ここを訪れる方々はご存知の場合が多いだろうが、Serchinaという中国関係の情報を中心としたサイトで、中国人が書いたブログを要約して日本語で紹介するページがある。最近は、年間100万人もの中国人が日本を訪れるので訪問した日本の印象を語る中国人ブログも多い。そして、そのほとんどが日本の清潔さ、日本人の礼儀正しさに驚くという。ここでは、最近、私にとってとくに印象に残った二つの記事を紹介しよう。
なおこのページは、毎日のように更新されているので、関心のある方はどうぞ。→ Serchina【中国ブログ】
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【中国ブログ】訪日した中国人「まるで自分も教養があるように感じた」 (【社会ニュース】 2009/05/09(土) 18:15)
数年来、私は世界各国を訪問していたが、ついに日本を訪問する決心をした。中国を侵略し、中国人に深い苦しみをもたらした日本にはずっと行きたいと思えなかったのである。
私たちが幼少の頃から受けてきたのは日本を痛恨するという教育であった。企業に就職して日本人との付き合いが出来、日本企業の製品や管理においては日本人を敬服していたが、感情の上ではやはり暗い影が差していたのであった。
しかし、私は時間が経つにつれ、過激な偏見が我々の眼を曇らせているのではないかと気づき、自らの目で日本を見てみようと決心したのである。
私は東京、横浜、富士山、京都、大阪などを訪れたが、まず初めに感銘を受けたのは日本の環境保護と農業に対してである。
日本人は真剣に農業に取り組み、至る所に木々が生い茂ると同時に花が咲き誇り、空気は新鮮で、海や湖、渓流は清らかで底が見えるほどに透き通っていた。土地は肥沃で、植えられている作物は美しく、私はスイスに来たのかと疑うほどであったが、日本はスイスよりも素晴らしかった。
日本人は礼儀正しく、教養がある。日本を訪れたからというもの、まるで私自身までもが教養があるかのように感じ、常に追求していた文明社会が日本で体現されているようであった。
日本人は尊厳のある民族であり、彼らの製品や生活の至る所に尊厳が現れているのを実感した。国家全体、民族全体が尊厳を有しているというのは本当にすごいことである。私は日本を訪れて日本人の精神を深く感じ取ることが出来た。中国の現代社会や中国人民は日本に学ぶべきところが多いだろう。(編集担当:畠山栄)
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まるで日本が「天国」であるかのような描き方ではあるが、この中国人旅行者に日本がそのように見えたことは確かなのだろう。日本は山が多く、森林の面積は国土の面積の67%に当たり、先進国中、森林の割合が60%を超えるのは、日本とスウェーデンとフィンランドだけだということだから、「至る所に木々が生い茂る」という印象は、もっともなものかも知れない。農業に関する部分など、日本の農業の、高年齢化などの実情を思えば素直に喜んでばかりはいられないのだが。それにしてもこの文章は、逆に中国の環境破壊の深刻さをうかがわせるものになっている。
ところで、ここに挙げたような内容のブログは、Serchinaに紹介される日本の印象記の類のブログの中の例外的なものではない。むしろかなり多くが日本礼賛のような内容なのである。Serchinaのスタッフが意識的にそういうブログを探してきては紹介につとめているのかもしれない。それにしても日本礼賛に近いものがかなり多いと感じる。もうひとつ紹介しよう。
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【中国ブログ】中国人から見た日本「貧富の差が見えない」 (【社会ニュース】2009/04/18(土) 10:38 )
「日本には貧乏人がいない」と言うべきと指摘されそうだが、これは間違っている。貧富の差が明確に現れる中国とは異なり、日本においては誰が「貧」で誰が「富」なのかを見出すことは難しい。中国の場合、ベンツやBMWに乗っている人や、ホテルに泊まることができる人は「富」の立場の人であり、貧富の差が明確で一目瞭然なのである。
それに比べ、日本では一目しただけでは誰が「富」の立場の人なのかを見出すことは出来ない。日本ではベンツやBMWを見かけることはあまり無いが、日本では金持ちで無ければ購入できないわけではなく、仮にベンツやBMWを所有しているからといって富裕層であるとは限らない。
さらに不可解に思ったのは、日本は資本主義を掲げながらも社会主義のような国であるということだ。今回の訪日は「日本の学校」を視察することであったが、日本の各学校の状況はそれぞれ異なるものの、一つの共通点があった。
それは校長先生と他の先生の差が非常に小さいということである。服装や態度からでは誰がトップの人間なのかを見出すことが出来ないのだ。また、企業においても社長や部長、一般社員の給料の差はそれほど大きくなく、給料の差は年齢の差に起因するのだという。
外国人という視点から中国と日本を比べた場合、あくまでも表面的で局部的ではあるが、私は日本と中国の間には「距離」を見出すことが出来なかった。「距離」というものは同じ道の上を、どちらかが前でどちらかが後ろにいる状態を意味するが、どうやら中国と日本は全く異なる道を歩んでいるようである。
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(出典:Jorling’s Blog 意訳編集担当:畠山栄)
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中国での凄まじい格差の広がりから見ると、一見だれが金持ちで誰が貧乏人か分からない日本の様子は、強く印象に残るのだろう。「校長先生と他の先生の差が非常に小さい」という感想は、面白かった。中国では、校長はどんな風に校長然としているのだろうか。
ところで、2009年1月13日時点のデータで、中国におけるインターネットの個人ユーザーは2億9800万人で、日本の人口の倍以上になるという。そしてブログを書く人は、1億6200万人。これもまた日本の総人口を軽く超える。こうなるといくら中国政府でも、そこに書き込まれる内容をチェックしきることは出来ないわけだ。現に中国政府の管理を超えてインターネットが力を持ち始めているという。インターネットの力で多くの政治家、官僚の不正が摘発されるようになっている。(『中国経済がダメになる理由』)
もしかしたら、日本を訪問した中国人のこうした日本印象記も、中国人の日本人観をたとえわずかずつでもかえていくかも知れない。
なおこのページは、毎日のように更新されているので、関心のある方はどうぞ。→ Serchina【中国ブログ】
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【中国ブログ】訪日した中国人「まるで自分も教養があるように感じた」 (【社会ニュース】 2009/05/09(土) 18:15)
数年来、私は世界各国を訪問していたが、ついに日本を訪問する決心をした。中国を侵略し、中国人に深い苦しみをもたらした日本にはずっと行きたいと思えなかったのである。
私たちが幼少の頃から受けてきたのは日本を痛恨するという教育であった。企業に就職して日本人との付き合いが出来、日本企業の製品や管理においては日本人を敬服していたが、感情の上ではやはり暗い影が差していたのであった。
しかし、私は時間が経つにつれ、過激な偏見が我々の眼を曇らせているのではないかと気づき、自らの目で日本を見てみようと決心したのである。
私は東京、横浜、富士山、京都、大阪などを訪れたが、まず初めに感銘を受けたのは日本の環境保護と農業に対してである。
日本人は真剣に農業に取り組み、至る所に木々が生い茂ると同時に花が咲き誇り、空気は新鮮で、海や湖、渓流は清らかで底が見えるほどに透き通っていた。土地は肥沃で、植えられている作物は美しく、私はスイスに来たのかと疑うほどであったが、日本はスイスよりも素晴らしかった。
日本人は礼儀正しく、教養がある。日本を訪れたからというもの、まるで私自身までもが教養があるかのように感じ、常に追求していた文明社会が日本で体現されているようであった。
日本人は尊厳のある民族であり、彼らの製品や生活の至る所に尊厳が現れているのを実感した。国家全体、民族全体が尊厳を有しているというのは本当にすごいことである。私は日本を訪れて日本人の精神を深く感じ取ることが出来た。中国の現代社会や中国人民は日本に学ぶべきところが多いだろう。(編集担当:畠山栄)
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まるで日本が「天国」であるかのような描き方ではあるが、この中国人旅行者に日本がそのように見えたことは確かなのだろう。日本は山が多く、森林の面積は国土の面積の67%に当たり、先進国中、森林の割合が60%を超えるのは、日本とスウェーデンとフィンランドだけだということだから、「至る所に木々が生い茂る」という印象は、もっともなものかも知れない。農業に関する部分など、日本の農業の、高年齢化などの実情を思えば素直に喜んでばかりはいられないのだが。それにしてもこの文章は、逆に中国の環境破壊の深刻さをうかがわせるものになっている。
ところで、ここに挙げたような内容のブログは、Serchinaに紹介される日本の印象記の類のブログの中の例外的なものではない。むしろかなり多くが日本礼賛のような内容なのである。Serchinaのスタッフが意識的にそういうブログを探してきては紹介につとめているのかもしれない。それにしても日本礼賛に近いものがかなり多いと感じる。もうひとつ紹介しよう。
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【中国ブログ】中国人から見た日本「貧富の差が見えない」 (【社会ニュース】2009/04/18(土) 10:38 )
「日本には貧乏人がいない」と言うべきと指摘されそうだが、これは間違っている。貧富の差が明確に現れる中国とは異なり、日本においては誰が「貧」で誰が「富」なのかを見出すことは難しい。中国の場合、ベンツやBMWに乗っている人や、ホテルに泊まることができる人は「富」の立場の人であり、貧富の差が明確で一目瞭然なのである。
それに比べ、日本では一目しただけでは誰が「富」の立場の人なのかを見出すことは出来ない。日本ではベンツやBMWを見かけることはあまり無いが、日本では金持ちで無ければ購入できないわけではなく、仮にベンツやBMWを所有しているからといって富裕層であるとは限らない。
さらに不可解に思ったのは、日本は資本主義を掲げながらも社会主義のような国であるということだ。今回の訪日は「日本の学校」を視察することであったが、日本の各学校の状況はそれぞれ異なるものの、一つの共通点があった。
それは校長先生と他の先生の差が非常に小さいということである。服装や態度からでは誰がトップの人間なのかを見出すことが出来ないのだ。また、企業においても社長や部長、一般社員の給料の差はそれほど大きくなく、給料の差は年齢の差に起因するのだという。
外国人という視点から中国と日本を比べた場合、あくまでも表面的で局部的ではあるが、私は日本と中国の間には「距離」を見出すことが出来なかった。「距離」というものは同じ道の上を、どちらかが前でどちらかが後ろにいる状態を意味するが、どうやら中国と日本は全く異なる道を歩んでいるようである。
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(出典:Jorling’s Blog 意訳編集担当:畠山栄)
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中国での凄まじい格差の広がりから見ると、一見だれが金持ちで誰が貧乏人か分からない日本の様子は、強く印象に残るのだろう。「校長先生と他の先生の差が非常に小さい」という感想は、面白かった。中国では、校長はどんな風に校長然としているのだろうか。
ところで、2009年1月13日時点のデータで、中国におけるインターネットの個人ユーザーは2億9800万人で、日本の人口の倍以上になるという。そしてブログを書く人は、1億6200万人。これもまた日本の総人口を軽く超える。こうなるといくら中国政府でも、そこに書き込まれる内容をチェックしきることは出来ないわけだ。現に中国政府の管理を超えてインターネットが力を持ち始めているという。インターネットの力で多くの政治家、官僚の不正が摘発されるようになっている。(『中国経済がダメになる理由』)
もしかしたら、日本を訪問した中国人のこうした日本印象記も、中国人の日本人観をたとえわずかずつでもかえていくかも知れない。