daisukeとhanakoの部屋

わが家の愛犬 daisuke(MD、13歳)とhanako(MD、6歳)の刺激的仙台生活

丸八やたら漬 解体決まる 10月以降

2020年10月03日 19時25分57秒 | 山形の風景

山形新聞

2020年10月01日 07:35

取り壊しが決定した丸八やたら漬の蔵と店舗=山形市旅篭町2丁目

取り壊しが決定した丸八やたら漬の蔵と店舗=山形市旅篭町2丁目

 

今年5月に閉店した山形市旅篭町2丁目の老舗漬物店「丸八やたら漬」の国登録有形文化財になっていた蔵2棟と店舗の解体が決定したことが30日、関係者の話で分かった。

土地はマンション事業者に売却され、29日に引き渡しが完了している。

解体は10月以降始まる見通し。市民有志が存続を模索し、マンション事業者と協議していたが実現しなかった。

丸八やたら漬は1885(明治18)年創業の老舗。

漬物の販売額の減少を主因に、新型コロナウイルス感染拡大による観光客の減少が追い打ちとなり、閉店した。

蔵や店舗は中心市街地の観光拠点の一つで、2年に1度開催される山形国際ドキュメンタリー映画祭の社交場「香味庵クラブ」としても親しまれた。

丸八の社長を務めていた新関芳則さんは「廃業も断腸の思いだったが、多くの方が親しんでくださった建物がなくなってしまうことも重ねて残念」と話した。


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水の町屋 (山形市七日町)

2020年09月29日 21時18分41秒 | 山形の風景
 
七日町のオアシス、水の町屋を流れる笹堰。
 
昔ここに東宝、宝塚小劇場という映画館があったことを知る人も少なくなった。
 
加山雄三の若大将シリーズ、ゴジラ映画はここ。
ガメラと忍びの者はレストラン梅月の向かいの大映。007などの洋画は旭座。吉永小百合ものはシネマ通りの日活に足を運んだ。
 
そう言えば大沼デパートの地下にも、第二公園にも映画館があった。
 
あの頃はよく映画を観た。その映画館が全部なくなるとは誰が想像しただろうか。
 

 

 
この堰は馬見ヶ崎川から取水されて市内を潤す山形五堰のひとつ。
耳をすますとさらさらという水の音が聞こえる。
 
堰の水は市中を流れて須川に、そして最上川に入り、最後は酒田から日本海に注ぐ。
 
子どもの頃は、この水の音を聞きながら毎晩寝入ったものだった。当時は小さな魚が泳いでいた。
 

 

 
町屋の一角にあるそば処庄司屋に立ち寄る。
 
本店は若葉町にある。
店内は清潔で、オーソドックスな蕎麦を出す。
誰を連れて行っても80点は付けるだろう。
 
 
 
メニュー。
最近評判の冷たい肉そばが載ってないのが残念。
 

 

 

で、天せいろを注文。

天ぷらも上手に揚がっている。
見た目で蕎麦つゆが少ないと思いませんか? →→ やはり足りなくなって追加してもらいました。

欲を言えば、天ぷらは大根おろしと天つゆで食べたい。私は蕎麦つゆに天ぷらの油が浮くのを好まない。
蕎麦つゆと天つゆの両方を出してくれると店の評価は上がるのだが。

結構おなかいっぱいになった。今日も80点だ。

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山形で記録した40.8度は・・・

2020年09月12日 14時13分03秒 | 山形の風景
 
8月18日、浜松で41.1度を記録。2018年7月に熊谷市で記録された国内最高気温に並んだ。
 
この日の浜松は北西の風が吹き、名古屋周辺の熱気が移動してきた効果もあるそうだ。南風なら海からの空気が入り、ここまで上がらなかったと考えられる。
 
かつて日本の最高気温は山形市の40.8度で、長らく山形市民の誇り(?)であった。
それは1933年7月25日の記録であり、体験した人はもう少なくなっている。
 
40.8度は2007年8月16日に岐阜県多治見の40.9度に抜かれた。74年ぶりのことであった。この日の多治見は南西の風であり、名古屋からの熱風が寄与したとされている。
この日山形市内には大きなため息が聞こえた。
 
その後地球温暖化と室内のエアコン普及のせいで外気温は年々上昇し、40.8度は次々と抜き去られられた。昨日は7位から8位にランクを下げた。
 
山形の40.8度は戦前で、近くに大都市もなく、エアコンもない悪条件(?)の下での記録である。
他都市が金属バットを使う中、山形は木製バットで出した記録とも言える。県民は胸を張って良いのではなかろうか。
 
とはいえ、そろそろもうひと頑張りしないとベスト10からも落ちそうな気配である。
 
ちなみに下は最低気温の記録。
さすがにここにランクインするのは難しそうだ。
 

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大沼閉店セール 思惑交錯

2020年09月11日 18時53分57秒 | 山形の風景

 

 

河北新報  2020.8.11
 
今年1月に破産手続きに入った大沼デパートの閉店セールを巡って、様々な思惑が交錯する。
商業コンサルタントの「やまき」は百貨店再開への流れを有利に運ぼうともくろむが、土地と建物の売買交渉は停滞したまま。
やまきとともに再びセールの運営に参加した旧経営陣に対し、売掛け金が未精算となっている元テナント業者は不信感を強める。
旧本店にテナントとして入居していた乃し梅本舗佐藤屋は12月と1月の売り上げの600万円が返って来ないと嘆く。

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大沼デパート閉店セールに行ってきました 3

2020年08月26日 19時20分44秒 | 山形の風景

「のし梅本舗佐藤松兵衛」八代目さんのブログを読むと、

大沼デパートから佐藤松兵衛さんに支払われるべき倒産前の売掛金(600万円)の精算が済んでないということです。

単純に大沼の閉店セールを喜び、再開を期待するのもどうかと思わされます。

佐藤松兵衛さんは本町(山形グランドホテル向い)の店舗をたたみ、大沼デパートの2軒南隣りの薬局に(間借りで)入りました。

商売が行き詰まるということは周囲に大変な苦痛を強いることです。

 

下の「八代のひとりごと」を読んでみて下さい👇

 

八代のひとりごと

 

 

 
 


大沼デパート勤務の思い出

 

 




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大沼デパート閉店セールに行ってきました 2

2020年08月19日 20時13分06秒 | 山形の風景

 

婦人服売り場。

ちょっとアイテムは少ない。

デパートは物が溢れるほどに並んでいないと淋しいものだ。

 

 

紳士服売り場。

ここもあれこれ迷うほどの品数はない。

 

 

7月だけど、冬物もありました。

この季節に見ると暑苦しい感じが・・・

(さすがに売れていない。)

 

 

水着も数点だけありました。

(種類もサイズも選ぶほどないけど、あるものの中から選んで下さい。)

張り切って行ってみたが、結局買うものはなかった。

 

 

久しぶりにお客さんをお迎えしたエスカレーター。油は切れていなかった。(エスカレーターもこれで見納めになるのかな?)

 

 

1階入口のところで人を集めていたのが、Victorの音響システム、EX-B5。

 

 

あまりの音質の良さに驚き、値段(303.600円)にまた驚く。

Victorの販売員が「買うもの何もなかったでしょ?今日見るものはこれだけですよ!」と勧めてくる。

 

 

 

買うものはなかったけど、懐かしさは十分に堪能した。

目に馴染んだこの風景が消えてなくならないことを祈る。

閉店セールは2ヶ月間の予定。

 


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大沼デパート閉店セールに行ってきました 1

2020年07月26日 19時03分57秒 | 山形の風景
7月15日から始まった大沼デパートの閉店セール。
1月27日に突然倒産してからずっと閉店していたが、やはり大沼があってこその七日町だ。
 
お客さんが次から次へと入って行く。
これを買おうというものはないんだろうけど、とにかく開くのを待ちかねていたんだな。
 
全館ではなく、1、2、3、5階のみオープンしている。 
地下の食品売り場はクローズ。
レストランもやっていない。
 
絵画売場はデパートの花だ。
ただで芸術鑑賞ができて、部屋に飾りたい絵があれば即買えるんだから。
(買ったこたはないけど。)
 
台所用品もセール中。
鍋、フライパンなどを2割引で売っていた。
 
続く

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大沼デパート 閉店セール始まる

2020年07月26日 18時58分29秒 | 山形の風景
Sankeibiz  2020/7/15 11:45

 商業施設のコンサルティング会社「やまき」(東京)は15日、山形県唯一の百貨店だった「大沼」本店(山形市)を一部再開し、閉店セールを始めた。

自己破産手続き中の大沼が店を開けるのは1月下旬に突然閉店して以来で、セールは2カ月間程度を予定している。

 

「大沼」本店の閉店セールの開始を待つ行列=15日午前、山形市

 


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許してちょんまげ

2020年07月15日 19時56分18秒 | 山形の風景
 
昨日、山形に行った知人からお土産をいただきました。
 
 
 
食パン2斤!
 
新設のやまぎん県民ホールの一階に清川屋が出した食パンの店です。
店のネーミングがなんと「許してちょんまげ」。
・・.あんまり美味しすぎて許して・・・という意味らしいです。
(仙台にも「考えた人すごいわ」という食パン屋があります。)
 
売り場には長い行列ができ、整理券をもらった買ったとか。(ありがとう!)
 

 

 
プレーンの他、レーズン入り、さくらんぼ入りもあるそうです。
 
 
 
焼き上げ初日、2日目はそのまま食べるのがベストだそうです。
 

 

 
ほんのり甘くて、もちもちで、ふわふわです。
 
食パンを割ったときの香りとふわふわ感には「幸せ」を感じますね。
 

 

変な名前の食パン屋は全国に増殖中です。
「まじヤバくない?」(高崎市)、「午後の食パン これ半端ないって!」(相模原市)、「うん間違いないっ!」(中野区)、「もはや最高傑作」(熊本市)、「松本幸司の世界観」(広島市)、「日本列島パン食い協奏」(松戸市)などがあります。
 
許してちょんまげHP

 


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湯野浜のホテル満光園 閉館

2020年06月04日 19時37分31秒 | 山形の風景


鶴岡市湯野浜温泉にある「ホテル満光園」は2020年5月31日で閉館することになった。

1967年の創業で50年余りの間、県内外の多くの客から親しまれてきたが、新型コロナウイルス感染拡大に伴う営業自粛などで業績悪化が深刻となっていた。

ホテルの担当者は「緊急事態宣言が解除されても以前の客足に戻る可能性は低く、事業継続は困難と判断した」とコメントしている。
負債額は非公開で従業員約15人は解雇される。

 

 

 


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「丸八やたら漬」135年の歴史に幕

2020年06月04日 19時34分14秒 | 山形の風景


「丸八やたら漬」135年の歴史に幕 山形の老舗漬物店
 
山形新聞 2020.5.31


 山形市旅篭町2丁目の老舗漬物店「丸八やたら漬」(新関芳則社長)が31日、閉店し、135年の歴史に幕を閉じた。
同日夕、最後の営業を終え、社員らが市民に感謝の思いを伝えた。
 
 丸八やたら漬は1885(明治18)年創業で、看板商品やたら漬や漬物ずしなどで知られた名店。店舗や「食事処(どころ) 香味庵(こうみあん)」の蔵は国有形文化財に登録され、山形国際ドキュメンタリー映画祭の社交場「香味庵クラブ」としても親しまれた。
廃業は漬物の販売額減少を主因に、新型コロナウイルス感染拡大による観光客の激減が判断を早めた。
土地はマンション事業者に売却されており、店舗、座敷蔵2棟は取り壊される可能性が高い。
会社組織は6月末をめどに清算する。
 
 最終日は開店直後から客足が絶えず、「残念だが長い間お疲れさま」「ありがとう」と買い物客らが声を掛ける場面もあった。
みこし渡御の休憩所として使わせてもらってきたという里之宮湯殿山神社のみこし会「神幸(みゆき)会」のメンバーも多数来店。
同会の芳賀晴之助さん(74)は「まちの顔だった店だけに寂しいし、悔しい。
百貨店の大沼もそうだが、次々と個店がなくなる前に何とか施策を打たなければならなかったのではないか」と漏らした。
 
 午後5時、従業員がそろって店舗前に立ち、新関社長が謝意を伝えて頭を下げると、詰め掛けた市民らから大きな拍手と花束が贈られた。廃業の報道後、多くの来店者があったといい、新関社長は「代々いかに皆さんに愛していただいたのかを痛感した。
支えてくださった皆さんに心から感謝する」と話した。
 
「丸八やたら漬」の記録、映像に刻む 
市民有志が香味庵を記録に残そうと映画製作に取り組んでいる。営業最終日の様子も映像に記録した。

 31日で閉店となった老舗漬物店「丸八やたら漬」を記録に残そうと、市民有志らが映画製作に取り組んでいる。
山形の蔵文化や食文化を守り伝え、山形国際ドキュメンタリー映画祭の交流拠点としても親しまれた場の姿を通して、まちの歴史や変わりゆく文化の記憶を映像に刻む。
 
 製作を企画、発案したのは山形市の歯科医師里見優(まさる)さん(63)。
現在代表を務める市民団体「山形ビューティフルコミッション」の一員として、長く映画祭の社交場「香味庵クラブ」の運営に関わってきた。
「ここは山形のいろいろな歴史が詰め込まれた場所。
建物が今後どうなるか分からないが、そこにいた人や言葉も含めて、記録を残すことが文化を残すことにつながる」と里見さんは話す。
 
映像作家の佐藤広一さん(42)らが協力し、廃業が明らかになって以降、漬物工場や国登録有形文化財になっている建物の様子、新関芳則社長のインタビューなどを撮影してきた。
今後、建物の行く末も追いながら撮影を続け、香味庵クラブの映像なども盛り込みながら、来年の映画祭までには完成させる予定という。


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丸八やたら漬(山形)廃業へ

2020年04月21日 20時33分05秒 | 山形の風景

丸八やたら漬(山形)廃業へ 販売減響き、感染拡大追い打ち
山形新聞 2020年04月21日 08:20



 老舗漬物店の丸八やたら漬(山形市旅篭町2丁目、新関芳則社長)が5月末で廃業することが20日、同社への取材で分かった。
漬物の販売額減少が主因で、新型コロナウイルス感染拡大による観光客の激減が打撃となった。
店舗と座敷蔵2棟、漬物工場などがある土地はマンション事業者に売却されるとみられる。
座敷蔵や店舗は国登録有形文化財で、山形国際ドキュメンタリー映画祭の社交場としても親しまれたが、取り壊される可能性が高い。


 丸八やたら漬は1885(明治18)年、しょうゆ・みそ醸造と漬物の店として創業。看板商品やたら漬などで業績を伸ばし、漬物ずしを考案した1964(昭和39)年ごろから漬物専門店に。
92年には蔵を改装した「食事処(どころ) 香味庵(こうみあん)」をオープンし、全国から観光客を集めた。

 主力の漬物は観光施設や道の駅、旅館での販売が中心で、食の多様化に伴って92年をピークに売り上げが減少。
同年に4億5千万円を超えていた売上高が、2019年3月期には1億5900万円に落ち込んでいた。
同期の純損益は1110万円の赤字。20年3月期も赤字決算を見込む。

 当初はサクランボ狩りの季節や山形花笠まつりを終えた後の9月ごろの廃業を考えていたが、新型コロナの急速な感染拡大により客層の9割だった観光客が激減し、決断を早めた。会社清算は6月を予定する。

 白壁が映える座敷蔵と趣深い木造の本店は、中心市街地の観光拠点の一つにもなっていた。
2年に1度開催される山形国際ドキュメンタリー映画祭で世界の映画関係者、観客が交流する「香味庵クラブ」としても親しまれた。
座敷蔵の移設や部材の活用も考えられるが、現状では取り壊される可能性が高い。売却されるとみられる土地は約1900平方メートル。

 22人いる従業員は清算と同時に解雇となり、同社が再就職を支援している。
 新関社長は山形新聞の取材に「大切にしてきたお客さまや、取引先の方々、活用方法を模索してくれた行政、関係団体にできる限り迷惑を掛けないため、清算という苦渋の選択をした。
新型コロナの影響で人を集めることはできないが、親しんでいただいた商品を最後まで届けていきたい」と答えた。

映画祭の精神が具現化された場―事務局理事
 山形国際ドキュメンタリー映画祭の事務局で長く中心的な役割を務めてきた高橋卓也理事は「香味庵クラブは、海外ゲストを温かくもてなし、民間が運営を支えるという映画祭の精神が具現化された場所だった。非常に残念」と話した。


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樹氷を見に行く 2019年3月

2020年04月11日 18時43分25秒 | 山形の風景

これは去年の記録です。 

この頃はウイルスのことなど何も心配していませんでした。

 

2019年3月9日、快晴。

気温15℃とポカポカで、樹氷見物を思い立った。 

 

 樹氷原までは蔵王山麓駅→樹氷高原駅→地蔵山頂駅とロープウェイを2つ乗り継いで行く。 

 

山麓線。

 

傾斜38度の横倉の壁。
挑戦する人を下で多くのギャラリーが見ている。

 

山頂線のゴンドラ。

 

樹氷原に入った。

 

 地蔵山山頂。
雪は深いが、好天に恵まれそれほど寒くない。

 

地蔵さんは首まで雪に埋もれていた。 

 

今年は暖冬で樹氷の出来は良くない方だ。

 

 

 蔵王はスキーに来ると大抵吹雪だ。

こんな好天はシーズンに1,2回あるかないか。 

 

 

 

 

下界は春の陽気だが、ここはまだ冬の只中。

 

 

 

サングラスを忘れたので紫外線に目が痛い。
レストハウスに戻ったらしばらくあたりが暗く見えた。
 
 
樹氷と雪を堪能して再び下界へ。
 

蔵王温泉でとろろごはんと蕎麦を食べて仙台に帰る。

また来年も来たいものだ。

(まったく来年のことなど分からないものです。)

 

 


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久々に食べた不味いもの

2020年02月12日 17時32分17秒 | 山形の風景

 

山形のお土産に「山形いも煮らすく」というものをもらいました。

あのラスクで有名なシベール製です。

紅茶を準備していただきます。

 

が、しょっぱい!

いも煮の味はあるようなないような。

シベールのラスクの中では最も不味いかも。

 

 


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地方再生は幻か…創業320年の老舗百貨店破産の「厳しすぎる現実」

2020年02月09日 11時50分45秒 | 山形の風景

2020年1月30日 7時0分 現代ビジネス

老舗百貨店、破産…!
山形県で唯一の百貨店、しかも初代大沼八右衛門が元禄13年(1700年)、山形市の中心地・七日町に創業、松坂屋、三越に次ぐ全国で三番目の老舗の「大沼」が、1月27日、破産を申請した。

26日で営業は停止、従業員191名は同日付けで解雇、負債総額は25億円にのぼる。記者会見した長沢光洋代表取締役は、突然の破産理由を、「昨年10月から異次元の売り上げの落ち込みがあり、民事再生法も考えたが時間がなかった」と、説明した。
日本百貨店協会加盟の百貨店がなくなる都道府県は山形が初。同時に、商品券を扱う(株)大沼友の会も破産を申請した。大沼の商品券は使えなくなり、高利回りで人気が高い百貨店の「友の会商法」にも影響は及ぶ。
百貨店のビジネスモデルが崩壊、各地で百貨店の閉店が相次いでいるが、大沼の破産は、地方中核都市の地域一番店も生き残れないという厳しさを伝えている。
破産に至る経緯を辿ろう――。
老舗デパート「大沼」
信用不安説が何度も流され…
大沼は、2000年に売上高200億円を誇り、その頃まで「大沼」の包装紙はステータスだった。しかし、そこをピークに郊外の大型商業施設やネット通販に客足を奪われ、18年2月期には81億円まで売り上げを落とし、16期連続の減収、4期連続の赤字だった。
経営再建が急がれ、17年12月、創業家から投資ファンド「マイルストーン・ターンアラウンド・マネジメント(MTM)」への経営権譲渡が決まり、18年4月、株式を100%減資のうえ、MTMが出資して子会社とし、借入金は山形銀行などが債権放棄、再スタートを切った。
だが、MTMには「ターンアラウンド」をさせるだけの実力はなかった。盛岡市の商業施設「ななっく」、箱根の老舗旅館「俵石閣」、熊本駅前のホテル「ザ・ニューホテル熊本」、共同投資の兵庫の百貨店「ヤマトニシキ」などを抱えていたが、いずれも再建に苦労していた。
苦境を象徴するように、MTMは大沼再建のために6億円を用意、山形本店と米沢店を改装、服飾から食品に重心を移して収益力向上を目指すとしていたが、6億円の予定が3億円しか集まらず、それも借入金の返済や諸費用に回し、“真水”の再生費用は4100万円に過ぎなかった。
その実態が明らかになると、「MTM自身が火の車で、資金繰りのために、大沼という名門のハコを利用している」(地元金融関係者)という批判が高まり、地元紙などでバッシングが続いた。
信用不安説が何度も流され、19年2月20日には、佐藤孝弘山形市長、清野伸昭山形商工会議所会頭(当時)などが記者会見を開き、「山形から百貨店の灯を消すな」「大沼で買い物をして支えていこう」と、市民に異例の呼びかけをした。
一方で、MTMに対する幹部社員・従業員の反発はやまず、3月22日、従業員らでつくった大沼投資組合(株)が、経営権を取得したうえでMTM社長でもある早瀬恵三社長を解任した。
解任された社長が語ったこと
この時、筆者は本サイトで<山形激震…創業320年の百貨店を解任された社長の「悔悟と言い分」>(19年3月26日配信)と題して、インタビューを掲載した。
早瀬氏は、資金不足や大沼再建を託した人の人選を誤るなど「多くの反省点はある」としたものの、「地方再生というスキームに無理があるのではないか」という質問に対しては、こう強気に答えた。
「実売の商業施設全体が曲がり角に来ていますが、そのなかから復活の芽は生まれ、新たなビジネスが立ち上がっています」
だが、早瀬氏は「復活の芽」を生むことは出来なかったし、早瀬氏の後任となった大沼幹部の永瀬孝氏も、立て直すには至らず、6月に入ると、元社長の長沢光洋氏が共同代表に返り咲いた。
体制は変わったが、大沼の高コスト体質は変わらず、市長などの呼びかけに対する反応も一瞬に終わり、退潮は止められなかった。苦境を見越した取引先は支払いサイトの短縮を求め、資金繰りは悪化。県内でホテルや不動産業を営むスポンサーによって支えられる状況が続いた。
地方再生は幻だったのか
8月に入ると米沢店を閉鎖。七日町本店での復活を図るが、本店も老朽化し、魅力を取り戻せず、「七日町全体の一体再開発」という計画も掛け声だけで、前に進める人材も資力もなかった。
そうしたなか10月に入ると、スポンサー企業に本店の土地建物を売却。そこで得た資金を支払いに回すなど、いよいよ崖っぷちに追い込まれ、そこに消費税アップの波が襲って困窮する。
年末年始は、歳末セールや初売りなどでしのぐが、1月27日の段階で500社への支払いがあり、約4億円の債務を返済するメドは立たなかった。スポンサーへの支援を求めるにも限界があるとして、長沢社長は、26日の段階で破産を決めた。
友の会の積立金が3億6000万円で商品券の発行残高が5億円。半額は保全されるが、取引先だけでなく、顧客にも大きな迷惑をかける破産となった。今後、各百貨店の「友の会」にも影響を及ぼすのは必至だ。
創業家がギブアップしてからの2年間に、MTMやスポンサー企業が登場、経営幹部は新機軸を打ち出そうとしたが、いずれもうまくいかず、破産に向けて落ちていく状況を止められなかった。
MTMとそれを引き継いだ経営陣の能力不足、再生へ向けての資金不足は否めない事実で、地方再生が幻とはいえないが、百貨店を中核にした地方再生がかなり難しいことは、大沼の事例が示す。
今後も全国の地方百貨店で、同様の事例が発生するのは避けられまい。


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