ある記憶

遥か遠くにいってしまった記憶たち

学芸大『拉麺研究所 香』で満腹

2009-03-31 20:47:03 | 



毎日食い物のことばっかり書くのもなんですが、、、
本当に美味しかったものでつい…

今日の夕飯は学芸大学の『拉麺研究所 香』

ここの「健次郎風細香拉麺」はほんとうに美味い
文句無しです。

〝ほんのり柚の香りがするまろやかなスープに細麺が相性抜群!
お好みで強人ラー油を加えると山椒の香りが食欲をそそりさらに美味しく召し上がれます。〟

この推奨どおり期待を裏切りません。

学芸大学の西口の路地裏にあります。

TBSの月光音楽団にて【長谷川理恵がオススメする美と健康に良いお店】第3位で推奨されたことも。

こんなとこよく見つけたなぁ、、長谷川理恵…。


美と健康に良い… スープのコラーゲンのことでしょうか。
何しろ食べてて汗が噴き出て止まりませんでした。

皆さんもお近くにいらした際はぜひ一度お試しあれ 



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広島産カキと本にがり豆腐のとろとろ煮

2009-03-30 21:43:49 | 




帰りに自由が丘の大戸屋で夕食をとりました。
なんということもなくお腹がすいたのでふらりと入った。

そこで食べたメニュー。
その名も、

広島産カキと本にがり豆腐のトロトロ煮と雑穀せいろご飯セット


この「広島産カキと本にがり豆腐のトロトロ煮」が絶品

というか僕の味の好みにあまりにぴったし来るのでびっくりした。
一方のあっさりしてくせのない雑穀せいろご飯がまたカキの出汁を引き立てる。
とにかく美味い 


こんなんです。



840円で大満足。

とても幸せになれたよ。〝食〟は偉大だ 



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目黒川の桜は来週が見ごろだな

2009-03-29 17:35:10 | 
  


春というのに今日も肌寒い。。。それでもくじけず走ってきました 
天気は上々、あちこちで芽吹いている桜を確かめながら。

僕の最高のお勧めスポットである目黒川の桜はまだ半分も咲いていませんでした。
それでも若い人たちがいっぱい花見にきていましたよ。

そんなカップルを思わずパチリ 





油面公園→目黒通り→目黒川→代官山(西郷山公園)→菅刈公園
→中目黒→蛇崩緑道→三宿通り→…



この「蛇崩緑道」は、実は穴場だ。中目黒から都立大学まで東横線に沿って、
住宅の中をうねうねと続く散歩道。
桜もいっぱいあるし、その道に沿って住んでいる方々が、きれいな花をいっぱい
植えており手入れも行き届いて気持ちがいい。
老若男女多くの人たちが朝といわず散歩やジョギングをしている。
僕もこちら方面に来る時には欠かさずこの緑道を走る。



たとえば道沿いのある家の庭先にこんな紅白の八重桜が咲いていたり 

それにしても「蛇崩」(じゃくずれ)とは凄い名前だ。。。
途中で「蛇崩橋」なんてのもあるし昔は長い小川だったんだろう。
蛇でもいっぱい湧いていたんだろうか…。


菅刈公園には「大島桜」という白いきれいな桜が満開でした。
桜と言えばソメイヨシノと八重桜くらいしか知りませんでしたが、
こんなのもあるんですね。




久しぶりにのんびりゆっくり走れました。
こんな日はなんとなく幸せなきもちになれます。

ランニングの醍醐味ですかね。


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菜の花三昧

2009-03-29 08:44:58 | 
 



一面の菜の花の群生。懐かしい風景。
まずは子供の頃を思い出す。菜の花畑の中でかくれんぼ。
妹と。弟と。近所の友達と。
ほのかな菜の花の香り。





桜と菜の花。春から初夏へとバトンタッチ。
桜は入学式のイメージ。
帰りに小川の淵に菜の花があった。






あぁ、やはり一面の菜の花の風景はいい。
次に思い出されるのは彼女とのひととき。ドライブして郊外の野草園に。
そこにも菜の花があふれんばかりに咲いていた。
とてもすがすがしく、生きる力を感じ、心から幸せに思った。





  菜の花畠に、入日薄れ、
  見わたす山の端かすみ深し。
  春風そよ吹く、空を見れば、
  夕月かかりて、にほひあはし。

  里わの火影も、森の色も、
  田中の小路をたどる人も、
  蛙のなくねも、鐘の音も、
  さながらかすめるおぼろ月夜。






なにもかもが懐かしい。



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自然は何も変わらない。変わるのは僕ら。

2009-03-28 20:57:33 | 



花見も終り、無事に帰ってきました。
昨夜とはうって変わって好天で言い花見となりました。


昨年、当社ではベビーブームで、ちびっ子がいっぱい。
今度はちびっ子のために運動会をしようというアイディアも出たくらい。


毎度毎度花見の場所は同じ。いつもの桜の木の下でやります。
少ない開花の中でもなぜかその桜の木だけはしっかり開花してくれています。
僕らの気持ちや都合をすっかり知っているかのようにです。


けれども自然の法則にそい、桜やまわりの環境は毎年同じように繰り返します。
何にも変わることはありません。
変わっていくのはちっぽけな僕らだけです。
いつもの桜の木も毎年同じことを繰り返しながら僕らよりもずっと長く生きるでしょう。


奥さんを連れてきたり、生まれた赤ちゃんと一緒だったり、はたまた彼女を連れてきたりとびっくりするくらい。
僕らは毎年明らかに変わっていく。1年経ってそれを明確に知らせてくれる。
お花見の一方のサプライズ。そんな効用もあります。


あぁ~ また飲んで飲んで二日酔い。
さっさと寝よう。


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開花した桜もこの寒波では…

2009-03-26 22:28:09 | 



例年より早咲きの桜だったがここのところの寒波により見ごろがもう少し先になりそうだ。
今週末の会社のお花見大会、ばっちり満開と楽しみにしていたのに、
5分咲き、6分咲きとなりそうな予感がする。

芝公園の夜桜見物。
ここはいい。プリンスホテルがそばにあるから女性でもトイレを気にする必要がない。
ビールを思いっきり飲める。  
もちろん常設トイレだってたくさんあるので大丈夫なのだが、女性は男性みたいなわけにいかないからね。

東京タワーのライトアップが幻想的で絵になる。
不思議な空間を醸し出す。

とは言ってもそんな景色にしっぽり浸る暇もなく、酒にまみれるのが通例なのではあるが…


すでに本番前日となる明日の晩から先発隊が組織され場所取りリレーが始まる。
夜中の10時ともなるとその日の夜桜見物組は次々と去るなか、わが「陣地」は相当な広さとなる。
1坪くらいから始まった陣取りゲームはその数倍の広さとなっている。
それでも翌日には40~50人ほどの社員たちが集結する訳だから十分とは言えない。

その頃になると泊まり込み部隊への支援と称し少なからぬ人数の社員が酒やつまみを持って集まり一杯やり始めている。
十数人は毎年集まる。夜桜前夜祭が始まる。 
下手をするとこちらの宴の方が本番よりもずっと盛り上がる。
実は夜桜見物を終えた隣近所のグループの人たちが残ったお酒や乾きもの、おつまみ類を〝どうぞよかったら…〟と置いていく。
当然、全部戴きでアルコールや酒の肴には困らないのである。


そんなこんなで零時を回り1時くらいまでは大騒ぎだ。
さすがにその時間ともなると残る人数は数人と泊まり組だけ。
泊まり組のために山岳で使うテントとシラフが用意されている。


僕の場合、去年は零時過ぎまでは粘っていた記憶がある。
実はもう明日の本番はどうでもよくなっている。
サボろうかと思っても翌日の午後2~3時の開始時刻になると携帯が鳴るからしょうがない。
二日酔いでふらふらしながらもまた同じ場所で始まるわけだ。
まるでディジャブを見るように…


と、ここ何年かをざっくり振り返ってみたが、今年もまたこんなものだろう。
粋も色気もあったものではない。

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みんななにしてるんだろうなぁ

2009-03-25 23:42:24 | 



僕がどうあろうと、そんなこととは独立に、彼女たちは自分なりに生きている。
僕と彼女の関係なんて、時間とともに薄れていき、別の枝葉が生じ、やがてその枝葉が、
本当の幹になり、昔の枝葉などまるでなかったかのようになり、
ミキはだんだん太くなっていく。
それが成長というものなのだろう。忘却は成長の糧…


僕だってそんな幹のひとつだ。
昔のことなんて、本当にあったのかどうかさえ不確か極まりない。
歴史などあてにならない。(記憶の伝承などあてにならない)


成長するということはそれまでのいろんなことを肥やしにしていく過程だ。
〝堆肥〟以外に何の意味もない昔の出来事や記憶。
そんなものに固執してもいまさら何になる。
強くありたいと思う自分は、いつもドライだ。


そのドライさに、一抹の淋しさを感じるから疑いが生じる。


長い年月が経ったいま、彼女らがどうしているのか。
どんな境遇にあるのか。それさえ知りうるのなら、いつも自分は強くいれるはずだ。
知らないから不安になり、慙愧を感じる。


知りえないこと。人間の限界と不幸…



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素直に学ぶことの大切さ

2009-03-24 21:34:16 | 



昨年末の那覇マラソンに、沖縄在住の友人が参加して見事完走した。
マラソンとはまるで無縁な友人だったが、朝夕トレーニングを欠かさない。
そのために十年吸ったタバコをやめた。
どうせ続かないだろう。僕はそう思っていたのでびっくりした。


その完走の感動と快感に、彼はその後もトレーニングを続けている。
僕も実感としてよくわかる。
今年になってあんなに溺れていた泡盛も、ぴたっとやめたという。
本当にお酒を一滴も飲まなくなったのだという。
これは奇跡だ。そう思った。


目標を立てそれを達成するためにルールをつくり、己に制約を課す。
そしてそれを守る。頑固なまでに妥協をしない。
そんな奴だったっけ… 
何が彼をそうさせたのかわからないが、僕に足りないものを見た気がする。
そしてそんな彼をいまや尊敬さえする。


僕はと言えばその真逆にある。
見方を変えれば僕は柔軟で多様で利口かも知れない。
けれど今はそんなものはいらない。奴のような頑なさに憧れる。
決めたことをその通りにいつまでも守り続ける力。
愚鈍なまでに誓いを捨てない強い心。


ここは素直に友人の姿に学ばなければならないと思った。
正直言ってこれまで多少軽く見ていた友人だが、すっかり見直した。


僕の誓い。僕の目標。それを貫徹する自分という存在の確立。


要するに決めたことを守れということ。
この簡単なことがなかなかできずにいる。
やればできる!(はず…)


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「浮かれる」ことの大切さ

2009-03-23 21:59:00 | 



なんか記そうと思うのだが、何か気が乗らない。

書き記すべき事柄も枯渇しつつある。


もともと青春と呼べる時期の、記憶の断片を綴ろうと始めたブログなのだが、
いまやその趣旨を完全に逸脱し、何か自己憐憫の情けない告白記みたいなものになっている。

ま、それはそれでいいかとも思う。



何をやっても達成感というものがない。


もう春なんだからもっと浮かれなきゃね


そういう気持ちに持っていくことが大切なんだろう。

春は桜が咲く。今週は最高潮になる。花見大会もある。
その後は新緑のまぶしい季節が到来し、暑い夏が来る。南の海へ泳ぎに行こう。
楽しいこと、嬉しいこと、幸せなことが今年もいっぱい待っている。


記すべきことがなければ記すべきことを作ろう。
ひとつひとつの体験がすべて記すべきこと。


内に内にではなく外に外に。 かな。 


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安室奈美恵

2009-03-22 22:28:52 | 



安室奈美恵ってプロだと思う。
妥協をしない。本質的。自分の音楽を貫く。

いろんなことがあったが、
プロの仕事を忘れない。
メディアからは遠のいて久しい。
けれどまたヒットチャートに返り咲く。

安室奈美恵公式サイト

時代は本物志向になっている。
見せかけで大きく見せても、結局弾ける。
世界を揺るがしている金融危機がいい例だ。
己の何十倍、いや何百倍のレバレッジの幻影を見せ、
実態がばれたとたんにこのざまだ。
本質とは無縁の共同幻想。酔いはいつか覚める。


ビダルサスーンのCMで登場した彼女を見ながらこんなことを思う。

本質的。
見せかけではない本物。


僕はどうしたらいいのか…



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懺悔じみたこと

2009-03-22 16:47:02 | 



人間には裏と表がある。
他人の裏も表も僕は知らない。


けれど、

自分の裏と表は誰よりもよく知っている。
僕の中の裏と表… 言いかえれば光と闇。


こうして何事かを記している自分は表の自分に違いない。
それでは裏の自分、闇の中の自分とは何???


ひとには言えないことがいっぱいある。いっぱい…



ひとは悲しい存在だと思う。ひとりでは生きられない。
僕は、自分のために生きれない。

誰かのため、何かのため、他に存在理由を見つけ、生きているに過ぎない。
だからそれが確認できなくなると、ひとりぼっちになった瞬間に、
僕はいったい何者なのかと虚ろになる。


僕という人間の存在理由。
誰かに、何者かに、必要とされなくなった途端、意味をなさなくなる。

裏の自分、闇の自分はそんな時、空虚に街をさまよう。
もう生を失ったことすら気がつかぬ亡霊のごとくに…



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子供の絵に教えられ。チュー太になれない…

2009-03-22 08:38:40 | 



昨日マラソンの終着点にした碑文谷公園でいいものをみた。


春の日差しがまぶしく、桜も芽吹いている。開花まであともう一歩。
周辺の住民が散歩やスポーツに集う。
中央の池には水上噴水があり、四六時中きれいな水の放射を続けている。


公園を2周してフィニッシュにしようと思った。
北側の入り口付近にある公衆トイレの壁面に、クレパスで画用紙に描いた絵が一面に貼ってあった。

近くの小学生が描いた絵だ。トイレの3面にわたり合計20枚くらい。
一枚一枚違う子によるもので名前が記してある。

どうも「ねずみの御嫁入り」のよう。


年頃の娘をもつネズミの両親の所に隣のチュー太がぜひチュー子を嫁にと申し出て来た。
両親はそれを断わり娘のために世界でいちばんの嫁ぎ先を探す旅に出る。

まずは輝く太陽のところへ。太陽は「僕を隠す雲にはかなわない」という。
雲の所へ行くと、「風に吹き飛ばされる。風にはかなわない」といわれる。
風の所に行ってみる。風は「壁にさえぎられる」から壁が強いと。
壁は、壁をかじって穴を作るネズミにはかなわないといった。

その壁の穴からひょっこりチュー太が飛び出してきた。
両親は、結局、いちばん強いチュー太に娘のチュー子を嫁にやることにした。
めでたしめでたし。


そんなたわいもないストーリーだが、子供たちがその場面場面を一生懸命描いている。
それぞれの個性や力量に従い、丁寧に書かれたその絵に、しばし魅了されてしまった。


幸せはすぐそばにある。幸せの青い鳥にも似た物語。
子供の絵に改めてそんな単純でわかりきった真理を教わった気がした。
なんともすがすがしい朝だった。


子供の力は凄い。無意識の力強さ。生に満ち満ちている。
誰しもそんな時を経てきた。なんで大人になるとこうなっちまうんだろうね 

 
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窓につるした風鈴のようなクリスタル

2009-03-21 09:42:04 | 
 


窓に丸いガラス球を多面体に削ったクリスタルをぶら下げてある。
魔除けというわけではないのだけれどなんとなく。

それに思わぬ効用があった。

東向きなので朝の陽ざしを浴びると部屋中にきれいな光の影。
〝光〟の〝影〟というと変な言い回しですね。
けれど、その光の影は宝石を散らしたように七色にとてもきれいだ。
ミラーボールのよう。プリズムの効果なんだろう。


さっきトイレで用を足していた時に思わず 「あっ!」 と叫んでしまった 

その光の影の一粒が、玄関の横の壁にまで届いていた。
東側の窓の真反対の一番奥の玄関のこんなところまでどうやってやってきたんだろう…

あ、僕は用をたす時にはどうしてもドアを開けておきたい派なんで、
そんな景色を見れたわけでして… (もちろん公の場ではこんなことはしません)


どこでどう反射して… 部屋の大きな立て鏡がポイントだとはわかりつつ計算できない。
などと考えているうちにその影はなくなってしまった… 謎だ 


まさか、こんな朝っぱらから変なものを観たという訳でもあるまい。
まさかねぇ…・まさか… 


とぼんやり考えていた矢先、実家から電話が。
母ちゃんの陽気で明るい声。父ちゃんまで登場。
何度も聞いた旅の思い出話。
「そりゃあよかった」「よかったよかった」「よかったね」…
相槌打つのも限度がある。いいかげん「あ、いま洗濯中だからまたね」と切った。
きりがないんだよねぇ。 


それにしてもおかしな電話でなくてよかったと、少しほっとした 



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FM放送40周年万歳!!

2009-03-20 22:50:39 | 



FM40周年だそう。NHKだ。
アルフィ。デビュー35周年だ。
(ゲストに出ていました)


高校の受験勉強しながら聞いた。
シンとした夜長を共に過ごしたっけ。


サイモン&ガーファンクルのボクサーか… 懐かしいっす。
あれま。ゲバ棒持った学生さんたちが東大を闊歩している(映像)。

僕らよりずっと前の出来事。もう歴史の教科書に載るような出来事。
そんな時代もあったんだな。

高度経済成長。ラジカセ。
エアチェック。僕もした。
いろんなアーティストの歌を録音したカセットテープを宝物にしていた。
どこにいったのかな。すり減るくらい聞いたのに… 実家の押入れの隅っこに。


確かに。NHK・FMはアルバムの曲を全部流してくれた。
AMは必ずフェイドアウト。また、音質も悪かった。
『週刊FM』必須だった。


佐野元春。元春レディオショー。サウンドストリートだよぉ~。
1981~87年か。また復活するって!?
山下達郎、甲斐よしひろに続く名DJ。お世話になった。
渋谷陽一もいたな。


ジェットストリーム
城達也。懐かしい。今もやっているんだろうか。


マークレスタ-とトレーシーハイドの「小さな恋のメロディ」
その挿入曲を演奏している。リバイバルを見に行った。(誰と?)


みな受験の頃の話だなぁ… 昔々、その昔の話。


CDの登場がFMラジオやエアチェック、FM専門誌を駆逐してしまった。
いつともなく僕もFMから離れて行った。



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『食欲考』

2009-03-20 08:32:56 | 
 


この間の変化につきいろいろ考えた。

食欲の解禁。これはなんだろう??
まさか僕に〝第三成長期〟がやってきたとでもいうのだろうか。
それならそうで身長が180センチを超え隆々たるガタイになるのなら結構
な訳はない。あり得ない。身体の内部変化ではない。


心の変化。

今年に入り変化したこと。
会社や友人との酒を媒介とした交流は相変わらず。
仕事はやや凹みを感じながら、ファインティングポーズに何ら変わりはない。
相変わらずのチョコレート。これもまた同じ。

そう、家族との、親兄妹との交わり 
親戚の結婚式、東京滞在、沖縄ツアー。


頑なに閉ざされていた氷の扉が静かに溶解して行った。
家や家族への一方的な断絶の氷解、心の和解。
裏返せば自分自身への絶望と許容。
また大げさな話になるが、
何か自分の中にあるそんなわだかまりや固執に化学変化が起きつつあるようだ。


それが何で「食欲」なんだ?という問い。


食欲ばかりではないかも知れない。〝欲〟というもの。
人間が人間である限り自然に備わっている欲。
強欲とか欲望という意思の底流する欲ではない。もっと本来的なもの。
生きるために『神』が備えた知恵。
生命を維持するための食欲、子孫を残すための性欲、力を蓄えるための睡眠欲。
人間の心の素にある自然な欲求が開花しつつあるのではないか。


当たり前だろう。そう当たり前なこと。
けど、僕は長い間そんな〝人間〟であることを拒否してきたように思う。
自然ではなく、『超然』としていたい。いなければ。
そう強く自分に言い聞かせてきた。
だから当たり前なことに目をつむり、抑え込み、我慢してきたのかも知れない。


今、それが溶けてきているようだ。 

わかりません。一時的な気まぐれのような気もする。


自然欲求の赴くままに飯を食らい、女を喰らい、惰眠を貪る。
そんな生活はたぶんできはしまい。
ま、何事もほどほどに。中庸の精神で。


極端から極端は破綻のもと。
この傾向を大切にして、じわじわとゆっくりと、ほどほどにということか。

だからいま起きている極端な食欲には多少制動をかけねばならないね


拙い「食欲考」でした。お粗末 



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