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当帰生姜羊肉湯 冷え性の薬膳

2006-12-26 12:42:00 | うんちく・小ネタ

当帰 羊肉のスープ

漢代の医学書「金匱要略(きんきようりゃく)」には当帰(とうき)と羊肉を使った現代で言う薬膳の始まりのような当帰生姜羊肉湯という方剤がある。

製法

当帰三両(1両が50gで150g)生姜5両(250g)羊肉一斤(500g)に水八升を加えて三升に煮詰めて、7合を温めて日に3回服用すると原文にある。日に一升以上飲むのはやや難儀な感じがするが、腹が冷えて、痛みがある場合には服用すべしとある。

羊肉は肉類の中でも体を温める作用が強く、中国では冬場に愛される肉である。夏場は体が火照るということで中国人は食べない。さて羊肉は寒を除き、陽を補うとされる。冷え性の他にも、冷え性を伴う下痢や下肢の浮腫みにも効果がある。

養血活血の当帰、温中散寒の生姜を用いている。唐代「千金方」には白芍を加えて腹痛を軽減する方や、宋代「済生方」には補気薬である黄耆(おうぎ)と人参(にんじん)を加え、当帰と共に養血を促す当帰羊肉湯がある。中国では産後の冷えと貧血に羊肉と生姜、当帰を使った民間料理がある。

当帰(とうき)の中国薬理学

当帰には独自の匂いがあり、「あああの匂いか」と思い出される人も多いと思う。噛みしめると甘味と共に、少し辛味を感じる。私は「おいしい」と感じる。

当帰は補血、養血の要薬と呼ばれ、血虚による月経異常を補血調経する。有名な補血養血方剤である四物湯の組成は 当帰 川 白芍 熟地黄である。

当帰の活血止痛作用は血(おけつ)と関係する痛みに有効であり、打撲、慢性関節リュウマチに使用される。

中国薬学理論では一般には当帰のような補薬は滋?が多く(平たく言えば胃にもたれる)補中不動といわれる。しかし、当帰には滋?の性質が無く、補中有動と称される。一般的に理気薬は有動であり行中有働といわれるが、当帰は「補薬の気薬」と言われている。

当帰の副作用ともいえる作用は潤腸作用であり、このことが血虚に伴う便秘に当帰を配合する理由である。中国漢方医は腎陽虚の便秘には補腎剤であり潤腸作用のある肉?蓉、血虚に便秘が合併した場合には当帰を配合することが多い。

当帰には尾の部分の当帰尾と主根部分の当帰身に分けられ、中国医学では当帰尾は活血に働き、当帰身は養血に働くとされている。中国漢方医はわざわざ「全当帰」と処方箋に書く場合がある。それは当帰尾と当帰身を全部使用するという意味である。

当帰(とうき)の明代伝説

当帰(とうき 中国語でダングイ)の名称は漢代以前にさかのぼる。ずっと後世の明代に面白い伝説があるので紹介したい。

甘粛省(州都 蘭州)は西に新疆ウイグル自治区、東に?

西省、北に内モンゴル自治区、南に四川省に接する内陸部である。黄河が省中央部を横断し、省域は西北に向かって長く延びる。これを河西回廊という。 王維(おうい)の詩、「渭城の朝雨は軽塵を潤す客舎青青柳色を新たにす 君更に一杯の酒尽くすを勧む 西のかた陽関をいでれば故人なからん」で有名な黄河支流の渭水(いすい)の南に位置し、人跡未踏の深山で「大山」という名の山があった。

結婚して一年もたたない王勇という若者が、村人男仲間の青年同士の度胸比べの話題の際に「大山に分け入っていく」と断言した。

「お前は女房がいるんだ、無茶なことはするな」

という親友の諌めも聞かず、母親と女房のいる家にかえるや否や

「もし私が、三年以内に帰ってこなかったら、妻よ、それ以上私を待つ必要はない。自由に再婚して、新しい家族を得るように」

と、嘆き悲しむ家人をのこして、旅立った。そして3年が過ぎ、心労と悲しみに打ちひしがれた妻は、食事は喉を通らず、夜は眠れず、精神は不安定になり、顔色も青ざめ、病床に臥すようになった。漢方医学で言う気血両虚、心脾両虚の状態になり、生理も止まってしまった。王勇の母は嫁の看病に明け暮れた。母親はついに、嫁の再婚の相手を探し、

「これほど待っても王勇は帰ってこない。おそらく大山で獣に襲われ白骨と化しているだろう。王勇の残した言葉に従って、、」

と再婚を勧めた。運命のいたずらか、実直で初老の男と再婚し、体調も徐々に快方に向かいつつあった女のもとに、なんと王勇が生還したという知らせが入った。最愛の夫の生還に驚くと共に、もう再婚してしまった自分を叱責すると同時に、王勇のもとに帰れないわが身を嘆く毎日が続いた。友の計らいで再会を果たした二人であったが、ただただ泣くばかりで、この日を境に、幾分快方に向かっていた女の容態は悪化の一途をたどり、臥して起き上がれなくなってしまった。医師も嘆息するのみで、良薬の持ち合わせが無かった。

女の再婚相手は女の事情をすでに母親から聞かされていた。なんと、王勇が帰ってきたことを聞き及んだその日から、再び王勇のもとに女が帰るよう、妻と王勇の母親に申し出た。王勇は大山で採取した薬草の一つを友人に託して男に届けた。薬草の根を煎じて飲んでいた女は、二、三もすると快方に向かいだし、しばらく飲み続けるうちに完全に回復したのである。そして、別離数年の歳月の後、王勇と妻は再びもとの夫婦となった。この話から、この薬草の根は、この話を聞いた人々が、

「夫を想う妻は、当然帰するべきところに帰すべきである」として当帰(とうき)と呼び始めたと言う。現在も、中国の多くの地方でこの話は語り継がれている。

当帰の養血調経(血を養い月経異常を治すこと)、活血化

(血液の循環を改善し、体内の鬱結状態を改善すること)の作用は、多くの処方に用いられている。

私流脚色

妻を王勇に返した初老の男は多分医師であったのではないだろうか。もちろん当帰の持ち合わせは無かったから十分な治療効果が得られなかった。当帰という神薬があったのは言うまでもないが、死んだと思っていた最愛の夫のところへ帰れるという精神的な喜び、生きる意欲が病状を全快させることを知っていたに違いない。もし医師であったら、気血双補(気と血を両方補い養うこと)の目的に、人参や黄耆を当帰生姜羊肉湯に加え、粥を炊いて食べさせたであろう、、、、

続く、、


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