たそがれ時のつれづれに

人生のたそがれ時を迎えて折々の記を・・思うままに

仏教講座

2013年07月22日 | お寺参り

蒸し暑い日がつづき不快指数100です。選挙も終わりました。ねじれも解消され後3年は選挙がない。安倍首相や自民党には腰を落ち着けて政策実現に取り組む黄金の3年となる。
テレビ東京、池上彰の選挙特報圧勝と今朝は出ている。衆院選でも今回も途中から見た。
それにしても安倍晋三さんは政治家として傑出しているのか、単に運が良いのか、人の運命は分らないものですね。潰瘍性大腸炎は例の特効薬で大丈夫なのかしら。こちらは直腸切除の機能障害で、昨日とその前の日も不順で苦労していている。排泄系に障害のあるのは、気分も滅入るし情けない。

安倍さんはどうか、体も政治もおごることなく、自重して国民の生命と暮らしを守るため頑張ってください。
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土曜の夜は仏教講座「人間にとって真面目とは何か」 講師 池田勇諦先生(元同朋大学長 真宗学専攻)
「人間は真面目であることは大切だが、真面目だけでは流転するばかりだ」と、若い頃(昭和40年代)に先覚から聞いた一言が問いとなって胸にささっている。長年自分に問いつづけ近年ようやく、自分なりの解を自覚できるようになった。それを今日のテーマとするという講座でした。
真面目だけでは状況に流されるだけ、流転する。利己(エゴ)だけが基準になる。それを親鸞聖人は歎異抄で教えている。基準が定まらない。時代により変わる。善悪だけの立場で判断している。
真偽、真は真実 何が真実かを問う。虚偽、何がにせもの、そらごと、たわごとかと問え。真偽という。
私にとって親鸞聖人とは、どういう人か、如何なる存在か。自分に問え。私にとってとは、自覚された、私自身にとって如何なる存在かということ、それを自分に問え。
仏教講座に通う。真面目人間ほど当てにならない。

聞法(もんぽう)する。「聞法とは、何が真実か、何が虚偽か、その感覚を教わりに行くところ」。
人生すべてを真理問題にせよ。求道者たれ。人間として生きる意味を問え。
聞法とは、「さて、今日の仏教講座の結論は何だったかと聞く人がいるが、聞法は結論ではない。出発点だ」。

観念的な思念でなく、自分抜きの、自分本位の善悪でなく、内面、本質を見よ。現実主義者であってはならない。

利己の善悪、現実主義では流転する。真偽の感覚を磨くのが仏道である。善導大師は「不安のない安心より、不安のある安心の方が大事である」と説いている。(この場合は仏教用語アンジンと読まずアンシンと読む)。善悪の判断は利己(エゴ)であってはならない。

親鸞聖人は「自信教人信」と教えた。自ら信じ、他人にも信じ教える。利他深広の信楽(しんぎょう)という。
「眼(まなこ)をひらく 心をひらく」、当地サブテーマは利他深広に叶う良いテーマだ。

と、いうようなお話でした。先生はもっと深く出典も多数引用され講義されるが、なにせ「無い頭で聞く聞法」なので、こんな聞き方しかできなかった。これを活字にし、あろうことかネットにさらす愚かには、目をむかれるでしょう。

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