大学も数年経ち、一緒にいろんな活動をする仲間には女性も多数いた。2つ下の学生にH子という子がいてその子にとても慕われた。
H子の出身は千葉県でお父さんはお医者さん。文学部・仏文科に在籍、大学に一つだけある女子寮に入っていた。
背は小さくおちびちゃんなのだが、とても勝気で、僕と同じく様々な運動に学年・学部のリーダー格として、早くも存在感を示していた。
また、目がくりくりして上の写真のようなかわいい顔をしていた。おちびちゃんのくせに、おっぱいが大きくいわゆる「トランジスタグラマー」だった。
だからかどうか知らないが、性的にはすごく早熟だったことが後からわかった。
当時、大学の教養部は共産党系の自治会であった。彼女が2年生の時には自治会の執行部選挙に、反日共系の委員長候補として立候補したこともあった。
そんなH子は、僕たちの寄宿舎にも入り浸っていた。確かに寄宿舎の集会室でいろんなミィーティングもあったし、交流会やいろんなその筋の催し物もあったので、そのことで来ることも多かった。
夏休みや冬休み、春休みなどもよく見かけた。というか僕の部屋にも良くいた。
そんなH子になんとなく慕われていたのはわかっていたが、僕はH子には手を出さなかった。
先輩の何人かに彼女を気に入っていた人がいることを知っていたし、彼らと争ってまで彼女を獲得しようとも思わなかったからだ。
H子は大胆な子だ。何日も寄宿舎に宿泊(集会室or空き部屋)し、お風呂に困ると深夜に寄宿舎の男子用大浴場にこっそり入浴したりした(もちろん女子用などは無い)。
その際に僕は入り口で「見張り番」をさせられたことも何度かあった。曇りガラスに映るH子の影に、やばくなりそうなことも何度かあったが、理性がそれを止めた。
その入浴、他の寄宿生の手前とても危険なので、普通はバイクで10分くらいのところにある銭湯にH子を連れて行った。
ジャージにTシャツ姿のままバイクの後ろでぴったり抱きつかれるのには、これまた参った。H子はわざとしている節があった。
寄宿舎の僕の部屋に来た時には(2人部屋だがその当時の僕は2人部屋に1人で住んでいた)、「疲れた・・・」といって“万年床”の僕の布団にごろんと寝るのである。僕の目の前で、目をつぶりそれも仰向けに。
誘惑の罠をいたるところに仕掛ける小悪魔的な彼女に半ば僕は閉口していた。
「●●先輩は、そんなに格好いいのに、なぜこんなことばかりしているの?」
僕らの運動のことであるが、ま、若いときの僕はそこそこ格好は良かったようだ。
その質問はそっくりそのまま返してやりたいくらいだった。
こんな2人だったが、チームワークはとても良く、クラス討論やサークル活動ではいつも息がぴったりだった。
10年以上も経ってから聞いた話だが、街頭で反戦か何かの宣伝をして、一斉に解散した帰り道、出会いがしらでH子と出くわした同期のYは、そのまま勢いに任せタクシーで連れ込み旅館(ラブホテル)に直行したという。
Yはまるでプロレスのブルーザー・ブローディーに似た粗野な奴だったが、事が終わってからH子に「誰でも良かったの・・・」と言われショックだったと嘆いていた。
やることやりやがってショックも無いだろう。今は東京にいるYに対し、事あるごとに僕は嫌味を今でも言ってやる。
H子は、その後案の定、僕の3つ上の先輩と学生結婚した。僕はといえばその前にH子ではなく違う人を選んでいた。
H子と先輩の結婚は「政略結婚」じみていた。1年もしないうちに破綻したと聞く。その後のH子の消息は洋として知らない。
たくましい奴だから何をやっても生き延びているだろう。きっとそうだろう・・・
H子というおちびちゃんのお話でした。
~ 映画「バブルへGO!」を見ながら。
H子の出身は千葉県でお父さんはお医者さん。文学部・仏文科に在籍、大学に一つだけある女子寮に入っていた。
背は小さくおちびちゃんなのだが、とても勝気で、僕と同じく様々な運動に学年・学部のリーダー格として、早くも存在感を示していた。
また、目がくりくりして上の写真のようなかわいい顔をしていた。おちびちゃんのくせに、おっぱいが大きくいわゆる「トランジスタグラマー」だった。
だからかどうか知らないが、性的にはすごく早熟だったことが後からわかった。
当時、大学の教養部は共産党系の自治会であった。彼女が2年生の時には自治会の執行部選挙に、反日共系の委員長候補として立候補したこともあった。
そんなH子は、僕たちの寄宿舎にも入り浸っていた。確かに寄宿舎の集会室でいろんなミィーティングもあったし、交流会やいろんなその筋の催し物もあったので、そのことで来ることも多かった。
夏休みや冬休み、春休みなどもよく見かけた。というか僕の部屋にも良くいた。
そんなH子になんとなく慕われていたのはわかっていたが、僕はH子には手を出さなかった。
先輩の何人かに彼女を気に入っていた人がいることを知っていたし、彼らと争ってまで彼女を獲得しようとも思わなかったからだ。
H子は大胆な子だ。何日も寄宿舎に宿泊(集会室or空き部屋)し、お風呂に困ると深夜に寄宿舎の男子用大浴場にこっそり入浴したりした(もちろん女子用などは無い)。
その際に僕は入り口で「見張り番」をさせられたことも何度かあった。曇りガラスに映るH子の影に、やばくなりそうなことも何度かあったが、理性がそれを止めた。
その入浴、他の寄宿生の手前とても危険なので、普通はバイクで10分くらいのところにある銭湯にH子を連れて行った。
ジャージにTシャツ姿のままバイクの後ろでぴったり抱きつかれるのには、これまた参った。H子はわざとしている節があった。
寄宿舎の僕の部屋に来た時には(2人部屋だがその当時の僕は2人部屋に1人で住んでいた)、「疲れた・・・」といって“万年床”の僕の布団にごろんと寝るのである。僕の目の前で、目をつぶりそれも仰向けに。
誘惑の罠をいたるところに仕掛ける小悪魔的な彼女に半ば僕は閉口していた。
「●●先輩は、そんなに格好いいのに、なぜこんなことばかりしているの?」
僕らの運動のことであるが、ま、若いときの僕はそこそこ格好は良かったようだ。
その質問はそっくりそのまま返してやりたいくらいだった。
こんな2人だったが、チームワークはとても良く、クラス討論やサークル活動ではいつも息がぴったりだった。
10年以上も経ってから聞いた話だが、街頭で反戦か何かの宣伝をして、一斉に解散した帰り道、出会いがしらでH子と出くわした同期のYは、そのまま勢いに任せタクシーで連れ込み旅館(ラブホテル)に直行したという。
Yはまるでプロレスのブルーザー・ブローディーに似た粗野な奴だったが、事が終わってからH子に「誰でも良かったの・・・」と言われショックだったと嘆いていた。
やることやりやがってショックも無いだろう。今は東京にいるYに対し、事あるごとに僕は嫌味を今でも言ってやる。
H子は、その後案の定、僕の3つ上の先輩と学生結婚した。僕はといえばその前にH子ではなく違う人を選んでいた。
H子と先輩の結婚は「政略結婚」じみていた。1年もしないうちに破綻したと聞く。その後のH子の消息は洋として知らない。
たくましい奴だから何をやっても生き延びているだろう。きっとそうだろう・・・
H子というおちびちゃんのお話でした。
~ 映画「バブルへGO!」を見ながら。