ある記憶

遥か遠くにいってしまった記憶たち

仲間

2008-01-26 00:33:46 | 
仲間はいつの時もいいものだ。
同じ目標に向かって、共に進んでいける。
みなんなそれぞれ、思い悩む別の顔を持ちながら、共に進んでいけばいい。
そんなことを前提として共に進んでいける仲間。
いいんだよ。時には立ち止まって、羽を休める時間も必要さ。
低空飛行で、あっちにぶつかり、こっちにぶつかりしたっていいじゃないか。
仲間はそれを支えあう。何でも話し合えて分かり合える。
それでいいじゃないか。

組織目標の絶対主義。それは続きはしないことをつくづく経験した。
そう、約20年前。人の弱さを追及したとて、いったい何になろう。
ひとそれぞれで、百人いれば百通りの人生があり百通りの苦悩がある。
それを前提にしないと、仲間などありえない。
その時間と空間において支えあい、そして、目標に進むのが仲間。

また、仲間(共同体)は、永遠ではないことを知るべきだ。
いつか「別れ」の時がやってくることを。
それは、しょうがないことなのだろう。
別れを恐れて、仲間は成立しない。別れを恐れるな。

それでも、仲間はいいもんだ。
家族という仲間、会社という仲間、会社の部署の仲間、大学の同じ釜の飯を食った仲間、男と女という仲間、・・・。
もう、覚悟は出来ているのだから、その上で人間を信じても、何も怖いものは無いんじゃないか。
裏切りや偽りを懐疑してもきりがない。
まずは、子供のように無邪気な心で、仲間を大事にしたらどうだろう。
全てを許せば済む事だろう。そして、自分だけは、少なくとも裏切らないことを誓えばよい。

何でも話せる仲間。

そんな仲間が少なくなっていることが、今の社会の衰退の根源のようにも思える。
効率だけを追求したって、それが何になるというのだ。
効率の極限的な追求は、仲間の心を壊し、仲間自体を崩壊させる。
お金はほどほどあればよい。

こんなことを、今日、仲間と酒を飲みながら思った。
こんなことを語れる僕は、まだ幸せなのかも知れないな。

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