ある記憶

遥か遠くにいってしまった記憶たち

大阪へ日帰り

2008-04-30 21:47:56 | 
大阪に日帰り。もちろん仕事でした。

午後のアポイントで、東京駅を昼に出て、約1時間ほど相手先とお話をして、
トンボ帰りにて東京に戻る。着いた時にはもう午後9時を回り。
新幹線「つばさ」に乗って、十分に日帰りが出来るようになった。
おかげで、そちらに泊まる時間的な理由もなくなり、僕らにはとても酷な「利便性」と相成っている。
一昔前なら、十分に一泊に値するのだが、もうそれはあたわず、
遅くなろうが、日帰りなのである。

というわけで、僕は結構大阪に行く割に、大阪と言う地域について知らない。
ほぼ行く先は決まっており、新大阪からタクシーで行き、タクシーで新大阪に戻る。
それだけ。大阪で食い倒れの経験もないし、新地という東京で言えば銀座みたいな場所で、お酒を所望した経験もない。
とても健全と言えば健全な大阪出張ではあるが、いったいこれでいいのかと。



道頓堀で一晩かけて食い倒れ。



大阪城の天守閣から、大阪を一望したい。

そんなことを思いながら新幹線で本日も帰途に着きました。
(なんか、とても虚しい・・・)
僕にとって、相変わらず大阪は遠い遠い街なのです。


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昭和は遠くになりにけり

2008-04-29 22:25:30 | 
そういえば今日は「昭和の日」らしい。
昨年からそうなったようだ。それまではみどりの日。その前は天皇誕生日だったな

昭和で思い出すことはいろいろありすぎるけれど、
一番ショッキングだったのは、給食の導入だったような。
カルチャーショックというか、こと食い物に関しては、貧しかったせいか本当にびっくらこいた



はじめは脱脂粉乳のミルクにコッペパン、それにお汁とみかんみたいな内容でした。
脱脂粉乳については、好き嫌いあるようですが、僕は大好きでした。特に、コーヒー味のミルクが出るとお代わりさえするくらいに。
小学4~5年の頃に、突然導入された学校給食でしたが、パンだけは馴染むのに時間がかかりました。
コッペパンや食パン、更に野菜サンドみたいなパンは特にきつかった。
パンと言えば、当時はアンパン、せいぜいジャムパンなど菓子パン類しか馴染みが無かった。
それもたまにしか食べさせてもらえなかったし
パンにマーガリンやピーナッツジャムを塗って食べると言うスタイルも初めてだった(マーマレードはいわんやおや。これ食えなくてまいった・・・)。



中学に入ると、脱脂粉乳に代わり牛乳となりました。
おかずも多少グレードアップし、「クリームシチュー」「カレーシチュー」など大ヒット商品が目白押しとなった
人目もはばからず「お代わり」を連発した。
(学校へ行く理由。それは給食を食べるために。。。)
この給食のおかげで、今の骨太で健康な体に恵まれています

今は、パンに代わりお米が主流の給食になっているようです。
(うちの実家の方では、です。結局、米回帰か・・・)




中学と言えば、タバコを吸っている現場を見つけられ、職員室に連れて行かれ担任にこっぴどく絞られたりしました。(お酒やマージャンさえ。女意外はなんでも)
はっきり言って「超悪ガキ」でした。
また、スラムダンクの桜木花道よろしく、バスケットボール部の勇でもあった。
(結構、モテモテでした。。。。。今は昔

そんな僕が、一念発起、勉強に打ち込み一応「一流大学」に入ることが出来たストーリーはまた別の機会に。
(その後の、混迷した足跡はずいぶんと書き記してきましたので

そろそろ、昭和の楽しい夢でも見ながら明日に備えましょうかね

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東京タワーってやっぱり凄い

2008-04-29 18:26:57 | 
東京タワーを真下から眺めると凄い迫力でした。
連休の初日とあって、東京タワーは次々とやってくる観光バスで賑わい、
とても中に入れるような状況ではなかったので、
いろんな場所で、いろんなアングルから、携帯でタワーを撮った。









最後は、増上寺前のこんもりとした森の中から。
木の陰にうっすらと東京タワーが見えます。

城山ヒルズ・テレビ東京→虎ノ門→東京タワー→増上寺→
大門→浜松町→有楽町→銀座

今日のデートコースでした

銀座では、うっかり「ティファニー」に立ち寄ってしまい、
思いもよらぬ大きな出費をしてしまった・・・

しかし、銀座も変わったね。
この一帯、ほぼ外資ブランドの本店ビルだらけ・・・

ビトン、シャネル、エルメス、ダンヒル、数え上げたらきりがない。
90年のバブル崩壊後、日本の失われた10年間は、外資にとっては宝の山に映ったに違いない。
しかし外国人って商売がうまいんだなあとつくづく思いました。
日本は外人にぼったくられまくり
この違いはいったいどっからくるのだろうか。

かつて東京タワーができ、高度経済成長で外国に追いつけ追い越せとがんばり、
80年代には「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と褒めちぎられた日本はどこへ行ってしまったのだろう

そして、そういう僕もティファニーに思いっきりボッタされたのかも

ともあれ、天気もよく楽しい一日を過ごせましたとさ、ジャンジャン!!

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かれー麺 実之和 六本木店  お尻いたっ・・

2008-04-29 08:32:55 | 
昨日の昼食、会社の部下らと3人で、カレーラーメンを食べに行きました。
前にもいちど来たことのあるお店で、その時は辛さ並みをお願いした(昼間っからジョッキでビールも頼んだような・・・)。

大木はどんぶりにシンプルで小奇麗な一品。とろみがあって麺はやや太麺。小ねぎがまぶされてあり、具は豚肉ロースが美味しさを増しています。



さて、「並」にするか「大辛」にするか、それとも「激辛」にするか・・・
3人で迷った末、僕ともう一人は「大辛」、もう一人は並に落ち着きました。
「激辛」は、大辛の5倍の辛さとメニューに記されていました。そして、お店の従業員も「食べ切れませんでした」とも。
怖いもの見たさで頼むのも手でしたが、お腹もすいていたし、チャレンジは次回のお楽しみといたしました。

しかし、、、

この「大辛」もまたなかなか手ごわかった。スープは出汁が効いており、とても美味しく仕上がっています。
が、舌と言うよりも、口の中の喉のあたりから上方、そう鼻の下辺りの口内に、何か刺す様な、とても「心地よい」辛味の刺激が間断なく訪れます。
これは、これは極辛党にはえもいえぬ快感かもしれません。
(僕も、どっちかというと辛いの好き派です)
汗を噴出しながら、スープも大半は呑み、ほぼ間食いたしました。
ランチはサービスで半ライスもついていましたのでそれも頂きました。

  美味かった

しかし、

会社にもどってから一日中、おなかゴロゴロしていまし
この程度でおなかがこうではまだまだ修行が足りませんね。

いったい「激辛」を注文してたらどうなっていたことでしょうね。
けれども興味があります。連れて行った一人は平気みたいだったので、今後「激辛」に挑戦させましょうかね。


今日は、ちとお尻が痛いです。。。。まいった・・・




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かれー麺 実之和 六本木店
(かれーめん みのわ)

住所 〒106-0032 東京都港区六本木 3 - 13 - 8
電話番号 03-3746-3312
営業時間 11時~翌7時
定休日 なし
座席数
喫煙 可
最寄り駅 日比谷線、大江戸線「六本木駅」

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『世にも奇妙な物語』って結構あるかも

2008-04-28 22:55:42 | 
帰ったら「世にも奇妙な物語」(「ドラマレジェンドスペシャル 世にも奇妙な物語 SMAPの特別編」)が、リメイク版でやっていた。
いちど2001年元旦に放映されたもの。
草薙剛の入ったら出れない「床屋」とか、木村拓也の3年後に地球防衛軍と化した家族とか、どっかでみた映像だった。
一瞬、「ディジャヴ」かと錯覚したが、新聞のテレビ欄をみて“ほっ”とした。

結構これが好きで昔からなるべく「かかさず」みるようにしていた。
その癖、過去に見たものの「奇妙な物語」のストーリーをあまり覚えていない。
かすかに覚えているのが、南野陽子の「王様の耳はロバの耳」とか柳場敏郎の「おかしなまち」など。

息を飲むような名作もあれば、駄作も多いのだが、なぜかこの類のショートドラマに惹きこまれる。
よくよく考えてみると、この奇妙な世界は僕たちの身の回りにも結構あるなと思う。
ドラマはこうした日常をデフォルメしたり、アナロジーしたものが多い。
これはないなと思うものはまさに「駄作」である(例えば本日のキムタクのやつ)。

    事実は小説より奇なり

本当に驚くほど奇妙なのである。
特に最近、僕の周りで生起するいろんなことが奇妙奇天烈に感じる。
会社や学校では「世にも奇妙な物語」が結構跋扈しているものだ。
その渦中にいるとその奇妙さに気がつかないだけかもしれない。
一歩離れたところでみれるようになると滑稽である。悲しくもある。


第1シリーズ(第1期):1990年4月19日~1990年9月20日(全39話)
第2シリーズ(第2期):1991年1月10日~1991年12月19日(全117話)
第3シリーズ(第3期):1992年4月16日~1992年9月17日(全19話)
そして、その後の特別編。
いったい何作作られたのであろう。
DVDで全巻発売されるのなら、僕は誓って迷わず買う!。


世にも奇妙な物語~15周年の特別編~

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1974年 修学旅行in東京

2008-04-27 21:08:53 | 
そういえば、僕は中学3年の修学旅行で、丁度パリのルーブル美術館からやってきた「モナリザ」の実物をみました。
みたというと、じっくり鑑賞したような響きですが、さにあらず。
もう、長蛇の列で、ほんの数十秒の出来事、後続の列に押されさっさとその場を過ぎていきました。
だから、ほとんど印象も無く、また、当時そんな大それたものとも思っていなかったので、興味も無かったようです。
それに、パンフレットにあったあの薄暗い絵をとても不気味に感じていました。
ザ・タイガース(沢田研二)の歌に「モナリザの微笑み」っていうのが流行っていましたが、とてもそんなロマンチックな気分には浸れない絵でした。



それでも僕は、レオナルドダビンチの世紀の大作を、この目でみたんだ。
不思議な感慨があります。

上野動物園には中国からジャイアントパンダ(確か「リンリン」、「ランラン」とか言ったっけか)が来日しており、これもその時に見ました。
こちらも大変な人気で、“日中国交回復”の象徴ということでした。
パンダまで政治に利用されていたんですね。かわいそうに・・・。
こちらも、ほんの一瞬だったような。



このとき、神奈川に出稼ぎに出ていた父が、わざわざその時間に合わせ上野動物園の入り口に来てくれました。
ほとんどお盆とお正月しか帰らない父と何を話したか当然覚えていませんが、帰り際に五千円くれたことだけ記憶にあります。
帰省すると酔っ払ってばかりいた父に、僕はいつまでも馴染めなかったなぁ。



東京タワーにも初めて上りました。東京の空って意外にきれいなことを知りました。
展望台は、とても怖かった。高所恐怖症は今に至っても直らない。
だから、飛行機などは最悪(ロンドン行き、憂鬱だぁ・・・)。
ここで小遣いを戴いた近所の人たちにお土産を買いました。
自分なりに工夫をし、東京タワーのペナントやタテを買って帰ったら、母に「こんなもの」と叱られました。
饅頭かなんかがよかったようで。二度と土産など買うもんかと思いましたよ。

他に、なぜか宝塚歌劇団のレビューもスケジュールに入っており、暗い劇場内でタップダンスを踊っている「おばさんたち」を尻目に居眠りをこいていました。
中学生がこんなもの見せられたとて何の足しにもならない。
多分、引率の先生方がみたかったんだろう。

東京2泊3日の修学旅行。きっと、楽しかったんだろうなあ・・・。

いまや遠い、遠い記憶の彼方に。

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ゴールデンウィークだと言うのに

2008-04-27 11:34:09 | 
やはり、ピカソを無視するわけにはいくまいと思った。

しかし、ゴールデンウィークに突入したというのに、この呑気なこと。
特に予定も無く、いつもながらの退屈な時間が流れる。

この女性のように、心地よい「夢」の中で、素敵なドラマに漂うのも一興かな。
ただ、夢は心地よいものばかりとは言えないので手に負えない。
いったい彼女はどんな夢を見ているのだろうか。そう思わせるピカソの1枚です。


「鳩と少女」


「母性」

少女の幼い愛情、わが子をを慈しむ母。
そして、いつまでも女性は「女」である。
ピカソもまた女性に魅せられた画家なのでしょう。
(ま、女性をテーマにしない画家はほぼ皆無ではありますが・・・)



この「裸婦」の満ち足りて、歓びにあふれた表情はなんだろう。
ピカソは彼女と戯れながら絵筆を執っていたのでしょうか。
なんとも羨ましい限りですね。


  

これからうどんを食べて、コーヒーいれて、多少本でも読んで、
それから・・・・

そうそう、マラソンに行こう!

まだまだ1日は長い。


ムンクの女性崇拝

2008-04-26 21:16:49 | 
画家ムンクと言えば、幽鬼漂う「叫び」を思い浮かべることだろう。

けれど、ムンクは女性をテーマにした作品も多い。

「マドンナ」は、妊婦さんだ。生命を育んだ女性への慈しみ。

「真夏の夜の夢」は、思いのほか静かな作品だ。





少女はいったい何を感じ考えているのだろう。




橋の欄干から外を見ている2人と、それに反してこちらを向いている少女が1人。

女性は、男性にとっていつも神秘的な存在に違いない。


絵画ネタは、もうこれくらいにしようか・・・・。
南仏プロバンヌあたりで、呑気に風景画でも描きたくなってきたので、
ずいぶんと拘ってしまいました。
それ以外に他意はありません。


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静かにゆっくりと流れる日々

2008-04-26 07:43:08 | 
「夜空」

希望のように星が瞬く。遠くの街灯り。
手前には恋人たちが静かに寄り添う。

二人にはつつましくも幸せな未来が待っているようだ。



昼は太陽の下ワイン畑で、
一生懸命、労働に精を出す。




涼やかな優しい風を受けながら疲れを癒やすひと時。
本当に気持ち良さそうに。まだ、日は長く。




にぎやかな街のカフェテラスでいろいろなお話をして、
そして、その帰りに「夜空」を二人で眺めるのである。

なんと静かで、落ち着いた日々であろう。

しかも、アルルの街で。


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ダンス ダンス ダンス

2008-04-26 00:07:35 | 
アンリ・マティス

裸婦が手を繋ぎ、円を描いてダンスを踊っている。

いきいきとし、生命力にあふれている。

ブルーヌードとピンクヌード。





マティスは何歳になっても女性が好きだったんだろう。
女性に、底知れぬ生命力と愛を見ていた。

それもそうだ。人はみな女性から誕生した。
母の胎内から生まれ出でたのであり、母性に郷愁を抱くのはあまりにも自然だ。

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月明かりの2人

2008-04-24 23:00:27 | 
今日は、一番大好きなマルク・シャガール。

月明かりの2人。

誰しもこんなシーンはあったろう。
なんて幸せな一瞬。

これが永遠だったらと、思ったことだろう。



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晩秋に佇み

2008-04-23 22:19:53 | 
モネの絵。

暮れ行く夕焼けの中でじっと佇む藁のよう。

収穫は終わった。

寒くなり暖炉に集う者たちを暖めるとか、
それとも、次の収穫のための堆肥とか・・・

藁。

とはいえ、とても清澄な気持ちにさせられる藁の絵です。


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甲斐バンドの頃

2008-04-21 22:04:50 | 
甲斐よしひろ ・・・ まだがんばっているのか!?

いい年こいて「HERO」を歌っていやがる。かっこよすぎる。
甲斐バンドの歌が聞きたくなった。ユーチューブを捜してみた。
案の定、古いものから新しいものまでいっぱいある。

「翼あるもの」




1979年、僕が大学2年の晩夏の映像。
髪が長かった。異様に痩せこけていた。
400CCのオフロードのバイクに熱中していた。
学校に足を運ばなくなりつつあった。
これから先の長い人生をもてあましていた。
北海道に友人らと旅行にも行った。
まだ、本当の「女」を知らなかった。
バイトに明け暮れていた。
酒とタバコがやめられなくなりつつあった。
何のために大学に来たのか、わからなくなっていた。
けれども、ずっと先には何か希望もあるのだろうと思った。

そんな頃に、甲斐バンドをよく聞いた。

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三軒茶屋方面を走った

2008-04-20 20:08:57 | 
気分転換には、やはり運動がいい。先週は雨で出来なかったマラソンを今日は再開。
区長選挙の日だったので、適当に一票入れた後、さてどっち行くか。
迷いつつも、なにげに足が三軒茶屋方面に向かった。

三軒茶屋は、とてもにぎやかで活気のある街だ。田園都市線で、渋谷もすぐ近く。
キャロットタワーは遠くからもよく見えて、ここの象徴となっている。

ご興味ある方は、 「三軒茶屋どっと混む!」をご覧になってください。
この街は時節ごとにいろんな地域行事を行っている。特に秋に行われる大道芸の企画は、この辺一帯が、“小芸”と“アート”一色となる。これは一見の価値ありです。
ただ10月なのでまだずっと先です。
( 「三茶de大道芸」 参照 )



本来なら多少この辺で油を売るのだが、今日は三茶の町内をぐるり大きく一周するにとどまり、通り過ぎるだけでした。

昭和女子大では、ファイナンシャル関係のセミナーの看板が立っていた。
そういやあ新聞かなんかで見た覚えがあった。
三宿通りに進路を変えて、あとはまっしぐら。
かつてキムタクが「カオリン」なる女性と深夜よく通っていたというレストランがあったりする。
一説によると、キムタクは下馬-青葉台 三宿-下馬-東山-上目黒に生息、よく三宿通りで見かけるというが、見たためしは無い。
この通りのお店は、何かと通好みのよう。
世田谷公園は、5月も近いのか公園の池の上に20体を超える「鯉のぼり」が一足先につるされていた。子供たちで賑っていた。

「くじら軒」で今日は塩ラーメンを食べた。ここのラーメンは美味い。


マラソンをして気持ちも体もすっきりした。
ここのところ僕を襲っている「無気力感」「けだるさ」「知的堕落」「虚無」、
・・・そんな一連の感覚から、未だに脱却できていない。
自分の存在の確かさを、どこかで感じ取ることが必要だ。

虚無のブラックホールほど危険なものは無い。

何度も何度も僕は、こうした内なる心の闇と闘って来たつもりだし、乗り越えてもきたのだが、忘れた頃にゾンビのようにもくもくと復活してきやがる。

誰も助けてくれやしない。自分で克服するのみ。自分しかいない。

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