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70億人が幸せになる方法[その33]

2015-10-13 07:49:01 | thought
えー、お題の「70億人が幸せになる方法[その33]」です。

1999年の8月に家の近くの店舗に異動した私は、それから2年以上、
その店でパソコン販売員として働きました。

メインの仕事はパソコンについて知りたいお客様に、パソコンに関して説明をしたり、
店舗でパソコン教室をやっていたので、その案内をしたり、周辺機器の販売や、
パッケージソフトウェアの販売、パソコン用品の販売、などをメインの仕事に、
修理受付や、取り寄せ商品の手配、メンテナンスと呼ばれるパソコンの困りごとを、
解決する仕事をしていました。

特に店舗でのパソコン販売以外に、メンテナンスとパソコン教室が、
売上の3本柱となっていました。

メンテナンスは基本的にお客様が店にパソコンや周辺機器を持ち込んで、
トラブルシューティングをしていました。

それとは別に、出張メンテナンスというお客様のお宅へ訪問して、
パソコンのトラブルに対応していました。もちろん基本的に全て有料です。
ただし、当店でお買い上げのパソコン本体や周辺機器を持ち込みで、
トラブルシューティングする時は、基本料を値引きしていました。

このメンテナンス作業とパソコン、周辺機器、パッケージソフトウェアの販売が、
私の主な仕事となっていました。

また、社内業務として、レジ業務や、電話での問い合わせ対応なども行っていました。
この、電話での問い合わせ対応が、結構評判で、かなり詳しく電話で無償で、
(電話料金はお客様負担)やっていました。

これは、見込み客を増やすために大変有効なサービスのひとつとなっていました。
私は日中はほぼレジに立っていて、お客様とのやりとりや電話でのやりとりが、
楽しくて仕方ありませんでした。自分がお客様の役に立っているという、
やりがいがとてもあったのでした。仕事は毎日楽しかったです。

今まで働いていて一番楽しかったのはパソコンショップで店員をしていた時でした。
将来、私が会社を作ったら、是非、パソコンショップを作りたいと思っています。

私が再就職して、2年が経った頃、お客様が結構多くなってきて、
店が手狭になってきました。おかげさまで売上、来店客数ともに伸びていったのです。

その頃から店舗の拡大を社内で検討する事になりました。
そこで、基本的にこのショップは徳島に本部があり、全ての決定事項は、
社長が決定していました。いわゆるワンマン経営というやつです。
この時点では、これが一番、店の繁栄に合っていました。

そこで、店舗の拡大について社長と店長が相談して、店の規模を拡大する計画が、
本格的に始動したのです。

まずは、物件探しを取引先の不動産屋にお願いして、何ヶ所か候補を探していました。
私たち店員は、その時点での店舗の2倍から3倍程度の広さの物件を考えていました。

しかし、社長はどうせやるなら、大型店舗化したほうがいいと、今の店の6倍ほどの、
規模の店舗を、安く借りられるからという理由で決めてしまったのです。

その場所は、以前地元のスーパーマーケットがテナントとして入っていた、
当時としてはかなり広い店舗でした。ただ、場所が私が考えていた場所より、
わかりにくい場所で、その時の店舗から隣の町に変わるという、
マーケティングの立場からは、内心賛成できないと考えていました。

しかし、そこはワンマン社長の鶴の一声で、その場所に決まってしまったのです。
その移転計画に伴って、なんと私がパソコン教室の責任者に抜擢されたのです。

私は内心、今まで通りメインはパソコン販売員として仕事を続けたかったのですが、
社長から、パソコン教室の責任者として、トレーナーの資格を取るように命じられ、
その前提条件として、当時のMOUS検定の上級を取るように言われました。

合格したら費用は会社が負担してくれますが、不合格なら自己負担です。
私は、正直悩みました。何故ならば、私に人を教えることは向いていないと、
考えていたからです。

実は、私は本来、人前では緊張するタイプで、販売員など向いていないと、
思っていたのですが、実際に販売員をやっていくにつれ、その楽しさから、
接客もそこそこ出来るようになってきたのです。人に慣れてきたみたいでした。

しかし、人にものを教える、先生と呼ばれる立場は、間違いが許されない、
かなりプレッシャーのかかる仕事で、トレーナーには向いていないと思いました。

パソコン教室の責任者になることに、体が拒否反応を示したのです。
私はずっと悩んでしました。そして、トレーナーになりたくないと店長に相談しました。
そうしているうちに、どんどんと移転の計画が進んできて、私にストレスがかかって、

憂鬱な精神状態になっていったのでした。
その頃から、夜眠れなくなってきたのです。不眠症になったようでした。

[その34]に続きます。

ではでは。

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