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70億人が幸せになる方法[その35]

2015-11-01 05:17:44 | thought
えー、お題の「70億人が幸せになる方法[その35]」です。

パソコンショップを退職した私は、社会保険事務所から、傷病手当を受けて、
生活をしていました。給料の6割ほどの金額が支給されます。

当時、自家用車を持っていた私は、月に一度申請のために、高松へと通って、
書類を提出していました。
体調が良い時は車の運転は出来ていました。しかし、体調が悪い時は、
全く動けない時もありました。差が激しいのです。

やる気の問題というよりも、物理的に、体が固まって動かないのです。
私は、うつ病の症状をほぼ一通り体験しました。

当時、うつ病に対してのイメージは、双極性うつ病のイメージが強く、
良い時はハイテンションになって、なんでも出来るけれど、悪い時は、
最悪の場合、死にたいと思う様な、そんな異常な状態を繰り返すものだと、
思っていました。

しかし、私の場合、いわゆる普通のうつ病で、うつ状態が続くというものでした。
症状は夜眠れない、朝起きると体が重い、動けない時もある、やる気が出ない、
という3つの症状が主なものでした。

そのために私はパキシル、デパス、アモバンという3種類の薬が手放せない、
そんな状態になっていたのです。

そんな時に名古屋のいとこが結婚する事になりました。私は結婚式に招待され、
ぜひ出席してください、と言われていたので、出席をする事にしましたが、
体調があまり良くなく、それでもそれを押して、名古屋へと向かったのです。

もちろん、新幹線で行きました。乗り物に乗らないと移動出来なかったのです。
名古屋のいとこの家に着いた時には、ほぼ一日中、横になっていました。
当然、薬も手放せません。結婚式までの間の3日間は、どこにも出かけず、
祖母よりも元気がなかったのです。叔父さんや叔母さんも心配していました。

結婚式当日は、なんとか動けるという状態で、立っているのがやっと、という、
体がきつい状態でしたが、結婚式と披露宴にはなんとか参加することが出来ました。
結婚式でいとこの幸せな姿を見た私は、少し元気をもらったのです。

体はだるかったですが、帰りの新幹線で、なんとか1人で、帰ることが出来たのです。
それから、1年ほど、自宅療養を続けました。本当に徐々に良くなっていたのですが、
相変わらず、薬が必要でした。担当の先生からは薬は飲み続けないと、日常生活を、
送ることができない、と言われました。

私は先生の言いつけを守って薬を飲み続けたのです。
1年半ほどすると、日常生活には支障がないほどに回復しました。薬は必要でしたが。
それに、そろそろ、傷病手当の支給期間が終わりに近づいていました。

私は再就職について担当医に相談しました。すると必ず通院して、薬を飲み続ける事、
という条件でまずは職業訓練を受けた方がいいとアドバイスを受けました。
ちょうど雇用保険を一時停止していたおかげで、雇用保険を受給しながら、
職業訓練を受ける事ができたのです。

私は、システムエンジニアとしての経験を生かして、Webエンジニアの訓練を、
受ける事にしました。JAVAやPerl、HTMLの基礎知識や、サーバーの構築など、
多岐に渡った学習を3ヶ月間受ける事にしたのです。
Webエンジニアの基礎の基礎を覚える事が出来たのです。

そして、それに関連する仕事を探していたのですが、求人は即戦力になるレベルを、
求めており、また、仕事として初心者として通用するのは20代の求人しか、
ありませんでした。

結局私は、機械製造会社の社内システムエンジニアとして、再就職が出来たのです。
時は2003年の3月でした。

[その36]に続きます。

ではでは。

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