Dr. Kojin’s original [Marilyn Monroe Once upon a time in a BUS STOP ]
降り立ったのは、紅橋空港、雨の降る、曇天で町並みが霞んで、肌寒い。
「この上海で、3年ぐらいで、1000年ギャップを埋めなければならぬのか、1年で333年の計算だな、休みなしでも1日1年ということになる」と嘆息にも、決意にも似た息を吐いて、鳥の鳴き声にしか聞こえない喧騒を抜けて入国カードに記入していた滞在先のヒルトンへ向かった。
「長逗留しないうちに、大学にコネつけてなんとかもぐりこんでやる。」と思い、市内の共産党支部へ、漢字で書いて何とか意味が通じた。1週間待てとの返事をいただいた。そして、ひがな1週間、こともあろうに、北京語を勉強し、ホテル代が高いので、隣の中国名は忘れたが「authentic ?●●?hotel Shanghai, 次に上海ホテル(賓館)に移動した。
一週間後、上海中医薬科大学へ留学決定、教授と1対1の講義、最初の教授が朱教授、日本の医科歯科でウイルス学を学び学位をとり帰国、バリバリの基礎医学者であり、漢方も理論から入っていくタイプ、それが私には良かった。千年ギャップの穴埋め工事の第一歩であった。「明日まで覚えて来い」が良かった。最初に一緒に食べた弁当が5人民元、日本円で80円ほど。
骨まで凍てつくある夕べ、「街を案内してあげる」という、待ち合わせた「チャン ツーイー」風の女の子、「おしゃれって肉体の我慢が必要なんだ」と思わせるほどの薄着、思わず取った彼女の右手、感覚的には、ほとんど0度に近い、ツマリ漢方の寒熱弁証での「実寒」である。
上海に不案内だった上に、何人もの物乞いの少女に付きまとわれて、買ったカーネーションを小脇に抱えて、ずいぶんと、雪の降る中待たせてしまいました。
入った鮮魚レストラン、お姉さんに「早速、熱くした紹興酒、生姜の千切りも忘れずに」とオーダー、小さいグラスで2杯も飲まないうちに、頬には紅が刺し、白く凍えた指先もピンク色に変化したのです。
蒲東の大学までは古北の転居先から、1時間以上かかります。季節はめぐり、春になり、梅雨が来ました。晴天の少ない上海は、高層ビルの上階は霧か雲に隠れて見えない。「ひたすら覚えて行く」の疲労する毎日でした。
ふと、バンド界隈を歩いていたら
耳にしたのが 黄 品源の「那麼愛你 為什麼 なんでこんなに愛してる 何のため」、私にしてみりゃ「せっかく日本を愛してやったのに、でもやっぱり愛している日本」という訳で、「恋の負け犬の歌」じゃなかったのでしたが、その哀調には、郷愁をそそられました。
当時のノートを、打ってみましょう。
上のアルファベットはピンインではなく、私なりのルビです。
Li kaini shi shasi shi duishicuo Shi kanpo shi ruanruo
離開你 是?死是對是錯 是看破
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