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NHK・100分 de 名著“ハンナ・アーレント『全体主義の起原』”のテキストを読んで

与党議員での有力と目される議員の派閥領袖が新型ウィルスに感染した、という。現在入院中の由。4人未満の“3人会食の成果”か?
それにしても、野党の議員はPCR検査もろくに受けられず、死亡したにもかかわらず、与党議員だとあっさり検査を受けて、医療逼迫で入院もままならない中、簡単に入院できる。そんなものなのか。
驚いたのは、議員で感染者9人目だという。これまで議員さんの感染についてあまり報道されてこなかったが、これが実態なのだろうか。国会議員定数、710人として感染者率1%超え、一般国民の感染者率総人口1億2557万人とし、1月22日の感染者:66,843人から計算すると、0.05%の感染者率。議員の発生率が20倍以上と圧倒的に高い。それでも会食して感染を広め、御自分たちは感染すればあっさり高度医療が受けられる、こういったのが正しい認識なのだろうか。
だから、与党政治家は必死の感染対策の政策執行とはならないのではないか。
こういった選良達の動向が事実として報道されないとなると、やがて政府要人の動向も個人情報だからとして“不都合な事実”は目隠しされるようになるのではなかろうか。独裁国家なみになるのではないか。

有名お笑い芸人も有名であるから、さっさと脳梗塞で入院できた。現状の医療逼迫下では考えられない対応ではないのか。一般人では格差・ヒエラルヒー社会は確実に出来上がって来ている。これで良いのか。

医療崩壊のきざし、というよりも既に始まっているようだ。
筆者地元の兵庫県は自宅療養を原則認めていなかったが、先週からこれを見直すこととなった。借り上げたニチイ学館、東横インが満床に近づいているからのようだ。(22日18時で空きが8床)自宅療養が進めば、家庭内感染は促進される。蔓延度はさらに上がる。
これに対し東京とか大阪等の全国規模の拠点で、数千人規模の臨時の保護・隔離施設、或いは医療施設がどうしてできないのだろうか。たとえ、建物が建設できてもそのための医療従事者が適切な人数で確保できないから、だろうとは容易に想像できる。

しかし人員不足に対し、医療従事者の開業医や研修医も含めて動員できているとは思えない。医師会の協力が得られないからだろうか。動員可能な医師・看護師のリストはないのだろうか。そのためのシステムはできていないのだろうか。
デジタル庁新設とはいうが、その前に緊急でやらねばならない問題解決があるのではないか。そのためのタスク・フォースを作ってデジタル庁のベースにすることも考えられるのではないのか。
どうやら未だに保健所は電話で入院可能な病院を捜しているという。そういった電話で、職員さんは手一杯で疲弊しているかのように聞く。その挙句、肝心の患者は長時間放置され死に至る例もあるようだ。システムがあれば一目瞭然で直ぐに対応可能な医療機関の抽出も可能ではないのか。場合によっては、行政区分を超えてのシステム連携も即座にやって全国規模に拡大させるのが、現状では必要なのではないか。

デジタル庁担当大臣はそういったことに頭が回っているのだろうか。何だか最近ようやく、“ワクチン接種にマイナンバーを使うべし”の発言があった程度ではないのか。閣僚全員が感染症に真剣に対応しているのだろうか?
首相の“何でもやる”の本気度が問われる。
感染の濃厚接触検知しすてむのココアの機能不全にも、あまり騒ぎにならないこの現実は、日本のデジタル後進性を示している。システムを使って今ある全医療資源を有効に使って、適切に配分する、そういった発想は全く見受けられない。

東京の借り上げホテルの部屋の稼働率が3割以下という話もあるようだ、何故か。フロアごとに完全に空かないと清掃・浄化に入らないことにしているためだという。そうしないと、ただでさえ数少ない清掃業者が入らないのだという。そんなことを許容していいのだろうか。清員の感染防御が不完全だというのなら、それを医療従事者並みにすれば良いのではないのか。それでも“感染が怖い”と言うのなら、エッセンシャル・ワーカーとして報酬を上げれば良いのではないのか。それは政治の責任だろう。

首相はどうやらワクチン接種に懸けているようだが、それが失敗したときのダメージが直接自分に及ばないように、わざわざ発信力があると思われている人物に担当大臣を任せた。恐らく、それでも失敗したら矢張り政権へのダメージは大きいことは間違いあるまい。しかも確かに日本に確実にワクチンの必要量が供給されるのだろうか。外国の営利企業がやってくれるのだろうか。外国政府からの横槍は入らないのだろうか。そんなことに一国の首相が自己の命運を賭けるものだろうか。

それからマスコミは街への人出ばかりを気にしているが、そこに問題の本質があるのであろうか。
それが問題の本質なのか否か、改めて調査分析する必要があるのではないのか。それは面的な調査・検査ではないのか。それによって感染経路の明確化が求められるのではないか。或いは、ウィルスの変異の状況の正確な把握ではないのではないか。これによっても感染経路の明確化の端緒が掴めるのではないか。
英国型変異種が静岡で発見されて大慌てで、静岡だけを調査しても、何ら客観的な事態の全体把握にならないのは確かなことだ。全国的な拠点調査が必要なのではないか。
兎に角、起きている事象の事実がどうなっているかを把握しなければ、何らの対策も取れないのは、いかなる問題にも共通する解決のためのアプローチではないのか。首相はこうした、問題解決の初歩的方法論も御存知ないのではないか。

とにかく、政治が機能してはいない。バカな政治家ばかりで、しかもこの時代にコンピュータ・システムの本質を知らないように思える。しかも感染率の高いオバカ・アホアホばかり。こんなオバカを国民はワザワザ選挙しているのだ。国民は選挙の時だけ王様で、それ以外ではクズ扱いなのだ。日頃からも政治に関心をもって、もっと怒るべきではないのか。
マスコミももっと真剣に国民に忖度した報道をし、政治家の怠惰を責めるべきではないのか。何もなさず、無策のまま日本の新型ウィルスによる死者が23日5,077人(クルーズ船含む)となり、中国の4,803人を上回ったという。


今回は、NHKの“100分 de 名著”で放送された“ハンナ・アーレント『全体主義の起原』”を取り上げたい。それは最近の日本の社会風潮に、そうしたものの片鱗を感じるからに外ならない。
実は、これは20017年9月に放映されたもの。書店のNHKテキストコーナーで売られていたのが、気になって読んだものだった。なので、放送自体は視聴してはいない。そして、読んだのは昨年末だった。ブログ投稿のために、もう一度拾い読みし直した。それによって、眠ってしまっていた意識が覚醒された面もあり、有効だったように思う。
この番組の解説者でテキストの著者は、金沢大学教授・仲正昌樹氏である。このテキストの冒頭では、ハンナの書いた“全体主義の起原”と“イェルサレムのアイヒマン”の紹介としたいと言っている。“この二作を通じてアーレントが指摘したかったのは、ヒットラーやアイヒマンといった人物たちの特殊性ではなく、むしろ社会の拠りどころを失った「大衆」のメンタリティです”という。

このテキストをよんでいるのと並行して、年末のNHK・BSシネマで“シンドラーのリスト”を見て、ホロコーストを具体的なストーリーとして視覚的に印象付けなおした、こともあった。収容所にいるユダヤ人を所長が自宅から猟を狩るかのように狙撃したり、強制労働での建築の基礎工事に、問題があると訴えた女性を“そうか!”と言って、いきなり短銃で射殺したシーンが印象的だった。これまで様々なナチのユダヤ人対応の映画を見てきたが、改めてその残虐を確認した次第だ。
こうした収容所はお仕着せの囚人服のようなものを着せるなり、裸にしたりする。これはかつて羽仁五郎がよく指摘していたことだが、人の個性・アイデンティティを奪って、“ヒトをモノ化”する権力側の手口なのだ、という言葉を思い出す。そういう点で、服装・ファッションは重要な自己表現の一つであり、人類にとって主要な文化・文明の要素でもあるのだ。

先ず、この“100分 de 名著”番組紹介のNHKのHPには次のように紹介している。
“(世界大戦終了後の)1945年、廃墟となったドイツでは、ナチス支配の実態を物語る膨大な資料が続々と明らかにされ始めていました。多くの同胞を虐殺され、自らも亡命生活を余儀なくされたアーレントは、これらの資料に立ち向かい、ひとときも休むことなく「全体主義の起原」の執筆を続けました。その結晶は、1951年に米英で同時出版。世界に一大センセーションを巻き起こします。
アーレントによれば、全体主義は、専制や独裁制の変種でもなければ、野蛮への回帰でもありません。二十世紀に初めて姿を現した全く新しい政治体制だといいます。その生成は、国民国家の成立と没落、崩壊の歴史と軌を一にしています。国民国家成立時に、同質性・求心性を高めるために働く異分子排除のメカニズム「反ユダヤ主義」と、絶えざる膨張を求める帝国主義の下で生み出される「人種主義」の二つの潮流が、19世紀後半のヨーロッパで大きく育っていきます。20世紀初頭、国民国家が没落してゆく中、根無し草になっていく大衆たちを、その二つの潮流を母胎にした擬似宗教的な「世界観」を掲げることで動員していくのが「全体主義」であると、アーレントは分析しました。全体主義は、成熟し文明化した西欧社会を外から脅かす「野蛮」などではなく、もともと西欧近代が潜在的に抱えていた矛盾が現れてきただけだというのです。”

また同じHPでは、冒頭次のように始めている。理解するのに重要な記述である。
“今年1月、全米でベストセラーを記録した一冊の本があります。ビジネス書や娯楽小説ではありません。第二次大戦後まもなく出版された「全体主義の起原」。ナチスドイツやスターリンによってもたらされた前代未聞の政治体制「全体主義」がどのようにして生まれたのかを、歴史をさかのぼって探求する極めて難解な名著です。大統領が進める強権的な政治手法、排外主義的な政策に反発した市民たちがこぞって買い求めたといわれています。この名著を執筆したのは、ハンナ・アーレント(1906-1975)。ナチスによる迫害を逃れてアメリカに亡命したユダヤ系ドイツ人の政治哲学者です。”
ここで、“今年”とは2017年であり、トランプ政権が発足した年である。その時にハンナ・アーレントの“全体主義の起原”が米国でベスト・セラーになっていたとはつゆ知らず、不明を恥じるばかりであり、一方では全米の良心が、今一度“全体主義”への警戒心を抱いたということに、心強いものを感じるのだ。また、日本ではこうした懸念すら生じなかった社会心理があることに、不安を禁じ得ない。特に、日本では“軍国主義”と呼べる、“全体主義”が生まれていたという事実があるにもかかわらず、なのだ。
だが、こうした日本の特異性は、ある種ハンナの分析した“全体主義”の範疇からはみ出したものであることが、テキストを読んで少々安心した部分があったのは事実だ。本当は、そこで安心してはいけないのだが・・・。

アーレントの分析し範疇からはみ出した日本の特異性とは何か。それは、ヨーロッパに広く存在した、独自国家を持たない“ユダヤ人”或いは、ロシア革命後の“無国籍者”の大量発生の存在であると言っている点だ。日本に“ユダヤ人”や“無国籍者”の存在は明らかに無かったか、とするとそれは大きく議論を呼ぶ問題であろう。“日本は単一民族である”という認識そのものも問題ではある。しかし、それはヨーロッパにおける“ユダヤ人”とははるかに質的量的に異なる側面もあるのではないか。それを、どの様に分析するべきか、それは解説者でありテキストの著者のような研究者の仕事ではなかろうか。しかし、残念ながら、その点についての言及はテキストではなされていない。
そういったところから、どうやら我ら日本人には“ハンナ・アーレント”が響かない部分があるのだろうと考える。

ともあれ、先のNHKのHPでは次のように概説していて、テキストには確かにこの通り書かれている。
“フランス革命を期にヨーロッパに続々と誕生した「国民国家」。文化的伝統を共有する共同体を基盤にした国民国家は、「共通の敵」を見出し排除することで自らの同質性・求心性を高めていった。敵に選ばれたのは「ユダヤ人」。かつては国家財政を支えていたユダヤ人たちは、その地位の低下とともに同化をはじめるが、国民国家への不平不満が高まると一身に憎悪を集めてしまう。「反ユダヤ主義」と呼ばれるこの思潮は、民衆の支持を獲得する政治的な道具として利用され更に先鋭化していく。
19世紀末のヨーロッパでは原材料と市場を求めて植民地を争奪する「帝国主義」が猛威をふるっていた。西欧人たちは自分たちとは全く異なる現地人と出会うことで、彼らを未開な野蛮人とみなし差別する「人種主義」が生まれる。一方、植民地争奪戦に乗り遅れたドイツやロシアは、自民族の究極的な優位性を唱える「汎民族運動」を展開する中で、中欧・東欧の民族的少数者たちの支配を正当化する「民族的ナショナリズム」を生み出す。
第一次世界大戦を期に国民国家は大きく没落。かつて国民国家を支えた階級社会は崩壊し、代わりにどこにも所属しない根無し草のような「大衆」が台頭し始める。そこに登場するのが「世界観政党」だ。この新たな政党は、インフレ、失業といったよるべない状況の中で不安をつのらせる大衆に対して、自らがその一部として安住できる「世界観」を提示することで、一つの運動の中へ組織化していく。「陰謀史観」や「民族の歴史的な使命」といった擬似宗教的な世界観を巧妙に浸透、定着させることで自発的に同調するように仕向けていくのだ。”

要は、枠組みの曖昧な“国民国家”からはみ出した“ユダヤ人”は、一方では社会に溶け込んだつもりだったが、“国民国家”が領土拡張で“帝国主義化”すると、外部植民地の異質文化を未開文化として自らの優位性を誇示し、“人種差別化”が始まる。それが内部の異質な“ユダヤ人”にも向かって行ったというのだ。
ところが、第一次世界大戦を機にヨーロッパ文明の危機が意識され始め、不況が深刻化し社会不安が増大すると、それまで無党派層で無教養の“大衆”が、政治的不満を募らせるようになった。そこへ、彼らが安心するような世界観を示して、支持を得ようとしたのがナチズムでありボリシェヴィズム*だった、というのだ。ある種、無知な大衆をデマやウソ、ウソと証明しようのない“事実”で煽った、というのだ。トランプ氏とまったく同じではないか。
そういう点で、“アホで何が悪い!”と居直るのはある種社会的犯罪でもあるのだ。或いは“もっと簡単に説明しろ”、“難しいので分かりません”等々の思考停止が問題なのだ。最近、日本でもそういった傾向が強くなっている。認知的複雑性の欠如なのだ。

*ボリシェヴィズムというのは、レーニンが指導したボリシェヴィキの思想である。つまり、アーレントはロシア革命も全体主義への革命だと言い切っているのだ。これには、少々驚きであったが、スターリニズムが全体主義であると言うのならば当然の論理なのであろうが、やっぱりそうか、と考えざるを得ない。

ここまでで言及されていないが、注目した点を指摘しておきたい点がある。
それは、ヒトラーの全体主義ナチ活動は“固定した組織体ではなく、流動的な運動体であった”というアーレントの指摘である。このような分析は、はじめて知った新鮮なものだった。運動体とすることで、固定した組織としては無駄な重複した機能をことなる部署に、つまり複数の部署に同じような機能を持たせて相互に競争させていた、というのだ。また、そうすることによって運動体の頂点に近付かなければ、運動体全貌が見えにくくしている、というのだ。確かに、今の北朝鮮はそのような組織体制になっているように思う。
さらにそうすることによって、運動体の構成員の意識を上昇志向にさせて、忠誠心を煽る仕組みになっている、ということだった。秘密を分かつことにより、忠誠心を煽るのだ。これは多くのいかがわしい組織に見られる現象だ。だから組織活動の“透明性”は、民主的活動には不可欠であると言える。

そして“イェルサレムのアイヒマン”の解説へと進む。NHKのHPでは次のように概説している。
“何百万人単位のユダヤ人を計画的・組織的に虐殺し続けることがどうして可能だったのか? アーレントはその問いに答えを出すために、雑誌「ニューヨーカー」の特派員として「アイヒマン裁判」に赴く。アイヒマンは収容所へのユダヤ人移送計画の責任者。「悪の権化」のような存在と目された彼の姿に接し、アーレントは驚愕した。実際の彼は、与えられた命令を淡々とこなす陳腐な小役人だったのだ。自分の行いの是非について全く考慮しない徹底した「無思想性」。その事実は「誰もがアイヒマンになりうる」という可能性をアーレントにつきつける。・・・「人間にとって悪とは何か」「悪を避けるには何が必要か」といった根源的なテーマ”を考えている。

普通の人が、非情な“悪”を平常心で為す。この人間心理の謎を先のミルグラム実験が解き明かして確認したのだ。
それは“閉鎖的な状況における権威者の指示に従う人間の心理状況を実験したもの”であり、“普通の平凡な市民が一定の条件下では冷酷で非人道的な行為を行うことを証明するもの”であった。

ここまで来てハッとしたのは、2005年末に書いた私のブログ記事だった。これは岡本浩一著“権威主義の正体”の読後感想だったが、その本はミルグラム実験がベースになっていたのであり、その実験は実はこのアンナの研究を心理学的に確認しようとしたものであったことに気付いたのだ。
このようにアーレントのこの研究は人類社会に非常に大きな影響を与えたと言えるのだ。

そういったことも了解して、社会に政治に臨まなければ、あっさりと思惑のある政治勢力や、トランプ氏のような人物に扇動され、操られるのだ。
やっぱり、“アホであるコト”それは、社会的に悪影響を及ぼすのだ。扇動されて米国議会議事堂を襲撃することはどういう意味なのか、よく認識して欲しい。それが何故いけないことなのか、愚かなことなのか、・・・ここでは解説しないが、よく考えて欲しいのだ。少なくともそれは、誰かに利用されている。そういう点で“日々、お勉強”が重要なのだ。

だからこそ矢張、“暴力”は諸悪の根源でもあるのだ。アーレントは次の言葉も残している、という。wikipediaで知った。
“「革命は戦争と分母を同じくするものであり、暴力が母体である」
革命は戦争と共に20世紀の様相をかたちづくってきたものであり、戦争が簡単に革命に転化し、革命が戦争への道を開く傾向を示しているのは、暴力がこの両者の一種の公分母になっているからである。聖書と古典が明らかにしているように、人類の伝説的なはじまりは暴力による。「はじめに犯罪ありき」―「自然状態」はそれを理論的に純化して言い換えたものに過ぎない。”
中国共産党の標榜する“銃口から政権は生まれる”は必ずしも正義ではなく、むしろ現代では不正義・悪に属する思想なのだと改めて確認した。

“ハンナ・アーレント”は近代の民主主義を理解し、全体主義を忌避するためには確かに重要な提言であろう。


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