駒沢公園から自由が丘まで、走ってきました。
その途上、しきりとこんな芥川の警句が思い浮かぶ羽目に・・・。
☆☆☆
悲劇
悲劇とはみずから羞ずる所業を敢てしなければならぬことである。
この故に万人に共通する悲劇は排泄作用を行うことである。
「侏儒の言葉」(芥川龍之介)
☆☆☆☆☆
もちろん、生理現象です。
急にお腹が痛くなり、参りました・・・・。
しかし、確かにこれは悲劇ではありますが、芥川が言うように、
排泄が全て悲劇だとは思いません。面倒で、不潔で、恥ずかしくもあり、
その点は弁解の仕様もありません。
そんな格好はもちろん、それ系の趣味のある方以外は、人に見られたくないでしょう。
特に、男と女の仲になる手前では、この剣が峰をどう越えるか、若ければ若いほど、悩ましい問題でありました・・・。
しかし、排泄というその行為自体は、えもいわれぬ「快感」であります。
今日などは、そこに行き着くまではまさに「地獄」でしたが、
そこにたどり着けば、「陶酔の境地」とでもいいましょうか、
その瞬間は、天にも昇る気持ちでした。
ま、別に普段でも、快眠に勝るとも劣らぬくらい快便は気持ちがよいもの。
特に、自宅でゆっくり出来ればこの上なく。
僕は、毎朝、トイレでタバコを燻らせながら行う排泄は、楽しみの一つとなっています。
芥川は、あの繊細さですから、トイレでの自分の姿や、行為につき嫌悪を持ったのだろうか。当時は、当然「ぽっちゃん便所」でしょうから、その場所自体が悲劇と感じた可能性も。
また、作家という仕事柄、必ずしも快眠快便とはいかず、便秘やまたは時ならぬ下痢等に悩まされていたのかも・・・。
排泄とは果たして、トイレの排泄に限定したことなんだろうか。
僕の単なる思い込みかも知れない。
動物としての排泄なら、性的な排泄も含意にあったんではなかろうか。
けれど、これはどう考えても「悲劇」とはいえないし、必ずしも万人に共通とはいえないかもしれないので、やはり除外か・・・。
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いやいや、どうも変な方向に話が進んでしまいましたが、ともあれ無事に帰還してまいりました。
駒沢公園の桜は、一部開花しており、その下でお花見している方々も少数ながらいらっしゃいました。
公園の中央広場では、「全国大陶器市」というのをやっており、
チャリティーで東京地酒ちょっと一杯コーナー、広島風お好み焼き、
焼き鳥‥模擬店もあり相当、誘惑に駆られましたが、
「デカたこ焼き」だけ所望してお酒は回避いたしました(旨そうだったなぁ・・)。
陶器は、ラーメンどんぶりとコーヒーカップ、迷った末に断念した。