ある記憶

遥か遠くにいってしまった記憶たち

光太郎のように

2008-01-19 23:06:06 | 
遠い遠い回り道をしてきた。いや、まだ、回り道の途中かも知れない。
今いる自分が、あるべき自分の道を歩んでいるなどと、どうして信じられよう。
今が、回り道だとすれば、そもそも僕の本当の道とは、どこにあるのだろう。
どこに回帰すれば、僕の本当の道にたどり着けるのであろう。
本当の道など、存在するのか。実はそんなものは、ありはしない。
現に歩んできた道だけが、僕の後ろにある。ただ、それだけ。
あのときこうすればよかった。であれば今頃は・・・、などと考えるのは愚の骨頂であろうか。
頭の中だけの妄想とか空想。
後悔などに、何の意味も無く。
あるのは、現にここにいる、自分だけ。そして、今歩んでいる道。
こう、堂々巡りするのは、自分にちゃんとした羅針盤がないから。
到達すべき目標とか理想があれば、そこに向かって航海のしようもあろう。
海図も羅針盤も、今の僕には必要ない。
ただうろうろと、波のまにまに、浮かんでいる。
または、波打ち際で、永遠に踊っている流れ木のよう。
だらしのない人生だなぁ。
他人の生き方は、その人になりきれないから、わからない。
けれども、せっかくこの世に生まれてきて、こんなだらしの無い生き方をしていていいんだろうか。
神様の罰が当たりそうだ。いい加減だなぁ。
もっと大切に生きろ。まだまだ、僕の人生に残された時間はたっぷりある。

「僕の前に道は無い。僕の後ろに道はできる。」

高村光太郎の強い意志。彼は、最後を、岩手県の人里離れた山小屋で過ごした。
木彫りの仏を彫りながら、たった一人きりで。千恵子との思い出をきっと胸に秘めて。
光太郎66歳の時の詩。

三畳あれば寝られますね。
これが小屋。
これが井戸。
山の水は山の空気のように美味。
あの畑が三畝(うね)、
今はキャベツの全盛です。
ここの疎林(そりん)がヤツカの並木で、
小屋のまわりは栗と松。
坂を登るとここが見晴らし、
展望二十里南にひらけて
左が北上山系、
右が奥羽国境山脈、
まん中の平野を北上川が縦に流れて、
あの霞んでいる突き当りの辺が
金華山(きんかざん)沖ということでせう。
智恵さん気に入りましたか、好きですか。
後ろの山つづきが毒が森。
そこにはカモシカも来るし熊も出ます。
智恵さん こういうところ好きでせう。



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栗金団を買い込んで

2008-01-19 12:23:10 | 
歌舞伎町は、歌舞伎座があるわけでもないのになぜ「歌舞伎」なのか。
それは、戦後復興時に、この一帯を歌舞伎や能など文化的な地域にしようと、
地域の人たちが、先んじて命名したことが所以だと言う。
しかしながら、そうした地域の人たちの願いとは裏腹に、現在のような歓楽街になってしまった。
コマ劇場のような芸能は一部あるものの、他は、風俗やらマフィアやらが跋扈する。
その裏のラブホテル街は、学生の頃同棲していた彼女と良くお世話になったので、思い出深い街でもある。
デパートの地下の食品店で、なぜか栗金団を大量に買い込みホテルに持ち込みがぶがぶ喰った。相当腹がすいていたのだろう。
また、まだ十分若かったから、何度も行為を繰り返すため、そのエネルギーの源のためだったんだろうか。理由はすっかり忘れてしまった。
単に、彼女の嗜好だったのかもしれない。僕は、別に好きでも嫌いでもない。
その後しばらくし、うっかりポン引きにやられてしまったこともあった。これは痛かった。あのポン引きの瞬間芸は、まさに芸術である。
その才能をもっと別のところに使えば良いのにと思う。
今も通りには、怪しげなお兄さんおじさんたちがうろうろと獲物を狙っている。
5万円やられた。裏の住宅地のみすぼらしいビルの一室に引き込まれ、チープな写真を形式的に見せられ、少しするとその写真とは似て非なるおばさんがやってきて、「お兄さん。こんなのに引っかかっちゃ駄目だよ」と、さんざん説教され、やることをやって、「今度からは気をつけなよ。お兄ちゃん」といって帰っていった。
そんなこととわかっていたが、一度どんなもんか経験してみたかった。面白半分でもあったのだが、もう二度と御免だ。ずいぶん大人になったような気もした。
新宿は、甲斐バンドの解散コンサートのために来た。80年代後半ごろか。都庁が出来る前、あの辺一帯は大きな公園だった。その公園が満杯になった。熱狂的なコンサートで、青春の終わりを告げるような宴であった。
けれども新宿歌舞伎町は、今も好きな街の一つである。

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同窓会

2008-01-19 01:08:17 | 
さっき帰った。部下も今日は軒並み新年会とか言っていた。僕も、当時の同級生の同窓会というか新年会に出た。
昔話に花が咲いた。あの話、この話、ここで言えないことばかり。
20年前に一足飛びに戻り、あの頃の空間に浸りきった。
と同時に、今の現実にみんなため息をつきつつ。
早い奴で息子がもう25才になるという。
下のほうでも娘はもう10才だという。
未だに学生気分で人生を憂いているのは僕ばかり。
みんな日々の現実にいっぱいいっぱいのようだ。
僕の環境をみんな羨ましがっていたが、僕は僕でそれ以上の悩みがある。
生きている限り、どんなステージで、どんな境遇にあろうと、人は苦悩から解放されることはない。
そんな現実から目をそらし、人は生きざるを得ない。日々の煩雑さゆえにそんな現実を振り返る暇もなく時間が過ぎる人もいる。

僕は、そんななかで空虚に日々を過ごしているんだなあ。
思想も信仰も自己愛も何も無い。
刹那の愛、刹那の恋、刹那の友情、刹那の生甲斐、刹那の情熱、刹那の・・・、
その刹那の積み重ねのみでできている自分の生き様。

またしても酒をしこたま飲んだ。
そしてフィリピンバーでいやになるほどカラオケを歌ってきた。
実は、僕はカラオケが好きで、自分で言うのもなんだが歌が上手い。
聞きたければいつでも聞かしてあげよう。実は、ダンスも上手い(マジ?)。
飲んでも歌って踊ったよ。僕の中の空白は埋まりはしないが、それはそれで刹那を楽しめばいいんだ。

瀬戸内晴美のように出家するまで煩悩は消えないだろうね。
寂聴師匠に弟子入りを希う。

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