ある記憶

遥か遠くにいってしまった記憶たち

STUDIO KOUROS  踊りたい ♪♪

2008-09-30 22:38:22 | 




通りを横丁に入り住宅街に入るかと思われる矢先、ふと見ると、
少女マンガから飛び出してきたような麗しく且ビュ~ティフルな絵が壁面に現れます。

その名も、 「STUDIO KOUROS」 。ダンス&バレエのスタジオです。
「第9回発表会」とあります。
ふと行ってみたくなりました。社交ダンスだったら少しはできるかも…

さて、大衆店もありますよ。
おじいちゃん&おばあちゃんの“おしどり夫婦”が営んでいる、
駅の通りのすぐ近くにある定食屋さん。
たま~に利用します。
いつまでもこんなに仲良しに暮らせたらいいですねぇ。。。


(久寿屋)


ウナギ屋さんにもいいところがあります。地味だけど美味しいです。
静岡大井川産の新鮮な鰻を使っています。




しょっちゅう行くのはやはり駅前のドトール。
ここは結構広くてこぎれいで落ち着きます。西口にも2件あるのですがこちらは東口です。




惰性で紹介した感が否めませんが、
まだまだいいお店がいっぱいありますので、おいおい紹介させてください


        **************************


しかし、米国には困ったものです。ブッシュのおひざ元の共和党に裏切られ、このざまです。
ミレニアムに入り米国の「投資銀行バブル」が長らく続きました。
宴の終わりはこんなもの。


夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡

旅に病んで 夢は枯野を 駆け巡る




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面白いお店、よいお店

2008-09-29 22:06:10 | 




KoiBumiと黄色い文字で書かれています。くすんだ茶色の板によく目立ちます。
何のお店かと思いきや、居酒屋さん、焼鳥屋さんなんです。
ほんの二坪くらいのカウンター中心のお店。しゃれてます。
気さくなおじさんが迎えてくれますよ。
昔はいっぱい「恋文」書いたんでしょうね。





砂山。普通なら“すなやま”と読みますよね。
じつはこれ、“サザン”と読むんです。
そう、オーナーがサザンオールスターズの大ファンで、四六時中サザンがBGM。
中はこじんまりとした和風の造りで、凝った創作料理を出してくれます。
焼酎の種類はすごく多く、好みのお酒が必ず見つかるはず。








Relieve。レリィブ、安心させる、楽にさせるという意味です。
沖縄料理のお店で、石垣島の黒ビール、地ビールが美味しく、店の雰囲気も、
文字通りRelieveです。

ラフティ、ゴーヤチャンプルー、沖縄そば、、、沖縄料理が満喫できます。






喫茶ぶう。こちらも1坪半くらいのちっちゃなお店。
コーヒー専門店です。
落ち着いたひと時を過ごせますよ。



この4店は学芸大学の東口に、みなひっそりとあります。
よかったら行ってみてください。



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テキヤさんで大賑わい 目黒不動尊

2008-09-28 21:35:08 | 




秋の例大祭だったんでしょう。。。それとも彼岸の関係か、目黒不動尊は、
お参りをする人やテキヤさんで大賑わいでした。

おみくじを引いたら 「中吉」


   吹く風に 沖辺の波の 高けれど
   心静けき 我港かな


 これ迄の幸福があるのは神の御恵と祖先の守護によるものなので
 安心せず自分も人も慈しみ世のために尽くせばいよいよ運盛んに
 他所は嵐吹きても自分の所に何事もなく幸い多し



ん…… すごく含みのあるご神託でした。








喧噪の中、広島お好み焼き&焼き鳥をつまみにビールをたっぷり所望いたしました。

もちろん、阿弥陀如来様や大日如来様などお賽銭とお祈りを済ませてからですよ。

目黒不動尊は、マラソンコースの定番です。
昨日走った時にテキヤさんが準備していたんで顔を出さねばと思っていました。
天気もよくてすがすがしい参拝でした 


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ポールニューマン  いい俳優だった・・・

2008-09-28 07:55:39 | 
ポール・ニューマン死去=「明日に向って撃て!」「スティング」―米(時事通信) - goo ニュース


ポールニューマンが死去しました。
大好きな俳優の一人だったのに、また名優がいなくなります。

「明日に向かって撃て」「スティング」は、若いころに出会い、
主人公たちの自由奔放な生き方にとてもあこがれました。
ブッチ・キャシディーとサンダンス・キッドの強盗団、かっこよかったなあ…






その後も「タワーリングインフェルノ」「ハスラー」などでいい演技をしてました。

残念です。もう一作ぐらいと思ってしまいます。

ご冥福をお祈りします。




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棟方志功という生き方

2008-09-27 21:19:12 | 
棟方志功の「板画」(彼は版画のことをこう呼びました)に傾けた情熱は並々ならぬものがあります。


誰でも彼の作品を、いつかどこかで、見覚えがあるはずです。
太くて荒々しいが、すごく優しく温かい線で仕上げられた作品の数々。


いつも圧倒される彼の製作現場の写真。




視力が極端に劣っているとはいえ、かじりつくようにして板を彫る彼の姿は鬼気迫るものがあります。
ここまでして仕事に没入できるものかと、驚かされます。


魂を込めた板画は、どの作品も僕らをほっとさせてくれる。
慈悲というか、救いさえ与えてくれているような感じがします。




彼は若い頃に出会ったゴッホに憧れて画家、版画家を目指したといわれます。
確かにゴッホの影響を受けたような作品も多いのですが、僕はシャガールに感じたのと同じものを彼の作品に感じます。
懐かしさというか郷愁というか、そのような感慨を同じように感じます。





「不生」 うまれず、と読むのでしょうか。
棟方志功による書です。

まだまだ生まれていない。芸術家としての自分、そして自分の作品の数々。
生まれず、として自分を牽制しているのでしょう。
いつまでも謙虚だった志功。

いかにも東北人、青森の出身者らしく思えます。


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母性に

2008-09-27 12:11:01 | 
ずっと姉貴がほしいと思っていた。
僕は、長男で、家族の期待を一身に担ってきた。
爺さん、婆さんの期待。
逃げ場がなかった。
兄貴ではなく、姉貴がいれば、何でも話せただろう。

父は出稼ぎでほぼ家では見ない。母は朝から晩まで働きづめで、会話もなく。
祖父母には子供がおらず、父は養子だった。
10人ほどいた爺さんの兄弟の一番下の弟が、父だったという事実を、
ごく最近知った。
祖父と父はぎくしゃくした関係で、面と向かって話をしている場面を、
僕は子供のころから見たことがなく、漠然とした不安を感じ続けていた。

当然にも、婆さんと母とも嫁姑の関係で、仲がいいはずもない。
そんな中で、僕は、完璧に爺さん子、婆さん子として育てられた。
家族といったら、爺さんと婆さん、それに妹と弟という5人しか考えられなかった。
父と母は、蚊帳の外。そんな不条理の中で僕は育ってきた。


祖父母は僕を過剰なまでに可愛がり、同時に重い期待をかける。
窮屈でしょうがなかった。
僕を生んだ母の愛を知るようになったのも随分と後のこと。
爺さん、婆さんがなくなって以降のこと。
大人になって、初めて、父や母の苦労を知ることになった。
けれどその頃は、そんな「家」から脱出する願望しかなかった。


長男であることを恨んだ。できれば何でも話せる姉貴が欲しかった。
姉のような存在に、甘えたかった。姉というより母性にすがりたかったのかも知れない。
「母」がいても、その頃の僕にとって、「母」は存在しなかったためだろうか。


そう、僕は、「母」を求め続けてきた。母性への憧れが僕を突き動かしてきた。
姉貴がほしい。その気持ちとて、母性への憧憬の裏返しにすぎない。


優しくしてくれる女性なら誰でもよかった。
母の胸元に飛び込むように、僕は女に溺れた。
だらしなく、乳飲み子のように、身も心もさらけ出し、ひたすら溺れる。
それで満足だった。甘美と退廃に己を置くことに救いを感じだ。


けれど、そんな倒錯した憧憬やデカタンスは何物をも生み出すことはなかった。
「野良犬」はいずれ次の住処を探しに旅に出る。
風来坊を繰り返すことにも、ほとほと疲れ切った。


今ある自分という存在。今更ながら、人間というものが分からない。
分からなくてもいいものなのだろうか。


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野良犬と忘却 2

2008-09-25 22:55:42 | 

東京に来てから住居を3回替えました。
はじめは川崎のアパート、次に祐天寺、そして今。


そのほかに「別宅」が2か所ありました。
時を隔てて、一か所は東中野、もう一つは麻布十番。
別宅などというと聞こえはよいですが、野良犬よろしく、
単に女の人のアパートに転がり込んでいただけのことです。


東中野は半年くらい、麻布十番はもう少し長かったか…


不毛な時間が流れていました。


川崎に住んでいた頃、しこたまお酒を飲んでメロメロになり、夜中帰宅する途中に、
同年代の若い兄ちゃんにしこたま殴られ道端に伸びていたことがありました。
なにか面白くないことがあったんでしょう、僕から絡んでいったのかも知れません。
翌日、顔が倍に膨れ上がったまま会社に行き、周りから驚異の目で見られました。


荒れた日々が続いていました。



仕事だけは朝から晩まで、狂ったように行いました。

けれど、それが何になると、いつも思っていました。



体を鍛えようと思いました。本をいっぱい読もうと思いました。
生きていかねばなりません。生きるために何かをせねばと今は思っています。
野良犬と忘却の繰り返しではいけないと思っています。



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野良犬と忘却 

2008-09-24 22:42:33 | 
中学の時に悪だった僕。その時の「親友」と何かのきっかけで六本木で会った。
もう10年も前の話だろうか… 何の因果か、とても不思議な再会だった。


彼は、六本木交差点から芋洗い坂を下ったとあるビルの一角で飲み屋の店長を任されていた。
飲み屋といってもちょっと怪しい雰囲気のいわゆる「おかまバー」だった。
派手な化粧と衣装をまとい、すっかり肥っていたが、かすかに残る面影は確かに彼に違いなかった。


 「やぁ、久しぶりだな」

 「そうだな」


あんな片田舎出の2人が、こんなところで相まみえるなど想像さえしなかった。
ボトルを入れてしばらく話をした。
彼の3つ下の妹も東京に出てきてこのお店で働いていたこと、
田舎で町会議員をしている彼の親父がわざわざここまで話をしに来たこと。
苦労話の数々…


彼は、芸能界にあこがれ高校を中退して東京に出てきた。風邪の噂では「石原プロ」に入ったという。
ドラマにも出たなどと眉唾な話も聞こえたりした。
その辺の事情にはあえて触れなかった。武士の情けもあった。
結局、水商売を転々とし、今に至ったのだろう。
それでも、羽振りはとてもよさそうで、江東区あたりにマンションを所有し住んでいるとのことだった。



彼とは中学の頃の部活で僕が部長、彼がキャプテンだった。彼は背番号4番、僕が5番だった。
バスケットボール部。結構花形で女の子には人気があった。女の子らとも子供じみた遊びをずいぶんした。
それに、悪(ワル)。。。部室でタバコは吸うは、友達の家で酒飲んで麻雀するは、
隣の中学に遠征に出向き、暴力沙汰になるは。。。。
タバコ吸ってる現場を押さえられ、職員室で絞られることもあった。
これじゃあいけないと思い、高校に入る時に、僕は彼らと決別する決心をした。
取り巻きに殴る蹴るをされた。彼は表には出てこず、その周辺の者らに指示を出し、そうさせた。
みな気心知れた連中だったから、殴る蹴るも「ポ~ズ」に過ぎなかった。
それを境に、彼らとはそれっきりとなった。


僕は、この町を去ろうと思い、高校時代は一心不乱に勉強をした。
そこそこ昔から勉強はでき、地方の進学校に入学できたのが幸いした。
男子校であったので、女子に悩まされることもなく、勉強しかしなかった。
高校3年の頃には、模試や成績でベスト3には必ず入るくらいにまでなった。
結果、僕は地方のさる国立大学に現役で合格し、この町を去ることに成功した…。
 (その後の顛末は、過去のブログの通り…)


だから、彼とはもうそれっきり。それ以来の再会だった。
当時のことはお互いに水に流した。
というより、長い年月と互いの苦労が、そんなちっちゃなことをどうでもよく感じさせた。


彼は彼で苦労をしたろう。僕だって負けないくらい苦労をしてきたつもりだ。
僕のことも多少は話したが、おもに僕は彼の身の上話を聞くのに専念した。


まだ、あのお店はあるのだろうか。そして彼はそこで働いているだろうか。。。
その後、いろんなことがあり、どうしてもそのお店に足を向けることはなかった。
お店の「性格」が僕になじまなかったこともある。仕事も忙しくなった。
どうせ逞しく生きているんだろう。あいつのことだ。


野良犬のような人生を歩んできた僕ら。すべてが忘却の彼方に行こうとしている。

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すずめのお宿公園で気晴らし

2008-09-23 17:29:33 | 




二日酔いでふらふらした足で、ちかくの(と言っても20分くらいは歩きますが)
「すずめのお宿公園」に散歩に行ってきました。

「すずめのお宿」とはかわいい名前です。
その割りに雀の姿は見えません。
竹がいっぱい生えていて「筍を取らないでください」の看板がとても目立ちます



竹林の中を歩いていると「舌切雀」のお話が思い出されます。
民話にはお爺さん、お婆さんが登場し、悪い人と良い人と分けられ、
悪い人は必ず罰を受けます。
「勧善懲悪」という儒教の考え方に裏付けられていますね。
舌を切ったお爺さんは化け物の入ったお土産を担いで帰ったんでしたっけ??





かわいいモニュメントがありました。
青銅で作られた女の子と女の子の肩や掌に集まる雀の造作です。
雀はこんなに人懐っこかったっけ??
結構警戒心が強いんですよね。





その先に「古民家」があります。
かつてこの辺もこんなお家がいっぱいあったんですね。
中に入ると竈で薪を焚く匂いがしました。

すごく懐かしくて癒されます。
この中はマイナスイオンに満たされているようです


近くのサルジオ教会では、サルジオ教会幼稚園の運動会で賑わっていました。
広い校庭に紅白に分かれた園児と応援にきた家族の方々。
秋は運動会の季節でもあります。

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なぜか昔の生活が懐かしく…

2008-09-21 21:29:52 | 
僕の実家の家は、僕が生まれてから3回建て替えをしている。

いま父母が住んでいる家は、今から15年くらい前に立てた「お城」のような立派なお家。
どっしりとした瓦屋根、切妻造りの2階建てです。
部屋もいっぱいあって、8畳、10条間が6つもあり…

そこに、ぽつねんと、老夫婦2人住まいである。。。。。





僕が生まれた家は、家の前の畑の片隅のところ。
亡くなったじいさんばあさんが、戦争で南方から引き揚げてきて、
この地に住むのに建てた平屋建ての家でした。
今の家と比べればすごく小さくてこじんまりした家でしたが、
思い出はそっちのほうがいっぱい詰まっています。
(当然、今は跡形もありません)


炉辺というものがありました。
冬は、寒くて寒くてここの火に手をかざしました。
雪でびしょびしょになった着物をここで乾かしました。
炉の炭の匂いは今も忘れません。




米は釜で炊きます。かまどがありました。
かまどのご飯の焦げた匂いが懐かしい…。
釜の底にこびりついていた“お焦げ”は、ご飯本番前の「前菜」だったかな

そして、大好きなお風呂はいわゆる「五右衛門風呂」。
このお湯を沸かすのは、僕の当番だった。
木の建てつけの悪い雨戸を閉めるのと、これが僕の任務






とってもとっても不便でしょうがなかったけれど、今思い出すと「生きてる」っていう実感があった。
他にもいろいろ生活に根ざしたリサイクルの生活がありました。

たとえばトイレは「ぽっちゃん」便所。
これは即、畑の肥やしになりました。
近所に生ごみの収集に回り、飼っている豚のエサにしましたし、
北上川の川辺では流れ木や枯れ木を集め燃料としたり。
土手には山羊が放し飼い。
子供のころは山羊が怖くて、遠回りをして学校へ通ったっけ…


都会の生活の便利さを捨てることはなかなかできませんが、
なぜか最近こんな生活が気になって仕方がないんです。
                                 


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秋といえば「芋煮会」の季節

2008-09-21 09:57:15 | 




秋というと「芋煮会」とくるのは、宮城県で育った僕らばかりでしょうか。
山形県も有名です。山形はしょうゆ味、宮城はみそ味の違いがあります。
どっちも美味しいです。食欲の秋にぴったりの行事です。


■仙台「芋煮会」の詳細 →  「せんだい旅日和」




学生の頃は広瀬川の河原でよくやりました。気の合う寄宿舎の仲間たちと。
また、お隣の保母専門学校に集う保母さんの卵のお嬢様たちと。
時に、市内の某女子大の「淑女」の皆様がたと。
シチュエーションは様々でしたが、何しろ大勢で集まり、食材を準備し、
火をおこし、味付けをし、一緒に鍋を囲むのは最高に楽しい。


                 


しかも野外、抜けるような青空の下で、広瀬川のせせらぎや野鳥のさえずりを聞き、
美味しいお芋とお肉、野菜をほおばりながら、ビールや日本酒を飲めるなぞ、
この世の桃源郷のようでした。




東京の近場なら、田園都市線の二子多摩川駅から5分くらいのところの
多摩川の河原辺りがぴったりきます。

たまに行くことがありますが、春とか秋には多摩川の岸辺でバーベキューは
よくやっています。
家族づれや学生さんたちが多いようです。
サラリーマンはあまり見かけませんね。
楽しそうでうらやましい限り…
                      


それでも秋はいい。落ち着いていていい。何より紅葉がきれいで。
これから寒い冬に向かい、雪がまた今年も降るのかと思うとわくわくもする。
変な言い方ですが、雪は嫌だけど好き。

そうか、ここは東京だから雪は見れない。
僕の田舎のほうも、昔と比べ全然雪の量は減ってしまった。
大雪で学校が休校になるなんてことは、もうなくなっている。

「温暖化」という化け物のせいだね。


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童話

2008-09-20 22:13:02 | 
ある童話のラストシーンです。
たまにはこんな童話でこころ温まるのも悪くはない。
母ちゃん、 … か。


          *****************************************************


ある窓の下を通りかかると、人間の声がしていました。何というやさしい、何という美しい、何と言うおっとりした声なんでしょう。



「ねむれ ねむれ
母の胸に、
ねむれ ねむれ
母の手に――」



 子狐はその唄声は、きっと人間のお母さんの声にちがいないと思いました。だって、子狐が眠る時にも、やっぱり母さん狐は、あんなやさしい声でゆすぶってくれるからです。
 するとこんどは、子供の声がしました。



「母ちゃん、こんな寒い夜は、森の子狐は寒い寒いって啼いてるでしょ うね」


 すると母さんの声が、


「森の子狐もお母さん狐のお唄をきいて、洞穴の中で眠ろうとしているでしょ
うね。さあ坊やも早くねんねしなさい。森の子狐と坊やとどっちが早くねん
ねするか、きっと坊やの方が早くねんねしますよ」



 それをきくと子狐は急にお母さんが恋しくなって、お母さん狐の待っている方へ跳んで行きました。
 お母さん狐は、心配しながら、坊やの狐の帰って来るのを、今か今かとふるえながら待っていましたので、坊やが来ると、暖い胸に抱きしめて泣きたいほどよろこびました。
 二匹の狐は森の方へ帰って行きました。月が出たので、狐の毛なみが銀色に光り、その足あとには、コバルトの影がたまりました。



「母ちゃん、人間ってちっとも恐かないや」
「どうして?」
「坊、間違えてほんとうのお手々出しちゃったの。でも帽子屋さん、掴まえや
しなかったもの。ちゃんとこんないい暖い手袋くれたもの」



と言って手袋のはまった両手をパンパンやって見せました。お母さん狐は、
「まあ!」とあきれましたが、「ほんとうに人間はいいものかしら。ほんとうに人間はいいものかしら」とつぶやきました。



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素敵な朝なのに、影を落とす疑い…

2008-09-20 10:34:18 | 
こんなすがすがしい朝に。



自分を大切にしない人は、人も大切にできない。

自分を愛せない人は、人を愛することはできない。


自分に夢がない人は、ともに誰かと夢を見ることはできない。

自分に笑顔がなければ、心から一緒に笑うことはできない。




すべて問題の根源は「自分」だということを僕は、理解している。
「自分」をしっかりと確立しなければならない。
いつまでも未熟な自分であっては、永久に「幸せ」は、やってこない。

「幸せ」を、本当に僕は望んでいるのだろうか。
そんな疑いさえ持ってはならない。
世間一般の「幸せ」を、僕は望んでいるはずだ。


美味しいものを食べる、快適で素敵な住居、温かいお風呂、愛する妻がいて、
家族がいる。毎晩のように抱きあって眠りにつき、朝は心地よい日差しで目がさめる。
仕事のデスクに向かい、いろいろ思索にふける。
旅行もいっぱいするさ。日本の各地をくまなく。四国の四万十川に行きたい。
四国をお遍路さん姿で回りたい。
南仏プロバンスだってきっと行く。画家たちがみた景色をこの目で見よう。
そして最後は静かに「Goodby」しよう。眠るように静かに…



そうすれば僕は、「幸せだったなあ…」と安心して土に帰れるかな。
たぶんそれでいいんだろうな。


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been a long time since I rock and rolled   ♪♪

2008-09-19 22:30:37 | 



会社の帰宅途中、ふと耳にした威勢の良いメロディ~♪

チャララ♪ チャラララ♪ チャララチャラリラ チャララチャラララ♪

been a long time since I rock and rolled   ♪♪

 been a long time since I did the stroll  ♪


Led Zeppelin -「 Rock and Roll-Rock'n Roll 」ではないか 

駅前のいつもの特設会場。そこで今日は、懐かしの洋物格安販売セールが行われていました。
生活用品や食品の特売が多いこの一角ですが、今日は異色です。
Zepにとどまらず、StonsやPurpuleなどかつて熱狂したバンドの、しかも、
貴重なライブ盤、海賊版がいっぱい置いてありました。

一昔前なら、すべて「買い」だったのですが、
今更、買いはないです。そこまで若くはなくて…

それでもそれぞれのアルバムを手に取りながら、
聞くともなしにZepの激しく乗りのよいメロディーに耳を傾けていました。




やあ、ロバートプラントの張りのある高音のシャウト、ジミーペイジのギンギンのギターリフ、懐かしく心躍ります。


この曲に初めて出会ったのは大学1年の時のダンスパーティーでした。
これで「ジルバ」を踊れというのです。
踊りましたよ、わけもわからず。
技が未熟で、単純な踊りの繰り返ししか知らぬ身の上には、この楽曲の長さに大いに泣かされた記憶があります。

幼稚園児のお遊戯みたいな踊りしかできず、情けないやら相手に申し訳ないやら、
さっさと曲が終わればいいのにと、神に祈るような気持ちでした。

大学に入り、その春に初めて経験するダンスパーティがあり、大人の世界をちらりと垣間見た気がして、胸がドキドキしていました。

その一発目が、このZepの「 Rock and Roll-Rock'n Roll 」でした。
そんな思い出の曲です。


 少し元気が出たような気がします



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こころが疲れたとき

2008-09-18 23:07:36 | 
  僕の前に
  道はない
  僕の後ろに
  道は出来る


  ああ
  自然よ
  父よ


  僕を
  一人立ちさせた
  広大な父よ

  僕から目を離さないで
  守る事をせよ

  常に
  父の気魄を僕に充たせよ

  この遠い
  道程のため

  この遠い 道程のため



こころが疲れて元気の出ないときに僕は、
この光太郎の詩を読み返し、
こころの中で反芻し、自分を鼓舞する。

そう、「僕の前に道はない」。僕の後ろに道はできるのである。

そのために「父」は、この殺伐とした世の中に、僕を解き放したのだから…

僕を生んだ自然の慈悲に、僕は応えなければならない。

がんばらなければならない。


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