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つながり読書73 「ハラスのいた日々」中野孝次

2015-08-11 22:59:02 | ヨムヨム ネタバレチュウイ!!!
前回と同じ著者をつなげて読むことはしてなかったが・・・

ハラスの話を読んでいたら、どうしてもこの作品が読みたくて借りてきた。

もうダメ。タイトルだけでうるうるしそう。


生後40日のハラスがやってきてすぐ筆者は

「そしてそのとき初めて犬に向って気持が流れだしてゆくのを覚えた。」らしい。

「気持ちが流れだす」って表現がいい。

この先どこを読んでも、こう表現するにふさわしいハラスとの生活が描かれている。


「犬との絆が本当に一体となるのは実はその盛りのときを過ぎてからなのである」

というのに深く同意。

ふと犬の老いた部分を見つけたときに、人間との老化のスピードの

違いを実感させられるせつなさ。でも同時にそのころ(うちの犬は現在7歳半)には、

犬の表情とか体の感じに微妙な感情を見出したり、こっちの意志が通じたりすることも増え、

つまり「うちの犬」だから感じる愛情が積もってくる。

同意する理由はこれかもしれない。


ハラスが志賀高原で失踪した話は、必死でご主人を探すハラスも、必死でハラスを探す

ご夫妻もかわいそうでかわいそうで、熟読できなかった。

とにかく早くハラスが帰ってくるシーンにたどりつきたくてすっ飛んで読んだ。


「なんども二人で『諦めよう』と言いながら諦めきれず、『ハラスがいない』という事態を

 納得せねばと思うのですが、それがどうしてもできないのです。」

というお二人とハラスの再会シーンは、分量的にはハラス捜索より圧倒的に少ないにも

関わらず、その感動が十分伝わりここでも涙ぼろぼろ。


そして迎える寿命。

読み返すのもつらいけれど、やっぱり残されたものは亡くなった犬や人間が

「その人生を生き切った」と思うことぐらいしか救いにならない。

そういう意味でも、病気が見つかりながらも手術せずに自分の慣れ親しんだうちで、

庭でその人生を終えたハラスはとっても幸せだったと思わずにはいられない。












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