診断不能?「老女と狗(犬)」
老女にとってはかわいいペットの犬、毎日「キャン ウー キャン ウー キャンキャン ウー ウー」わめかれるのは小生、1年365x2.5ぐらいで1000回弱、こちらが降参する。
ここの住民の最低5人は「キャン ウー キャン ウー キャンキャン ウー ウー」の被害にあっている。ということは1年に4800回程度。吼える犬にソノ分だけのエネルギー(餌)を与えている飼い主にもあきれてしまいます。
「どうせ限りある狗の命だ」と達観していても「万が一、こちらが先に参ってしまったら」と思うと「殺意にまで」発展しかねない。「静かな心」でドアを開けると、突然大声で、キャン ウー キャン ウー キャンキャン ウー ウーと「牙をむく」。奥のほうから「駄目よ、○ちゃん」ということも連日延々と繰り返される。
鎖でつながれているときは、チェーンをぴんぴんに張っての狗声、チェーンの根元(オバアチャンの部屋の中)が外れていれば、小生の脚の周りを吼えながら、時に立ち止まり、犬歯を見せて、周回運動を繰りかえす。携帯電話が鳴っても時々「ドキッ」とする場合があるのに、心が急に書き乱される。
初めは「無視」していたが、そのうち「ここぶしを握って中指をたてて」みた。それでもついには「人差し指で狙いをつけ、拳銃で撃ち殺す「まね」をする。それでも泣き止まない。
「キャン ウー キャン ウー キャンキャン ウー ウー」
動物愛護条例もいいが、本末転倒である。
さらにウルサイのは、犬の飼い主(人)で、「夕方に鐘と思しくきものをアップテンポで叩いて」は「日々の信仰生活」を繰りかえす。
「カンァン カンカンカン カンァン カンカンカン ×△?▼~ カンァン カンカンカン カンァン カンカンカン」
こんな不条理が許されて、被害者の条理は無視される。嫌な世の中だ。
犬も老女も診断が必要だ。治療する前に。
本日の「漢方市民講座」中医診断学入門 その1
中医診断学の歴史
弁証論治:傷寒論 張仲景(東漢)から始まる。当時は餓死、凍死など
寒が人体に与える影響を学問した。金匱要略が古典。
診断学からみると、金、元の時代の四大家が有名である
李東垣 脾胃学説を樹立 「補中益気湯」
朱月渓(朱丹渓)
張子和(張従正)
劉河間(劉完素)
付記)金元時代には、内科学術方面において多くの独特のすぐれた点があった。例えば劉完素は、火熱に対しては寒涼の方法を提唱した。劉完素は『素問』中の運気学説を特に熱心に研究し、風・湿・燥・寒などの邪気も火と化して病となることを説き、「六気は皆火に従いて化す」と結論づけた。この「火熱」に対して、治療としては寒涼の薬をたくさん用いたので、後世「寒涼派」と呼ばれ、金元四大家の一人。「防風通聖散」は彼の創方による。張従正は治療における攻邪の方法として、汗法、吐法、下法の三法説いた。「攻邪派」の代表。劉完素の後を継いだ金元四大家の一人。李東垣は、内傷について脾胃を重んじて論じた。補中益気湯、生脈散は李東垣の創方による。李東垣は張元素に師事した。東垣は泰和二年(一二〇二)に済源へ赴任。その四月に流行した疫病に特効のあった創方を、普済消毒飲子と命名している。 東垣の著作と伝えられる書はすこぶる多い。しかし東垣の生前に著作が刊行された記録はなく、いずれも没後に世に現われたものである。脾胃を重要視した補土派の先駆者である。朱丹渓は「陽は常に余り、陰は常に不足している」との説をたて養陰を主な治療法とした。後の中国医学界に滋陰降火という考え方を残し、滋陰派と呼ばれる。朱丹渓は前三家と併せて、金元四大家といわれ、また金元医学の集大成者ともいわれる。その著作は、金四大家のなかで最も多く、二十数種を数え、その代表が『格致余論』『局方発揮』『丹渓心法』などである。後世に大きな影響を与えたのはもちろん、日本では「丹渓学社」がつくられた。
明、清時代になると
1.王清任が「医林改錯」を著し、医学用語の厳密化を図った。また解剖学を重視し「瘀血」を重要な病理と考えた。「血府逐瘀湯」「補陽還五湯」などがある。
2.上海周囲での有名な医家として
葉天士、昊 通らが伝染病、熱病に対する研究から、「湿」を重要視した。
上海学説 「衛気営血弁証」
「三焦弁証」 湿熱に対する研究は臨床で役に立つ
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