温病学-衛気営血弁証 気分証について
湿熱留恋三焦(しつねつるれんさんしょう)
気分証の湿熱証には、似たような用語があります。
温病学の祖ともいえる葉天士は「湿熱論」で湿熱留恋気分(しつねつるれんきぶん)を提唱し、湿熱が気分に停留し、外解もされず営血に入らない病態であるとし、
身熱不揚 腹満 胸苦しさ 悪心 納呆(食欲低下)頭重 四肢の重だるさ 小便不利など湿熱鬱阻(うつそ)気分の証をあげています。
呉鞠通は「温病条弁」で、湿熱瀰漫三焦(しつねつびまんさんしょう)の用語を提唱し、湿熱の邪気が中焦から上下焦に波及し、発熱に加え、上焦の証としての口渇 胸苦しさ、中焦の証としての胃部不快 納呆、下焦の証としての小便不利が現れ、病状が悪化した場合には意識混濁が現れる一連の証をあげました。
留恋(るれん)あるいは湿熱邪留(じゃりゅう)三焦はいかにも漢文的な言い方ですね。瀰漫(びまん)は現代西洋医学的表現のdiffuseに近い印象です、鬱阻(うつそ)とは現代中医学の状態と病機(メカニズム)を表す用語です。
私は留恋とか瀰漫、あるいは鬱阻の用語の使い方にこだわらないことにしています。
甘露消毒丹(かんろしょうどくたん 1852 温熱経緯 王孟英 清代)
滑石 茵陳 黄芩 菖蒲 貝母 通草 藿香 射干 連翹 薄荷 白豆?
滑石は清熱利湿、茵陳は清熱利湿と退黄に、黄芩は清熱解毒燥湿に作用します。
以上の3薬が量から判断しても君薬です。
現代では木通は腎障害の副作用のために通草を用います。清熱利湿に作用します。
射干と連翹は清熱解毒 透熱に作用します。
貝母と射干は共に、清熱祛痰 清咽散結に作用します。
藿香 白豆? 薄荷 菖蒲は芳香性で化濁に作用し、宣肺透熱 行気醒脾に働きます。
さて 王孟英は湿熱が気分に鬱阻すると、以下のような証が出現するとしました。すなわち
身熱 全身の重だるさ、胸や腹の張り、頭重感、喉の腫れや痛み、口渇、悪心、嘔吐、下痢、下苔は一般に白?あるいは厚?、尿量減少、まれに重症型で黄疸や皮下出血 脈は濡数 などの証です。
甘露消毒丹は、現代中医学では、ウイルスや細菌感染症などの「湿熱邪留三焦」に対する方剤の位置づけがあります。元来は、夏の高温高湿度の時期に伝染病を感受して湿熱の邪が中焦を主体に三焦に邪留している状態に対する方剤として、伝統中医学では「湿温時疫の主方」と呼ばれました。現代方剤学では、清熱祛湿剤に属し、主治は湿温時疫 湿熱鬱阻気分証で湿熱倶重の状態に対する方剤とされます。湿熱倶重とは湿と熱が同等であるという意味で、後述しますが、中医学では、湿熱倶重(あるいは湿熱倶盛とも言います)、湿重熱軽、湿軽熱重などのように、湿熱証を湿証と熱証の軽重に分けて考えます。
以上の「湿熱邪留三焦」の現代医学的疾患対応とはどのようになるでしょうか?
その前に、
現代西洋医学で決定的に不足している概念は中医学でいう「湿」とくに「内湿」の概念です。「概念が無い」のですから、西洋医学的に解説も表現もしようがないのです。
「無い袖は振れない」といいますね。まさにそれなのです。
しかしです、、だからといって、「や~めた」では漢方は理解できないのです。
基本概念が無ければ理論体系は成り立たないからです。西洋医である私にとって「湿」は定義付けられる確固としたものではなく、よりイメージに近いものです。
湿(しつ)のイメージ
病因病機
外湿は六淫{風、寒、暑、湿、燥、火(熱)}の一つであり、多くは多湿の気候下での生活、水に浸かっての労働、雨にうたれることなどの外の湿邪が体内へ侵入することにより生じたものを指します。これは感覚的に比較的容易に理解できます。問題は内湿です。内湿は人体の病理産物であると同時に他病の誘引ともなります。
まずこの一行の文章が大切です。内湿の多くは、脾の運化の失調や水湿の停滞によって生まれるのです。(脾の「運化失調」に関しては中医基礎理論に詳細がありますので香味のある諸氏はさらなる読書をおすすめします。後ほど簡単に解説します。)内湿と外湿とは疾病の過程において影響しあっています。多くは外湿により発病し、脾胃が犯されて、脾の運化が失調するために、内湿が生まれます。さらに脾の運化が失調すれば、又容易に外邪の侵入を許すことになります。内湿の成因は、まず飲食の不摂生です。生物(なまもの)・冷たい物・酒・油っこい物・甘い物を食べ過ぎたり、異常な過食、逆の極度な拒食をすると、脾胃が損傷され、運化の働きが悪くなり、津液の運化、運搬ができなくなり、内部に湿が生じ、下痢あるいは浮腫となり、或いは飲邪となるのです。これは「素問・至真要大論」で「諸々の湿するは、皆脾に属す」という病機論に基づいています。
イメージが大切なんですね。湿のイメージを持ってください。
引き続き、
体に侵入した湿邪は、人間の臓腑機能の違い、体質や治療によって変化します。脾陽虚の人は寒に転化しやすく、胃熱の盛んな人は熱に転化しやすいと中医学は説いています。治療で寒涼の薬を用いすぎると、寒に転化しやすく、温燥の薬を闇雲に加えれば、熱に転化しやすいのです。寒と化した寒湿は脾陽を傷つけやすく、湿が熱と化すと胃陰を傷つけやすいのです。これを、湿邪寒化或いは湿邪熱化といいます。湿は陰邪であり、性質は粘っこく停滞しやすいので、湿が勝てば陽を弱くすることは必然です。湿邪寒化は湿邪成病の主な発展傾向です。臨床上では、寒化は熱化より多いのです。
漢方の修行は、最初は外国語の勉強に似ています。「湿熱が中焦脾胃に鬱阻する状態」云々といっても、まず脾胃の臓腑弁証を知っていることが前提です。そこで、少し、遠回りかもしれませんが、本稿では脾の中医基礎理論の概要を説明します。「急がばまわれ」です。
脾胃病の病因病機
脾と胃とは互いに表裏関係にあり、脾は運化を主り、又、統血を主ります。胃は受納と水殻の腐熟を主ります。脾は昇を主り、胃は降を主るのです。脾胃はともに助け合い、共同して水殻の消化、吸収、輸送を行うので、気血生化の源であり、後天の本であるといわれます。このため、もし脾胃の昇降機能が失調すれば、水殻の受納、腐熟、輸送等に障害が発生し、嘔吐、しゃっくり、下痢、腹部膨満感等の症証が起こると中医学は説きます。脾の運化が失調すると、源が衰えるために、臓腑経絡や四肢等、全身のいたるところで滋養ができなくなります。脾気が弱り、摂血ができず、血が帰経できなくなると、血証が生じる。この血証は温病学の血分証とは異なります。脾の運化が失調し、津液の輸布ができないと水湿が停滞し、飲や水腫ができます。
脾胃に病があればその他の臓腑に影響が及び、その他の臓腑に病があれば脾胃にも影響が及びます。その中でもとりわけ肝腎との関係は密接です。脾の後天の本、腎の先天の本はお互いに滋養し合い、相互に作用しあっています。脾虚になり、生化の源が衰えると、五臓の精が少なくなり、腎の蔵する精気が失われます。腎虚により、陽気衰弱になれば脾が温煦作用を失い、運化が失調されます。脾の昇清によって肝気も上昇し、胃の下降によって胆汁は流れ、肝が脾の運化の機能を助けることを肝木疏土(かんもくそど)といいます。また、脾土は木を営み、疎泄に用いられるともいえます。肝鬱気滞により脾胃に影響し、脾胃の健運ができなくなると、肝気が脾虚に乗して脾を犯しやすくなります(木乗土といいます)。故に情緒変動により胃痛が起こり、腹痛等もしばしば発生するのです。
虚実寒熱の観点から眺めると、例えば脾陽虚衰は中気不足の虚証に属し、寒湿困脾(後述)や湿熱内薀は実証に属します。脾虚で運化できなければ、即ち水湿が停滞するために、脾病の多くは湿と関係があります。本虚標実の証候も出てきます。脾虚は他の臓にも影響し、その他の証を兼ねて見られることもあります。
臨床上ではよく見られるのは下痢、胃痛、しゃっくり、嘔吐、痰飲、吐血、血便などの症状です。
脾病と湿との関係を総括すれば以下のようになります。
脾病と湿との関係は密接であり、寒熱虚実の諸々の証とも関係を有し、すべて湿との兼証をもって現われる。例えば寒証では寒湿困脾、熱証では湿熱内蘊、実証であれば水湿内停、虚証であれば脾不運湿である。治療時においては病情を合わせて考え、燥湿、利湿、逐水、化湿の薬剤をもって湿を取り除いてやり、脾の運化を回復させることが肝要である。
何しろ、西洋医学には「湿」の概念が無いのですから、面倒くさい単語を並べるしかありません。
私に「湿」のイメージを最初に教えてくださったのは、上海中医薬科大学の朱教授です。教授は津液の体内での生成輸布をいつでも頭にシェーマとして思い浮かべられるようにしないといけないと常々おっしゃっていました。シェーマ図はこのブログでは無理なので文章にしてみましょう。
津液は脾の運化作用により水穀から小腸、大腸より吸収され、脾の昇清作用により肺に運ばれ肝の疏泄作用とともに肺の主気作用、宣発粛降作用(通調水道作用)により三焦をめぐり、肺の宣発作用の一部として汗になるとともに、腎の気化作用による利尿ならびに、脾の降濁作用により腸に下がった便によってもその量が調節される。現代用語でいう原発性、続発性を問わず、脾の運化失調は正常な津液の代謝を障害させ湿を生じさせる。 以上です。 シェーマが浮かびましたか?
湿の証治分類
これは脾病の実証の分類に重なります。
(1)寒湿困脾(かんしつこんぴ)
冷たい飲み物・なまもの・果実の食べ過ぎにより、寒湿が中焦に停滞することや。雨に長時間うたれたり、多湿下に住んでいると寒湿が内に侵入します。体質的に内湿が盛んだと中焦の陽気の働きが阻害されて、結果、さらに寒湿が生じてしまいます。脘腹