永野宏三のデザイン館&童画館  アート日和のできごと

イスラエル国立美術館、ミュンヘン国立応用美術館、国立国会図書館、武蔵野美術大学美術館図書館他に永野宏三の主な作品が収蔵。

空白の残像。

2010-02-08 15:28:14 | 日記・エッセイ・コラム
前々からずうっと気になっていたアーティスト『柳瀬正夢』の名前が、『日本の1920年代・モダン都市東京(海野弘著・中公文庫)』に記述があった。1920年代と言えば、第一次世界大戦が終結した後の不況の時代。当時の東京市(銀座を中心とした現在の中央区が中心)は現代の都市再開発にも似たビル&スクラップが活発だったころ。アールデコが建築様式に取り入れられたモダン指向の時代である。1920年(大正11年)の門司港も鉄道や港・街が整備されて、ビルの様式にもモダンなデザインが取り入れられている。その当時の建物群は現存している。『柳瀬正夢』は1900年愛媛生れで。1918年、11歳の時に門司港に移住してきて市民になっている。資料では門司港の繁栄していた当時の文化に影響を受けているようだ。14歳の時に上京して、美術を学んでいる。かなり進歩的な考えを持った人だったようだ。その後の活躍は目覚ましく、読売新聞社勤務で漫画を描いた後、美術だけにとどまらず、グラフイックデザイン、舞台美術、写真、作家活動と多伎にわたる。今でいうマルチアーティストだ。当時同時期には建築家の村野藤吾や前衛美術家の村山知義などもいる。ぼくは『柳瀬正夢』の作品を15年前に山口県立美術館での『1920年代日本展』と、10年前に福岡県立美術館での『柳瀬正夢展』で観たことがある。山口での展覧会の時にはじめて『柳瀬正夢』の表現にカルチャーショックを受けた。というのも、今、現代アートで表現されている様式みたいなものというか原型みたいなものを、とっくに『柳瀬正夢』が表現に発表していたのである。北九州市出身の偉大なアーティスト『柳瀬正夢』を過去に山口と福岡の公的美術館では大々的に取り上げているが、肝心要の北九州市ではまったく取り上げられていない。というよりも無関心にちかい。空白として『柳瀬正夢』が北九州文化の歴史から抜け落ちている。


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