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70億人が幸せになる方法[その11]

2015-08-05 06:01:00 | thought
えー、お題の「70億人が幸せになる方法[その11]」です。

家でも学校でも居場所のなかった私は、まずは小学校で初めての友達が出来ました。
あの、私の裏切り事件で殴られたクラスメートのうちの一人が、なんと私に声をかけてくれたのです。

私は、驚いたのと嬉しかったのを今でもはっきりと覚えています。
初めての島での友達は「けいちゃん」といいます。

けいちゃんは、私の住む集落より、4キロほど西に離れた漁港のある集落に住んでいました。
初めの頃は毎朝、挨拶をする程度だったのですが、二人目の友達が出来てから、その友達と一緒に、
けいちゃんの家に遊びに行ってから仲良くなりました。

二人目の友達は、私の住む集落より、1キロほど東に500メートル離れたこれも漁港のある集落に住んでいました。
朝、集団登校で私の住む集落で、4人と、その東側の集落から来た3人の7人で通学していたのですが、
そのうちのクラスメートだった2人のうちの男の子の方に私から挨拶を始めて少しずつ話すようになりました。
その男の子は「さとしくん」といいます。さとしくんは、当時から少し変わった子でした。
口数が少なく、かなりの人見知りで、実は私も人見知りだったのですが、さとしくんと毎日一言二言しゃべるうちに、
少しずつ仲良くなっていったのでした。

もう1人の女の子のクラスメートとも、朝の挨拶を始めるようになってから、私の住む集落で年少の子たちと一緒に、
帰宅後近くの「おいべっさん」と呼ばれる神社の境内で遊ぶようになりました。
その女の子は「たかちゃん」といいます。
たかちゃんも、当時人見知りでやはりさとしくんと同じように挨拶を交わすようになって、一緒に通学するうちに、
少しずつ仲良くなっていきました。

私はけいちゃん以外のクラスメートには、すべて苗字で相手の名前を呼んでいました。
そんなに深い付き合いを私からも取らないようにしていたのです。

学校のクラスであの事件があってから、もう友達はできないと思っていた私にも、少しずつでしたが、友達ができていきました。
小学校時代に仲良くなったクラスメートは、その3人だけでしたが、本音でぶつかった事はありませんでした。

いつも私は少し斜に構えて、自分の心を閉ざしていたのです。
でも、一緒に遊ぶうちに、私の心の扉も少しずつその3人のクラスメートにだけは開かれていきました。
けれども、家の中での事については話せませんでした。
なので、当たり障りのない範囲での付き合いしかできませんでした。

島での友達は、その3人が幼馴染といえるでしょう。
初めての島での人間関係は、こうやって少しずつ構築されていきました。

[その12]へ続きます。

ではでは。