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今、日本のポップカルチャーが世界でどのように受け入られ影響を広げているのか。WEB等で探ってその最新情報を紹介。

「漫画に見る韓日の違いとは」

2009年04月13日 | マンガ
4月6日、7日、11日の3回、「日本のポップカルチャーの魅力」と題して、これまでアップしてきたいくつかの記事の内容を箇条書きにまとめた。一部エリートや上流層に作られ支配される消費社会ではない、本当に庶民や女・子どもが主人公の消費社会、知的エリートに統制されない大衆社会が日本に形成されつつあり、そこから発せられるコンテンツだから世界の共感を呼ぶ、という内容だった。昨日の「朝鮮日報」に、ちょうど関連がありそうな記事が載っていたので紹介する。記事といっても本のレビューだが。

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◆漫画に見る韓日の違いとは(朝鮮日報/朝鮮日報日本語版:2009/04/12)

【新刊】チェ・セッピョル、崔洽著『漫画! 文化社会学的読み方』(梨花女子大出版部)

日本の漫画『美味しんぼ』は、美味しい料理を取材する新聞記者の冒険談を描いた作品だ。この漫画の中で韓国人は、大抵の場合、日本人よりもほお骨が大きく出っ張り角ばった顔の持ち主として描かれている。日本人と韓国人の見た目に大きな違いはないが、このように描く理由は何か。

押しが強く、自国の文化に対する自負が過剰なまでに強いといわれる韓国人に対する日本人の「先入観」がにじみ出ている画法だ。

本書『漫画! 文化社会学的読み方』は、小さな子どもが読む低学年向けとみなされることが多い漫画を、学問分析の対象とした独特な本だ。チェ・セッピョル梨花女子大社会学科副教授と、本紙で漫画愛好家として有名な崔洽(チェ・フプ)経済部記者が、「文化社会学」と「漫画」を同じ器に盛ってもみ溶かし、1冊の本として完成させた。ちなみにこの二人は兄妹同士だ。

二人の著者はひとまず、文化テキストは社会を映す鏡であると同時に、社会によって制限あるいは決定されると見る「反映理論」の観点から、人気漫画『キャンディ・キャンディ』の主題歌を注意深く分析した。

同じメロディーを使ってはいるが、日本の原曲がはつらつとした軽快な感じに編曲されているのに対し、韓国の主題歌は遅めのテンポで味がある、という特徴が見られる。歌詞の面でも、日本の原曲は「そばかすなんて 気にしないわ はなぺちゃだって だって だって お気に入り」といった明朗快活な内容を盛り込んでいる。一方韓国の主題歌は、「寂しくても 悲しくても わたしは泣かない 我慢して 我慢して 我慢しなきゃ 泣いたりなんかしない」という悲しみに耐える内容となっている。

著者らはこれを「1970年代の両国における女性の立場の違いから生じた現象だ」と分析している。「キャンディは本来、戦いながら自分の人生を開拓する積極的で活発な少女だが、当時の韓国社会は、そうした積極的な女性を受け入れられる雰囲気ではなかったため」、韓国ではキャンディが「耐える天使」として翻案された、というのがその解釈だ。

日本の漫画『魔女っ子メグちゃん』は、韓国では『妖術天使コップニ』とタイトルそのものが変わった。主題歌の歌詞も、日本の原曲では「二つの胸の膨らみは 何でもできる証拠なの」というところ、韓国では「たとえ女に生まれても 男でもできないことをてきぱきこなす」と、極めて受動的な内容に改められている。これもまた、同じ流れで読み解くことができる。

また著者らは、無条件に漫画を暴力的で有害な媒体だとみなす既存の見方について批判した。16世紀のイギリス国王財政顧問トーマス・グレシャムが残した「悪貨は良貨を駆逐する」という言葉のように、「堕落した大衆文化が美しい高級文化を駆逐する可能性がある」との視点には、無理があるというわけだ。

人気連載漫画『鉄腕アトム』は、日本のロボット産業を変貌させた。また、2003年まで『週刊少年ジャンプ』で連載されていた人気漫画『ヒカルの碁』のお陰で、1998年には390万人にも達しなかった日本の囲碁人口が、2004年には450万人に増えたという。こうした点には、自然とうなずける。(ソン・ヘジン記者)

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1970年代の日本ですでに、「はつらつとして軽快」、「明朗快活」な、「戦いながら自分の人生を開拓する積極的で活発な少女」が、マンガやアニメの主人公となり、ひろく共感を呼び、受けられていた。一方、韓国では「積極的な女性を受け入れられる雰囲気ではなかったため」、キャンディが「耐える天使」として翻案さたという。

しかし、テーマソングのイメージを変えてもストーリーを中心とした作品全体を変えることはできないから、キャンディの積極的なイメージはそのまま作品のメッセージとして韓国でも受け入れられていったであろう。あるいは、自分の国にはない何かとして、違和感を感じつつ、同時に魅力や憧れを感じていたのかもしれない。いずれにせよ、韓国の少女たちの意識に少なからず影響を与えていたのだ。

少なくとも一面において、マンガやアニメに、日本の大衆社会(この場合はとくに女性)の生き方や価値観が反映されていることは確かであり、それが、それを見る様々な国の人々への強烈なメッセージとなっているのも確かであろう。

日本発のマンガやアニメを楽しむ世界の人々は、そこに自国の社会や文化にない何かを発見し、それをクールと感じている場合が多いのだ。

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1 コメント

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高級文化とは (uchi)
2009-04-27 18:27:27
文化なる語彙は日本語であり、「文化」は韓国にとって日本からの輸入語であり、文化に低級とか高級をつけることは日本人には馴染まず、大衆文化とか貴族文化とするのが普通である。
明治の西周の翻訳造語である文化とは
文化とは何かが 日韓では違う気がする。
韓国は儒教の影響で、文化にも上下をはっきり区別させたい無意識の意識が働いているかもしれぬ
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