古文書に親しむ

古文書の初歩の学習

第二十二章 扱い済み証文の事 其の二十九

2014年06月25日 05時40分11秒 | 古文書の初歩

「瞹済證文之事」、まとめ。

其の⑥、田並上村の言い分、第二番目。氏神様修繕の際、棟札に田並浦とのみ書き付けたが、上・下両村共有の氏神であるのに、田並浦と書き付けたことは、承知出来ないと言う申し立て。

其の⑦、これに対して田並浦の言い分は、先年、庄屋九郎左衛門の時代に神社を修繕した際に、田並浦とのみ書き付けた棟札が一枚有るので、17年前修繕の時、先例の通りに田並浦と書き付けたものであると言う申し立て。

其の⑧、以上両者の言い分を色々調べてみたが、双方とも利害が分け難く、苫草を引いた場所は、上村の領分だが、田並浦の向地区寄りの場所なので、上村と下浦が相談して、引き始めはいつと決めたら、初日から三日間は上村のみ優先的に引かせ、四日目からは両村が入り会いして引くとの協定にする。

其の⑨、間で中休みにする際は、両村で相談の上中止にし、その後引き始める時には最初から上下入り会いに引くとの協定にする。 但し、上村の百姓でも、三日間は先に上村優先と決めているのに、それ以前に決まりを破り、先だって引いた者が居て、下村の者がそれを見付けて届けた時は、三日間優先の定めに拘わらず、毎年初日から上下入り会いで引いてもよい事にする。 下村の者が、四日目を待たずに、引き場所で引いた者があり、上村の者が見付けて届け出た時は、三日間優先と決めた日数を六日間下村は禁止と定め、七日目より下村が引いてもよいとの協定にする。

上下銘々に買い入れた山林に生えている苫は、それぞれ勝手に引いてもよい。但し工事の申請が出ている場所については、東西を見通した境界線より下浦側の分は、是まで通り下浦が勝手に引いてもよい。この線より山側で、入り会いで引く場所以外は、是まで通り、上村のみが勝手に引いてもよい事にする。 続く。


第二十二章 扱い済み証文の事 其の二十八

2014年06月24日 04時46分25秒 | 古文書の初歩

第二十二章、「曖済證文之事」 まとめ。

①、最初にお断りしました様に、「曖」という漢字は間違っています。本当は、口偏に「愛」という漢字ですが、このソフトでは出ませんので(出し方が判りませんので)、最も良く似ている「曖」という漢字を私用しています。本来の口偏に「愛」と言う字は、現在の辞書では、「おくび」と言う意味で載っていますが、江戸時代には「扱」と同じ意味で使っていました。本文書の「曖済證文」とは、「扱い済み證文」と読み、懸案事件の処理済み証書という意味です。尚、「曖」(日偏)は「暗い」と言う意味の漢字で、もう一つの「瞹」(目偏)は、「隠れる」という意味が有ると漢和辞典に載っています。

②、もう一つ、本文書の文字は非常に特徴が有って難しく、初歩の学習としては適さないのですが、「苫草場紛争」事件の解決文書という点で、第二十一章と密接な関係が有りますので、敢えて取り上げました。二十一章・二十二章は何れも串本町史(史料編)に連続して載っています。

以下要約                                               その③、田並上下『かみしも』両村の苫草引き場所並びに、氏神棟札の件で争論が発生し、御上へ裁定を御願いしたところ、原徳左衛門殿他三名の方へ調べる様お命じになられ、四名様でお調べの上、両村へ意見し、下級の村役人で解決する様言われたので、近隣の村の役人に仲裁して戴いて解決した内容は次の通りであります。

その④、田並上村の言い分は、「上下領内を分けているのは、建築や土木工事等の申請の際限があり、この境目で東西を見通して、領内を分けているので、上村領に生えている苫引き場所では、下村に引かす訳には参らないと言う内容であります。

その⑤、田並浦の言い分は、以前は上下合わせて一つの村だった土地であり、御検地帳も一つの村になっていて、苫草も上下相互に入り会いに引いて来たと言う内容であります。                                               注、【慶長年間(凡そ400年前)の御検地帳では、上下の区分は無く、田並村一ヶ村として計上しています。その事を言っているものと思います。】 続く。


第二十二章 扱い済み証文の事 其の二十七

2014年06月23日 04時48分48秒 | 古文書の初歩

 

 

「曖済證文之事」第七頁、上の記名捺印欄

 

解読 周参見平松 庄屋 六右衛門印

    周参見浦 肝煎   伴蔵印

    大鎌村 庄屋     嘉左衛門印

    和深浦 庄屋     善蔵印

    江田浦         米右衛門印  

読みは省略

解説  昨日の解説で、「我々挨拶を以て」を「挨拶を交わして」と解釈したのは間違いでした。この場合の「挨拶」は「仲裁」という意味でした。「我々が仲裁して」とお詫びして訂正します。 この文書の作成者は田並浦で、相手方は田並上村になっています。もう一通、上村から田並浦に宛てた同じ文書が有る筈です。最後に上の仲裁人の記名が有る訳です。仲裁者は上記記名捺印者の「周参見平松庄屋・周参見浦肝煎・大鎌村庄屋・和深浦庄屋と江田浦の米右衛門の五名です。本文書の始めと終いに出て来た「下タ方」という立場の人々になります。つまり、大庄屋とか、代官所の役人より地位の下の村役人の人達で、江田浦の米右衛門さんは、村の役名がありません。【本文終わり】


第二十二章 扱い済み證文之事 其の二十六

2014年06月22日 05時37分47秒 | 古文書の初歩

 

「曖済證文之事」第七頁、

 

解読      田并上村庄屋 常蔵 殿

          同村肝煎  曽之右衛門殿

          同村     惣百姓中

       右之通我々挨拶を以双方得心之上

       相済候處、相違無御座候 已上

読み    右の通り、我々挨拶を以て双方得心の上

       相済み候処、相違御座無く候。已上

解説  「我々」・・・説明が無ければ読めません。 次は「挨拶を以」・・・我々が仲裁をして。「挨拶」・・・仲裁。 「得心之上」・・・「納得の上で」。「得」は読みにくいが、昨日も「納得」と言う熟語で出ました。 「相済候處」・・・「済」の右下が「候」です。「處」は教えて貰わねば分からない字です。「相済まし」と読んでもよい。 「無」も難解。 「已」・・・ここでは「己」に見えます。「已」・・・い。 「己」・・・き。 「巳」・・・み。この三つの字の違いを覚える事。 本文書は、田並浦から田並上村宛になっています。お互いに、同じ文書を相手宛に出している可能性が有ります。    


第二十二章 扱い済み證文之事 其の二十五

2014年06月21日 05時16分39秒 | 古文書の初歩

 

 

「曖済證文之事」第六頁、上の五行目以下

 

解読 相片付候ニ付、為後日済證文如件。

    寶暦二年 申正月

       田并浦庄屋 九平次 印

       同所肝煎  庄六  印

       同所組頭  弥十郎 印

       同断     太十郎 印

読み  相片づき候に付き、後日の為済まし證文件の如し。

     宝暦二年申正月 以下読み省略

 

解説 「相片付候ニ付」・・・「片」も難しい。問題は片づいたので。 「為後日」・・・これも超難解です。下から返って「後日の為」。『ごじつのため』、ここも読むのは困難です。後々の証拠の為。 「如件」・・・『くだんのごとし』。常套句の一つ。「件」・・・『くだん』、・・・『くだり』の転訛音です。前文にあげた事柄。前の箇条。(広辞苑)前にあげた通りであります。今までに述べてきた通りであります。 「宝暦二年」・・・一七五二年。 「田並浦」の各役員が連名で記名捺印しています。ここの肩書き名も名前も読むのは難しい。「同断」・・・直前の肩書きと同じ。