汗をかいて働き夜はこんな星の降る夜空に囲まれて暮らしたい。

空想すること、思い描くこと、それは楽しいこと。



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